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幻の新聞構想
 朝日のスター記者だった本多氏は、「朝日ジャーナル」最終号に「ジャーナリスト党宣言」と題してジャーナリズム志向の新しい新聞を創刊する構想を公表した。だが、10数年を経た現在、「週刊金曜日」という別の形では実現したものの、新聞のほうは今に至っても進展を見ない。今思えば、朝日ジャーナルの廃刊と併せ、当時がジャーナリズム衰退のターニングポイントだったのかも知れない。本多氏は現在でも考えを変えることなく、「金曜日」上で、若者に夢を託す文章を載せている。期待に応える勇者と資本家の出現を、私も強く望んでいる。

(以下、本多勝一著「滅び行くジャーナリズム」より引用)


 いま同志たちとともに叩き台をつくっている新しい日刊紙の、ごくおおざっぱな輪郭はつぎのとおりである。

1 いわば高質紙(クオリティー=ペーパー)として週に5日発行。夕刊なし。休刊は日・月の2日。ブランケット判(現行の一般紙と同じ)で当面は12ページだて。

2 土曜または日曜に特別版(いわゆる日曜版に相当)を発行するが、これは従来の常識的日曜版とは全く異なり、総合雑誌や週刊ニュース雑誌の役割を果たすほか、重要な記録を網羅的に収録し、当面は30〜50ページだて。

3 原則として宅配を考える。したがって創刊段階で宅配可能な地域以外は当面郵送となる。

4 経営の独立維持のため一種の会員制とし、創刊時の全読者に株主になっていただく。1株5万円(商法第166条の2による)とし、創刊時読者(株主)は半年間の購読料を無料に。読者(株主)数を5万人確保できた時点で創刊開始とする。影響力を持つメディアとしての安定部数の目標は30万部。一定限度内で多数の株を1人が持つことも可能なので、5万人は5万部に相当するが、株数はもっと多くなって約30億円の見込み。利潤があれば株主の購読料を半年単位で値下げしてゆく。

5 一般紙面の編集方針は、一切のタブーを排するために結果として政党的中立となる。「中立」はしたがって、現行マスメディアのような消極的(いわゆる『左』『右』を排除した)中立ではなく、積極的(それらをとりこんだ)中立となろう。日本の宿阿となった官僚主義(官権)との対決をはじめ、特に環境問題と人権問題を重視する。関連して裁判批判にも重点をおく。

6 一般の雑報ニュースは通信社のものを全面的に採用し、自社のスタッフ記者は全員が独自の署名記事だけを書く。したがって雑報を争う記者は必要とせず、たとえば『朝日新聞』でいうなら編集委員クラスだけによる少数精鋭主義をとる。大学新卒の記者は当面採用せず、実績ある中堅以上のジャーナリスト集団とする。

7 紙面整理には、たとえば現行新聞のようなページごとの独立制をやめて外国紙のように『〇〇ページにつづく』方式を採用するなど大幅な改革をすすめ、『社会部』『政治部』といったセクショナリズムを制度的に廃する。

8 電波メディアはもちろん、活字メディアにしても、他の新聞・雑誌が報じた重要な特ダネは『〇〇新聞によると』として紹介し、記録を重視する。

9 フリーのライター・写真家・知識人に多くの紙面を提供し、また稿料を高額にしてすぐれたフリーを育てる。

10 外国情報に力を入れ、アジアを始め第3世界の声を重視して、それぞれの専門家などにほぼ定期的に寄稿していただく。

11 音楽・演劇・絵画・ルポルタージュそのほか広範囲の文化を重視、旧来の小説偏重を是正してゆく。

12 各種の市民運動やネットワークを重視し、その情報・動向・交流等をきめこまかく報ずる。外国の市民運動やNGO活動の類も広く伝える。

13 テレビ・ラジオ欄は、単なる番組紹介にとどまらず、批判的視点を大幅にとり入れてゆく。一般にメディア批判や『ニュースの裏側』的記事を重視する。スポーツ関係も同様。

14 マスメディアにおける反論権の確立をめざすべく、反論文の掲載を重視するほか論争を慫慂し、盛んにする。本紙の記事や評論に対する反論・再反論等はもちろん、他紙誌によって捏造・改竄・プライバシー侵害等による被害を受けた側に対しても、正当な反論であれば紙面を提供して『マスコミ公害』と戦う。

15 日曜版(または土曜版)には、長編ルポ・長編論文のほか、講演・講義でも重要なものは収録する。書評も重視して、ときには一冊の本に全ページをついやすような論評も掲載し、稿料も相応に高額にする。

16 スタッフ記者による署名記事は、各専門分野や独自の視点による記事を中心に、記録性・解説性・歴史性を重視し、大きな事件などについては随時『解説的要約』を掲載し、社外筆者にも多く登場していただく。

17 読者(株主)の意見を最大限に尊重すべく、投稿ベージに質・量とも高い比重をおく。

18 広告はむろん掲載するものの、経営上の比重としては過分な重きをおかない。

19 スタッフ記者の中の10人前後を編集委員とし、これに業務関係役員数人を加えて最高決定機関とする。社長はその権限を代行する。

以上はほんの『叩き台のための叩き台』にすぎない。…このような日刊紙を、もし創刊可能な条件がととのった暁には、ひろく購読者(すなわち株主)を募り、5万人に達した段階で刊行にふみきる。そのように募るときに直接お便りで要項をお知らせしたいので、購読ご希望の方々(すなわち株主予定者)は次の宛先へ往復ハガキで住所氏名、電話番号を『登録』していただけたら有難い。

 日刊新聞は配達問題が最大の障害となってまだ進展をみないので、この部分を削除します。進展があって創刊が決まれば、主要日刊紙の大型広告などでお知らせすることになりましょう。

 このような大計画は、いうまでもなく私1人で考えているのではない。強い意志と実力を備えた個性を、少なくとも数人は必要とする。またこうした性格の新聞は、もはや読者(株主)以外にいかなるスポンサーもタブーもなく、またスタッフ記者は真の意味でのジャーナリストにふさわしい理念を信条とする者に限られる。その人々を『党』に類する集団としてみるならば、なかば冗談もこめてにせよ、『ジャーナリスト党』とか『かわら版党』とか呼ぶこともできるのではなかろうか。

(以下、本多勝一「マスコミかジャーナリズムか」より引用) 


 私は必ずしも困難とは思いません。案外“裸の王様”と思っています。単に、本気でやろうとした人がいなかっただけではないのか。首都圏だけでも100万部の、強い影響力ある日刊紙(夕刊は不要)は、実現の可能な『ジャーナリストの冒険』ではないか。少なくとも需要は十分にあるのですから。あるいは30万部くらいのクォリティー=ペーパー(高級紙)とか。実はその詳細な原案を、『朝日ジャーナル』休刊直前の最終号で発表したことがあります。いかがですか。この冒険に加わる同志たちはいませんか。実現のためには、もちろん周到な準備が必要だし、徹底した市場調査と資金が欠かせません。それらはしかし、実現のための準備であって、西堀栄三郎氏(第一次南極越冬隊長)のいう『石橋は叩くと渡れない』ということでしょう。問題は、決意をするのか、しないかです。今の大新聞は、みんな戦前からのものですね。天皇制と同じで、これもたいへん日本的現象にほかなりません。原寿雄氏はこのシンポで『平和革命でこそメディアは大きな働きができるはずだ』と言われたのですが…。(『週刊金曜日』1999年4月16日号)