意見書
2002年1月9日
東京地方裁判所
民事第19部ハ係 御中
住所
氏名 浅野 健一
東京地方裁判所平成13年(ワ)第5474号事件について、次の通り、意見を述べる。
《目次》
第一 私の地位・経歴等
1 私の地位・経歴
2 閲覧した資料
第二 本件処分についての感想・意見
1 はじめに
2 処分理由としてあげた文書に関して
(1)就業規則33条1号「会社の経営方針あるいは編集方針を害する行為をしないこと」
@オーナー企業
A社内的立場
B捏造記事
(2)就業規則33条2号「会社の機密をもらさないこと」
@共同体と機能体--3
Aバラバラ殺人
(3)就業規則35条2号「会社の秩序風紀を守るため、流言してはならない」
@悪魔との契約-1
A悪魔との契約-4
3 被告準備書面1で問題とされたその他の文書に関して
*夜回り *しばり *誤報の裏で *シラク大統領来日 *社畜直し *賄賂・私の記者マニュアル
-8<執筆実践編> *私の記者マニュアル-4<取材一般編>・趣味直し *悪魔との契約-2〜3
第三 被告の主張についての論評
1 HPでの発信はマスメディア報道とは次元が違う
2 社内言論の自由
3 情報源は明示するのが原則
4 メディア批判のタブー
5 明白な見せしめ人事
第四 結論
第一 私の地位・経歴等
1 私の地位・経歴
私は現在、同志社大学文学部社会学科新聞学専攻、および同大学大学院文学研究科新聞学博士課程の教授の地位にある。1972年4月から94年3月末までの22年間、共同通信記者を務め、編集局社会部、千葉支局、ラジオ・テレビ局企画部、編集局外信部、ジャカルタ支局(支局長)に勤務した。入社2年後の74年に冤罪事件(91年9月東京高裁で無罪が確定した小野悦男さん)に出会って、人権と犯罪報道の問題に積極的にかかわるようになった。94年4月から同志社に移った。
98年に国立国会図書館の職員研修講師を務めた。99年3月から同年10月まで、厚生省の公衆衛生審議会臓器移植専門委員会の委員(メディア論)を務め、脳死移植医療における透明性の確保と患者のプライバシー保護について意見を表明した。
私は現役記者時代の1984年9月、『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、1987年に講談社文庫)を出版、日本の犯罪報道は司法手続きを妨害するリンチになっているのではないかという問題提起を行った。この本は報道機関に働く記者が、メディア内部の実態を明らかにして、刑事事件報道の問題点を明らかにしていたため、「内部告発」の暴露本として扱われるのではないかと危惧した。
しかし、同年1月から集中豪雨的に報道が展開されていたロス疑惑報道や、被害者が女性だった際に興味本位でセンセーショナルな報道が展開されている時期で、メディア界だけではなく、一般市民、法律家、研究者の間でも私の問題提起が真摯に受け止められた。特に、北欧など諸外国の犯罪報道の実践を紹介して、日本におけるメディア改革の道筋を示したことが評価された。このことは、総理府が 法務省法務総合研究所と協力して86年に行った「犯罪と処遇に関する世論調査」の中で「犯罪報道のあり方」についてという一項を設けて、被疑者・被告人らの「実名・住所入りの報道」についても聞いていることでも分かる。(法学セミナー増刊『資料集・人権と犯罪報道』日本評論社、1986年11月を参照)
私の大学での専門は「表現の自由と名誉・プライバシー」で、特に人権と報道に関心を持っており、報道において「取材・報道の自由」と「取材・報道される側の権利」などの人権をどう調整・両立させるべきや、世界の30数カ国にある報道評議会・プレスオンブズマン制度などについて研究・教育している。
米ワシントンDCに本部のある国際コミュニケーション学会(ICA)の会員で、国際コミュニケーションについても研究しており、ハーバード大学の季刊誌Harvard Asia Quarterly2001年秋号に「米国テロ事件と日本のメディア」について寄稿している。また日本にメディア責任制度をつくる活動をしている報道被害者を含む市民、記者、法律家・研究者などでつくる市民団体、人権と報道・連絡会の設立時からの世話人を務めている。
私の詳しい経歴、著書などは末尾を見ていただきたい。
2 閲覧した資料
・原告訴状(2001年3月21日)
・被告準備書面1(同6月12日)
・原告準備書面1(同7月17日)
・被告準備書面2(同8月27日)
・被告が準備書面内で争う姿勢を示した18の文書全て
・原告陳述書(同11月30日)
・原告が陳述書内で引用した12の文書全て
・被告陳述書(同11月7日)
第二 本件処分についての感想・意見
1 はじめに
1999年1月頃、私は友人から日本経済新聞の九州にいる若い記者(本件原告)がインターネットのHPで発信しているメディア論の記述をめぐって、同社における記者の位置が危うくなっているという話しを聞いたことがある。当時は詳しいことは全く知らず、原告が処分を受け、本人の意思に反した配転があった後、退社した後に、東京で開かれたメディア問題を考えるシンポジウムで原告本人から簡単に事情を聞いたことがある。
今回、原告より意見書を書くように要請されて、問題の発端から本訴訟までの経緯を詳しく知ることができた。
被告の日本経済新聞社による原告への14日間の出勤停止処分は、日本を代表する高級紙と自称している言論機関として、あるまじき不当な処分であると考える。また、被告準備書面1によると、直属のデスクから《原告との信頼関係を失ってしまったので、原告の書く記事を信用することができないという指摘があがってきた》ので、取材報道の通常業務から外したという。このデスクは仮名になっている。被告は、原告の勤務考課は期待通りを示す「A」であったことを否定していない。HPだけが問題にされたと言っていい。
処分の直後に、《すぐ取材業務に付かせるには不安な点が残っていること》(処分当時の被告人事部長、佐々伸氏の陳述書)から本社資料部に異動させたのは、明らかに見せしめ的な懲戒人事であると私には思われる。不利益人事であり、労働組合が黙認したのも不思議なことである。
以下、報道界で実際に働いた経験を持つメディア研究者として、その理由を述べたい。
2 処分理由としてあげた文書に関して
まずは、被告が「準備書面1」の「2 処分理由」で問題にしている18のHP記事を読んで、被告の主張を論評したい。
(1)就業規則33条1号「会社の経営方針あるいは編集方針を害する行為をしないこと」に違反したとして、三つの記事を挙げている。
@「オーナー企業」(「ベンチャー記者の現場から」)
被告は、《「記事を書く上でも、オーナー社長は要注意ですよ。平気で嘘をつくんだから。オーケー食品工業(店頭公開企業)の小宮秀一取締役経営企画部長が諭すように私に言う。「あのオーナーの頭の中には、掛け算と足し算はあるが、割り算と引き算はない。恐ろしく前向きな人だよ。罪の意識もないしね。」 》(準備書面ではA社、B部長)と記述した部分は「取材源を秘匿するという会社の編集方針を害している」と述べている。
このHP記事では、新聞を読むときに「技術を開発した」という記事に気をつけよう、また、オーナー社長のいる企業にも注意が必要だと書いている。
オーケー食品工業がバブル絶頂期に、オーナー社長が調子に乗ってキノコに手を出して失敗したことを例に挙げて、小宮取締役経営企画部長が原告に語った内容を述べて、次のように論じている。
《新聞を読む時には、常に疑って読む必要がある。特に「技術を確立した」とか「発明した」などという記事は、信じるべきではない。本人の思い込みのケースが十分ありうるし、記者にそれを確認する能力など、ほとんどないのだから。オーナー社長に罪の意識はない。共犯となった記者も責任を追及されることはない。損するのは株主と従業員である。社内体質を良く見抜いた上で投資すべきだ。 》
経済記事の読み方を知るうえで、非常に貴重な情報で、メディア・リテラシーを高めるために参考になる。新聞社でもオーナー社長のところは問題が多い。
相談役に退いたというこの元オーナー社長が被告に苦情を申し立てているのであろうか。もし反論があれば、原告に反論の掲載を求めるなり、自分のメディアで主張すればいいのではないか。被告がどうこう言うことではない。
原告は被告の新聞にこの記事を書いたのではないのだから、会社の経営方針あるいは編集方針を害することにはならない。また、仮に新聞記事にする場合は、発言者の情報源を開示するのが原則でなければならない。
A「社内的立場」 (「ベンチャー記者の現場から」)
被告は、《「君、とんでもないことをしてくれたね」。相当、気が動転しているようだった。とにかく一度あってくれ、というから、博多駅へ行くことにした。
電話の相手は、凸版印刷の九州事業部長。私は2日前に凸版がカートカン工場を九州に作る、という記事を書いたが、その情報提供者である。東京からの帰りがけということだが、相当、疲れ切った様子だ。聞けば、私が書いた記事が社内的に大問題となり、役員の間を引きずり回されたということだ。》この部分もまた、「取材源を秘匿するという会社の編集方針を害している」と述べている。
原告は、凸版は、全国14ヵ所にカートカン製造工場を作る計画を持ち、九州では2か所作り、農協や地元企業(清酒メーカー)、そしてコーヒーなどの原料や紙を供給する伊藤忠と組み、ポッカ・コーポレーションなど大手飲料メーカーにOEM(相手先ブランドによる生産)供給する計画であることを新聞記事にした。
ポッカの専務が、業界他社(アサヒ飲料、森永など)との競争があるのに企業機密をバラされた、と怒ってきたという。
《もう一箇所、私は完全な虚報をしており、カートカンの販売実績一億二千万本を「一万二千本」と書いていた。これは明白なミスなので、望むなら訂正を出す、と言ったのだが、彼にとってそれはたいした問題ではないとのこと。
最大の問題は、広報部の許可を得ずに勝手に記者に情報を提供していたことだった。》
原告は、情報提供者の九州事業部長が訴えてきた「報道被害」を次のように紹介している。
《この件に関して社長の決済をあおぐことになり、弁護士とも相談し、夕べから食事が喉を通らなかったとか。確かに、気の毒なことをしてしまった。これで彼の人生を変えてしまう可能性がある。》《 「何も悪いことをしているわけでもないのに、書くんですか」と事業部長に言われると、返す言葉もなかった。要するに、紙面を埋めるためなのだ。社会的な意義などない。1人の人生を悪い方向に変えてまで報じる意味などあるはずもないのだ。自分のやっている仕事のくだらなさを考えれば考えるほど、久しぶりに涙が出てきてしまった。マスコミが殺す、という点ではダイアナさんを殺したパパラッチと根本的な点で同じである。 》《記事にする時に考えねばならぬこと、それは相手の社内的立場だ。社長(トップ)から聞いたのならば、何を書いても社内的な立場を悪くすることはないが、中間管理職から聞いた話の場合は、相手の社内的立場を考える必要がある。そうしないと、人生を狂わせるのである。》
