「病院のカラクリ、医者のホンネ」/テリー伊藤、和田秀樹/2001年、アスキー

 本書では、いろいろ噂で聞いていたことが、分りやすく述べられている。病院業界と医薬メーカー業界の規制緩和は喫緊の課題である。ここでも問題は、受益者(患者)よりも供給者(業界)の利益を優先する明治以来の日本の非民主的システムである。薬害エイズを生み出したこのシステムは、生命にかかわる重大な問題であるにもかかわらず変わろうとしていないのだから恐ろしい。

 医学分野以外の高等教育では、慶応が90年に総合政策学部を新設し、他大学も追従、学問のタコ壷化の弊害は多少なりとも改善の方向に向かっている。これは問題解決には学部横断的な学際的知識が必要との企業を中心とする現代社会のニーズによるものである。しかし、規制ガチガチの医学会では、未だに評価指標が「患者を治すこと」ではなく「論文を書くこと」であるがために、専門分化しすぎ(論文を書きやすい)の弊害は改善せず、何でも一通りを診ることができる町医者が育たないのだという。規制があるため、患者のニーズが反映されないのだ。なぜ手術の実績数などの情報が開示されないのか、患者の立場からは理解不能である。情報を開示して患者に選ばせれば競争原理が働き、評価指標も急激に変わらざるを得なくなる。

 こうした規制ガチガチの状況下では、受益者側が連帯し権利を主張して対抗するしかない。やはり、患者間がネットワークを結べるようなインフラの役目をジャーナリズムが果たすべきだと思う。患者側が情報・ノウハウを共有することで、病院に殺されることはかなりの程度、防げるはずだ。また、より積極的な役割としては、ジャーナリズムの格付け機能、つまり「ミシュラン」病院版のニーズは今後、著しく高まるだろう。

 医学会の、1.評価指標がマーケットニーズとズレていて、2.閉鎖的で流動性がない、という問題点は、新聞業界と共通している。「患者さんをよくすることに憧れてきた人たちを、いつの間にか、研究に憧れさせてしまうようなシステム」(和田)。これは全く新聞業界も同じだ。最初は多くの人が、虐げられた人のために、世の中のために、と思って記者になるが、いつの間にか、単なる情報屋になり、社長人事など発表モノを1日早く抜くことに血眼になるようなシステム。それが評価指標だからである。調査報道や権力監視報道などジャーナリスティックな取材はコストが高く短期的には儲からないから、やらないことが暗黙の了解なのだ。

 同様に、「たとえば東大の眼科の医局に入ったとします。それで、そこの教授が研究ばっかりしていて、まったく手術をしない。自分はそれがすごく気に入らなくて、ケンカをしてやめた−−そういうことになったら、よその大学の医局はどこも取ってくれることはないでしょう。テリー)なるほどね。患者だけじゃなくて、大学病院の医局も、相撲部屋になっちゃってるんだ。」米国では人材が流動化しているが、日本の医者は相撲部屋だというのだ。新聞業界もまさに相撲部屋である。なにしろ新規参入がなく、全国紙など百年以上前に創刊された新聞しかないという古〜い業界なのだ。どこも同じような体質だから、どんなに真っ当な理由があろうが、ケンカしたが最後、転職など基本的に同業者は受け入れない。

 本書には、「ランキング本で、上位に大学病院しか書いていないのであれば、それは明らかに手抜きである。臨床の分野では、大学病院よりずっと優れた市中病院がいくらでもある」など、メディアリテラシーを高める情報が満載だ。少なくとも、ひとつの仮説として、人生に非常に役に立つこと間違いなしの本である。(2002年3月)

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 和田 そういうことをしているのは、たぶん日本じゅうで東京女子医大だけですね。女子医大は、理事会がすごく強くて、教授会で教授を勝手に選ぶことを許さないそうです。理事会の意向で、いろんな科で、臨床のできる医者を集めているんですよ。
 
