「大臣」/菅直人/98年、岩波新書

◇「新人大臣の現場から」といった内容で、共感するところが多い。私が新聞業界を生々しい現場経験から批判するのと同様に、菅は厚生大臣の生々しい現場経験から政治業界を批判している。これまで良く言われていたことが、現場の実体験として明らかにされる意味は大きい。憲法、内閣法、国家行政組織法など法律面から現状の問題点を探っており、政治家諸氏の必読書である。官僚の政策判断のミスを処分できない現状を問題視し、「権限のあった人間に、個人として責任をとらせるシステム」として、具体的に副大臣制などを提唱している。私は、本書の内容については、異論がほとんどないくらいに考えが近い。ただ、カイワレ犯人の発表に関しては、管も認めるように、マスコミと菅の双方に問題があった。発表すること自体は正しいが、マスコミは単純なので、菅は報道の影響をもっと考え、業界全体への影響と懸念を強調する発表の仕方をとるべきだった。

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「すべての書類に全員の署名が終った頃、官房長官が『これで閣議を終ります』と宣言して閣議が終了する。日によって若干の違いはあるが、この間、十分から長くても十五分。これが、閣議のすべてである。…閣議には議事録はない。…翌日の新聞を見て初めて『昨日の閣議でこんなことが決ったのか』と知ることもあった。そのなかには、この法案は問題があると思っていたものもあった。…このようなサイン会だけの閣議と、その後の閣僚懇談会という『二部構成』になったんは、細川内閣からだという。…問題なのは、閣議が、現在のシステムでは各役所から上がってきたものを了承する場でしかない点だ。…ボトムアップのすべてが悪いというのではない。それはそれであってもいいが、閣議から役所におりていく、いわゆるトップダウンのものもあっていいはずだ。」

「事務次官会議は閣議の前日に開かれている。月曜日と木曜日だ。各省庁の事務次官と事務の内閣官房副長官(つまり全員官僚である)が出席している。この事務次官会議には法的根拠は何もない。慣例で開かれているにすぎない。…現実には、事務次官会議が国の行政の最高意志決定機関となっている。それは、事務次官会議で全員一致で賛成したものしか、次の日の閣議に上げられることはないからだ。戦後、事務次官会議を経ないで閣議にかけられた内閣提出の法案は1つもない。」

「閣議はすべての閣僚の任免権をもつ総理大臣が主宰するもので、閣議決定で総理大臣の判断が優先するのは当然で、全会一致であるかどうかは、あまり意味がない。…すべての事務次官が拒否権を持っているのが、いまの事務次官会議のやり方なのだ。このため、国益よりも省益を優先し、官僚が自分の省の利益に反することは、閣議にかける前につぶせることになっている。」

「閣議を実質的議論の場とし、必要なら何時間でも論じあえばいいのである。閣議にかける案件について何らかの事前調整が必要なら、閣議の中に小委員会を設けるなり、政務次官会議を活用することも考えられる。」

「高野孟氏からは、反対だとのFAXが届いた。彼はその後の民主党結党時にブレーンとして活動してくれたが、それでもわかるように、鳩山さんが進めていた新党づくりにかなり関与していた。」

「私は、組閣当日の記者会見は廃止したほうがいいと思う。」

「大臣に就任すると、待ちかねていたかのように、『大臣レク』というものが始る。…厚生省には9つの局と大臣官房があるのだが、それぞれの局が現在抱えている問題についての説明が、官僚たちからなされる。そして『この件については、こういう方針になっています』『だから、大臣もマスコミから質問されたら、こう答えて下さい』と、官僚が決めている方針について、ひたすら説明しまくるのだ。私のほうが、『いや、それは違うのではないか』とでも言おうものなら、その何倍もの言葉で説得にかかる。なにしろ、官僚たちは大臣室の大きなテーブルに30人近くがズラリと並んでいる。それに対して私は1人だけだ。」

「薬害エイズ事件についての調査班ができることが決ってから2日後の25日、事務次官位下の調査班のメンバーを大臣室に集めた。メンバーはおもに大臣官房と薬務局に所属している課長補佐クラスの者を中心とした11人の体制で、1カ月をめどにして、彼らには調査に専念してもらうことにした。」

「なぜ発表を急いだかというと、私のところに資料発見の知らせがきたのが金曜日だったからだ。というのは、この件に限らず、官僚は重要な案件については金曜日に持ってくるという習性があるのだ。…あのとき私が資料をよく調べてから発表しようとして、持って帰ったとすると、発表は早くて月曜日になる。そうすると、3日間とはいえ、私も資料発見を国民にたいして隠していたことになる。…官僚は、私を1種の共犯関係にするために、わざと金曜日を選んだのではないか。」

