「カルチャーショックとGNPの相関」 マルセイユ(フランス) 2002.10
旧港をとりまく旧市街の風景に出会ったとき、デジャヴ(既視感)を感じ、記憶を辿っていた。あれは7年前、マダガスカルのアンタナナリボだった。私は風邪をひいたらしく熱を出してしまい、ホテルで貰った薬を飲み、巨大な蚊が飛び交う部屋のベッドで、一晩中、のたうち回って苦しんでいた。そのホテルの窓から見たアン
タナナリボの小高い丘の風景が、マルセイユの旧港に臨む丘の風景とダブって見えた。
丘の高いところにそびえる教会、オレンジの屋根瓦、5-6階建ての建築物の形状など、全体がかもし出す雰囲気によるものと思う。確かに記憶はよみがえった。
もう一ケ所、マルセイユ市内を散策していて、 正方形の芝生地帯の三方を建物が囲んでいる場所を通り過ぎたとき、デジャヴがあった。こちらは、ベトナムのサイゴン(ホーチミン)で見た風景が、脳裏をよぎった。
マダガスカルは1896年から1960年までフランスの植民地だったし、ベトナムも18世紀半ばから約1世紀の間、フランスの植民地支配を受けていた。だから、フランスがマダガスカルやベトナムに似ているのではなく、フランスがそもそもの本家本元、輸出元ということなのだろう。
昔、米国を旅したときにレストラン「デニーズ」を見て、日本と同じロゴだ、と思ったりしたが、それと同じ類の現象なのだ。つまり日本も、もしフランスに占領統治されていたら、フランスに似た風景になっていたということである。日本はたまたま米国だった、マダガスカルはたまたまフランスだった、それだけのことではあるが、植民地支配や宗主国といったものの影響力の大きさを実感する。だから、米国を旅したときにはあまり感じなかったカルチャーショックを、ベトナムやフランスでは大きく感じるのである。
学生時代(7ー8年前)は、米国とベトナムを旅したギャップから、カルチャーショックは経済の発展度に依存する、つまり、経済が発展すれば文化(カルチャー)も同質化が進まざるを得ないのだから、日本という経済大国の国民は、いわゆる発展途上国といわれる地域に行けば行くほど大きなカルチャーショックを受けるのだ、とばかり思っていたが、そうではなかったのだ!フランスという世界4位の経済大国(GNP、ドル換算)でも、十分なショッックを受けたのである。
カルチャーの異なる国にいると、普段、日本にいると当り前すぎて気付かないことがどんどん見えてくる。 日本が、全体として、いかに資本主義自由経済の極みにいる国であることかを実感した。
◇ ◇ ◇
自由に野放しにしていくと、まず時間の概念が崩壊していく。人間がそもそも怠惰な存在だからだろう。
マルセイユに着いた夜、ホテルを探していた。「予約はしていないが、泊れないだろうか」。何度同じ言葉を繰り返しただろう。20件は回ったが、どこも満室だった。仕方がないので、私がよく日本でしているように、24時間営業の「ファミレス」で本でも読んで夜を明かそうかと思い探したが、そのような類のものは存在しないらしく、結局、バス停のベンチで仮眠をとって朝まで待った。仏のレストランは昼食、夕食と時間帯が決まっているのが当り前で、昼の二時間、夜の三時間以外は営業していないことも多く、ましてや24時間など有り得ないようだった。
旅の途中、爪が伸びて切りたくなったので、コンビニを探した。しかし、日本のように24時間、コンビニで爪切りを入手できるという環境ではまったくなかった。そもそも、24時間営業の「コンビニ」の類が存在しないようであった。
TGVでは、レンヌへ向かう途中、朝食を抜いたので、食堂車へ食糧の調達に行った。サラダセットのようなものを買って席で食べたが、私の他に誰も食べている人がいなかった。午前11時ごろの中途半端な時間だったからだろう。長距離列車の中では常に何らかの食事をしている人が目立つ日本の風景とは違うようだった。(そもそも、駅でサンドイッチなどは売っているものの、日本でいう弁当の類は見当たらなかった。色とりどりの「駅弁」は、日本固有の優れた文化なのだ!)