 いま、もちろん「病院の広告」は許されていないんですけれど、「大学の広告」というか、「学生募集の広告」というようなものはOKなんです。「ハッキリ言って、教授陣が自慢です!!」というような。つまり、「外科の○○教授は手術が日本一でどうのこうの」というような情報も、「学生募集の広告」としてなら、医師法違反いはならないはずです。‥あと、開業医なら、本を書くとかですね。
 
 テリー ああ、「驚異の包茎手術」とか、「10万人の美容整形」とか、そういう類の本のことですね。

 和田 これは日本のことではありませんが、アメリカでは、医者同士で相互批判をして、それに基づいて、医学界でランキングを決めています。「AMA」という団体がつくっています。この、アメリカのランキングは、非常に信頼度の高いものです。ランクも毎年変わりますし。「AMA」によるランキングは、「USニュース&ワールドリポート」という雑誌に、毎年出ます。

 AMA‥アメリカ医学会のこと、また「USニュース&ワールドリポート」は、国内外に200万人の読者をもつアメリカのニュース週刊誌。毎年掲載される病院ランキングは、大学ランキングと並ぶ同誌の名物企画である。これはAMA70万人近い医師に選ばせた専門分野別の病院ランキングと、各病院の患者死亡率などのデータにもとづくランキングで、専門別、地域別などで、細かく順位がつけられている。

 薬害エイズでは、「非加熱製剤を使えと、安部が下々の医者たちに命令したこと」を立証できなかったんです。これを証明できないと、有罪にはできないじゃないですか。

 大学病院では、教授が「絶対の人事権」を握っていますから、教授に嫌われたらどっかに飛ばされたりします。木下にしても、「学者としての将来を心配して逆らえずにいた」と裁判で証言しているワケですから。
 
 テリー 「どっか」って、いったいどんなところに飛ばされるんですか? 和田 「関連病院の部長」とかですよ。

 病院や診療所は、レストランなどとは違って、都心の一等地でも地方でも、同じ診療なら報酬は一定ですから、人件費や不動産の価格が低い地方なら、相対的な利幅が大きくなります。「ウデがいいから」「流行ったから」といって、勝手に報酬を値上げすることはできません。

 「いったん町医者になって、そこですごくウデを磨いた人」とか、「地元でものすごく評判を上げた人」とかが、さっと大学に返り咲けるようなシステムがあって当然だと思うんですが‥‥。そうしたら、町医者になるのを、みんなこれほどイヤがらないでしょうし‥‥。

 まあ、「年収500万円」とはいっても、ほかに「アルバイトのクチ」もありますから。いまは、1日7−8万円くらいですか。

 イギリスには、「ジェネラル・プラクティショナー(GP)」つまり「なんでも診られる医者」というのがどこの町にもいます。そして、患者さんはまず最初にその医者に診てもらって、その医者に「あの医者に行きなさい」「あの医者に聞きなさい」と専門医を紹介してもらうんです。専門医はもちろん大学病院とかにいるんですが、「ジェネラルプラクティショナー」と専門医というのは、対等の立場として尊敬されています。

 野球の選手がみんな「自分でプレーするより、監督になったほうが格好いいぜ」ということで、「組織論の勉強をする」「マネージメントの勉強をする」というようなことになったら、ヘンですよね?そういうことをしているのが、いまの日本の大学病院の医者なんです。つまり、「野球選手のたったひとつの目標は、監督になることだ」というようになってしまった世界。

 収入だって、教授が一番。たとえば野球の世界だったら、監督よりも一流プレーヤーのほうが上ですよね。いくら王貞治さんが監督になっても、年俸一億円かそこらじゃないですか。ふつう監督になって、「選手より給料が安い」と文句を言う人はいないと思うんです。ところが「医者の世界」では、教授が一番収入が多くて、教授がいちばんイバっていて‥。

 大学病院に勤めていると、技術レベルが高い医者よりも、論文をポンポン書いている医者のほうが先に講師になったり、助教授になったりするんです。それで、だんだんみんな、シラけてくるんです。やっぱり、置かれた環境ですよ。

