数字は嘘をつく
閉鎖された頁(当時のまま再掲)
  →TOP PAGEへ



ベンチャー記者の現場から(28)             <92>
「組織と人生地図ー2」

「30までは何でもできると思っている。ところが30過ぎると自分に可能なことが、地図のようにはっきり見えてくるんですよ」とは、小沢征爾の弁。

 沢木耕太郎が、それに対して以下のように述べている。(1980年)
「6、7年前といえば、小沢征爾が37、8、私が25、6のころである。20代の私には、やはりすべてが可能だという幻想があった。地図が見える未来がやってくるなどということを信じてはいなかった。そして、いま、私も30を過ぎて、小沢征爾の言葉の意味がある生々しさをともないつつ明確になっていくような気がしてならないのだ。彼が『青春』を通過した時、彼の前に地図が浮かんでくる。いや、地図が見えてきた時、彼の『青春』が終わる。そうなのかも知れない。(中略)それにしても、脳裏に浮かぶ地図を、どうしたら燃やし尽くせるのだろう。」

 私も30が見える歳になり、体力・精神力の衰えも感じるようになった。仕事に時間をとられ、それ以外に何かしようと頭では考えても、体を動かさないままいつのまにか仕事の時間になっている。

 人生は、仕事も遊びも結婚も、必ず年齢的な限界があり、すべては、それとの兼ね合いで考えねばならない。それはまるで、財政との兼ね合いを無視してはどれほど優れた省庁ごとの個別政策も意味をなさないことと、同じである。そんな当たり前のことを実感しては、考えあぐねる毎日だ。 

 問題は、やりたいことをどうやって実現させていくかにある。それが、終身雇用や安定高収入、表面だけの社会的地位であるならば、それに日経ほど適した組織はない。問題となるのは、何万人分の一という無名の記者で一生を終えるのではなく、それを超えて何かをやるために、組織とどうつきあうかだ。

 本多勝一と辺見庸は、組織を最大限に利用した好例である。本多がエスキモー企画で海外取材するチャンスを得たのは、学生の大遭難事故で全員死んだことをスクープしたからだし、辺見は新聞協会賞と芥川賞で「もの食う人々」の取材をするチャンスをもぎ取った。企業のカネで行くわけだから、失敗は上司の責任問題となる。従って、その時の言い訳として、誰もが納得する「実績」や「権威」が必要なのだ。

 一方で、沢木耕太郎と落合信彦は全くの逆を歩んだ。両者とも入社した日が退社した日。類稀なる才能を持ち合わせた両者にとって、組織など邪魔な足かせとなるだけだったのだろう。そんな両者には、組織に代わるキーパーソンがいる。沢木の場合は、雑誌の編集長を紹介してくれた大学教授、落合の場合は、オイルビジネスを一緒にやろうと誘った友人である。結局、人脈を築く個人的魅力にかかっていると言えるかもしれない。
 
   ◇ ◇ ◇ 
 組織の一員として自分を開花させる方策をとる時の問題は、やりたくないことに、どこまで耐えるかだ。本多、辺見ともに、現在の新聞のあり方に強い不満を持つ。本多は「無意味な報道、いや有害な報道が多い」とし、辺見は「日本の新聞紙面は、ほとんど一次元的に意味を付与された虚構に覆われており、それらは上等でおもしろい嘘ですらない」など、ひどく批判的だ。

 ただ、それに所属することに耐え、時にはいやなことをやらされても、表立って所属する組織を批判することを避け、組織との折り合いをつけてきた。もちろん、両者ともサツ回りからスタートし、サツ回りには批判的。(サツ回りなど好き好んでやる人間は名を残すジャーナリストにはなれないことが、よくわかる)

 もちろん、「何の興味も持てないテーマでも、命令となればやらなければならない。そういうのがたまらなかったんですね」と退社の弁を書いて辞めてしまう立花のような自信と勇気があるなら良いが、超天才でない限りなかなかできるものではない。

 本多は、入社四年目から海外で好きな取材を始める幸運に恵まれたから良いが、辺見が「自動起床装置」で芥川賞をとったのは、47歳。実に入社20年以上を費やし、「もの食う人々」の取材が認められたのはその後だ。それまでの時間は損失なのか、有意義なものだったか。
 余計なお世話かも知れないが、彼は「能ある鷹が爪を隠しつつ」やるせない日々を送っていたかもしれない。彼の著書には、共同通信の主たる仕事である「速報」を誇る文章は全く見あたらない一方、「表面だけ伝えその裏にあることを伝えない」など、報道手法に対する批判は多い。組織を早く出て集中執筆していれば、或いはもっと早く才能を開花させたかもしれない。96年12月退社したが「もっと若かったら」と思っていないだろうか。それとも愛社精神の強い早稲田出身者なので、それが当然の生き方だったのだろうか。

 ただ、辺見が、十分な成功者の一人であることに変わりはない。問題は、こうした成功者の裏に、幾多の潰された人材が潜んでいることにある。立花のような超天才でない限り、常に組織との折り合いに悩みつつ、運を天に任せ、チャンスを狙いつづけることにならざるを得ない。だが、そこで組織との関係の問題を思考停止しては、組織に潰されることになりかねないのだ。

  ◇ ◇ ◇
 そこで、最も重要となるのが、自分の描こうとする人生地図において、組織とつきあう損益分岐点が、どこにあるのかを分析することだ。総コストは、「体力」、「精神力」、「時間」、「機会コスト」(会社にいない場合に何かを為しうるチャンス)など。総利益は、キャリア(取材力、文章力、知識など)やカネ、肩書きなどである。

 日本を担う人材にならんと考えた時、どこに損益分岐点はあるか。トライせずに不惑の年を迎えたら、惑わずにはいられないだろう。後悔は目に見えている。人生の夢や可能性を捨てることほど「損」なことはない。

 私の場合、現在の日経を分析する限り、やはり30前に確実に訪れるだろう。分岐点は「自分に可能なことが、地図のようにはっきり見えてきてしまう」前にあるはずなのだ。ただ、忙しさにかまけて日々が過ぎていくことに、恐怖感を覚えずにはいられない。(敬称略)