新聞社従業員による訴訟の判例とにかく判例は少ない。表面化しないままに泣き寝入りするケースがほとんどのようである。
【新聞記者が所属する会社と争った訴訟例】
2000/02/18 最高裁第2小法廷(河合伸一裁判長)にて敗訴確定
被告:時事通信社(村上政敏社長)
原告:元記者の山口俊明さん(57)
主張:約1ヶ月の夏休みを取ったことを理由に懲戒解雇処分を行うのは無効。
解雇無効の確認と未払い給料分として一カ月当たり約六十三万円の支払いを求める。
判決:一審で敗訴。高裁も東京地裁判決を支持、新村正人裁判長は「業務命令に違反して出社しなかった
ことは悪質」「夏休み期間の変更は会社の裁量の範囲内だった」として、山口さんの控訴を棄却し
た。最高裁も東京高裁判決を支持し、原告の上告を棄却。原告の敗訴確定。
詳細:山口元記者は92年夏に、80年夏に続いて会社側の業務命令を無視して連続一カ月の休暇をとっ
たことなどを理由に、懲戒解雇処分(92年9月9日付)となった。同社は山口記者に「退職届を出せ
ば、処分は発令しない」としていたが、山口記者は応じなかった。
1999/10/29 東京高裁(鬼頭季郎裁判長)にて勝訴確定
被告:岳南朝日(富士宮市、深沢健吾社長)
原告:元記者、及びその遺族
主張:労働組合の結成後、経歴詐称や勤務成績不良などを理由に解雇されたのは無効
判決:約千五百万円の支払いを命じた遺族側勝訴の一審判決を支持し、控訴を棄却
詳細:元記者の矢崎忠さんは平成六年三月の労組結成で組合役員になった後、配置転換され、同年九月に
経歴詐称などを理由に解雇された。矢崎さんは提訴後の八年十一月に五十五歳で死亡し、妻の博子
さんら遺族が訴訟を引き継いでいた。一審では、矢崎さんが履歴書に定時制高校卒業と明記せず専
門学校中退を卒業と記載したことなどについて「採用時に全日制高校卒業や専門学校卒業などを条
件にしていたわけではない」とし、記事の出稿量などが少ないという被告の主張についても「基礎
資料の分析の根拠が明らかでない」などとして退けた。
1998/07/17 最高裁第2小法廷(大西勝也裁判長)にて敗訴確定
被告:時事通信社
原告:現役記者だった山口俊明さん(55)
主張:勤務先の命令に従わず連続1カ月の夏休みを取り、懲戒処分(けん責)を受けたのは無効。
処分取り消しと約75万円の慰謝料支払いを求める。
判決:1審は会社側が勝訴したが、東京高裁は1988年、処分を無効として16万円余の支払いを会社側に
命じる逆転の判決を言い渡したが、92年に最高裁第3小法廷(坂上寿夫裁判長)が高裁判決を破
棄、審理を差し戻した。差し戻し審の東京高裁判決では原告が敗訴し、最高裁も差し戻し審を支
持、山口さんの上告を退けた。
詳細:山口さんは1980年、欧州原発問題の視察、取材のため32日間の休暇届を会社に提出。会社側は
15日間の休暇を認めたが、残る17日間は「業務に支障が出る」として時期変更を命じた。山
口さんは無視して休暇を取り、けん責処分を受けた。裁判では、「有給休暇を与えることが事業の
正常な運営を妨げる場合には、使用者はその時季を変更できる」とする労働基準法に定められた時
季変更権行使の当否が争点になった。
1993/11/02 東京地裁(菅原雄二裁判長)にて和解(11/2までに成立)
被告:時事通信社
原告:現役記者の尾野村祐治さん(47)
主張:「皮膚病を理由に会社の幹部から『外勤職場で働くのは好ましくない』などと言われたのは名誉棄
損」と91年5月20日、会社と労務担当取締役を相手に五百九十九万円の慰謝料を求め、提訴。
判決:和解成立。解決金三十五万円の支払いと記者への謝罪、病気を理由に社員を差別しないことの三点
で合意。
詳細:尋常性乾せんにかかっていた尾野村記者は、一九九一年に「資料室」への異動内示を受け、三月四