日本において普段、普通の人と異なる時間帯に活動(出勤、仕事、食事…)していることが多い私だからこそ余計に強く感じるのだろうが、とにかくフランスでは私のような逆転の生活スタイルは不便極まりなく、無理に近いのだ。
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時間が崩壊すると、自動的に労働が崩壊していく。サービスを提供する側の人材が必要になるからだ。日本では、多くの社員やパートタイマーが、コンビニやファミレス、果ては最近の24時間営業のスーパーなどにおいて、せっせと働いている。資本主義自由経済のなかでは、自然とそうなっていく。
しかし、フランスは年5週間のバカンスが法制化されていることからも分かる通り、労働者の権利をしっかり守る固い意志が感じられる国だ。デパートに行っても、スーパーに行っても、レジ係の人は、全員、椅子に座っていた。日本では有り得ないことだが、立ちっぱなしで仕事をさせるなどとんでもない、ということなのだろう。このような国で深夜労働をさせたりするのが難しいことは容易に想像がつく。人員の確保も難しいし、コストも高くつくだろう。
フランスが日本のような24時間社会になるとは、全く想像できないのだった。
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次に崩壊するのが、様々な景観である。街並は、パリやマルセイユの中心街は、少し飽きるくらいに、伝統的な建築様式に標準化されていた。どれも同じような建物で、道や区画とセットで見ないと区別がつかないくらいだ。建物間の狭い道などを歩いていると、地震がおきたらドミノ倒しで大変なことになりそうだと心配になってしまう。それほど、厳密に中世の街並を保存しようとしている。アルルやアヴィニョンの城塞都市も同様に、薄い黄土色の壁やオレンジのテラコッタ屋根で統一され、現代的な建築や場違いな巨大ビルなどは存在しない。もちろん、日本
のような広告や看板の類も規制されているようで、決められたスペースに目立たないように設置されているだけだった。その代わり、三メートル四方くらいの広告枠が設定されている場所があり、中でシートが代わる代わる動く仕組みになっていた。これだとストレスがない。
電車の車両内の吊り広告も基本的になく、車内はすっきりしたもので、営団地下鉄の騒々しい広告に埋もれた風景を見なれた私には、寂しい感じさえした。プラットホームの広告も、数は少なく、アーティスティックなものが眼についた。景観の点からのみ規制されているわけでもないだろうが、パリの駅は広告も洗練されていたと思う。
私の旅のスタイルは、翌日の予定は当日にならないと分からないので、ホテルが空いていないのは本当に困った。マルセイユでもパリでも、計40件は回った。仕方がないので、最後のほうは、前日に電話で予約することにした。「週末だから混んでいるのか?」と尋ねても、「関係ない、飽和状態なんだ」と。要するに需要があっても簡単には増えないようなのだ。市場原理に任せている日本なら、ボコボコと安っぽい新しいホテルが出来て、需要がなくなったらブチ壊す、ということが平気で起きる。しかし、仏ではそうはならない。自由主義市場経済よりも、伝統や社会的規制のほうが重んじられているのだ。
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こうした社会は、政府による規制が維持している面も多分にあろうが、もっと根本的なところで、国民性に根付いている「自主規制」もあるのだと思う。つまり、そこまで壊さなくていいのだ、商業主義よりも、もっと伝統的な習慣に従いましょうよ、という思想が感じられるのである。我々には、誇るべき時間の概念や生活習慣、守るべき労働の価値、誇るべき景観や街並みがあるじゃないか。米国や日本のような野放図な社会にするより、伝統のなかで生きようよ。フランスでのあらゆる体験が、私にそう言っているようだった。
市場経済は無秩序を生み、伝統を崩壊させる。フランス人が日本の雑居ビルときらびやかな看板だらけの街並を見たら、何と思うだろうか?これが資本主義市場経済の末路、慣れの果てだな、伝統は守らねばならない、と改めて考えるのではないだろうか。
確かにマルセイユの地下鉄は券売機も使いづらいし、スナックの自販機も壊れ、車両内も殺風景だった。一方、日本の地下鉄は確かにいたれりつくせりだ。液晶画面で行き先が表示され、「次は○○です」と駅名のアナウンスもしてくれる。フランス人はそれを見て何と言うだろうか。そこまではいいよ、液晶の電気を消して、環境を守ろうよ、と言う人が多いのではないか?
私が物心ついた頃には既に近所に「セブンイレブン」があり、夜でも大抵のものは手に入った。それが当り前だった。しかしフランスは、コンビニなどないのが当り前の国なのだ。都内ではコンビニが数件、徒歩圏内にあるのが当り前の日本に来たら何と言うだろうか?確かに便利だけど、そこまで便利である必要はないね、それよりも静かな中世の街並みの中で暮らしたいよ、と言うのではないか?
もはや24時間営業のファミレスはいたるところにある日本だが、フランス人はそれを求めるだろうか?そんな深夜に働くのはよくないよ、食事は朝昼晩、伝統的な時間に伝統あるマナーでとればいいじゃないか、と言うのではないか?守るべき伝統があることは羨ましいことだ。
日本は、マダガスカルやベトナムとは全く異なり、米国の占領下に置かれ大きな影響を受けた歴史を持つ国である。これが、日本社会にとって、いかに決定的に重要な意味を持っていたのかを、改めて思い知った。戦争に負ける、というのはそういうことなのである。日本は、フランスとは、全く異なる種類の社会、資本主義自由経済の極みに向かうことを、敗戦によって運命づけられた国なのだ。それは、同じ経済大国でも、社会的規制や伝統を重んじる社会民主主義の国とは、全く異なる社会なのである。だから、同じ経済大国なのに、旅をしていて、大きなカルチャーショックを受けたのだ。
マルセイユの旧港と街中を歩いて鮮烈に感じたデジャヴとカルチャーショックは、旅のあいだ中、消化されないままに私のなかを渦巻き、帰国後も思考は止まらなかった。
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