銀河漂流 バイファム概論  事 象 考 察

 第11回   人物考察/ラストはカチュアで〆

 いよいよ「バイファム概論」にも最終章が近づいてきた。
 私の中でも、これほどまでに熱中し、とことんまで解析してみたいと思うアニメーションは、後にも先にもこれしかないといっていい。

 さて、終了がまじかに迫っているということもあり、ほぼ全編にわたり、何度目、いや、何十度目かの見直しを行った。
 加筆修正や論理的におかしなところを訂正するのが目的だったが、このアニメーションに欠くべからざる人物・・・カチュアの感情の起伏というものに触れていないことに気付いたのである。
 そもそも、彼女がまったく最初から存在していなければ、このアニメーションは、おそらく別な方向を向いていただろう。そして、彼女の設定が寸分でも異なっていたら、このような感動的ラストを迎えられたかどうかも微妙である。

 彼女のセリフ/行動など、解析すべき点が十分にあり、そして、「謎めいていない」人物の考察はこれが最初で最後である。
 というわけで、彼女の人となりから解析をはじめて行きたいと思う。

 ○彼女の軌跡を追う
 登場は、本隊とも言える、ジェイナス搭乗の10人から遅れること3話。4話でのベルウィック星第2ステーションでの生き残りとして描かれている。髪の毛が淡いブルーであることなど、地球人的でないような外観も特徴的であったが、かといってそれを決定付ける証拠もなく、たどたどしく自己紹介するにとどまった。
 11話で第2ステーションへ舞い戻りジェイナスに乗り込むことになるのだが、このあたりから彼女の特異な点が見出され始める。飲み込みが早いことや遺跡様の建造物を「以前に見たことがあるようだ」といったりしたことである。
 12話では、出発できないというクルーたちの混乱振りを、ボギーに対する限定質問で解決に導くことに成功させた立役者としても描かれた。
 しかし14話で闖入してきたラレドによって、ククト星人(ククトニアン)であることが暴露されてしまう。思い悩むケイトを尻目に、情報だけが先走りし、結果、カチュア本人にもいいようには伝わらずじまいとなった。
 16話でとうとう「私は敵なのよ」と自己解決し、ジェイナスを降りる決意をするものの、どこへ向かうというあてのない下船。結果、敵に見つけられてしまうことになり、ケイトを死地に追いやる原因となってしまう。
 ケイトの死から立ち直ろうとするクルーたちであったが、一因を作ったカチュアの孤立感は増すばかりである。しかし、ロディの「戦争にその責任がある」の会話ですべてが贖罪されたかのような処理がなされた。その証拠に18話ではわだかまりなく、コンピュータ教室の教師としてクルーたちに接している。
 20話では、病に倒れたスコットの代役として艦長代理を無理やり押し付けられてしまい、結局戦闘の際にはあまり役に立たなかった。戦術慣れしていないものが指揮を取るとこうなるという見本でもある。
 タウト星が近づくころにまたしてもその役割は急伸。ククト語の所得をひそかに行った26話、ロディの窮地を救うべく単身タウトに乗り込んだ28話とこの時期は準主役的な動きを存分にしている。
 大気圏突入/ククト上陸の段階においては、ケンツ/ロディという、このストーリー中欠くべからざる人物とのみ絡んでストーリーを構築する側に回り、ここでも31話のロディとの絡みでこのストーリー中、主役級の恋愛話に発展するきっかけを作った。
 ククト星でクルーと合流してからは、よりいっそう、ククト星人としてどう振舞うかというところが大きく表れるようになっていく。特に「生みの両親と会おうとするかどうか」という彼女にとっての最大の命題を突きつけられた状態でのククトでの行動ということも出来、結果的にクルーとは別れて、ククトでの両親探しを行うことを決意する。

