「第一印象」 プノンペン(カンボジア) '95 . 9
ホーチミンからプノンペンへは、空路、1時間半程度で着く。空から眺める広大なメコンデルタの景色に変化はないのだが、いつのまにか国境を越えるとそこでは全く別の言葉が話され、別の民族が住んでいることに、不思議さを覚える。これは、島国に住む日本人だからこそ感じてしまうのであろうか。「世界は1つ、国境は見えません」と言った宇宙飛行士・毛利さんの言葉を思い出す。
クメール語は、ミミズが這ったような文字だ。ローマ字が使われていない国もあるんだな、というごく当り前のことに驚く。世界には、ローマ字や漢字以外の文字を読んでいる人間が沢山いるのであるが、なかなか実感できる機会は少なかった。
市内に入って感じることは、端的に言って、活気のなさ、ボロさである。道路は穴だらけで、かなり広い道路でも舗装されていない所が多い。気候はベトナムと同じに感じるが、人々が着ているものも、明らかにボロくなる。子供は裸で遊び回っている光景は、ベトナムではほとんど見られなかった。人口が1千万弱とベトナムの1/7程度ということもあるが、それにしても大人しい都市である。
ベトナムと違うところは、バイクよりも車が目立つことか。というよりも、バイクが少ないといった方が妥当かもしれない。
カンボジア人は、どこか暗さがある。影がある。これは「内戦があった」という先入観によるものではなく、5感で感じたことだ。それが内戦の影響によるものなのか、それとも生来の民族性なのか。私は、両方だと思った。
まず、カンボジアは、長い内戦の結果として外国人旅行者が少なく、また現在でも外務省が観光旅行の注意喚起を行っているだけあって、観光客ズレしていない。従って、素朴で純粋なカンボジア人の民族性は際立って感じることができる。道行く人はとても親切で、道を尋ねれば大勢集まってきて、みんなで協議してくれる。ベトナムの大都市のように外国人と見るや自分から声をかけて仕事をとろうというような商売根性もない。ずるがしこさも感じない。
しかし、好感は持てるが、元気の良さは感じられない。若年人口が多い割には、町全体に明るさがなく、バイクタクシーやシクロの運転手も実に淡々としており、笑顔も見せない。これはやはり大地に染み着いた内戦の傷跡のようなものが成せる業であろう。
1975年から78年の3年間で実に国民の1/3が殺されてしまったカンボジアでは、兄弟、親戚に必ずと言っていいほどポルポトの犠牲者がいると言われ、プノンペンやシェム・リアプといった安全とされる都市にも、ライフルを持った警官があちらこちらで、ものものしく警備している。国民の10人に1人が警官ではないか、というほど、その数は多い。
小奇麗な車が通ったと思ったら、朝日新聞のマークが入った大型パジェロだった。偉そうに市内をかっ飛ばしている。
『もう、いつ事件が起きても大丈夫です』
町全体がそう言っているようであった。