日の労使交渉でその理由をたずねた際、労務担当取締役が「皮膚病では記者活動は好ましくな
い」と答えた。非伝染性の皮膚病(尋常性乾癬=かんせん)は十八年前からで、記者活動に支障は
なく、取締役の発言で精神的苦痛を受けたと主張。会社は、数日後には発言を取り消し、原告の異
動も見送った。
1965/5/31 広島高裁岡山支部にて勝訴確定
被告:山陽新聞社
原告:元従業員
主張:解雇の無効確認
判決:一審勝訴、広島高裁は被告の控訴を棄却。
詳細:@報道機関において会社の信用を害する内容のビラを配布してもその内容が労使関係に関し真実を
伝える限り正当な組合活動といえるA解雇が協約の人事承認条項に違反して無効である、とされ
た。「企業が公共的性格をもつ場合にはその営業方針は直接・間接に国民生活に影響を与えるもの
であり、その企業内事情を暴露することは公益に関する行為として、それが真実に基づくかぎり企
業はこれを受忍すべきである」と判示されている。
【新聞社の従業員による訴訟】
2001/01/24 東京高裁(森脇勝裁判長)にて勝訴確定
被告:水戸労働基準監督署
原告:出版センター主任(当時38歳)の妻(47)
主張:遺族補償給付金などを不支給とした処分の取り消しを求めた
判決:1999年3月に一審で勝訴。2001年1月、東京高裁も一審判決を支持、控訴棄却。
詳細:主任は、出版部門の中心的役割を担い、死亡する二カ月ほど前には八十三日間休みがないなど、過
密労働を続けていた。高血圧症の持病があり、通院治療を受けていたが、一九八八年二月、脳出血
のため死亡。遺族が翌年、水戸労働基準監督署に遺族補償の支給を申請したが認められず、この処
分の取り消しを求めて九五年二月に水戸地裁へ提訴。一昨年三月に勝訴し、これを不服として、水
戸労基署が控訴した。
【新聞社を相手取った訴訟】
1999/03/25 福岡高裁(下方元子裁判長)にて敗訴確定
被告:日本経済新聞社と雲仙丸善タクシー(長崎県島原市)
原告:タクシー運転手、小林操さん(当時48)の妻子ら遺族四人
主張:「危険な場所だと知りながら現場に同行させたのは安全配慮義務に違反している」総額約六千四百
万円の損害賠償を請求。
判決:遺族側の請求を退けた一審判決を支持、遺族側の控訴を棄却。
詳細:日経新聞東京本社写真部の黒田耕一記者(当時34、同日の大火砕流で死亡)を客として乗せ、同
記者の指示に従って普賢岳の火山活動取材に同行。同日午後四時ごろ、取材現場で大火砕流に巻き
込まれて焼死した。原告側は「事実上取材チームの一員として扱われていたのに、補償額が低すぎ
る」と、日経からの見舞金が部員の半分以下であることや、タクシー会社が労災以外の補償をしな
いことを挙げた。
【新聞社の元社員による訴訟】
1998/07/17 最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)にて敗訴確定
被告:文芸春秋社と評論執筆者の元東京学芸大助教授・殿岡昭郎氏ら三人
原告:本多勝一(朝日新聞編集委員)
主張:雑誌「諸君!」1981年5月号に曲解に基づく評論を掲載されたとして、計二千二百万円の損害賠
償と本多氏側の反論文、文春側の謝罪文の掲載を請求。
判決: 一、二審判決を支持し、原告側の上告を棄却する判決を言い渡した。
詳細:裁判では、評論を執筆する際に本多氏の著作を引用したことの是非が主な争点となった。判決理由
で東京高裁の丹宗朝子裁判長は、「評論の前提として他人の著作物を引用する場合、公正な慣行に
合った正当な引用であれば、その形式などは評論する側の判断にゆだねられる」と指摘。「引用の
許される基準を余りに厳格にすると、評論の自由が事実上制約される。引用の一部が元の著作と
違っていても、全体的な趣旨から逸脱していないなら許される」と、緩やかな基準を示した。