「アジア的なもの」 ハノイ(ベトナム) '95 . 8
ろうそくの灯りがそこかしこに目立つ。ここはハノイの中心、ホアンキエム湖の北側に広がる旧市街。時刻は夜9時を過ぎているが、一向に活気が衰える気配はない。
夜のハノイは今回の旅の中でも、格別に印象的であった。南ベトナムの首都であったホーチミンに比べ開発が進んでおらず、昔ながらの風景が十分に残っている。
さすがにメインストリートは、すごい騒音だ。プープーという警笛音とバイクの行列は、さながらたちの悪い暴走族を思わせる。しかし、一本離れれば基本的に街灯はなく、バイクが通るたび、ライトが目にまぶしい。
バイクもあまり通らないような通りでは、ろうそくがメインの明りだ。各家、各店の前にろうそくが灯り、その回りにみんなが集まって、なにやら飲み食いしている。子供達も元気に走り回り、遊んでいる。日本でいえば、縁日の風景に近い。夜になってますます、健気になっているようにさえ見える。初めて見る光景のはずだが、どこか懐かしい気持ちを感じるのが不思議である。
ベトナムでは、専ら安いゲストハウスに泊まっていた。エアコンなしなら、天井に十字の大型扇風機がついて、6〜10ドルが普通。私は冷房より自然の扇風の方が好きなので、何1つ文句はない。大抵、白いヤモリが数匹、住人を監視するかのように壁や天井にへばりついている。最初はちょっと違和感を感じるが、すぐに慣れ、それが当り前の風景となる。
「家を守ると書いてヤモリか…、なるほど。いる方が自然でいいのかもしれない、、、」(正確には「守宮」と書くらしい)などと思いながら、ベットに寝転ぶ。
以前、浪人中に実家の自分の部屋で参考書を開いて勉強していたら、ヤモリが天井から突然、参考書の上に落ちてきて、ビックリさせられたことが、思い出される。
「単に居心地が悪かったから落ちてきたのだろうか、私が受験に落ちたことと関係あるのだろうか…」などと下らないことを考えながらヤモリ氏を見ていると、なかなか動かない。考え事でもしているのだろうか。私が疲れて目を逸らしているうちに、気がつくと移動している。「達磨さんが転んだ」をやるには格好の相手だ。オニになったつもりでヤモリ氏を見つめていると、今度は、停電に襲われた。
停電が日常茶飯事であることもあり、この国の住人にとって、ろうそくは必需品である。私が泊まっていたゲストハウスでも、日に2、3回は停電していた。長い時は一晩中消えたままで、フロントからろうそくを借りないと部屋にたどり着けないほど真っ暗な時もあった。もちろん、旋風機も止まるので、暑くて寝られない。さすがに困る。だが、電灯の明りに慣れきっていた私の目には、ろうそくの情緒ある炎は、忘れかけていた本能に何かを訴えるようで、たまにはいい。
現地の人がどう思っているか知らないが、何もハプニングがない日本の日常より、生活していて面白く感じるものだ。豊かな国では、隣近所で協力し合う必要もないが、貧しい国では問題が起きる度にお互い協力し合って生活しなければならない。そこにトラブルがあり、それを解決するための会話があり、ブレインストーミングがある。そこから連帯感も生まれ、開放的で柔和な人間関係が築けるのだろう。
しかし、この風景は、貧しさ由のものだけではない。私が見たところ、現地人たちは昼間から街中の至る所で会話を交し、ジョークを言い合っているようだ。彼等にとっては、街中が社交場なのだ。まるで犯罪などないかのように、店は空になっていることもしばしば見かける。
人口7千万人という大国の首都で、かなりの大都市なのに、街中が共同体、村のようなのだ。この風景から感じるものは「和」である。これは私がアメリカやニュージーランドを旅した時とは全く違うもので、「個」を大切にする欧米社会では絶対に見られない風景である。
「文明の衝突」論争が言われて久しい。マレーシアのマハティール首相は盛んに東アジア経済圏を主張している。経済的な格差の他に、宗教や地理的な問題でアジアが一枚岩ではないのは確かだろう。しかし、アジアに、国家の枠組みを超えて共通するもの、文明さえも超えて存在するものがあるとすれば、この風景なのではないか。
夜のハノイに、「アジア的なもの」を見い出した気がした。
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※アジアとは何か。この問題にすっきりした答えがあったら、教えて欲しい。
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