「ぼくはこんな本を読んできた」/立花隆/95年12月、文芸春秋

◆自身を「異常知的欲求者」と認める立花氏。「オートマトン」的な自分に満足せず、知的欲求を常に新しいものに振り向け続けることが、本当の意味で、人間としてより良く生きることだ、との理論には納得させられるものがある。知的欲求を「実用知的欲求」と「純粋知的欲求」に、読書法を「手段としての読書」と「読書のための読書」に分類する考え方は、薄々感じていたことをはっきり提示された感じだ。私は「純粋知的欲求」というものがあまり強くなく、「読書は手段である」ことを確認できた。

 立花氏の読書量は、私には絶対に真似できない天才的なものだが、その読書術は参考になる。野口氏の「超・整理法」と並ぶ整理法の雄といえよう。知的欲求を満たしたい人にとって、この本は是非モノである。それにしても、退社の弁が「社員会報」に載るなんて、文芸春秋は風通しの良い会社である。日経出身のまともなジャーナリストはいないわけで、なるべく社内的な接触を減らさねば。

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「質問があまりにも浅い、表層的なものだと、専門家というのはものすごくいい加減な答えしかしてくれません。これはもう、呆れるほどいい加減な答えしかしないものです。どの専門家も忙しいですから、愚劣な質問につきあっている暇はないわけです。この人はこの程度の答えで満足するだろうという見極めをつけたら、それ以上のことは時間の節約のために全部省略してしまうわけです。専門的なことを素人にいくら説明してもわかってもらえるはずがないから、余計な説明は時間の無駄と思うわけです。」

「1テーマ五百冊くらい読んでいることになります。もっとも、全部読まずに、部分的に読む本が多いんですが、それにプラスして、雑誌の記事とか論文とか、インタビューとかもあるわけですから、インプットとアウトプットの比率は、少なくとも百対一くらいになると思います。ですから、一生懸命勉強しても、そのほとんどは自分の中にしか残らない。なのに、なぜそこまで勉強するかというと、基本的にそういう知的欲求というのは、やはり本を書くための欲求じゃなくて、自分が本来的に持っている、『どうしても知りたい』『もっと知りたい』という欲求だからなんですね。」

「人間というのは、最も基本的な欲求として、知りたいという欲求を持っている。これはほとんど人間の本能といっていいわけです。おそらく食欲、性欲と並ぶぐらい、最も根源的な欲望として、すべての人が持っているはずのものなんです。」 

「人間の持つ知識欲には、どういうファンクションがあるのか考えてみると、これは要するに、ヒトの社会をここまで発展させるために必要だったのが、この知的欲求であるということになります。」

「そういう人間が持つ知的欲求について考える場合、これを二つのカテボリーに分けて考えることができます。それは実用的な知的欲求と、純粋知的欲求という分け方で、この2つには明らかに質的な違いがあります。実用的な知的欲求というのは、何か目的があって、そのために知りたいという欲求ですね。これが分かればこういうことができる、ああいうことができる。それを知ることによって、こういった利便ないし利益、実用性が得られるという欲求です。一方、それに対して、とにかく知りたいから知りたい、そうとしか言えないような純粋な知的欲求というのが、人間にはあるわけですね。」 

「世の中には、食欲が異常に激しい異常食欲者とか、性欲が異常に強い異常性欲者がいますね。それと同じように、知的欲求がやたらに激しい、異常知的欲求者というのがやはりいるんですね。僕もそういう一人ですけれども、サイエンティストというのは、基本的にみんなそうなんです。とにかく知りたいんです。『何でおまえはそれを知りたいんだ』と問いつめていくと、みんなそれなりの理屈をこねるけれども、ぎりぎりのところでは、もう理由はなくて、『知りたいから知りたいんだ』と、それしかないんです。人間は、そういう純粋知的欲求を強く持っていたから、こういう『文明社会』を築くことができたんだと言えるわけです。」

「けれども、そういう経済的な利益のために宇宙開発をやるべきだと主張するためには、本当は、投下資本とそこから得られる利益とを比較してコストパフォーマンスを計算する必要がある。しかし、そのコストパフォーマンスを計算しはじめると、実は、ほぼ確実に持ち出しになるんです。利益はそんなに期待できないんです。だから僕は、あるシンポジウムに出席したときに、そういった経済的利益がこれだけあるから宇宙進出しようという説得は、そもそもだめなんだと言ったんです。そうではなくて、宇宙進出というのは、人間の宿命みたいなものだと考えた方がいいと。」 