「国会の会期中であれば、国会議員は国政に関することならば、自分が所属している委員会の範囲にとどまらず、政府に対して文書の形で質問ができる。その質問は衆議院議長(参議院の場合は、参議院議長)の名前で内閣に対して送られ、受取った内閣はやはり文書で7日以内に回答しなければならない。この回答は閣議を通さなければならず、政府の公式見解として残るものだ。…この質問主意書という制度だったのだ。これがあれば、無所属でも国会で活動できる、と私は確信し、選挙中に『無所属ではなにもできない』という声に反論した。」

「カイワレダイコンのことを発表するかどうかについては、省内でもいろいろな意見があった。私は橋本総理とも連絡した上で、省内の合意も得て、最終的には私自身の判断で発表することにした。…現実に数千人の規模で患者が出ており、その感染源の可能性がきわめて高いと思われるものがあるのなら、これは発表すべきだ。薬害エイズ事件を振返ってみれば、非加熱製剤が危険だと分った時点でそれを発表していれば、被害はかなりくい止められた。…ところがこれを発表するとマスコミ報道は加熱し、夕刊1面トップで扱うし、テレビニュースも『カイワレが感染源』と報じる。…こちらの発表のしかたにも問題があったのかもしれないが、私の意図とは異なる方向に世論は動いてしまった。…私としてはあの段階でカイワレダイコンが感染源の疑いがあると発表したことは、間違っていなかったと今でも考えている。」

「内閣法4条Bには『各大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる。』とあった。つまり、実際にやれたかどうかは別として、厚生大臣である私が、たとえば都市計画法改正案というものを作り、閣議に諮ってくれと総理大臣に提出することは、法律上は可能だったのである。」

「原告は薬害に苦しみ次々と亡くなっている被害者であるのに対し、被告として直接対応するのは、2年程度で次々と交代する厚生省の官僚である。薬の許可にかかわる資料は厚生省以外ではほとんど入手不可能なのに、それも出さない。それでも証拠に基づく『公正な裁判』を何年も何十年もかけてやっている。これではとても国民主権のもとでの裁判とは言えない。法のもとの平等とは、形式ではなく、実質的に弱い立場の被害者が早急に救済されるものでなくては意味がない。薬害エイズ事件のように、明らかに役所が間違ったと分る場合は、閣議で大臣たちが論じ合って決めればいいのである。」

「大臣が謝罪するときは、財政的処置も含め、その後の国としての責任の取り方までを含めて考えたうえでなければ、意味がないのである。」

「どうして、このように『個人』ではなく『役職』しかないシステムになっているのかというと、官僚たちは『行政の継続性を担保するため』だという。担当者が代るたびに判断が変り『あれは前任者の時の話で、今は違います』となっては困るだろう、というわけだ。この理由で個人の責任を逃れようともしているわけだが、そもそも『行政の継続性』そのものが、さまざまな問題を生んでもいるのだ。政治家も含め、過去にしたことについては、権限のあった人間に、個人として責任をとらせるシステムが必要だ。いまは、すべて匿名性の行政判断になっている。」

「政治家が『トップダウンでやる』と言うと、独裁につながるという批判の声をよく聞く。しかし、私は誤解を恐れずにあえて言えば、民主主義というのは『交代可能な独裁』だと考えている。」

「大臣に『救助犬を大至急入国させたいのですが、検疫の問題があって困っています』と相談すれば、政治家ならば『私が責任を持つ。すぐに連れてきてもらえ』と言い、大臣同士ですぐに話をまとめたのではないか。だが、すべて役所のなかでは省内、あるいは省庁間での調整が済んだものしか、上に上げてこない。現場で、いま困っていること、判断できないこと、調整していること、については大臣はまったく知ることができない。霞ヶ関の大臣室にいたのでは何も分らないのだ。人事についても同じだった。多田事務次官が退任することになり、後任人事を決めなければならなくなった。結果として岡光序治保険局長を次官に任命するわけだが、このとき、大臣に上がってきた『事務次官候補者リスト』には、彼の名前しかなかったのだ。つまり、大臣である私には選択肢はなかった。」

「大臣は国民の代表である。その大臣に役所の人事権を行使させないということは、国民が役所の人事を何もコントロールできないことを意味する。憲法15条@には、『公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。』と明確に書いてある。この憲法の精神を担保し具体的に制度化するために、大臣に人事権が与えられているはずだ。」