 ○カチュアの言動からうかがえる彼女の心情
 ジミーを除く、他のクルーたちが、結局つかみきれなかったのは、「カチュアの深層心理」である。ジミーが、最終話で放った一言・・・「カチュアはママに会わなくて本当にいいの?」が、カチュアのククト行きを決定付けたとする解析も当方は書いたが、本当にそれだけなのだろうか?
 すでに「自分はククトニアンであり、敵である」という認識は、16話以降なされておらず、この部分を掘り下げるよりも、ククト星に降り立ってからの彼女の軌跡と心情をなぞっていくほうが有用と考えた。その結果、書くべき内容は、この3点に集約されると判断した。

 ・ククトニアンの子供たちと行動を共にした36〜38話では、架け橋の役割を果たした。
 ・事実上、カチュアの心情の吐露が頻繁に起こっているのは40話以降である。
 ・ククトを脱出してからの彼女の心の移り変わりを追う

 では、順を追ってみていこう。
 @ククトニアンの子供たちと行動を共にした36〜38話では、架け橋の役割を果たした。
 33話で合流できたクルーたちは、結果的に『どこにいく当てもなく』ククトをさまようことになってしまうのだが、35話で遭遇した、4人のククトニアンの子供たちとの出会いがきっかけで、36話の収容所発見/37・38話に掛けての収容所の解放までが描かれることになった。
 36話では、かじりさしのククト語習得が功を奏し、一番年下のククトニアンの子供の発した呟きを見事に翻訳。彼女が26話であの動きをしていなければまったく理解不能な状態だっただけに、この伏線とのマッチングはタイミング的にもぴったりだったといえる。
 37話では、夜襲を掛ける前に内通者として忍び込むことを自ら志願。ロディの反対を押し切ってまで身を挺したわけである。結果的にククトニアンで唯一の女性の子供である、メルの助力もあり、内通自体に成功、これでほぼ計画は成就したも同じであった。

 この3話で見て取れるのは、カチュアがストーリーに執拗なまでに絡んでいるということである。36話では、空腹の闖入者におかわりのサーブをしているところをスコットに見咎められると、逆にスコットをやり込めている。もちろん彼らとの融和のきっかけをつかんだのはユウの呟きからである。37話では内部の捕虜たちの内通を試みるべくして、先遣隊として侵入、見事にその役割を果たす。しかし、そのカチュアのまさに目の前で、メルの父親との再会劇が展開されてしまうのである。話の最終盤で囮になったロディを心配するフレッドにも声を掛けているところもあり、絡みがやたらに多いのである。
 38話では、彼女の『生みの親』がククト星にいないことが語られ、それを聞いてしまったスコットが言い出しにくい雰囲気をカチュアに悟られてしまう場面があった。

 実は、カチュアの生みの両親についての記述があるのが、この38話がはじめてである。もちろん、視聴者である我々にも、情報としてもたらされるものである。ここで、彼女だけはクルーの中にいるとはいえ、特別であることがまたしてもクローズアップされたわけである。

