「滅びゆくジャーナリズム」本多勝一/ 96年、朝日文庫

◇本多氏の近著。なぜ現在の日本の新聞がつまらないのかがわかる。大部数のもとで飼われている「サラリーマン記者」を憂い、情報産業化を進める日本の新聞に警鐘を鳴らす。なぜ記者が育たないのか。中立とは、不偏不党とは何か。なぜ署名原稿ができないのか。取材に必ずしも語学力が必要でないこと、知識人には勇気が必要であること。「プライバシー以外は全てタブー視しない」をジャーナリズムとする本多氏が、様々な角度からジャーナリズム論を説く。

 そして、自身の夢であるジャーナリズムを追及した理想的な新聞の創刊に意欲を見せる。「もっと新聞は面白くなるはずだ」と思っている私には、非常にためになった。もし創刊が実現したら、本多新聞の記者になりたいものだが、どうも配達問題が障害となり、無理だったようだ。新聞の未来は本当に暗い。

 西武と朝日をめぐるタブー、皇室報道のタブーが生々しく描かれ、考えさせられる。『偏向している多様な人々に広く機会を提供すること』が公共性であるとの見解に納得。確かに、理解不能な不偏不党をうたう放送法など、即刻、廃止すべきだろう。薬剤師の資格を持つなど理系人間である著者らしく、論理的な議論が展開されている。マスコミ関係者は、是非モノだ。

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「一、知識は論理と関係がない 二、論理とは事実の選択・整理である 三、知識は事実ではない」

「古今東西の古典や外国語の知識をたくさん並べて話すのに、内容に一貫性・整合性がないため矛盾するところが多くて、つまりは論理としての力に欠ける人。他方では、これはいなかの山村などにときどき見られるのですが、知識としては自分の体験くらいで読書もあまりしていないのに、論理の構築がしっかりしているために強い説得力をもつ人。」

「万人に認められた事実が全く間違っていた例など、歴史上いくらでもあったし今後もあるでしょう。…少しでもうさんくさい匂いのする知識は、自分の知識であれ他人のであれ、なんらかの方法で確認なり検証なりしてみることです。」

「そのばかばかしさを改めて論ずるのは、九月六日に開かれた今年度の選考委員会で、おそらく『戦後最大のスクープ』あるいは『少なくともそのひとつ』と断言してもいい『朝日新聞』のリクルート疑獄報道が授賞されず、結局『ニュース部門に該当作なし』と決ったからです。これはまことに喜ぶべきことと言わねばなりません。このおかげで、新聞協会賞などというものがどれほどにくだらぬものか、そのばかばかしさを世間に広めることになったし、『業界』内部の記者諸君にしても、こんな賞に幻想を抱くことの間違いをよく理解できたことでしょう。…本来その任務にあるはずの検察や警察の主導ではなく、報道が主導するかたちでこの疑獄を追いつめた。…ところが、社団法人・日本新聞協会は、真に大スクープの名に値するこの報道に『価値がない』と判定したのであります。これに価値がないのなら、これ以上『価値ある』大スクープは戦後の受賞例のどれに当たるのですか。去年以前の受賞者たちよ。もしジャーナリストの矜持があるなら、自分の仕事がリクルート報道以上だと思わぬ限り、新聞協会賞など返してしまいなさい。…リクルート疑獄といえば、未公開株譲渡に『毎日』は元編集局長が、『読売』は副社長が、『日経』は社長が関連するなど、それこそジャーナリストの矜持も節操もない『幹部』が多かったこの『業界』のこと、『朝日』の大スクープの被害者たちによる江戸の敵を長崎で、の結果が今回の『該当作なし』なのかもしれませんね。いわば遺恨試合。」

「新聞協会賞のありかたを今後もし改めるとすれば、なにはともあれ『業界』内部での審査をやめることでしょう。外国人も含めた第三者の委員会にでもやらせてはいかがですか。」

「問題は『複雑な情報』(守氏)を求めるための『精度』(同)の高い、つまり高度な会話力であって、そういう高度な実力を短時間でマスターすることは凡人には無理だからです。…ジャーナリズム史に残るような偉大な仕事と外国語会話力とは、本質的には比例などしないばかりか、全く関係がないのです。…もっと極論なことを言えば、『論語』の孔子はおそらく中国語以外に『会話力』がなかったと思うけれど、二千数百年をへた今なおその思想は生き続けており、たとえば孔子の説く『勇』などは今の日本の『知識人』やジャーナリストにも大いに学んでほしいところです。ムハンマドやキリストやブッダにしても、『世界三大宗教』として今なおその思想が生きつづけているけれど、彼らが外国語の『高度な会話力』を身につけていたとは思われません。…『若いジャーナリスト志向者』はこのことを銘記しておいて下さい。最も頼りになるのは、その記者の記事を支持する読者だと思います」