非常に素直に、確かに裏をとらずに断定して書いたこと、また完全な数字のミスがあったこと、社内的な余波を考えずに企業機密を書いてしまったことを反省し、ファックスでお詫びの手紙を送っている。「書かれる側」「取材される側」の痛みを知って、どこまで書くか、いつの段階で書くべきかを真摯に考えている。
このHP記事で私が最も関心を持ったのは、《私としても完全に決まってから書きたかったのだが、キャップに「計画がある、というだけでニュースなんだから、書け。書ける時に書くんだよ」と脅され、やむを得ず書いたのだ。 》という記述である。被告会社はこの記述が真実かどうかを調査したのだろうか。もし、このキャップの発言が事実なら、キャップこそ「会社の経営方針あるいは編集方針を害する行為」をしていると思う。
B「捏造記事」--現実は当てはめられる--
被告は、《新聞記事というのは、名前と職業、年齢を入れるのが基本とされる。少しでも記事の信頼度を高めるためだそうだ。(中略)窮地に立たされた私は、罪悪感を持ちながらも、仕方なく適当に名前を考えることにした。考えてみれば、名前が何であろうと、誰に迷惑がかかるわけでないのも事実だ。名前とコメントの相関関係まで考えて読む人もあるまい。まあ、それほど若いわけでもないので、哲雄とでもしておくか。》と記述した部分は「真実を報道するという会社の編集方針を害している」と述べている。
このHP記事は、原告が研修を終えた直後のゴールデンウイークの「出国ラッシュ始まる」の夕刊記事で、「社会面の雑感記事中の人名を原告が勝手に捏造して記事にしたという内容だ。HPによると、「社にいる直属の上司であるキャップ」が福岡空港で取材していた原告が、旅行者に姓名を聞いても、「名前出したら、みんなにバレバレですよ。ご勘弁を」と言われて断られた。原告は福岡空港でキャップに電話で情報を送っていた。
キャップがそういう事情を無視して「隠す理由なんかないだろ。名前がないと記事にならないんだよ!もう一度、聞いてこい!聞き出せないなら、他を探せ!」と怒って命令したというのだ。原告は、《それまでまっとうな世界で生きてきて、入社してまだ十日ほどしか経っていない私には、ヤクザとしか思えなかった。これが、噂に聞いていた新聞社、社会部の世界なのか、と思った。》と振り返っている。
原告は、不本意ながらも「下の名前」を創作したのである。
原告は《いやなら無理に聞き出すこともないと思い、名前は聞き出していなかった。》《事情を話して、何度お願いしても、下の名前は教えてくれない。そうかといって、夕刊の締切時間はせまっており、他に適当な人物を探す時間はない》。
原告は「下の名前」を仮名で送った後、キャップから次のように言われたと書いている。《キャップにその名前を告げると、「ほら、教えてくれるだろう、バカ」。》
原告はキャップの無理な要求にこたえるために、やむなく下の名前を仮名にした。しかも上司の無理な要求に仮名を創った自分自身を「馬鹿だった」と素直に反省している。
《新聞の捏造事件は後を絶たないが、その原因の一つは、こういった軍隊のような強圧的な上下関係が一因なのでは、と思わざるをえなかった。入社したてとはいえ、それに従ってしまった私も馬鹿だった。罪を告白して、二度と嘘を書かぬよう、肝に銘じたい。他社については噂でしか聞かないが、何にせよ、読者は新聞社にこういった体質が染み着いていることを念頭に置いて新聞を読むべきである。》
原告は、日本の新聞記事には「実名」、年齢が不可欠とされるが、匿名希望と書けばいいと主張している。「実名」が必要なのは、公的な仕事をしている公人であって、休暇をすごすために海外にでかける人の姓名は必要がないと私も思う。
このHPによって、新聞社がいかに記事を捏造するかがよくわかる。また、新聞社ではいまだに、若手の「兵隊」(これも業界用語)記者などといいう軍隊用語を使っていることも伝わっている。沖縄を除く日本の新聞社は、いまだに「遊軍」(記者クラブ担当のないフリー記者)、「全舷」(部員全員で行く慰安旅行)、「半舷」(部員が半分参加する慰安旅行)などの軍隊用語を使っているのだ。
このHPでは、「帰ってからは仕事ですか?」 という問いに、「五月二日から仕事が入るかもしれないが、まだ決まってないなあ。」 と答えた旅行者の言葉をそのままキャップに伝えたのに、紙面では「『帰国後は、休日返上で仕事ですよ』と苦笑した」と改竄されたことも明らかになっている。
原告は社に帰り、《出来上がった記事のモニターをデスクに渡される。あまりの現実との落差に、言葉もない私》《「こんなの、全部、捏造だ。載せなくていいよ」と私は心の中でつぶやく。》
原告の「下の名前」を仮名にしたことが「捏造」と批判されているのに、ヤクザのような言葉を使って記事全体を捏造したキャップとキャップを監督するデスク、編集部長らの責任は問われないでいいのだろうか。被告はこのキャップやデスクから事情聴取したのであろうか。
原告が自身で「うそを書いた」ことを反省している。読者にとってどうでもいい姓名をとれと強要し、自分が描いた筋書きに合わせて記事を捏造したキャップらこそ、「真実を報道する」という会社の編集方針に反している。
外国の新聞、雑誌では一般市民の姓名は出ないことが多い。本人が匿名を希望すれば尊重する。米国の雑誌の投書欄では、「テネシーのメアリー」としか出ていないこともある。何が何でも姓名を書けという思い込みが間違えているのだ。原告は記者になってすぐに、そのことに気づいている。デスクやキャップは、原告の疑問を受け止め、そこから学ぶべきであった。
(2)次に被告は、就業規則33条2号「会社の機密をもらさないこと」として、次の二つのHP記事を問題にしている。
@「共同体と機能体--3」(「経済記者の現場から」)
被告は《Q.途中入社者は賃金表のなかでどう位置づけるのですか。A.現在、特別な能力を持った人を中途で採用するときは、嘱託として採用し年俸制を適用しています。現時点では、これ以外に中途採用することは考えていません。(「新人事・賃金制度」より) (中略)日経は批判の的になることを恐れ、冒頭のように何でも「社外秘」にしている。例えば、社員がどの部署に何人いるかという何でもないデータも、社外の人間は知るのが難しい。 昨秋の名簿によれば、最も記者数が多いのは産業部で132人、次が整理部で120人。この2つが圧倒的に多い。同期28人中、整理部には9人もいる。以下、証券部68、経済部64、流通経済部53、政治部36、商品部30、中堅・ベンチャー部27、日経ウイークリー編集部24、国際23、経済解説部19、科学技術部18、ウイークエンド経済部16、アジア部11と続く。最も打切り手当が高い(つまり給料が高い)のは経済部という。》と記述した部分が「会社の機密をもらさないこと」に違反していると述べる。
このHP記事は、二十年以上も組織論を研究した堺屋太一の「組織倫理の退廃」論を紹介して、日経の組織内倫理が退廃しつつあると実例を挙げて指摘している。
基本的にプライバシー以外は情報公開を迫るべき機能を持った新聞が、単なる人事制度を堂々と「社外秘」としていること、有効な人材活用を明らかに主張しながらも、自分たちだけは聖域に置き、中途採用は頑としてしない「棚上げ体質」を日経新聞症候群とでも名付け、朝日新聞、NHKなどは大量中途採用をしており、日経の特異性は際だっていると書いている。
「夜回り」という取材方法を平気で続け、パーテーション(仕切り)がない島型配置の机も、個人あてにかかってきた電話なのに編集部内15台の電話が一斉に鳴り響く仕組みも、機能体としては明らかに集中力を欠いて仕事の能率を落しており、これを是正しようとしないのは倫理的にイデアからほど遠い。
《例えば、社員がどの部署に何人いるかという何でもないデータも、社外の人間は知るのが難しい》と指摘して、経済部の賃金が最も高いことを明らかにしている。
原告は被告社内の実態を次のように描いている。《官僚には「情報公開法を制定しろ」と平気で社説で主張するわけである。だから説得力以前の問題で読む気も起らない。私がこうして情報公開するのは、私が倫理的に社内の狂った状態に染まっていない証と思って欲しい。》 《日経の記者は、深く掘下げた企画記事や調査報道よりも、夜回りを重ねて社長人事を抜いたり官僚の手先になれる人間が評価され昇進していく。社長や官僚が悪いことをしているわけでもないのに「夜回り」と称して毎日、社長の家の前までハイヤーで駆けつけ「お帰り」を待って話を聞くウエットな関係が当り前になっている。これらも一般人の倫理観からかけ離れた典型的な「倫理の退廃」である。》
《官庁は行革の対象となり、金融業界にはビックバンがある。しかしマスコミは、日米交渉において再販制が公正取引法に違反する貿易摩擦の1つとして取上げられても、平気な顔で自らへの規制だけは必要だと主張し、他に関しては規制緩和だという。「橋本首相、再販維持に理解」などという3段見出しの記事が日経に載っていたが、あの大本営発表には本当にあきれてしまった。倫理の退廃もはなはだしい。銀行が給料が高いと言いつつも、自らの高給は隠す。自らは必要のない莫大な交際費を使っているくせに、企業の交際費を批判する。これらは皆、日経新聞症候群(棚上げ体質=倫理の退廃)である。》
《規制は再販制だけでなく、非関税障壁たる言語があるため外国の新聞社は参入が不可能に近く、しばらく新規参入も自由競争も望めなさそうだ。それならば、やはり何らかの手段で機能体的なものをはっきり分け、本来の機能に相応しい記者が働きやすい状態にしなければ、狂った人間がのさばり続け、読者や社会にとって悪影響を及ぼす。》
新聞社、通信社、放送局の報道部門の実態の一端がここに書かれている。原告の文章が鋭く、時には批判の対象者に厳しい表現をしているのは、新聞やジャーナリズムへの期待と尊敬の裏返しであると感じられる。ここに書かれていることで、「会社の機密」などどこにもない。
いまどき黒塗りのハイヤーを使って、「夜討ち朝駆け」と言われる取材源の自宅への取材を行っているのだ。私も共同通信時代に社会部、政治部、経済部などの記者たちが使っているハイヤー、タクシー代を計算し、著書で明らかにしたことがあるが、一般の市民感覚ではとても理解に苦しむ額であった。