 A事実上、カチュアの心情の吐露が頻繁に起こっているのは40話以降である。
 40話では、しばらく姿を見せていなかったジェダ/このストーリーの不整合部分のストーリーテラーでもあるサライダの登場がなされ、そして図らずもロディの好敵手になったミューラァの過去が暴かれていく回となったわけだが、この回で、カチュアは自身の『生みの両親がどこにいるのか』という基本的な情報をすでに入手しているのである。
 41話では、いきなりサライダ/カチュア会談がしつらえられ、この時点でカチュアの知っている情報と、我々が聞き伝えられている情報のすり合わせが行われることとなった。『全滅』といわれていた移住実験プロジェクトのメンバーのうちの何人かは「戦火を逃れて本国へ避難してきた」ことが知らされ、カチュアの両親が存命している可能性がでてくる。
 このときカチュアは、執拗にサライダに食い下がり、「私、知りたいんです、本当の両親が生きているかどうか、そしてどんな人なのか」聞きだそうとした。結果、ミューラァを自室に呼ぶチョンボを犯してしまう。もちろん、彼が知っている可能性はゼロに近い。それどころか、彼自身はクレアドにいたとは考えられない事実もある(彼の父親が移住実験プロジェクトに参加しており、身重の妻を同行しているとは考えにくい。また、そうなると、どうしてもミューラァの生まれた時期=カチュアの生まれた時期という『あの』矛盾が頭をもたげてしまう)。
 ミューラァの逃亡劇に図らずも同行する形となり、その途上で、ミューラァの口からでまかせの情報をよすがにした部分があり、残念ながら、プラスアルファの情報は得られずじまいであった。
 42話では、カチュアの知っている情報を他のクルーたちも知るところとなり、伝えるべきかどうか悩むが、実はカチュアはすでに知っていて、肩透かしを食う。しかし、それを伝えられた彼女はこう述懐する(セリフ抜粋)。
  『気遣ってくださって、ありがとうございます。でも、私、両親がここにいないってわかって正直ほっとしているんです。私を赤ちゃんのときから育ててくれたパパとママが、私の本当の両親だと、今でもそう思っているんです。』
 ロディが『本当の両親に会わなくていいのか』という問いかけにはこう答えた。
  『ええ。顔さえ見たことないし、本当の両親といっても私にはなんだか・・・だから...だから私、ちょっぴり気が重かったんです。』

 このセリフが、事実上、彼女の『両親に会うよりどころ』と考えるのが妥当といえる。もちろんこの時点では否定的、というより消極的な態度であった。地球人の捕虜収容所に向かう直前、暇をサライダに言うときのカチュアも、『仲間ですから』といい、コロニー行きについて提案するサライダに対しても否定的な見解を述べている。
 ところが、揺るがないはずのカチュアの信念を揺さぶったのがジミーの気丈な態度であった。

 Bククトを脱出してからの彼女の心の移り変わりを追う
 42話で若干揺らいだカチュアの心情。43話から最終話まではまさに揺れ動きすぎであるといっても差し支えない。
 44話でのロディのツーショットから彼女の揺れは始まる。
 1.44話
 マルロ・ルチーナが想像で書いた両親の似顔絵を持って外を見つめるカチュア。
 独白『パパ、ママ・・・私、自分の気持ちがわからない。本当のパパやママに会いたいのか、いえ、会って見たいわ。でも、私怖い。このまま地球へ行ってしまうと、もうパパやママに会えなくなるような気がして…』
 ここにロディがやってくる。以下、2人の会話である。
 カ「ロディ・・・」
 ロ(横に並びかけ)「これからのことを考えてたんだろ?」
 カ(ずばり言い当てられ困惑しながら)「え、ええ・・・」
 ロ「心配はないよ。俺たちと一緒に来ればいいんだ」
 カ「地球へ?で、でも・・・私・・・」
 ロ「大丈夫だよ。これから地球軍とコンタクトを取れば、すぐに戦争は終わる。そのとき再びこのククトに戻り、本当のパパやママに会えばいいさ」
 カ「そうかもしれないわ。でも、私・・・それまで地球人の中でうまくやっていけるかどうか・・・」
 ロ「何言ってるんだ。今まで通りでいいじゃないか。そんなこと気にする必要ないよ」
 カ「ええ・・・」
 心中『ありがとうロディ。でも、あなたのような地球人ばかりじゃないと思うの』
 その心中を察したかのように

 ロ「カチュア」
 カ「え? 」
 ロ「君が不安に思うのもわかるような気がする。あのミューラァって言う人も、ずいぶんつらい思いをしたみたいだからね。でも、君には俺たちが付いているじゃないか」
 最後の一言で彼女は笑いかけるのであるが、やはり心底不安が解消されたような笑顔には見えない。
 最後のほうでカチュアとミューラァが会話するシーンもあるが、この際には、ミューラァが一方的に自分の思いを伝えただけにとどまっており、このことで彼女の心情が変化したという風には受け取れない。