 現在、「カルテ公開」の義務は法律上はない。1980年代にカルテ公開を求める訴訟が起こされたが、東京地裁は「必ずしもすべて閲覧させる義務はない」として一部棄却する判決を下した。しかしその後、カルテ公開を当然とする声が高まり、国内最大の病院団体である日本病院会では、「患者の権利章典」を策定し、そのなかに「カルテの閲覧権」を明示した。厚生労働省でも「診療情報に関する検討会」を組織し、カルテ開示義務づけを求める報告書をまとめた。

 日本の裁判でいちばんマズイのは、「原告側に立証責任がある」という点です。損害賠償を請求する側に立証責任がある。つまり、医療ミスの裁判の場合、「患者さん側が、医療者側にミスがあったことを立証しなければならない」ということなんです。

 これは、法律を変えればいいだけの話です。‥贈収賄事件の裁判で「アイツ、明らかにカネを受け取っているのに、なんで有罪にできないんだ」と僕が怒ると、その身内は「法律がそういうシステムなんだから、しかたない」と切り返してきます。有罪にできない理由は、簡単なことです。「検察が、被告が受け取ったカネがワイロであることを証明しなければならない」からなんです。「被告が、受け取ったカネがワイロでないことを証明しなければならない」というように法律を変えれば、それで解決することなんです。
 
 いったん担当医が決まれば、それがどんなにイヤなヤツでも、その担当医に診て貰わなきゃならない。ほとんど相撲といっしょですね。相撲でも、親方とうまくいかないなら、もう、廃業するしかないですから。野球の場合ならまだ「ベンチがアホやから」なんていってケンカして、別の球団に行くこともできるけど‥。

 たとえば、東大の眼科の医局に入ったとします。それで、そこの教授が研究ばっかりしていて、まったく手術をしない。自分はそれがすごく気に入らなくて、ケンカをしてやめた−−そういうことになったら、よその大学の医局はどこも取ってくれることはないでしょう。

 テリー なるほどね。患者だけじゃなくて、大学病院の医局も、相撲部屋になっちゃってるんだ。

 だから、患者さんから「変えてくれ」とか言われたら、「あのさぁ、オレだって変えてほしいんだよ」って、つい言いたくなってしまう‥。

 和田 普通の会社では、上司が20年も30年も居座ったりしませんよね。
 テリー でも、そういうのは、ボクはしょうがないと思うんですよ。「アンタがその道を選んだんじゃないか」と。もっと言うと、「アンタは、そこで収入を得ているんじゃないか」と。だから、いまの和田さんの話は、「患者さんが医者を選べない」っていうのとは、全然意味が違うと思うんですよ。患者さんは、カネを払う側なんですよ。 

 そもそも、手術の値段は、日本では「保険点数」が決めますから、日本じゅうどこで受けても同じ金額です。同じ手術なら、ものすごい手術の名手がやろうが研修医がやろうが、まったく同じ値段なんです。僕は、本当はまずそれがおかしいと思っていますけれど‥。

 治験というのは、全国80医大の全部でやる必要はないんです。だいたい、20くらいでやればいいんです。そして、その20大学は、「学会ボス」と製薬会社とが選ぶんです。
 テリー どっかの大学の医学部で、「なんだよ、この前、オマエんとこの新薬でちょっと悪口書いたら、もう、治験の話をもってこなくなったな」なんてことがあったら、ボクだったら、すぐマスコミニリークするけどなあ‥。
 和田 日本の医学部の教授は、絶対そんなことしませんよ。
 テリー どうして?力関係で、勝つじゃないですか!
 和田 ふつう、「勝つ」と思いますよね?ところが、それが、勝てないんですよ。どの学会にも、「ボス」というのが居るんです−−たいてい数人で、薬害エイズのときの安部も、血液内科の「学会ボス」でした。治験大学は、この「学会ボス」と製薬会社とが決めるワケですから、「マスコミにリークする」というのは、「学会ボス」に弓を引く行為になってしまうんです。‥リークをする、と。そうすると、呼吸器内科学会の「ボス」たちが、「アイツ、くだらないことをマスコミに流したよ」「じゃあ、次からアソコの医局から出る論文は全部ハネてやろう」という相談をして、実際に、「呼吸器内科学会誌」とかに出した論文をぜんぶ落としたりすることが可能です。それから、もっと現実的に行われているのが、「どんなことがあっても、学会の会長にはしない」とか‥。