報道機関の「エリート記者」のほとんどが通勤定期を持たず、ハイヤーで通勤している。ほとんどの記者は定期代を横領している。原告はまだ若い記者で、東京での勤務経験がないために、まだこうした東京の記者たちのもっとひどい腐敗の実態は知らなかった。私から見ると、まだ実態を把握していないと思う。
A「バラバラ殺人」--非能率の過当競争-- (「新人記者の現場から」)
被告は《夕刊帯では、午前十時三十五分、十一時三十分、十二時四十五分がそれぞれ一版、三版、四版の締切。記者はそれに合わせて動くことになる。》という記述も、「会社の機密をもらさないこと」に違反していると述べる。
このHP記事は、博多湾でバラバラ死体が発見された事件の取材について書いている。各社の横並びの取材態勢を論評する中で、夕刊帯の各版の締切時間を明らかにしたのが、機密漏洩だと言うのだ。この程度のことはライバル社はすべて知っているはずで、機密に当たるはずがない。
このHPでは、警察取材の実態がかなり正確に伝えられている。原告はこう書いている。
《センセーショナルな事件が発生すると、まず管轄署内に対策本部が作られ、副署長がマスコミ対応をする。続報には読者の関心が高いと考えるためか、今回の事件の所轄となっている福岡県警西警察署には朝から記者たちが詰めかけ、狭い署長の机の周りを、新聞、テレビ各社十人ほどで取り囲み、ひたすら新たな情報が上がってくるのを待つ。 》《「特落ち」を著しく嫌うからだ。例えば、最終締切ギリギリに頭部が発見されたとする。もしそこに記者がいなかったら、夕刊に載せることができない。》
一般的に、日本においては人員が多い順に、地元紙、ブロック紙、三大紙、通信社(時事、共同)、日経(経済面以外)の順となっている。(中略)三大紙はどこも同じ動きをし、似たような記事となる。載り易い記事まで似ている。同質性の高い記者クラブで長年にわたり純粋培養されているからだろう。
バラバラ殺人など、日本の新聞には格好のネタだ。しかし、この事件は話題にこそなれ、身近な市民生活とはあまりに関係がない話である。》
《問題は、通信社と新聞の役割分担が全くないことだ。日本の巨大新聞社(朝毎読)は、共同通信の組合員であることから戦後間もない一九五二年に脱退し、後に外信(海外の記事)以外は総てを自社の記者による取材で報じる体制となった。確かに地方紙の数が一紙しかない地域では、三大紙は有力な対抗紙として、必要なのかもしれない。(中略)
要するに、中途半端なのだ。米国のように、全てのニュースを網羅するのは通信社で、新聞は第二報、より掘り下げた報道を、という役割分担がないので、新聞は通信社の役割も兼ね、狭い紙面で全てを載せようとする。米国では、ニューヨーク・タイムズをはじめ、時事的な情報や発表モノは全て通信社に任せ、新聞は第二報以降を独自の視点で取材するため、当然の結果としてより掘り下げた報道となる。米国では、網羅的な記事を載せることなど、自社だけでは人員的に不可能だし、日本の数倍の量の紙面を埋めるのは不可能だ。勿論、各社に載っている情報は異なり、それぞれの特性が出て、内容も面白くなる。
この障害となっているものは、やはり夕刊だろう。夕刊があるために、どうしても午後一時ごろまで、最前線で張っていなければならない。普段、記者クラブに配置された記者も同様で、何か起きることを恐れ、最初に情報が集まる記者クラブに張り付いていなければならない。
通信社の配信が遅いのも、一因だ。この原因は、人員が少ないためだと言われている。配信先の各社の分担金が安いから、人員を拡充できず、確認にも時間がかかり、配信も遅い。しかも、競争もほとんどない。時事通信と共同通信は、かつては一つの組織であり、現在では、それぞれ一般企業と報道関連機関に得意先を分け、ほぼ市場を独占しているのだ。
三大紙が両通信社に加盟し、時事、共同で棲み分けをさせず、競争意識を持たせる。そして、新聞は通信社の第一報を基に、掘り下げた報道に人員を割いて調査報道で競争する。それが本来の姿だと思うし、そうすれば新聞は面白くなるだろう。ただちに、そのノウハウの蓄積に取り組んで欲しい。それでも夕刊の特落ちを気にするのなら、夕刊自体を無くすくらいの勇気があってもいいと思う。 》
私もかねがね、日本のメディア改革には新聞社と通信社の分業が不可欠だと提唱してきた。新進気鋭のジャーナリストである原告は、《新聞を確実に面白くできる》方策としてさまざまな提言を行っている。原告は夕刊の廃止も提言している。新聞記者の労働条件をよくするためには、夕刊廃止が必要だ。産経新聞社は2001年11月7日、2002年4月から夕刊を廃止すると発表した。
ここで原告が適切に指摘しているのは、1984年ロス疑惑、神戸連続児童殺傷、和歌山毒カレー事件、脳死移植報道などで被害者や善意のドナーの人権を侵害した集団過熱取材の弊害である。日本新聞協会の編集委員会(新聞社や通信社などの編集・報道局長らで組織)は2001年12月6日、大事件や大事故の際にみられる「集団的過熱取材」についての見解を発表した。見解では、《集中豪雨型の集団的過熱取材に、昨今、批判が高まっている。この問題にメディアが自ら取り組み自主的に解決していくことが、報道の自由を守り、国民の「知る権利」に応えることにつながると考える》《多数のメディアが集合することにより不適切な取材方法となってしまう》と指摘。保護されるべき対象は《被害者、容疑者、被告人とその家族や周辺住民を含む関係者》とし《中でも被害者に対しては、集団的取材により一層の苦痛をもたらすことがないよう、特段の配慮がなされなければならない》と述べ、すべての取材者は、最低限、順守すべき指針を示した。
見解は、《集団的過熱取材の被害防止は、各種メディアの一致した行動なしには十分な効果は期待できない。このため新聞協会としては、放送・雑誌など新聞以外のメディアの団体に対しても、問題解決のための働きかけを行うことを考えたい。》とも書いている。
「現場で自主解決」を求めているが、管理職やデスクが今までのように、当事者や近所の人に話を聞けとか、顔写真をとれという命令をやめなければ意味がない。新聞協会の編集委員会に集まってくる社会部系の各社幹部の意識改革が重要だろう。
日本民間放送連盟も一二月二〇日、集団的過熱取材問題について、テレビ取材の留意点、対応策を発表した。
原告は、新聞社の幹部の倫理向上を訴えた。市民の風を受けて考えることもなく、自分たちが昔からやってきた方法に疑問を持たず、若い記者のみずみずしい感覚での問題提起や疑問の声を、怒鳴ったり脅したりして強圧的に押さえつけるキャップや管理職。こうした一般市民の常識、学生の間でも当たり前の人間としての守るべきマナーさえ無視される報道現場の実態を、メディア仲間と外の市民、学生に訴えたのである。
(3)被告はさらに、就業規則35条2号「会社の秩序風紀を守るため、流言してはならない」に触れたとして、二つのHP文書を挙げている。
@「悪魔との契約 -1」
《日経が天然記念物級の古く汚れた組織で、自由濶達どころか「不自由統制」極まりない社風であることは、私が何度も指摘してきた通りだ。前科の固まりのような組織なので、私は本当に殺られかねない。(中略)私は、極めて政治的な判断で、記者としての良心を1時的に売り払い、信条を曲げ、日経という悪魔と手を結ぶことにした。笑うがいい。蔑むがいい。私はいつか、この腐った組織を徹底的に、打ちのめしてやる。潰してやる。そして、権力を握り、最終的な目的を到達してやるのだ。 》と記述した部分。
この文書では週刊朝日の記事について、原告が部長30分ほど議論したようだが、「君がホームページでの公開を辞めないのなら、私は君を推薦することができない」「受け入れる側が嫌がるんだから仕方ない。言うことを聞いた方が、君にとってベターな選択だ。日経にいるメリットは大きいだろう。君はまだ若い」 などと言っている。これは人事権を悪用した脅しである。
《このままでは、2年後に私の希望する部署に行けない可能性が高くなるというのだ。整理部に左遷され記者でなくなったら辞めることは今から決めているが、その可能性も一気に高まり、地方支局に飛ばされることも考えられる。》と書いた後に、被告が引用した《日経が天然記念物級の古く汚れた組織で、自由濶達どころか「不自由統制」極まりない社風であることは、私が何度も指摘してきた通りだ。前科の固まりのような組織なので、私は本当に殺られかねない。》という記述をしている。
その後は、《人事権をちらつかせて部下を脅すとは、最低の行為だと思う。》《日経の各部署の部長たちは皆、自分に負い目ばかりがあるから、恐れるのだ。自分が悪いことをしているという自覚があるから、恐れて、私のような組織に自浄作用をもたらす改革者を受け入れられないのだ。何と情けなく、何とお粗末な人達のいる組織だろう。》《言論機関でもあるはずの新聞の記者に言論の自由がない》《最低でも4、5年は社会人をしない限り、認められないのが現実だ。従って、知識を吸収し、経験を積む場として割り切ることにした。》などと述べた。その後、引用されたように《私は、極めて政治的な判断で、記者としての良心を1時的に売り払い、信条を曲げ、日経という悪魔と手を結ぶことにした。笑うがいい。蔑むがいい。私はいつか、この腐った組織を徹底的に、打ちのめしてやる。潰してやる。そして、権力を握り、最終的な目的を到達してやるのだ。》と書いている。
そのうえで、マキャベリ「君主論」からの引用にひっかけて、《「悪に踏み込んでいく」》《自分にとっての長期的な目的を達するため、悪魔と手を結ぶのだ》と原告は記者としての経験を積むために、現実といったん妥協することを自虐的に表現しているのであって、決して被告会社の誹謗中傷をしているわけではない。ジャーナリズムにあこがれて被告会社に入った多感な若者のクライシス・コールだと思う。原告の悩みや苦しみを受け止めて、そこから学ぼうとする姿勢が被告の管理職にはなかった。
A「悪魔との契約 -4」
被告は、《私のような独創性を持った「出る杭」を隠そうとする、屍姦症的性格を帯びた邪悪な企業では、悪が増産される。》と記述した部分も、「会社の秩序風紀を守るため、流言してはならない」に触れたとしている。
この文書は、原告が97年5月、既にHPを閉鎖したにもかかわらず、部長が完全にアクセス不能にしようと企み、今度は社内メールで圧力をかけてきたときの文書だ。原告はHP閉鎖の際、「閉鎖」の2文字と電子メールのアドレスが書いてあることを問題にして、外部とのメールでの接触も禁止したことを批判している。
M・スコット・ペック博士の著書「平気で嘘をつく人達」や心理学者のフロムなどを引用して、原告の表現の場を奪おうとする管理職の言動を分析して、《悪とは何かを考えて見たらどうだろうか》と呼びかけている。