 2.45話
 ここは、誕生会準備中のさなかに、もう一度カチュアの決意を聞き出したロディとのツーショットの場面が最重要ポイントだ。
 ダイニングから通路へ出たカチュアをロディが呼び止めるシーンから。
 ロ「カチュア」
 振り返るカチュア。
 ロ「こないだ君に地球へ行こうって話しただろう。あの後ジミーの気持ちも聞いてみたんだ」
 カ「それでジミーは?」
 ロ「カチュアが行くなら自分も地球へいくって」
 カ「そう。よかった...」(沈み込むような表情でうつむく)
 その様子を見て通路に下りる階段を伝って降りてくるロディ。
 ロ「どうしたの?君はまだ迷っているのか?何も心配することないじゃないか。俺たちは向こうへ行ったって今までどおり仲間だよ」
 カ「そんなことじゃないの。コロニーに行けば会えるかもしれない両親のことよ」
 ロ「そのことは俺が言ったじゃないか。戦争が終わればいつでもお互い行き来できるって。第一、今どうやってコロニーに行くんだ?」
 カ「わかってます、今は無理なことは・・・」
 ロ(カチュアの肩に手を回し)「だからさ・・・」
 ここでサンドを持ったシャロンに会話を邪魔される。彼女が去ってからの続きの部分。
 ロ「だから、今は少しでも安全なほうを選ぶべきだよ」
 カ「ロディ・・・」
 ロ「え?」
 カ「この戦争、すぐ終わると思う?」
 ロ「終わるさ」
 カ「本当にそう思う?」(かなり思いつめた表情でロディをみる)
 ロ「カチュア・・・」(あまりの表情にこわばる)
 
 そしてもうひとつ印象的なシーン。トゥランファムが被弾しコントロール不能になりそうなところをバイファムのロディが抱えとめたシーン。ここでカチュアに話しかけるロディ。しかし、みんな一緒に行こうと言うロディに対し、視線を落として返事をしないカチュアが描かれている。


 3.最終話
 そして、いよいよである。ここでカチュアがどのタイミングで決めたのかは重要項目である。すでに「重箱の隅」での解析では、ジミーのひとことで決めたという結論からは抜きでていない。というより、彼女の今までを解析せずに最終話で結論付けたとしているから、当然である。
 マキとクレアから、一緒に行っても大丈夫ということを聞かされつつも、いまだに不安な表情を隠しきれないカチュア。
 倉庫的な物陰に隠れるように入り込んでいくジミーを認めて、追いかけるカチュア。
 カ「ジミー」
 駆け寄りもう一度声を掛ける。
 カ「ジミー」
 ジ「ぼく、どうなるの?」
 カ「どうなるのって、私がいるじゃない?」
 ジ「カチュア」
 カ「え?」
 ジ(顔を上げつつ)「カチュアはママに会わなくて本当にいいの?」

 他のクルーとは遅れて艦内に入るカチュアとジミー。デュボアが随伴している。ここでも最初に戦争の終結をことさらに話題にしている。艦内を3人で歩くシーンでは、こんなことを言っている。
 カ「じゃあ、ククトニアンの生活って、地球人と変わらないんですか?」
 デ「さあ、詳しいことは知らないけど、同じようなものよ。やはり、ご両親のことが気になるのね?」
 カ(うなづいて)「正直いって、地球へ行けば、きっと今までと同じようには行かないと思うんです」
 デ「そうねぇ・・・残る気があるなら、遠慮しなくてもいいのよ」
 
 合流したクルーのカチュア・ジミーの慰留作戦は続いていた。そこへ舞い込んだ両親との回線。彼ら二人を残して去るロディたち。

 そう。ここまでが彼女たちがクルーと絡んでいるすべてである。この後、2人は、デュボアと一緒にククトニアンの船に戻っている。その後に対応したのはデュボアであり、彼女たちはキッチンでの慰留後テープを残しただけである。

