「フランス人考」 ハノイ(ベトナム) '95 . 8
ベトナムには、カフェ主催のツアーというのがある。ほとんどが、急増する旅行者、それもバックパッカーに対応した安いツアーだ。日帰りだったら4〜8ドルといったところで、便利なので私も3回ほど参加した。
ベトナムにはフランス人旅行者が多い。私の見た印象では、外国人旅行者の半数くらいを占めている。旧宗主国であるから当然といえば当然だ。フランス統治時代の置土産はベトナムにかなり残っており、コーヒーメーカーはアルミ製のフランス式だし、フランスパンも道端で売っている。年配の人は仏語を話せる人もいる。
1泊2日のハロン湾ツアーに参加した時のことだ。途中、バスが故障して5時間も田んぼの真ん中で待たされた。ただでさえ道悪の中、ポンコツバスを無理やり飛ばしているのだ。故障するのは時間の問題だとは思っていたので、さすがに私も『なんて無能な奴らだ』と頭に来たが、途中、横転したバスや民家に突っ込んだばかりの大型トラックを見て、ただの故障で良かったな、と胸を撫で下ろしたものだ。
途中、数年前までは地元江戸川区の近くで活躍していたであろう、「香取幼稚園」と車体に書いてあるバスが目の前を走るのを見るにつけ、あれの方がましだ、と思ったりする。
結局、新たなバスを呼んでそれに乗り換えて目的地を目指すことになったのだが、そこに至る過程がまた手際が悪く、エンジンオイルを何度となく入れてみたり、水を入れてみたりと、イライラさせる。当然のごとく乗客はかなり苛立っていた。5時間も待たされているのだ。
15人の客のうち、アジア系は私1人。半数以上はフランス人で、残りをスウェーデン人、ドイツ人、アメリカ人などが占める。
人間の本質は、非常事態の時に現れるものだ。フランス人は欧米人の中でも一際目立っていた。「こんなに遅れているんだからツアー代を返せ」「1日ツアーを延ばせ」などはまだわかるのだが、バスが走り出すと、「おまえはクレイジーだ、もっとゆっくり走れ」、現地に着けば、「昼飯がまずかったから、夜は他で食わせろ」と言い出したり、しまいには「おれはベジタリアンだから食事を分けろ」などと、自国の風習を勝手に持ち込む。
翌朝の集合時間にも仏人だけ仲良く遅れてくる。時間にルーズだ。私が以前にアメリカを旅した時も同様だった。フランス人は、ユースホステルの中でもかたまるくせがあり、決まってうるさいのだ。ドミトリーなんだから周りのことも考えろ、と言いたくなったのを覚えている。とにかく自己主張が激しいというか、変に自我が確立している。公共の場での行動がセルフィッシュなのだ。勘違いした個人主義にしか見えないのである。
欧米人バックパッカー像は、30歳前後の社会人で、夫婦または女性2人組というケースが多く、8割方がこれに当てはまる。社会に出てからも長期休暇をとれる欧米では、金のない学生時代よりも社会人になってから金をためて来るのだ。そうかといって若いうちはチープな旅をせざるを得ず、バックパッカーというスタイルになる。
従って、私のような学生や個人旅行者は少なく、やりにくいのであるが、個人旅行者も1人だけいた。
彼の名はCHRISTORHE。1人で世界を旅するバックパッカーである。年の瀬は30代後半といったところか。バックパックからして年期が入っており、ひどく汚れている。黒いジーパンに濃い色の服と、汚れが目立たないというバックパッカーの鉄則を忠実に守っていた。
クリストフは、普段はホテルのマネージャーをしており、フランス以外の国のホテル経営を指導する仕事をしているのだが、今は5ヵ月間もの休みをとり、世界中を旅していた。欧米人は長いバケーション
「これはVacationでは、断じてない。Travelなんだ。」
妙に説得力があった。彼にとってこの2つは明確に区別されるべき言葉であり、信念が感じられた。そこには、他のフランス人とは明らかに一線を画すものがあった。
バケーション組が多数派を占める中で、1人旅を人生修行の一貫と思っていた私には、心強い友ができた。クリストフは日本も旅していて、東京、福岡、広島など、私よりも多くの都市のことを知っているくらいだ。
彼の東京の印象は、"Retressing city"。心から同感である。
ハロン湾は、ベトナムきっての景勝地。延々と続く切り立った小さな山々は幻想的であり、その間を、船でクルーズした。勿論、朝食はフランスパンだ。途中、洞窟をくぐると湖に入れるところがあり、高さの小さい船に乗り換えるところがあった。船の使用料が1人あたり1万ドン(1ドル弱)だという。
ここでまたフランス人が主張し始めた。今度は20代後半とおぼしき女性である。 「1万ドンなんてばかげているわ!私たちは5千ドンしか払わないわよ!5千ドンにして利益を得るか、1万ドンのままで何も得ないか、どちらか選びなさい!」
5分くらい交渉が続いた後、結局、向こうが折れて、5千ドンになった。
外国に来て、たかが50円を値切るのに、よくもここまでどうどうと主張できるものだ。感心してしまう。日本人には絶対できないことであろう。
フランスといえば、タイムリーな話題が1つある。クルーズ中で、場所柄とてもいい質問ではないことは承知の上で、クリストフにだけ聞いてみた。どうしても聞いてみたかった。勿論、核実験についてである。
「スチューピッドだ。この軍縮の時代に馬鹿げている。ミリタリーロビーに負けているんだ。仏は中国のような一党独裁の国とは訳が違う。仏は民主国家であり、国民が選んだ大統領によって行われようとしているのが問題だ」
彼は良識派なんだろう。しかし、ル・モンド紙の世論調査でも6割以上が反対しており賛成派は17%に過ぎなかった。それでも核実験が行われることに注目したい。
これは要するに、自分が良ければいいというセルフィッシュな民族であることを象徴しているように思う。ミッテランの隠し子が見つかったことがあったが、マスコミは騒がなかった。国民に関心がなく、騒いでもペイしないからだろう。大統領は他人なのであり、自分の利益が守れさえすれば関係ないのである。今回の実験もフランス国土から遠く離れた南太平洋という「他人の庭」だから、関係ないというわけだ。
これをフランス革命以来の伝統として見るならば、自由も平等も博愛も、全て「仏人のための」という冠詞付であり、それは現代社会の所々に浮き出る近代西欧の歪みを象徴しているのではないか。西欧近代からのパラダイムシフトが議論される現代において、時代遅れの感は否めない。
クリストフは私がこれから行くカンボジアに行ったばかりだったので、いい安宿から交通手段、料金の相場など、生の情報を細かく教えてくれた。筋金入りのバックパッカーだけあって、旅人の機微を心得ている。本当に助かった。旅の魅力はこういった心のふれあいにある。
彼に関しては、無冠詞の博愛の精神を感じることができたが、少なくともツアーで出会ったフランス人たちは、自分勝手な自由を求めすぎていた。
彼等に是非とも確認して貰いたい、基本的な原則がある。
「個人の自由も次の点では制限されねばならない。つまりかれは、他の人たちに対して厄介なものになってはならない」(J・S・ミル)
※これはあくまで、私が見てきた限りにおけるフランス人について述べたもの。私はこの時点ではフランス本国に行ったことがないので、対象はどうしても旅行者に限られる。
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