《私のような独創性を持った「出る杭」を隠そうとする、屍姦症的性格を帯びた邪悪な企業では、悪が増産される。私は「生を愛する」人間として、人間性を奪われないよう注意しつつ、フロムやペックの善・悪の定義を胆に命じ、善に生きようと思う。》と結んでいる。
原告は当時、大学時代からの表現の場を一方的に、「お前のためだ」という押し付けで、奪われてしまった。それに屈服した自分を情けないと思い、記者になったのになぜこのような不自由な環境にいなければならないのかと自問しているのだ。決して被告会社に対する「流言」ではない。
3 被告準備書面1で問題とされたその他の文書に関して
以上が、被告が「準備書面1」の「2 処分理由」で問題にしているHP文書(計7つ)である。被告は「準備書面1」の「第1 本件処分の事実経過」の中で、「原告のホームページ発覚」で「捏造記事」「夜回り」「しばり」「誤報の裏で」「バラバラ殺人」「シラク大統領来日」の6文書(以上、「新人記者の現場から」より)、「HP続行の発覚」の中で「オーナー企業」「社内的立場」「社畜直し」「賄賂」「取材実践編」「取材一般編」「趣味直し」「悪魔との契約1~4」(以上、「ベンチャー記者の現場から」より)と「共同体と機能体3」(「経済記者の現場から」より)の12文書を問題にしている。これらの文書の中には、処分理由として挙げられた文書とそうでない文書があるが、その区別の根拠は被告側文書で説明されていない。
以下、処分理由に挙げられていない文書の中から、いくつか抽出して論じてみたい。
*「夜回り」
「本件処分の事実経過で二番目の文書として挙げられている《「夜回り」--その志の低さ-- 》という文書は、被告によると《福岡県警幹部に対する夜回り取材について書いている内容で、新聞紙面では報じない取材先を特定している》と批判している。
しかし、被告の新聞社が取材先の県警幹部を「紙面で報じない」ことこそが、事実の正確な報道という新聞倫理に違反しているのだ。
原告は、県警幹部の私邸に夜遅く、毎日、まるでご用聞きのように情報を取りに行く取材のあり方に根底的な疑問を投げ掛けているのだ。
原告の文書は《記者をしていると「いったい自分は、こんなところで何をしてるんだろう」と思うことが多々あるが、それを特に感じるのが「夜回り」や「張り番」の仕事をしている時だ》という書き出しで始まる。昼間の県警捜査官への「張り番」取材はまだ我慢できるが、《問題は夜。皆が家でのんびりしているであろう時間に、なぜこれほど間抜けな過ごし方をしなければならないのか。》 《電灯のついた電柱のかげに隠れ、本を読みつつ、課長が家に帰ってくるのをひたすら待っていると、あまりの空しさに悲しくなる。これほど非生産的な仕事は世の中にないのではないか。》《電柱やら、マンションの階段やら、車の中やらで、よく見ると各社が隠れているのがわかる。一般人からみたら、なんて怪しい人達だろうか。疲れ果てて階段で眠りに入っている記者の姿も。》
捜査官宅への夜回りをすると、一~二万円ほどのタクシー代がかかることなどを指摘して、《0時半ころ、やっと二課長が帰ってくる。実家に帰り趣味の楽器をとってきたとか。酔っ払っている。記者が暗闇の中から湧き出るように集まってくる。全部で五人だ。私は興味がないので、みんなが話しているのを聞いていた。夜回りの時はメモをとらないという不文律があり、記憶しなくてはならない。》
原告は警察が自分たちに都合のいい情報しか流さないことなどを指摘して、コストも考えると取材方法としてジャーナリズムの原則に違反していることを具体例を挙げて説明している。
*「しばり」
また《「しばり」--シナリオ通り-- 》は、《弁護士の実名を挙げて、和解成立に関する事前取材の経緯を暴露しており、取材源の秘匿に反する》と述べている。
原告はこの文書で、世間からはリベラル派とか市民派と言われている弁護士が、日本のマスメディアの病巣とも言うべき「記者クラブ」といかに癒着しているかを決定的な証拠で証明している。記者クラブ制度については、後に詳しく論じるが、世間で進歩的、革新的と言われている学者や法律家ほどメディアの守旧派と同盟関係にある。彼や彼女たちはメディアを利用して、自分たちの運動をPRしたいので、メディアの構造的腐敗を黙認するのだ。それどころか、メディアのなかで闘うジャーナリストやメディアと闘う市民に敵対することもある。
新聞・通信、放送、雑誌が市民に名誉棄損などで訴えられた裁判で、メディア企業側の代理人を務める弁護士の多くは、自由法曹団、青年法律家協会、自由人権協会などに所属する著名な弁護士の姓名が並んでいることに驚くだろう。私は、現在そのリストを作成しているところである。
この文書は、じん肺訴訟の代理人を務める馬奈木昭雄弁護士が二月下旬、福岡高裁の記者クラブ(司法記者会)で行った「レク」が、原告の人たちも無視した記者クラブとの談合で行われたことを明らかにしている。原告弁護団がマスコミに大々的に報道してもらうために、クラブ側と協定(しばり)を結んだのは、有能な弁護士としての自分の名を轟かせる思惑があったというのである。
《「和解金額を書いたり、被告企業や原告の被害者などに、一切、取材をしないで欲しい」。 原告にさえ、和解の話は秘密にすることになった。 》
《結局、真奈木氏のシナリオ通りに事は運び、完全にコントロールされた形となった。自分が原告の立場だったらどうかな、と考えてみる。原告よりもマスコミに先に知らせる原告弁護団。何か、変じゃないか?と思うこともあった。それでも、和解成立という結果が全てなのだろう。これは、人権派弁護士だからこそ許されるのだろうか。この申し入れが、もし企業側、体制側に有利なニュースだったら、マスコミはどうしただろう。やはり、シナリオに載せられて「ドーン」とやってしまうのではないか。結局、ニュースを少しでも早く伝えざるを得ないのだ。マスコミの悲しい性である。》
現在のメディアの取材現場の実態がよく分かる。一部の革新的、進歩的弁護士や研究者は、現行の記者クラブが権力をチェックしていると主張しているが、進歩派弁護士とも癒着するような記者クラブに当局の監視ができるだろうか。
被告は、《弁護士の実名を挙げて、和解成立に関する事前取材の経緯を暴露しており、取材源の秘匿に反している》と断定するのだが、この原告の文書は、記者クラブを中心とするメディアのあり方を論じているのだから、事前取材のプロセスを明らかにするのは当然であろう。弁護士が実際に行ったことを書いているのだから、取材源の秘匿云々の問題には全くならない。
*「誤報の裏で」--下らない競争--
被告はこの文書が、《水道料金の値上げ幅について各紙記事が誤報をしたのは福岡市役所の担当者の間違った説明によると情報源を特定しており、取材源の秘匿に反する》と断定している。
原告はこの文書で《記者クラブでは、実に低レベルのスクープ合戦が繰り広げられている》ことについて、その「最たるもの」の舞台裏について書いている。
これは地元のブロック紙である西日本新聞が1月31日朝刊で、「福岡市 水道料大幅値上げ 四月から十七・五% 標準家庭で二百十円値上げ」との見出しで、一面トップでやってきた(二百十円は消費税を含む、と文中に明記)。当時「値上げ」は既に発表されており、いくらになるかが焦点だった。
抜かれた各社は、朝から水道局幹部に順に電話を掛け、結局、営業課長まできて、やっと捕まった。原告らが取材すると営業課長の説明と西日本新聞の記事の計算があわないことが分かった。
料金の計算方法が複雑で各社とも数字が混乱した。被告の新聞も不正確な数字を掲載したたが、キャップが誤報をごまかしたという。
《一カ月もすれば公式な発表があるし、複雑な計算を行ってまで、記者に早く伝える義務も必要もない。値上げ自体は既定路線で発表済みだ。新聞業界には「~営業課長によると」などと書いてはいけない習慣がある。読者の重要な判断材料となる情報源は、明かされない仕組だ。》
《もちろん、この件でキャップが社内で咎められることもない。何より、紙面を振り返ること自体、よほどの大誤報でもない限り、していないのだ。載せたら載せっぱなし。読者のことなど考えてやしない。リークした側も、報じた側も、誰も責任をとらない権力に都合の良いシステム。一言で言えば、記者クラブ内の「お遊び」を象徴するような出来事だった。私は、意地でも加わらないつもりである。 》
原告は、役所がいずれ公式発表することを少しでも早く報道しようとするクラブ内のほとんど無意味な競争を批判している。西日本新聞に抜かれたこのケースで、被告新聞社のキャップは、瑣末なニュースだと揶揄しているのだが、その本人が市営地下鉄の値上げをスクープしていたという事実も興味深い。
そもそも値上げについて知っているのは水道局の営業担当者であり、この文書が「取材源の秘匿に反する」というのは全くの言い掛かりであろう。
*「シラク大統領来日」--予定稿とは--
被告はこの文書が《締め切り時間に加え、予定稿を用いての記事作成という編集過程を暴露していた》と述べている。
本文書は、フランスのシラク大統領が福岡に来た際、到着時間が夕刊締め切り間際だっただったために、事前に用意していた原稿に、当日取材した情報を電話でキャップに送り40行ほどの記事になった経緯を書いている。
《午後○時五十分という、新聞的に微妙な時間にやってくることだ。普段だと○時四十五分が夕刊の最終(四版)締切時間だが、どう考えても、各社は夕刊に載せてくる。
時間がないため、前日に予定稿を書いておき、当日、現場から携帯電話で社にいる人に書き取ってもらうことになる。予定稿はかなり厳密なものだ。あらゆる想像力を働かせ、予想されるシラク登場の場面の「雑観」を書く。そして、現場でしかわからない段落を「挿入A」などとして、その他の『この後、シラクはどこどこへ行く』などといった段落は、変更せずにそのまま使えるように、気合いを入れて最終版の予定稿を書いておく。 》
《しかし、折角電話したものの、キャップは「その部分は適当におれが書く」と言い出し、この予定稿はそのまま使われなくなった。若手の先輩記者とキャップで言っていることが違うという、よくあるパターン。》
これは前述した「バラバラ殺人」文書が夕刊の締切時間を公表したのと同様に批判されている。しかし、本文書で明らかにされている事実は多くのメディア関係の書籍などで既に明らかにされている。新聞社が裁判の判決や大イベントなどで予定稿を用意しているのは常識であり、「編集過程の暴露」などというのは不適当であろう。
*「社畜直し」
被告によれば、この文書は《取材の過程を、取材相手の実名やあるいは特定できるような表現で、詳細に発表しており、取材源の秘匿に反する》という。この文書は、原告が九州経済面に、顔写真付きでトップが話したことを掲載するコーナーで、書いた記事のことを論じている。