  もし、この一言−−「カチュアはママに会わなくて本当にいいの?」−−がなかったならば、カチュアは『もしかしたら』地球に向かっていたかもしれない。両親もおらず、自らはケンツのところに身を寄せる決心をしていたにもかかわらず、なぜ彼は翻意を促す一言をこの場面で発したのか?
 これはあくまで推定の域を脱しないが、ジミーには、15話でケンツとやりあったシーンが残っているのではないか、と思うのである。表面上ジミーとケンツは蒙古班を見せ合うことで意気投合(21話)、以後、弟のようにケンツがジミーを扱うような場面や、ケンツの思考を先回りして砲弾を用意するなど(38話)、和解は確実に進んでいた。しかしながら、カチュアのことを常に心配し、それこそ、恋人のようになっていったジミーにしてみれば、当初のケンツのような、「異星人に対する偏見」をしてしまう人間がほかにいても不思議はなく、そのたびにカチュアを守らないといけない、犠牲を払わないといけない、と感じたのではないだろうか?
 もし仮にカチュアがククト星に向かうことを決めてくれれば、自身に対するククト星人のバッシングを受け止めるほうが、地球人によるカチュアへの偏見や差別に対応しなくて済み、自分の問題とできると踏んだのではないだろうか?身寄りがなく、ケンツとの義兄弟で自分は守られるのにカチュアだけが取り残されるような地球行きが我慢ならなかったのかもしれない。
 ただ、結果的に彼らにとって最良の選択だったのかも、と思わせるシーンでもある。ほかのクルー11人には家族がある。会話が出来る状態になった「あの」時点で二人との溝は決定的になっていた。むしろあの局面でクルーと共に行動するという選択肢しか彼らが持っていないとしたら、よほどのことである。
 

 ○ここまでの彼女の言動でわかること
 箇条書きにするとこうなる。
 1.42話の始まりの時点で、彼女は、生みの親について会うのは気が重い、と考えていた。
 2.だが、ジミーの、実の両親が死んでいても気丈に振舞う姿を見て「気が変わった」少なくとも揺さぶられた。
 3.44/45話では、完全に生みの親に会いたい方向にシフトしている。しかもそのときの「地球に行かない」という理由付けとして、異星人として受けるかもしれない差別と、戦争の長期化/停戦にすぐには合意しないのではないかという「最悪の事態」を常に頭の中に思い描いていたように思われる。
 4.それでも思い切って地球に行こうとするのであるがジミーがとうとう「生みの親に会いたくないのか」といってしまう。
 5.最終的な判断は自身がしている、「今までと同じようには行かない」という結論である。

 ふぅ。会話起こしも大変だったが、ここまで劇中の会話に深く立ち入ったのはこの人物考察がはじめてである。
 つまり、彼女がロディたちに話していることからうかがい知れることは、決して地球行きを肯定しているものではないということである。ロディは、説得できる/くびねっこひっつかまえてでも地球に連れて行くくらいの気概があったとみられるが、やはり、彼女の本当の気持ちは汲み取れなかった、と考えるのが妥当である。
 45話で、ロディはバーツにカチュアの本心を誤って伝えてしまっている。完全に彼は、カチュアが「地球にきてくれる」と信じて疑っていなかったのだが、その根拠は、これらの会話からはまったく伺えない。決意も、確約もまったくない状態でロディがどうして「一緒に行く」と判断できたのか・・・。本心を誤って受け取っていた彼は、吸い込まれ行く連絡通路を見やりながら、かなり傷ついたと思うのである。