「情報処理の世界に『オートマトン』という言葉があります。簡単に言ってしまうと、ある入力があったときに特定の出力を自動的に行う構造で、もっとも低レベルな『オートマトン』としては、自動販売機の構造などが考えられます。あるボタンを押すと、特定の商品が出るという構造ですね。人間の精神、そして構造というのは、非常に大ざっぱな言い方をすると、このオートマトンの部分と、自動化されていない意識化された行動の部分と、2つの部分からなっているということが言えます。そして量的には、人間の日常の行動というのは、ほとんどがオートマトン化された、自動化されたものなんです。・・・そして、その自動化された部分は、主に小脳の中にしまいこまれている。・・・人間というのはどんどん新しいことを学習して、その新しく学習したことを自動化部分へしまい込みながら、また次の学習へ意識を振り向けていく。そうやって、次々に新しいことを学んで成長していくわけです。・・・人間の精神、人格というのは、ある意味で、その人の過去の記憶の総体によって作られているとも言えるわけです。『これが私だ』というものは、過去の記憶の総体、経験の総体であるわけです。そうすると、そういうオートマトン的な自分というものに満足している人の記憶とか意識の内面というのは、空洞化した中を日々の行為がただ流れすぎているだけで、その人の本質として残っていくものは、よくよく思い起こすと何もないという人間になってしまう。」 

「まず、読書を2つの種類に分けた方がいいのではないかと思います。1つは読書それ自体が目的である読書、もう1つは読書が何らかの手段である読書という風に分けてみたいと思います。」 

「たとえば、プラトンでも、よく読めばかなり下らない部分が沢山あるんです。にもかかわらず、それを読むことがなぜ役にたつか。それは、あるものを読むことをお互いに共通体験として持つと、それについて語り合うこと自体が意味を持ってくるからです。つまりその書物があるメッセージを持っているメディアたるにとどまらず、それ自体が論ずべき対象、語り合うときのマテリアルになる、そういうマテリアルとして適切であるものが、結局、本当の意味の古典として生き残っていくのではないのかなという気がするわけです。」 

「そして、語学に関していえば、集中的にやった方がよい。週二回一年間やるよりは、毎日一カ月間やった方がよい。私の経験からいうと、たいていの語学は、他のことは全部忘れて、ただひたすらそれに熱中するという形でやれば、一カ月で一応モノになる。大学書林で出している『××語四週間』というシリーズがあるが、あの本の内容程度をモノにしようと思えば、本気でやるなら、必ず四週間でできる。ただし、それには厳しく尻を叩いてくれる人が必要で、尻たたき役なしで自分の尻をたたきながらやろうと思うと、たいてい一週間くらいで挫折する。そのうち、この本の一日分を二日でやろうと思い、やがて一日分に一週間かけようと思い、そのうちやめてしまうのがオチである。」

「入門書には二種類ある。教科書的入門書と教科書以前の一般向け入門書とである。たいていの分野には、教科書的入門書として定評が確立している本があるものだ。例えば、経済学におけるサムエルソンの『経済学』のごときものだ。」

「入門書はバラエティに富んだ複数のものを手にした方がよい。それも、相次いで読んだほうがよい。その場合の選び方は、まず最初に、良質の寄せ集め的入門書を選ぶことである。良質の寄せ集めというのは、例えば、経済学に関しては、『経済学のすすめ』(筑摩)などがそれにあたろう。」

「読まないと文章って書けないからね。まず消費者にならないと、ちゃんとした生産者になれない。それと、文学を経ないで精神形成をした人は、どうしても物の見方が浅い。物事の理解が図式的になりがちなんじゃないかな。文学というのは、最初に表に見えたものが、裏返すと違うように見えてきて、もう一回裏返すとまた違って見えてくるという世界でしょう。表面だけでは見えないものを見ていくのが文学だもの。それから、もうひとつ読書、それも文学を読むことで得られる大事なことは、それによって培われるイマジネーションですね。取材がダメな人間というのは、結局イマジネーションがないからなんだね。十全の内容を自分からしゃべる人なんていない。たとえば相手の過去の経験を聞こうとしても、喋っていない部分がいっぱいあるわけでしょう。彼が何をまだ喋っていないかに気がつく能力、それがイマジネーションなんですね。」

「『立花さんの本には、非常に印象的なレトリックがよく出てきますね。』」 

「そこに一番エネルギーを使います。これはと思う表現を思いつくまでが大変なんですよ。サッと読めるように工夫しているから読み手の方は気づかないだろうけど、ものすごく努力しているところなんです。原稿書きのエネルギーの三分の一は、ああいううまい表現を見つけるために費やしてますね。たった、一、二分のために数時間を費やしてます。」