《「晴れがましい記念イベントなどは、一切控える」と話すのは創立120周年を迎えた鳥越製粉の山下義治社長。不透明な景況のなかでも依然として派手なイベントを続ける会社が残るなか、「一流ホテルで1人あたり3ー4万円もかけるのはバカらしい」とパーティー代を節減。代わりに創業の地、筑後地方の久留米大医学部に1000万円を寄付するほか、同社OBと社員だけで創業者らを偲ぶ会を開く。同社は110周年の時には東京と福岡で派手にパーティーを開いた。今回の自粛は、この10年間の経営環境の激変を如実に物語る。》
被告会社は前年の120周年行事で恥ずかしげもなく相変わらずのバブリー体質を見せていたという。《もちろん、「依然として派手なイベントを続ける会社」は日経と言わんばかりだ。心ある読者からすれば、自己批判的なことを載せられるなんて、なかなか幅のある新聞だな、と感じて日経への信頼は少しは回復するだろう。ただ、これは管理職に多い社畜どもにとっては、非常にまずい。文句を言われエサ(給料)を与えられなくなることを恐れる気弱なデスクは、扱いに困り3週間ほど寝かせたあと、当然のように、「依然として派手なイベントを続ける会社が残るなか」を削ってきた。普段は滅多にトークでは削らない。》
《私は「日経も少しは見習って寄付でもしたらどうだ」といいたくて書いた。福岡のホテル日航で行われた日経のパーティは、それはそれは派手に行われた。当日はタクシーに乗っても「何度もホテルと空港を往復したが、何か大きなイベントがあったのかね」と聞かれるほどだった。今でも、中洲でナンバー1と言われるクラブに社長らに連れられていくと、ホステスたちが「あのときは私まで駆り出されたのよ」と話題にするくらいだ。大阪では帝国ホテルの一番豪華なフロアで地元財界を集めて実施され、通訳として駆り出された某記者によれば「無駄遣いなんてものじゃない。あれは洒落にならない豪華さ」とのことである。
相変わらず、報道機関としての見識を疑わせる勘違いな行動。ジャーナリズムには豪華なパーティーは必要ない。これでは政治家の資金集めパーティーと大差ないではないか。どんなに忙しい経営者でも、パー券を受け取り出席しなければ今後の報道のされ方に影響があるわけだから、独占的経済紙との関係をまずくするわけにはいかないのである。何と卑怯なやり方だろう。
権力を握り、それを批判する社内勢力も否定する。自浄作用は働かない。権力は保守化を強め、読者を無視したつまらない紙面作りが続く。絶望的である。部長は「あれは面白かったな」と掲載日に私に言ったが、削られていなかったら、もう少し反応も違っただろう。》
昭和天皇が1988年秋に病気になった後、日本中で行き過ぎた祝宴などの自粛があった際、朝日新聞は「過剰な自粛はやめよう」と社説に書いたが、その数日後に朝日新聞は予定されていた百周年記念行事を自粛することを決めたことを思い出した。新聞社は言っていることとやっていることが違いすぎる。
この文書では、原告が取り上げた鳥越製粉の山下義治社長が取材相手であり、社長の実名は記事に載っている。従って、《取材の過程を、詳細に発表してなどおらず、また取材源の秘匿に反する事実もないだろう。ここで詳細に解明されたのは、被告の過度に豪華な120周年記念行事であろう。中洲にも繰り出したというくだりは興味深い。日本の新聞代は国際的に見て以上に高いのだが、その理由はここにもありそうだ。
またデスクが記事の扱いに困り3週間ほど寝かせたあと、「依然として派手なイベントを続ける会社が残るなか」を削ったという事実も重要だ。新聞社は自分の都合の悪いことは隠蔽しようとするのだ。
*「賄賂」 「私の記者マニュアル─8 <執筆実践編>」
被告はこの二つの文書が《取材先企業などを具体的にあげ、取材過程を公表しており、取材源の秘匿や社内規定に違反している》と述べている。
原告は「賄賂」で、 多くの日経記者に対するすさまじい賄賂攻勢について書いている。食品業界も担当していた原告は食べ物をたくさん受け取っている。すさまじい贈り物である。接待もすごい。
記者がこうならキャップなどの上司はもっとすごいことが暴かれている。
《そもそも、トップに挨拶回りをしている部長が、一番の受け取り手だ。システムソフトに挨拶に行ったと思ったら、大きな紙袋いっぱいにパッケージソフトを入れて帰ってきた。下手すると十万円はするのではないか。 》
原告はこうした接待は、監督官庁の役人を接待する私企業と似たようなものだと指摘し、《お互いに取材の一貫なのだから、こうした経費は折半すべきだろう。投票行動に影響があるから公職選挙法で賄賂は禁止されている。同じ論理で、筆が鈍るから、賄賂を禁止する法律があっても何ら、おかしくないのである》と書いている。しかし、こうした 現状を当然と考える幹部に絶望する原告は、《すでにこの会社に理想を求めることからは撤退した。 》と書いている。ここに見えるのは若き記者の悲しき諦観思想である。
本文書は、取材先企業などを具体的にあげ、賄賂攻勢の実態を開示した貴重なメディア状況報告であり、「取材源の秘匿」などでは全くない。被告新聞社の社内倫理規定に合致した勇気ある告白、告発であろう。
*「私の記者マニュアル─4 <取材一般編>」・「趣味直し」
被告はこの二つの文書が《社内の編集のやり取り、社内の人事データづくりを公表しており、就業規則に違反している 》と断定している。
まず、「私の記者マニュアル─4 <取材一般編>」は《体力派の記者は毎日夜回りして情に訴えるし、体力的な無駄を省こうとしたら、頭を使う。「泣き落とし」「下手に出る」「脅す」「調査する」などなど得意な取材法は記者それぞれの資質により異なる。》と書いている。
被告会社では、「記者のタイプ別データベース化」があると述べている。
《記者は、年に一度、体力型、特ダネ型、企画分析型、知識型、技巧型、コツコツ型などなど、笑ってしまうような10以上のタイプから選び、まず部長に自己申請しなければならない。この時に使う申請シートには、自分が食い込んでいる有名人やこれまでの担当分野、将来の進路希望なども書く欄がある。このシートを部長が直して、人事部に送りデータベース化されるらしい。 》
原告はこうしたデータベース利用のベクトルは、「時代に逆行している」と批判する。そのうえで、被告新聞社の取材の実態を明らかにして、取材される立場へのアドバイスを行っている。
被告が批判するような事実は全くない。
「趣味直し」 では、原告が書いた記事が2ヵ月もの間、さらしものとなった挙句に捨てられそうになった後に、《「趣味直し」と、それを悪用するヤクザ系デスク》を批判している。《記者のかいた原稿に、キャップやデスクなどが、あくまで趣味のレベルで直しを入れることを趣味直しという。》
私も共同通信時代に「趣味直し」に迷惑をこうむった。原告の悩みは多くの記者が共有するものだと思う。《社内の編集のやり取り、社内の人事データづくりを公表している》などの被告の指摘は全くの見当外れである。
*「悪魔との契約-2~3」
被告はこの二つの文書について、《名誉を毀損するようなあまりの過激な表現に、会社や守屋部長を本当に悪魔と思っているかと問いただした》と述べている。
ここでは文書に関して「問いただした」とだけ指摘している。
この文書は、HPの閉鎖を命じた被告会社の《圧力のすばやさと心配の仕方》を報告している。《会社の機密文書を公開しているわけでもなければ、事実無根のことを書いているわけでもない》と思っている原告に3度にわたる「事情聴取」で不当な圧力を加える管理職を見て、《悪魔と契約させられて、閉じざるを得なかった》と振り返っている。管理職は《「君の首なんて簡単に飛ぶんだぞ。前任の部長だって、私の首だって、簡単に飛ぶんだ。君のためだ」》とまで言った。
そこで《「悪魔との契約を余儀なくされるシステム」》にしばらく我慢しようというのが、原告の当時の気持だった。会社や守屋部長を本当に悪魔と思っているのではなく、あるべきジャーナリズムと現実の間で呻吟する若き記者の叫びがここにあるのだ。
以上が、被告が問題視し、処分理由に挙げたHP文書の分析である。原告はHPで441の文書(99年1月時点)を発表している。その全体を読めば、原告がメディアに対して、現状では市民の信頼を失ってしまうと呼び掛けていることが分かる。
被告が18の文書だけを取り上げて非難するのは、重箱の隅を突いたものであると言えるだろう。
第三 被告の主張についての論評
次に、原告のHPでのメディア改革提言が、日本のメディア界、また市民全体にとっていかなる意味を持つのかを踏まえた上で、被告側の準備書面・陳述書における主張について論じたい。
1 HPでの発信はマスメディア報道とは次元が違う
被告は原告が報道倫理に反したと断定するのだが、原告の日経新聞記者としての活動には全く問題がないと認めている。1997、98年度の守屋林司編集部長による業務査定は「会社の期待通り」を示す「A」であったことを被告は否定していない。
原告を処分し、希望しない部所へ転勤させたのは、すべてHPでの表現活動が理由になっていることについては争いがない。
被告新聞社も含む百万単位、何十万単位で発行される日刊新聞の取材報道活動と一記者の個人としてのHPでの表現活動を区別せずに論じているように思われる。
原告のHPでの表現活動はどんな内容だったのかを見てみよう。
原告は1992年4月慶應義塾大学総合政策学部に入学している。慶應義塾大学の環境情報学部、総合政策学部がある藤沢キャンパス(SFC)は、一般入試とは異なる米国型のアドミッション・オッフィス(AO)入試を導入するなど画期的な試みが注目された。SFCでは学生全員に電子メールアドレスとHPを持たせ、HPに毎日書き込みをして情報を発信するように指導している。原告がHPを始めたのは、HPが一般市民、学生らの間で普及し始めた時期だった。
このように、原告は学生時代からHPを持っており、被告会社に入社した後もその活動を当然のように続けていた。SFCの学生は大学を卒業した後も、大学のHPからリンクできるなどの便宜を与えられ、後輩学生とのコミュニケーションをとっている。
私自身も慶應義塾大学出身で1993年3月から2年間、同大学新聞研究所(現在、メディア・コミュニケーション研究所)で講師(新聞論)を務めていた。長女も同大学法学部に1993年入学しており、SFCが電子メディアの教育利用に関して、全国の大学でもパイオニア的な試みをしていることをよく聞いていた。京都でも立命館大学国際関係学部が同じような取り組みで知られていた。
私自身はインターネットが「革命」的だとは思わないし、SFCのやり方をまねる必要はないと思っているが、大学教育のユニークな実験だと思っている。