 テリー ‥ボクが税務署の役人だったら、ぜったい査察に入るけどなぁ。
 和田 そうです。入るべきなんです。ボクも、それを本当にやってほしいですよ。だって、医学部の教授連は、みんな1千万円やそこらの年収ではとうていやれないような生活をしてるワケですから。
 それから、最近は「国家公務員倫理法」というのができたので、国公立大学の先生方は、「1件で、5000円以上の接待を受ける」などというときには、それを報告しなければならなくなりました。ですから、もしそれをしていなかったら、この法律に基づいて、厳正に処分すればいいんです。脱税の場合は、立証がかなり難しいのですが、この法律を適用するなら、「届けなしにオゴってもらったこと」が1回でもあれば、処罰することができるのですから。

 日本製薬工業協会に加盟している会社は、全部で80社くらいあるんですが、その海外売上比率の平均は3.3%(平成10年)なんですから。アメリカでは、ほとんどの製薬会社で30−40%くらいです。

 ひとつには、保護されているからですね。たとえ、外国ですごくいい薬ができたとしても、バイアグラみたいな例外を除けば、日本ではなかなか認可されない。5年とか、十年とか、長いことたたないと薬として認可されないんです。

 僕は、そこのところで、「医学教育がなってないなあ」と思うんです−−「患者さんをよくすることに憧れてきた人たちを、いつの間にか、研究に憧れさせてしまうようなシステム」がマズイ、と。人間の性向は、もとの動機よりも、「教育を受けた環境」による部分が大きいんです。かつて僕のことをボロクソに言っていた連中は、いまはもうみんな研究至上主義者になっつぃまって、いまだに顕微鏡をのぞいていたり、動物実験ばかりしていたりで、患者さんをまったく診ていないんです。

 「規制を緩和して、ちゃんとしたまともな競争原理が働くようにする」ということですよね。そうすれば、人事評価であれなんであれ、もうちょっとまともになると思うんです。「医者の世界」というのは、きわめてイビツで、ふつうの企業なら当たり前のようなシステムが出来ていないんです−−「人事評価システム」であれ、「経営システム」であれ、「研修システム」であれ、もうまったく、なってないんです‥。‥教授が自分勝手にやれるワケですから‥‥。

 テリー つまり、「オールラウンド・プレーヤー」がいないっていうこと?
 和田 まず、「オールラウンド・プレーヤー」を養成するシステムがありません。アメリカの大学には、「ファミリー・プラクティス」という科があるんですが、日本にはないんです。

 大学というところは、専門分化が進みすぎてしまったところですから。大学病院にいくと、「内科」というのもありませんよね?あるのは、「消化器科」「呼吸器科」「腎臓科」‥。

 テリー なんでそんな細分化しちゃったんだろう‥‥。
 和田 それは、細分化してるほうが、論文をたくさん書けますから‥‥。細かいことをやればやるほど、論文が書きやすくなるんです。

  トヨタは、交通事故で亡くなる人とかケガする人も多いんだから、「早くトヨタ病院つくれ」って、ボクは前から言ってるんだけど‥‥。

 「株式会社立」の病院はつくれないんですよ。

 医者というのは、患者さんのニーズなんてほとんど考えない職業です。技術を磨こうとする医者など、良心的な医者もけっこういっぱいいるんですが、「患者さんが何を望んでいるか」だとか、いわゆる「マーケティング・リサーチ」をする医者というのは、すごく少ないんですよ。

 テリー そういうことは、企業のほうがうまいよね。(222)