「現行の制度で、大臣が唯一、外部から連れて来ることのできる政治任用ポストは政務の秘書官1人だけだ。そこで、各省に副大臣として与党の議員を5人程度、配置する。これは、今の各省に1人ずつの政務次官を増員すればいい。名称は副大臣でも政務次官でもかまわないが、これまでの政務次官のイメージがあまりにも軽いものなので、名前も変えた方がいいかもしれない。それに加えて、大臣に、従来の秘書官に代って補佐官を数名付ける。補佐官は民間人からの採用を原則とすればよい。このようにして、大臣が自分で選んだ10人程度のスタッフを連れて、チームとして役所に入れれば、かなり変るはずだ。」

「イギリスでは、…副大臣が百人近くおり、『院内政党幹事』という日本の国会対策委員のようなポストまでもが政府の役職として扱われる。このようにして、与党議員の半数近くが、政府の役職に就き、まさに『与党=政府』として一体となり、政権を運営しているのである。国会においても、日本とは違って、官僚たちが政府委員として出席し大臣に代って答弁することはない。日本の政府委員制度は廃止し、国会では与野党の政治家同士が政策論争をする場に変えていくべきである。」

「『議員のときはズバズバと物事を断定的に発言していたのに、大臣になるとみんなあいまいなことしか言わなくなる』と、評論家、ジャーナリストたちから、政治家はよく批判される。だが、実際に大臣をやってみて、自分の考えや政策を言うのは簡単なのだが、できもしないことを『やりたい』『そうすべきだと思う』というのは、かえって無責任になるな、ということも実感した。その例の1つが天下り禁止の問題だった。」

「役所のなかで大臣が日常的に接しているのは、事務の秘書官と政務の秘書官、そして大臣室の四人の職員(男女二人ずつで、大臣の省内での日程の調整や日常的な雑務までこなしている)となる。官僚の中では、事務次官と官房長が、いわば直属の部下ということになり、必要に応じて担当の局長も呼ぶことになる。そのような中で、最も疎遠な存在が、実は政務次官なのである。…政務次官というポストは、国家行政組織法によれば事務次官よりも強い権限を持っている。…政務次官は大臣の職務の『代行』ができるが、事務次官はできない。…現状はどうか。大臣が出られない会合などに出席し、挨拶文を読むことだけにおいて、大臣の『職務の代行』をしているにすぎない。あっても無くても同じなので、『盲腸』と呼ばれることも多い。しかし、それでいいわけがない。そもそも、国家行政組織法には『政務次官の任免は、その機関の長たる大臣の申出により、内閣においてこれを行う。』とある(一七条D)。しかし自民党単独政権時代からの慣例で、政務次官の人事は与党内の相談だけで、事実上、大臣の意向とは関係なく決められてしまう。…自民党においては、政務次官を経験することが、その役所の関連する業界と親しくなるきっかけとなり、利権構造に一歩、踏込むことになる。いわゆる族議員としてのスタートだ。」

「次官と同様に、政務と事務の二人体制になっているのが、秘書官である。これは、『秘書』とは異なる。国家行政組織法で決められている、重要なポストが『秘書官』なのだ。このうち、政務の秘書官は、今のところ、大臣がまったく外部の民間人を役所内に連れてくることのできる、唯一の政治任用ポストである。…特別国家公務員として、もちろん国から給与も出る。ただし、大臣が辞めれば、自動的に失業することになり、失業保険は出ないから、不安定といえば不安定な仕事だ。…もう一人の『事務の秘書官』と一般には呼ばれている秘書官は、実は国家行政組織法のうえでは存在しないもので、人事の上では『秘書官事務取扱』という立場になる。つまり特別職の秘書官ではないが、一般職の職員の一人を秘書官として扱う、というものだ。この事務の秘書官は官僚ポストであり、いわゆるキャリア官僚で、だいたい四〇才前後の課長か課長になる寸前の課長補佐クラスが就く。」

「ともあれ、国務大臣全員には、一人ずつの秘書官がつき、総理には三人、ということである。この総理秘書官も政治任用ポストだから、基本的には三人全員を外部から連れてきてもかまわないはずなのだが、ほとんどが一人だけ自分のこれまでの秘書を秘書官にし、あとは役所から出向してくる官僚を任命し、実際には五人の秘書を秘書官の体制を組んでいるようだ(二人は、大臣の事務の秘書官のように、『秘書官事務取扱』という立場である)。橋本総理のように、政務の秘書官にも官僚を用い、五人全員役所から官僚を出向させている総理もいる。総理大臣には、このほかに『内閣総理大臣補佐官』が三人以内、任命できる。これも、政治任用ポストである。この総理補佐官は、細川内閣のときに田中秀征氏が就いたのが最初だったが、そのときはまだ法制化されたものではなかった。」