被告の日本経済新聞は、電子メディアによる経済、社会の変革を促す記事を積極的に載せてきた。電子メディア時代に育った若き知識人がHPで自由に意見表明した。新聞を、ジャーナリズムを改革しようと志して発信したのである。原告の表現活動が被告にとってフリクションになったとしても、処分や配転で対応したのが間違いである。上司の対応は大人げなかった。
被告にとって何の実害もなかったことは被告自身が、準備書面、陳述書で明らかにしている。
被告は1996年4月日本経済新聞西部支社に配属されてからも、知人向けのメーリング・リストやHPを利用して、メディア現場で思うことを伝えた。学生時代の指導教授である草野厚教授が「週刊朝日」のSFC卒業生について取材していた記者に原告の「日経内メディア批判活動」を話したため、同誌1997年5月2日号に実名で載った。それまでは、大学時代の友人とその周辺の限られた人たちしかHPも見ていなかったと思われる。また同誌に取り上げられた後でも、HPのオーディエンスが極端に増加したとは思えない。
被告の準備書面1によると、西部支社編集部の守屋林司部長が、1997年4月24日に、「週刊朝日」1997年5月2日号に「全国紙に就職した渡辺正裕さん」が自分のHPで社内の批判などを連載している、と書かれていることを知ったのが最初だという。この記事はSFC卒の社会人を取り上げていた。
《部長はこの時まで、原告がHPを開いていることは知らなかった》と明言している。被告は原告のHPでの言論活動を、1年以上も気づかなかったのである。
被告は「原告のHPの発覚」の期間に6つの文書が問題だと指摘しているが、もし重大な就業規則違反や報道倫理違反があれば1年もの間、誰も気づかないなどということはあり得ないだろう。
原告は97年5月上旬、HPを閉鎖した。原告はその際、守屋部長に対し、「HPについての規定がない」ことを問題にしたので、部長は「HPについての規定をこれからつくる」と約束した。
ところが被告の「HP規定」は発表されなかった。原告は部長に、HPの再開はいつになったらできるのかを折にふれて聞いたが、納得のいく回答はなかった。このため、原告はHPのアドレスを変更して、98年5月に再開した。被告がHP再開に気づいたのは1999年1月6日だった。実に8カ月もの間、気づかなかったのである。
被告の「準備書面1」は「二度目の発覚」のきっかけについて、《東京本社編集局の記者から、インターネットの検索エンジンで検索中に、偶然、原告が取材上のやり取りや会社の批判を公開しているHPを見つけた、法務室に連絡があった》と述べている。
この記者の姓名を書いていない。なぜ一記者が法務室にたれ込んだのであろうか。俗語で言えば、「ちくった」ということであろう。これでは戦前・戦中の「隣組制度」みたいだ。「東京本社編集局の記者」ということは、日本経済新聞労働組合の組合員であろう。当該記者がもしHPでの表現活動が記者の倫理として問題だと思ったのであれば、原告に直接、間接にその旨を伝えて議論すべきだったのではないか。同労組は部長以上の管理職を除き全社員が加入しており、専門部として新聞研究部もあるのだから、そこで討議してもよかったと思う。一記者が法務部に「連絡」したというのが実に不自然である。
ついでに言えば、原告がHPをめぐって被告管理職と論争していた際、組合がほとんど関与していないことが不思議だ。組合員の命と健康を守り、真実の報道を実現するのが組合の仕事である。組合員の自由な言論活動を制限、圧殺した被告に対して、今日まで何の対応策もとっていないのはおかしいと思う。
2 社内言論の自由
原告は報道現場で経験したことを若者らしく素直に表現し、市民、学生とともにメディアの改革について考えるよう呼びかけていたのである。
守屋氏は陳述書(2001年11月7日)で、97年3月1日に西部支社編集部長として赴任した際の引き継ぎで前任部長(姓名なし)が《2年生になる渡邊正裕君について「独りよがりで、人間関係が下手。(中略)学生気分を引きずっているようだ。新人で配属され、まだ若いからよく指導してほしい」といわれました。私は、新人にありがちな現実と理想のギャップを記者生活に慣れないせいで、時間が立てば変わるだろうと考えていました》(原文のまま)と書いている。
ここで守屋氏が、学生気分であること、理想を持つことを悪いことのように理解していることが分かる。学生から社会に出たときの志を忘れないことは重要だ。「現実と理想のギャップ」に悩まない人は記者になってはいけないと私は思う。いつまでも青臭くあることもジャーナリストのような職業には必要だ。
被告側はHP上で会社の編集方針、経営方針、社内の体質を批判した、会社の利益を害したと断定した。また、会社を悪魔と表現したり天然記念物と表現しているのは、「流言」であるとしている。
そもそも被告が原告のHP文書によって何らかの被害を受けたという指摘は見当たらない。それは原告のHPのオーディエンスが極めて限定された人たちで、HPを見る人々は、原告が何を言わんとしているかを見抜いている人がほとんどだからだろう。
原告は「しばり」「絵解き」など業界用語を紹介し、情報源である捜査官や企業幹部に対する「夜討ち朝駆け」などのばかげた取材に使う超長時間労働など記者の厳しい労働実態を明らかにしている。まさに貴重なメディア・ウオッチである。
被告の「準備書面1」は、97年4月にHPの閉鎖を命じた際に《守屋部長は、社内で会社の批判をすることは大いに結構だが、HPで書くというのは問題があると原告を諭した》と述べているが、被告社内で会社の批判をする自由が本当に存在するかを検証しなければならない。
日本では新聞・通信社などの報道機関に勤務するジャーナリストに表現の自由が極めて限定的にしか認められていない。外国では大学を卒業した記者が一つの報道機関に働き続けることは滅多にないが、日本では終身雇用がまだまだ一般的で新聞社も例外ではない。
最近でこそ、報道機関の間で移籍も珍しくなくなったが、それでもほとんどの記者が一社だけで働くことが一般的だ。
こうした労働環境では、社内で自由に意見を言うことは難しい。言論機関である新聞社において、社内言論の自由がないという原告の指摘は妥当であろう。実際、マスメディア企業では、異見を持つことが困難だ。とくにメディア内部の実態を外の世界に訴えることはほとんどない。
最近では「日本裁判官ネットワーク」が、『裁判官は訴える!私たちの疑問』を出版するなど、裁判官の裁判所外での言論の自由も確立されているのに、あらゆるタブーをなくす職業である記者に表現の自由が保証されていない。
奥平康弘東大名誉教授はドイツなどで、新聞社内の表現の自由が確立していることを論じている。またフランスでは1895年から、ジャーナリストだけに「良心の条項」(『メディア・リンチ』1997年、潮出版、288頁)が認められている。これは記者個人の良心に反する取材・報道は拒否できるという権利だ。自分の思想、信条に反するような編集方針を持つ上司がいる場合、最高一年間休むことさえできる。ル・モンドでは社員が投票で社長を選ぶ。
私が勤めていた社団法人共同通信社の先輩、原寿雄氏(論説主幹、株式会社共同通信社長を歴任)は1963年から小和田二郎のペンネームで、みすず書房から『デスク日記』をシリーズで出版していた。本の奥付には「現役の新聞記者」とあった。しかし、共同通信の内外で小和田次郎氏が原氏であることは周知の事実であった。原氏はジャーナリズム論に関する著作を発表する一方、「放送と青少年に関する委員会」委員長、民間放送連盟放送調査委員会委員長、朝日新聞「報道と人権」委員会委員などを務める権威である。もし原氏が63年に共同通信から排除されていたら、メディア界と市民は貴重な情報を失っていたことになる。
被告は、HP上で会社の機密を流したと批判するが、原告によるHP上での表現活動のどこが「機密」に当たるかの説明は不十分だ。そもそも新聞社が「機密」という言葉を使うことに違和感がある。「広辞苑」(岩波書店)によると、《(枢機に対する秘密の意)「政治・軍事上のもっとも大切な秘密」》とある。
また原告が編集過程を暴露したと指摘するが、編集過程はもっと読者(市民)に開示すべきもので、朝夕刊の締め切り時間が企業の秘密だというのは時代錯誤だ。
被告が原告のHPの全面閉鎖命令を出して言論封殺した事実は、言論の自由を守るべき使命に照らして「悪魔」と表現されても仕方がない大問題である。
被告と新聞界は、原告が展開しているメディアの実態分析、改革への具体的提言などを受け止めて社内で議論を深めるべきであった。
3 情報源は明示するのが原則
次に、被告の準備書面1によると被告はHPの内容は「取材源の秘匿に反している部分があることと、取材上の秘密、取材のプロセスを公開していることは許されない」「会社の機密を漏らした」などと批判している点について論じたい。
被告は取材源を全面的秘匿することこそが記者の鉄則との考えをもっており、原告がその原則を守っていないと主張しているが、国際的にはニュース活動においては、取材源を明示することこそが原則であって、日本の新聞社がその原則を守っていないことが問題なのである。
共同通信海外部が1998年10月に発行した「STYLE BOOK」(英文)第5条の「情報源」は、次のように規定している。《的確に情報源を明らかにすることは、通信社の真実性と客観性に関する名声を確立することに寄与する。報道の中で引用する情報の出所についてその信頼性に確信を持たなければならない。例外を除いて、通信社の記事は、適切な人物あるいは情報源を明示して、信用できることを立証する必要がある。通信社自身が、どんな人物からもたさられたものであれ、公表された声明や事実について責任をとることはできないからである。情報源を明らかにすることを怠ると、通信社は不必要なことに、疑いの余地のある見方や情報に責任を受け入れなければならなくなる》
ここに書かれた考え方は、世界中のまともな報道機関の決まりだ。日本では情報源が実に曖昧にされており、社会に力を持つ人ほど情報源が秘匿されることが多く、権力を持つものに甘いメディアになっている。
情報源の明示は、外国のジャーナリズムでは重要な原則とされている客観報道(objective reporting)の主要な要素である。客観報道とは、取材・編集者の主観を排して情報を伝達することを目指す報道であり、対語は主観報道(subjective reporting)だ。日本の報道は、官庁・大企業などの意図的な発表や非公式で情報源が隠された情報を、あたかも「客観的」であるかのように伝えることが多い問題がある。共同通信ワシントン支局長だった藤田博司氏(上智大学教授)は「新聞研究」八七年四月号において、「『客観報道』再考 まず情報源明示の努力を」というタイトルで、日本では、外国で一般的に行われている客観報道の原則が無視または軽視されていると指摘、日本の新聞では、署名記事、ニュースソースの明示、取材者が確認した事実なのか伝聞なのかの区別、事実と評論・分析の区別など、客観報道の原則が順守されていないとした。