 大勢の身内−−これは、友達などに頼んで、身内のフリをしてもらうだけでいいんです。つまり、大勢の人が居並ぶことによって、数で圧倒するワケです。それで、たとえば、「カルテを見せてください」と頼んで、医者から断られたら、うしろのほうから「どうして?!」と声をかけるんです。「おいおい、カルテ見せないなんて、ヘンだよな!?」「ウチのほうじゃ見せてるよな?!」とか、ワイワイガヤガヤやる。ここで大切なことは、いちばん身近な家族は黙っていることです−−のちのちの関係をギクシャクさせないために、身近な家族は、あくまで「いい子」になっておいたほうがいいでしょうから。それで、あとから「どうもすみませんでした。うるさい叔父が来まして‥‥」なんて、シラっと謝っておく。さらに、このように「集団で押しかける」だけでなく、「親戚に新聞記者がおりますが、この親戚がずいぶん神経を尖らせていまして‥‥」というようなのも効果があるでしょう。「親戚に弁護士がいるんですが、これがまたうるさくて‥‥」というようなのでもいいですね。一般に、医者というものは、「ジャーナリスト」とか「法律家」とか聞くと、それだけでビビってしまうものです。

 お寿司屋さんに行くときに、別のお寿司やの職人さんと一緒だと、サービスがすごくよくなったり、いいネタが出てきたりすることがある。だから、お医者さんに行くときも、まあ別のお医者さんと一緒ってのは難しいけど、ちょっとした会話のなかに知り合いのお医者さんの名前を出せば、そうおいそれとした対応はされなくなるよね。

 結局のところ、「ピカイチの病院や医者を探すこと」にアクセクするより、まず、「クズ病院やクズ医者を見分ける目」をもち、「平均点以上の、そこそこの医者を探すこと」のほうが、はるかに現実的だと思います。
‥「なんとか病院ランキング」みたいな本で、ランキングの上位に「大学病院」しか書いていないのであれば、それは、明らかに手抜きです。なぜなら、臨床の分野では、大学病院よりずっと優れた市中病院がいくらでもありますから‥‥。

 ですから僕は、「ガイドブック」を読んで、世間一般では有名な病院なのに、その本のなかには記事がなかったり、あってもその量がすごく少なかったりする場合には、「記者が、『ここはよくない』と判断したんだな」と踏みます。「ガイドブック」や「ガイド記事」では、そういう「ウラ読み」もできます。

 大学教授というのは、いまの日本のシステムでは、臨床のウデで選ばれているワケではありませんから、「その科でいちばんの名医」である確率はすごく低いんです。むしろその下に控えている助教授や講師のほうが、年齢的にもアブラが乗っていて、ウデのいい場合が多い。それなのに、ズラズラっと教授ばかり出てくるような記事があったとしたら、それは、記者が手抜きをしているのにほかなりません。

 ‥「マスコミに出たりして、うっかり目立ってしまうと、教授にニラまれる」ということで‥‥。たしかに、大学病院というのは、教授をトップに戴いたピラミッド社会ですからね。しかし、そういう実情なのに、「名医紹介」のような本で、講師クラスが紹介されているような場合には、「この医局は、風通しがいいんだな」と判断することができます−−「教授が人格的にまとも」というか、「良識があるんdなな」と‥‥。こうして、権力欲や名誉欲のすごく強い教授がトップにいるのではないなら、その診療科は、患者さんにとっても「いい診療科」だと言えると思います。

 僕は、「救急車ほど気をつけなければならないものはない」と思います。なぜなら、救急車の側としては、急患を病院に担ぎ込んで、断られるのがいちばんイヤなので、「ぜったい断らない」という病院に連れて行くからです。その「絶対に断らない病院」が「いい病院」なら問題ないんですが、こうした病院は、たいてい評判が悪くて、平常の患者さんが少ないからこそ、急患の客を絶対に断らないものなのです。‥「近所の評判」というものにはじっさいの「評判」だけでなく、「外来患者さんの数」というものも含めることができます。「いい」と思っているからこそ、患者さんは続けて通うワケですから。「アソコは、救急外来が多いわりに、一般外来が少ないよ」と言われている病院は、おそらくアブないところですね。
(→これは現場調査が可能!)

 
 (和田秀樹 1960年大阪に生まれる。東大医学部卒、東大付属病院精神神経科助手、米カールメニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在は精神科医。また、東北大学医学部非常勤講師(老年内科)、一橋大学経済学部非常勤講師(現代経済学)としても活躍中。)