 ○最後のメッセージ
 ジミーのものもあるが、今回はカチュアのものだけ抜粋したい。
   『みんな、ごめんなさい。わたし、デュボアさんたちと一緒に行きます。わたし、みんなと別れるのつらいけど、今地球へ行ったら自分の生まれたところへ二度と戻れないような気がするの。そして、私もみんなと同じように、本当の両親に逢いたい。あえるかどうかわからないけど、とにかく悔いを残したくないんです。みんなと面と向かって話したら、やっと決心した自分の気持ちがダメになっちゃいそうなので、これをおいていきます。みんなの事忘れないわ。ジミーは止めたんだけど、どうしても私に付いてくるって。でも、きっと、又会えるわ。必ず会えるわ。だから、さよならは、私いわない。今まで本当にありがとう、みんな。』

 実際、このメッセージを聞くまで、特にロディの狼狽振りは尋常ではない。17話でカチュアに見せた、少し精神状態が不安定になったロディがいるかのような状態だった。このことからも、完全にロディがカチュアの本心を見抜けず、むしろ繰り返し問いただすことで帰郷の念を強めてしまったことに後悔したのだろうと思う。
 
 アニメであり、たら・ればはあまり無意味でもあるが、もし、ロディがここまでカチュアのことにかかわっていなかったとしたら、この結末が導き出されていたかは微妙なところである。そもそも42話では「会わなくてほっとしている」といったのである。それがわずか数日の間に変わってしまったのは、ロディによる、地球行きが最善とするいわば刷り込みをカチュアが嫌ったということも考えられる。地球行きを固めるつもりが、逆の目がでた・・・ロディにとっても、また、説得工作がうまくいっていると考えていたクルー全員にとっても青天の霹靂であったろう。

 おそらく原作的にも、この2人を引き離すということはプロットとして出来上がっていたと思われる。それは、ずばり、カチュアの異星人としての生い立ちそのものがあるからである。クルーたちとの約半年もの共同生活でなしえた絆より、仮に言葉や生活環境が異なっても「自分の出所」は明らかにしておきたいという、血のつながりを大事にしたカチュア。クルーの中には、別れることの合理性を考えられないものもいるとみられるが、自分たちの目標と同じ方向を向いていたことに気付かなかったロディたちは少なくとも彼女の「本心」を理解していたとは言いがたい。

 ○紙飛行機の意味
 正直書いていきつつ「重箱」ねたかな、とも思うようになってきた、カチュアがらみの疑問である。
 オープニングアニメーションでもカチュアの目元から発する涙を引くかのように紙飛行機が現れ、宇宙空間に放たれるシーンがある。
 そしてそれはまさに最終話の最終一歩手前のシーンまで「これってどういうこと?」ということを視聴者に投げっぱなしのままになっている。
 紙飛行機そのものは、実に46話まで一切出てきていない。それも、ロディたちが、カチュアの件でブリッジで悲痛な叫びを上げて今までの苦労が水泡に帰したその瞬間、マキが音声の吹き込まれたテープと紙飛行機を持ってブリッジに駆け込んでくるまで、つまり最後の10数分前に出てきたのが初めてであり、最後でもあるのだ。
 紙飛行機をじっと眺めるロディは、紙飛行機を使って、カチュアたちを送ろうと試みる。

 カチュアが残した紙飛行機の意味・・・。実は「まったく不明」なのである。彼女が、この紙飛行機に何を託したのか、また、言いたかったことは何なのか?それを裏付ける証拠めいた記述も現象もまったく存在しない。突如として、持ち上がった題材である。
 もちろん、最終話の最後のさわやかな演出を導出するためのものであることは察しが付く。しかし、行動に意味があると考えるならば、唐突な紙飛行機の出現ははっきりいって気持ち悪い。カチュアが、「紙飛行機で見送ってね」というサインにする=ロディがそうすることをわかっているというのもできすぎの感はある。
 なんといっても、画面上、あれだけの紙飛行機をタキシング中の船に対して折り上げることなど到底できるわけがなく(空砲弾など特殊な射出法を使ったと見られ、折る+打つ込みであの短時間ははっきりいって「紙」技)、最後の演出に持っていくための舞台装置に過ぎない、ということが出来る。