銀河漂流 バイファム概論

 終わりに当たって

 2009年にWEBで公開を始めた「秘密のコーナー」。
 そもそも、「秘密」にしたのにはわけがある。まず、すでにあまたいる、このアニメーションのファンやコアなマニアの方が読めば、揚げ足取りや、自身でも表題にしているが、重箱の隅をつつくような記述のオンパレードで、正直、印象上げを狙って書いている物ではない、と評されることが確実だからである。
 そして、私自身の「秘密」趣味にしておきたい、という部分もある。表面上の年齢ははっきりいってかなりたってしまっており、そういう立場の人間が、1アニメーションを解析するということなど「大人気ない」という風に解釈されることも嫌ったわけである。
 
 あと2年でこのアニメーション放送開始30年を迎える。概論として、このアニメーションを細部にわたって書き続けた20年近くは、今までアニメーションと付かず離れず、すごしてきた私の人生の「一部」であるといっても言い過ぎではない。事実、本編を数十回見てこないと判らないようなところにまでスポットを当てられるのは、ただ単に時間だけが生んだ産物ではないことは賢明なる諸兄であればお分かりいただけよう。

 そして、今回のこのアニメーション概論の完成を持って、私個人のアニメーション周辺雑記人としての役割を終えようとも思っている。
 もちろん、アニメーションそのものは私にとっても欠くべからざる興味の対象のひとつであり、年齢が経ってきているとはいえ、そういう熟成された「大人」の楽しめる作品が1本でも出てくれば私も目の色を変えるところなのであるが、残念ながら、そういう作品は、劇場用作品でも難しくなりつつある(特に宮崎グループ作品は、意識しすぎてしまっており、まだ、大の大人が感動できるという点でのドラえもんやワンピースの劇場版のほうが感情移入できる)。

 80年代のテレビアニメーションは、するめのように、噛めば噛むほど味わい深い作品ばかりが軒を連ねた。多感な時期に、完成度の高い作品ばかりを見せつけられた小生にとって、このアニメーションは、本当に「特別」なのである。そして、特別だからこそ、あえて、徹底解析しようと思い立ったのである。
 結果は、矛盾点や、おかしな部分がこれでもかというぐらいに出てくる、その上、脚本ミスも散見された。作画ミスもひとつ二つではない。正直ここまでの結果になることなど、私自身が一番驚いている。
 では、その行動自体は失敗だったのか?私は決してそうは思わない。

 「終わりよければすべてよし」。言わずもがなの慣用句である。この作品が、打ち切りという苦難にもめげず、また、短縮エンディングも乗り越えて、46話完走できたのは、クルーたちと共にスタッフも「戦った」成果だからだと思う。大の大人がみても、ケンツの怒鳴りで感極まるのは、全46話が無駄でなかったことを意味するものであり、それまでに噴出したさまざまな瑕疵はあの一言、そして涙をさわやかに変えさせたエンディングの演出の妙ですべてがご破算になるのである。

 原作者たちは、もしかすると、このギャップを知っていて利用したのではないか、とさえ思うのである。そこまで計算しつくされていたとするなら、本当に恐るべき作品に出会い、そしてそれをここまで解析できた小生は最後の大仕事をやってのけたのだといってもいいだろう・・・と、自画自賛したい気持ちでいっぱいである。

 もちろん加筆修正は完全に終わったわけではない。このアニメが「The End」で終わらなかったのと同様に、いまだに続いている感覚にとらわれているのもまた事実である。2011年6月でいったん終了する今回の概論。ただ、「終わりこそが始まりである」と考えてもいただきたいのである。
 本当に完成を宣言できるのは・・・「some other day」なのかもしれない。