情報源の秘匿はジャーナリストの義務であるが、それは対権力との関係において、人民にとって必要で大切な情報を得るために配慮すべきこと(例えば内部告発者の情報源秘匿)であって、本件で被告が指摘している原告の文書には、秘匿すべき情報源は全く存在していない。
日本ではこうした本来の意味において情報源を守るというより、政治家・官僚などが非公式にアドバルーン的に情報を流したりする際に情報源が曖昧にされるケースがほとんどとなっており、「消息筋」「信頼できる筋」「政府首脳によると」「捜査本部の調べでは」などの表現で、無責任な情報が伝達されることが少なくない。情報源を明示しない場合は、その理由を読者・視聴者に明らかにするべきであって、あくまで公開が原則なのである。
できるだけ多くの事象を伝えて、その情報の入手経路、価値なども含めてできるだけ詳しく提供して、読者・視聴者の判断材料にするという考え方が重要だ。報道が市民の知る権利にこたえているかどうか、民主主義の実現に必要かどうかで判断することで客観性を保つべきだろう。すべてのものから中立公正であるのではなく、国家と市民の関係において、常に市民の権益から考えて報道するのが客観報道と言える。
参考: 藤田博司『アメリカのジャーナリズム』岩波新書、1991年。
浅野健一『マスコミ報道の犯罪』講談社文庫、1997年。
また原告が取材で知りえた情報をHPで伝えたことを、「公表した」と被告は批判するが、最近問題になっている少年事件での被害者への一定範囲内の情報開示は、「公表」ではない。被害者や遺族が一定の範囲で「知る権利」を持つということは議論されるべきだし、法改正もなされている。
事件の当事者だけに情報が限定的に開示されることと、マスメディアが報道する(publicize)こととは全く次元が違う。脳死移植報道でも明らかだが、開示された情報をメディアがそのまま報道するために、当事者へ開示することも困難になっているのだ。
後で指摘するが、被告の準備書面や陳述書では、原告に対して不利益な情報を被告に伝えたデスク、キャップ、記者らの姓名や情報源がほとんど明らかにされていない。原告の言動だけが、まるで確定した真実のように記されている。
4 メディア批判のタブー
マスコミ企業ほど情報開示を拒んでいる企業はない。報道の基準さえ開示しない。社内で社員に配付する文書は、ほとんどが「社外秘」である。社員が社外で行う言論活動も厳しく制限されている。マスコミの問題を取り上げるマスコミはほとんどない。
日本ではジャーナリストという職業が確立していない。記者はどのような報道機関に属していようが、また全くメディア企業に属さない記者であろうが、記者は記者である。報道企業の社員である前に、一人のジャーナリストでなければならないというのが普通の国のメディアのあり方だ。医師とか看護婦、薬剤師という職業がそうであるように、所属は問題ではない。「報道機関」とか「報道」を大新聞とか放送局ととらえている研究者もいるが、「取材・報道の自由」はそうした大マスコミ企業にだけ与えられているものでは絶対にない。
取材・報道の自由は、国民の知る権利を代行して行うものであり、すべてのジャーナリストの権利である。報道メディアを「速報性のある報道機関」とそうでないものに分けるのは誤りだ。
原告はまさにすべての市民の知る権利のためにジャーナリストは仕事をすべきだと考え、内部から社会へメディア問題を提起したのである。
被告は日本でも有数の全国紙であり、経済紙としては断然トップの高級紙であると自負している。こうした公共性が高く社会全体に大きな影響力を持つ新聞社は、自身に対する批判に最大限に寛容でなければならない。
そもそも新聞社を批判するのは勇気のいることである。最近の犯罪報道での集団過熱取材に脅える市民からは「ヤクザのようだ」という声も聞かれるが、ほとんどの人が泣き寝入りしている。弁護士や研究者もメディアに登場することで著名になっていくので、メディアを鋭く批判することはしない。
そうしたメディア状況の中で、メディアに働く記者がメディアを批判することはほとんどなかった。社会のさまざまな矛盾や不合理を取材し報道する記者も、メディア企業の人権侵害、不当な行為を取り上げることはまずない。
私は共同通信に入社した直後から、記者たちが官庁の記者クラブに張り付いていることが不思議でならなかった。なぜ黒塗りの豪華な車に乗って取材に行くのかも理解できなかった。とくに警察取材について強い疑問を抱いた。自分のノートに書き留めていったが、社外に発信はしなかった。
75年夏ごろから共同通信労働組合の新聞研究活動の中で、刑事事件報道が被疑者・被告人、被害者の無罪を推定される権利や名誉・プライバシーを侵害していることを問題にして、仲間と論議した。社外で書くときはペンネームとして中島俊、香西左織などを使った。
私が自分の名前を明らかにして書いたのは、1983年末の雑誌「マスコミ市民」の連載「犯罪報道は変えられる」の記事が最初だった。同誌は中野好夫氏らが代表になっていたマスコミ市民委員会がNHKの労働組合である日本放送労働組合(日放労)の支援を得て発行していた。
その後、私は共同通信の記者活動で知りえたことも含めて、メディアが抱える諸問題を論評してきた。共同通信の加盟・契約の新聞社・放送局の取材・報道問題も取り上げて活発に分析・批判した。中国新聞が広島大学学部長刺殺事件の被疑者の顔写真を間違って載せた誤報について雑誌に書いた。編集局幹部や直属の管理職に呼ばれて話し合ったことはあるが、一度の処分も受けなかった。始末書も書かされたこともない。このあたりの事情については『犯罪報道の再犯 さらば共同通信社』(第三書館)に詳しく書いている。
私は大学に移るまでの約10年間、公然と社外でメディア批判を展開し、10冊以上の本を書いた。しかし、一度も処分もされず、逆に希望の外信部へ行け、ジャカルタ支局長も務めた。大学に移るために94年3月31日に円満退社した。もちろん退職金も規定通り出た。
それに比べると、渡辺記者の受けた処遇がいかに特異かが分かるであろう。もし被告のような処罰欲を共同通信の幹部が持っていれば、私は何十回も処分を受けたであろう。
原告はHPで、新聞社は、天然記念物級といわれても仕方がない古い体質を引きずっていると度々指摘している。この表現はオーバーではない。
日本経済新聞紙上にも度々登場する榊原英資慶応大学教授(元大蔵省事務次官)は1999年10月1日の毎日新聞の「時代の風」で、「カルテル体質 改革を 日本のマスメディア」と題して、日本の政治・行政システムあるいは民間大組織が極端に時代遅れになってきているが、「何といっても、規制と日本語という非関税障壁に守られ続けてきたマスメディアの特殊性は群を抜いている」と書いている。「メディア批判はある種のタブーになってきた」と指摘し、「特に記者クラブの存在は極めて異常で、さまざまな日本的現象を引き起こしている」と断言している。
榊原教授は「記者クラブの古いカルテル体質が、日本の公的セクターに近代的広報システムを採用することを妨げている」「記者クラブ等によるマスメディアのカルテル体質は、他方で優秀かつ専門的ジャーナリストを育てることの障害になっている」とも書いている。
元大蔵官僚の榊原教授は、父親が今の共同通信と時事通信の前身である同盟通信の外報部記者だったという。「それ故か。筆者にも多少、ジャーナリストの血が流れているのかもしれない。厳しいマスメディア批判を展開したのも、メディアを自分のより近いところに感じているからであろう」。
マスメディアの構造改革こそ日本の最も重要な改革の柱だという榊原教授の提言を真剣に受けとめたい。
また、「松本サリン事件」で虚偽の犯人視報道の被害を受けた河野義行氏は「メディアの人たちには加害者意識が欠如している。報道被害は市民を社会的に抹殺するということを分からせなければならない」と訴えている。
記者たちが、自らの信条に従いジャーナリズムの大道を歩めるような環境をつくらなければならない。それを支えるのは一般市民のメディアへの積極的参加である。おかしな記事、番組があったらすぐに抗議し、いいものがあれば誉めること。市民がメディアを監視しているという緊張感を持たせることが今絶対に必要だと思う。そのためには、メディアのなかで批判的な視点で仕事をして、社外に連帯を求める原告のような記者をつぶしていはいけないのだ。
5 明白な見せしめ人事
被告管理職が、東京への転勤に関する推薦云々を持ちだしているのは、人事権の濫用である。
また、被告は、懲戒処分と資料部への異動はリンクしていないと主張するが、入社4年目の記者が東京本社資料部に異動するというのは明らかに見せしめのための不当人事であろう。
共同通信にも調査部というセクションが編集局の中にあったが、大卒記者で地方支社局勤務を終えて調査部に転勤する記者はほとんどいなかった。病気のために超過勤務ができない記者が異動したことはあった。
これからという新聞記者にとって、新聞社における資料部への異動が「ペンを取り上げられる」という印象を持つことは事実だ。その証拠に、守屋部長らは《3年後には東京本社に転勤することになるのだから》《一人前の記者になって東京で活躍するのが君の希望ではないのか》などと原告に諭しているが、ここでいう転勤先に資料部は入っていない。このことは、佐々氏が陳述書の「7 資料部への異動について」の中で、《本人をすぐ取材業務に付かせるには不安な点が残っていること》を資料部への異動の理由に挙げていることからも分かる。
佐々氏はまた、処分について《労働組合からは異議の申し立て等はありませんでした》と書いている。しかし、労働組合が国際的、国内的な基準を満たした真の労働組合として機能しているかどうかを検討することが必要だろう。メディアの組合は政治的には左翼・革新・リベラルとみられる立場をとっていても、経営側と談合して労働者の権利を侵害する組合も珍しくない。
佐々氏はさらに、《(身元保証人である父親に処分の事実と理由を伝えたが)父親からの返事等はありませんでした》と書いている。なぜ父親が返事をしなかったことを書くのだろうか。これを外国の高級紙の幹部や記者が読んだら呆れてしまうだろう。父と子は人格が別なのだ。
本件訴訟にかかわる被告の管理職の人たちには、人間としてのやさしさが欠けているのではないかと思う。ジャーナリストは特に、人間の尊厳を大切にしなければならない。メディアは「民間の教育機関」だと私は思う。教える側の喜びは、人間の可能性を開花させるということであろう。
「準備書面1」によると、原告のHP再開が発覚した99年1月末、《西部支社編集部は、原告を通常業務から外した。デスクからも、原告との信頼関係を失ってしまったので、原告の書く記事を信用することができない、という指摘があがってきた》という。このデスクの見解がその後の異動の根拠の一つになっている。デスクといえば副部長クラスで管理職になる寸前の人だ。なぜ姓名を明らかにしないのであろうか。
また、99年2月17日に西部支社編集部の横にある応接室で原告に対して行われた「事情聴取」について、《東京本社から編集局の丹羽総務と法務室の藤室次長が福岡に行き、守屋部長を含めた3人が、原告から事情を聴いた》という。《もちろん暴力的な行為や威圧的な言動はとっていない》とも述べている。《原告に対する事情聴取は午後2時30分ごろに開始した》《2月18日午前零時すぎに終わった》などと淡々と書いているが、10時間も経過している。途中に休憩もあったというが、こんな長時間の「事情聴取」は行き過ぎであろう。
会社側の3人と大学を出て3年目の記者である原告との力関係を想像したい。報道機関が自分のスタッフライターとの話し合いを「事情聴取」と表現するのにも驚いた。
東京本社から「偉い人」である編集局幹部と法務室次長がわざわざ飛んできている。支社編集部にはデスクなどの上司、先輩が多数いたはずで、原告がなぜ「事情聴取」されているかは周知の事実であっただろう。原告にはかなりの精神的抑圧状態だったと思われる。強者の側には弱者の気持ちはなかなか分からない。
部屋にカギがかかっていないというが、カギをかければ監禁になるだろう。しかし、限られた空間で、たった一人で被告会社と対峙しなければいけなかった。どうして労働組合役員は同席しないのかと疑問に思う。必要なら弁護士も同席していいだろう。労働基準監督署もモニターしてほしい。外国の企業には社員の利益を守ってくれる「社内オンブズマン」がいるが、日本にはいない。
「準備書面1」を読むだけでも、拘束10時間に及ぶ「事情聴取」がいかに厳しかったかが分かる。3人は《(HPの)中味、内容が問題なのだ》《取材源秘匿違反》《新聞記者の原点を犯すものだ》《日経の信用問題になることだ》などと原告を追及している。
被告は原告が「顛末書」「上申書」を自ら書き、書名・捺印したと書いているが、以上のような状況下で書いた文書に任意性があるであろうか。
原告は2001年11月30日の陳述書で、2月17日の「事情聴取」について、3人が《懲戒免職か依願退職かの二者択一だ》と迫って辞表を書くように勧め、「上申書をかかないと懲戒免職だ」と脅した》と書いている。原告は疲労から思考力が低下し、解放されたい一心から上書を書くことになり、守屋部長らが数度にわたって添削して、顛末書とともに、《強引に提出させた》ものだという。
《原告が解放されたのは翌18日午前2時半であり、所要時間は12時間を超えていた。外部との相談機会も与えられない孤独な環境だった。上申書は原告の真意を表明したものでは全くなく、上記のように不適切で圧迫的な聴取の結果、強引に書かされたものであった》という。
「聴取」が終わった時間が、被告は《2月18日午前零時すぎ》と述べ、原告は《18日午前2時半》と書いている。どちらが正確かは極めて重要だと思う。被告側の3人はなぜ零時を回っても聴取を続行したのかである。
またこの上申書、顛末書に原告のサインがあるからといって、原告が「会社の経営方針、編集方針を害した」「取材上の秘密を守らなかった」ことが証明されたわけでは全くない。原告のHPにおける言論活動がそうした要素を持っていたか、また「相応の処分を受ける」ほどの問題だったかどうかを厳密に見なければならない。
第四 結論
原告のHPでの言論活動の中心は、日本と韓国にしかない「記者クラブ」制度(kisha-kurabu system)だった。それは、田中康夫知事が2001年5月15日に発表した「脱・記者クラブ宣言」の先取りともいえる。被告も有力メンバーである日本新聞協会も2002年1月23日、全国の公的機関などに設置されている「記者クラブ」の基本的指針となる新見解を発表した。1997年の旧見解から4年ぶりの改定だ。続いて新聞労連も2月8日、記者クラブの改革を提言した。原告の先見性を高く評価すべきであろう。
私はこれらの記者クラブ「改革」は不可能だと思う。記者クラブは解体するしかないのである。ニューヨーク・タイムズのハワード・フレンチ東京支局長は二月四日、新聞協会などの見解を読んで、《日本のメディアにとって最も深刻な問題の一つは、権力に対して挑戦したり、独立した立場で調査することに緩慢であることだ。記者クラブはすべて廃止すべきだ。記者クラブは時代錯誤記者クラブはよきジャーナリズムにとって存在理由が全くない。健全な競争とアグレッシブな報道に有害である》と私に述べた。同感である。
国際的に見れば、日本の新聞社はアナクロニズムである。記者クラブで記者を教育することに大問題があるのだ。原告は若い記者の優れた感性で、記者クラブの矛盾を肌で感じて、記者クラブに関する文献(私の本も含め)を読んで、HPで改革に向けた提言を行ったのである。
原告を見ていると、若き記者時代の自分とダブって見える。1970年代後半の共同通信には、私の問題提起を受け止めてくれる管理職や同僚がいた。だからやめなくてすんだのだと思う。三年半でやめていたらどうなっていただろうと思う。私も人事でいじめられた。人事問題はなかなか組合でも取り上げにくい。
原告が再びジャーナリストとして、活躍することを願っている。この国のジャーナリズムの再生のためには、被告がとった選択は誤っていると思う。原告は大新聞社が、市民感覚から見ると、かなり異常な意識にあることを告発した。
原告のように、ジャーナリズムのあり方を真剣に考える記者は、新聞界の宝物であったはずだ。若さゆえの表現方法に問題がなかったとは言わない。しかし、原告が被告に具体的な損害を与えたり、新聞に対する信頼を失わせたということは全くないのではないか。原告は市民・読者の常識的な感覚で、自分が見聞きしたメディア現場の矛盾を友人、知人に伝えて、市民から信頼される新聞に改革しようとしたのである。
近代市民社会に求められるのは「厳罰」でものごとを解決するのではなく、寛容で社会を少しづつでも改革することであろう。被告の管理職の人たちは、今からでも原告と対等な立場で向き合い、対話してほしい。原告のHP文書に書かれていることの一語一語を、予断と偏見なしに読んで、人間としてのこたえを原告に返してほしい。
原告への処分を撤回し、名誉回復をはかることが、日本経済新聞の未来を切り開くと堅く信じている。社会が前に前進するために、どうしたらいいか。メディア界が改革に目覚めるための、正義の判断を貴裁判所にお願いして意見書を終わりたい。
【経歴と著書】
浅野健一(あさの・けんいち)
1948年7月27日、香川県高松市生まれ。66~67年AFS国際奨学生として米ミズーリ州スプリングフィールド市立高校へ留学。72年、慶応義塾大学経済学部卒業、共同通信社入社。編集局社会部、千葉支局、ラジオ・テレビ局企画部、編集局外信部を経て、89年2月から92年7月までジャカルタ支局長。帰国後、外信部デスク。77~78年、共同通信労組関東支部委員長。94年3月末、共同通信退社。93ー95年慶応義塾大学新聞研究所(現在メディア・コミュニケーション研究所)非常勤講師。94年4月から同志社大学文学部社会学科教授(新聞学専攻)、同大学大学院文学研究科新聞学専攻博士課程教授。96年12月から97年12月まで、同志社大学教職員組合委員長。99年3月から10月まで、厚生省公衆衛生審議会疾病部会臓器移植専門委員会委員。共同通信社社友会準会員。人権と報道・連絡会(連絡先:〒168-8691 東京杉並南郵便局私書箱23号、ファクス03-3341-9515)世話人。国際コミュニケーション学会(ICA)、日本マス・コミュニケ-ション学会、日本平和学会の各会員。
《著書》
主著に『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫)、『犯罪報道は変えられる』(日本評論社、『新・犯罪報道の犯罪』と改題して講談社文庫に)、『犯罪報道と警察』(三一新書)、『過激派報道の犯罪』(三一新書)、『客観報道・隠されるニュースソース』(筑摩書房、『マスコミ報道の犯罪』と改題し講談社文庫に)、『出国命令 インドネシア取材1200日』(日本評論社、『日本大使館の犯罪』と改題し講談社文庫)、『日本は世界の敵になる ODAの犯罪』(三一書房)、『メディア・ファシズムの時代』(明石書店)、『「犯罪報道」の再犯 さらば共同通信社』(第三書館)、『オウム「破防法」とマスメディア』(第三書館)、『犯罪報道とメディアの良心 匿名報道と揺れる実名報道』(第三書館)、『天皇の記者たち 大新聞のアジア侵略』(スリーエーネットワーク)、『メディア・リンチ』(潮出版)『脳死移植報道の迷走』(創出版)。
編著に『スパイ防止法がやってきた』(社会評論社)、『天皇とマスコミ報道』(三一新書)、『カンボジア派兵』(労働大学)、『激論・新聞に未来はあるのか ジャーナリストを志望する学生に送る』(現代人文社ブックレット)。共編著に『無責任なマスメディア』(山口正紀氏との共編、現代人文社)。
共著に『ここにも差別が』(解放出版社)、『死刑囚からあなたへ』(インパクト出版会)、『アジアの人びとを知る本1・環境破壊とたたかう人びと』(大月書店)、『派兵読本』(社会評論社)、『成田治安立法・いま憲法が危ない』(社会評論社)、『メディア学の現在』(世界思想社)、『検証・オウム報道』(現代人文社)、『匿名報道』(山口正紀氏との共著、学陽書房)、『激論 世紀末ニッポン』(鈴木邦男氏との共著、三一新書)、『松本サリン事件報道の罪と罰』(河野義行氏との共著、講談社文庫)、『大学とアジア太平洋戦争』(白井厚氏編、日本経済評論社)、『オウム破防法事件の記録』(オウム破防法弁護団編著、社会思想社)、『英雄から爆弾犯にされて』(三一書房)、『ナヌムの家を訪ねて 日本軍慰安婦から学んだ戦争責任』(浅野健一ゼミ編、現代人文社)、『新聞記者をやめたくなったときの本』〈北村肇編、現代人文社〉、『プライバシーと出版・報道の自由』〈青弓社編集部編、青弓社〉などがある。「週刊金曜日」別冊ブックレット『金曜芸能 報道される側の論理』(金曜日)。2002年1月『メディア規制に対抗できるぞ!報道評議会』(現代人文社)を出版予定。
『現代用語の基礎知識』(自由国民社、1998~2002年版)の「ジャーナリズム」を執筆。
監修ビデオに『ドキュメント 人権と報道の旅』(製作・オーパス、発行・現代人文社)がある。
資格 1968年、運輸相より通訳案内業(英語)免許取得。