「紙面が増えるに従って長い記事が書けなくなってきたんです。…つまり、雑報は増えてきたけれども、ライターの独自の視点を持ったルポとか、長編が出る場がなくなってきた。ページは増えたけれども、ライターの独自の視点を持ったルポとか、長編が出る場がなくなってきた。ページは増えたけれども、逆にそういう現象が起こってきたと思うんです。これは1言で言えば、新聞社が通信社化してきたということです。だから、その時々のフラッシュ=ニュースは出るけれども、それを独自の目で取材した長編ルポなどは出にくくなってきたという現象がある。ということは、悪循環になってくるわけですね。そういうものがなくなってくると、そういう長編ルポや深い分析で腕を奮うような記者が育ちにくくなってくる。つまり、おもしろい長文が書ける記者が少なくなってくる。育たない。育たないからますます『もう長文はいらない』ということになる。」

「今の朝日を含めて日本型新聞社にはそういう姿勢はないと思います。逆に個人的努力や個人的才能に会社がオンブしている。さまざまな社内圧力に抵抗しながらでなければライターを貫けないからくだらぬエネルギーがいる。そんなエネルギーはないけれど『育てれば育つ才能がある人材』程度では、どんどんつぶされていく。もったいない。」

「八九年の秋もうやめようと思ったことがありました。それはどういうことかといいますと、ご存じのように先日冬季オリンピックが長野に決りましたね。その前に、オリンピックの滑走コースっていうのは非常に長い高度差が必要なので、そこをスキー場として開発するという問題が起ってきた。その問題を私ははじめ自然保護という観点から取材していったんですが、取材しているうちに国土計画という西武系の会社があって、堤義明という社長ですがね、この問題には彼が非常に絡んでいて、あらゆる場所に国土計画が出てくるので、そのことを書こうとしたわけです。ところが、まずその時のその紙面の責任者、まあ部長とか、室長とかがいるんですが、そこからストップがかかった。…長野市の駅前に朝日系列のテレビ朝日の放送局を作ろうとしている。そこは県の所有地だから県のご機嫌を損ねるとまずいと。…実はテレビ朝日と西武は友好関係というか、いい関係にあると。野球だけじゃなくて、いろんな意味で深い関係にあるので、今ここで西武を攻撃するなと言うんですね。しかも恐縮して言うならともかく、実に生意気な言い方だ。…朝日がこんな環境破壊私企業に屈して敗北したのです。そういうことがあって、私はもういやになった。」

「何か発表があったら、それを現場で確かめてみるというのが、1つの方法ではないかと思います」

(サツ回りは必要だと思いますか?の質問に答え)「事件記者が好きなら、それはそれでいいと思うんだけれども、嫌いな人でもやらせる意味があるかというと、これは程度問題で、ある程度、ある期間はやってもマイナスではないと思っています。というのは、自分の例で言いますと、いかに短時間で取材をするかと、書くための基礎になる材料をいかに短い時間で集めるかと、そういうトレーニングにはなると思いますね。」

「朝日も通信社の記事を使えばいいんですよ。共同通信なり時事通信なり、発表ものは全部それでやっちゃえばいい。そして独自の記事は自社の記者が書く。これでその問題は簡単に解決するんだけれど、そういうことは会社は望まないんですね。そこに問題があると思います。…なぜなら、もはやジャーナリズムなんか不要で、ただの情報産業でいいんだから、カネモーケ第一、あんまり社会の矛盾なんかほじくってほしくないのです。だからジャーナリストたらん記者は冷遇され、ゴマスリが重用されるようになってゆくのも当然でしょう。」

「例えばニューヨーク=タイムズなんかもそうなんだけど、一般の雑報は全部通信社の記事を使ってる。それには著名は入っていない。しかしそのほかの、自社のニューヨーク=タイムズの記者が書いた記事には全部著名が入っておりますね。これがやっぱり本来の姿なんじゃないか。」

「まずいわゆる玄関ものとか発表もの、今日何があったとか、それは全部通信社でカバーできる。それで相当人間が余っちゃいますね。地方支局まで入れたら膨大なものだと思います。それを全部いわゆる遊軍にしちゃうわけですよ。それがいろんな、まあ個人でもいいし、プロジェクトチームでもいいし、それで独自の事は全部やる。」

「テレビをはじめ関係する業界が多くなりすぎました。タブーがふえすぎた。なにしろジャーナリズムではなくて情報産業であり、デパートや銀行と同じレベルになりつつあるのですから。」

「政府の審議会については、やはりジャーナリストは加わるべきじゃないと思います。あれは直接政策にかかわるわけですから、どうしてもジャーナリズムの基本的な精神とは離れてくると思うんですね。」

「いわゆるイザヤ=ベンダサンという筆名を使っていた山本七平なんていうインチキ男がいる。」

「うそをやられたらそれを断固反撃することが本来裁判では可能なはずなんだけれども、実際はできない。…だから、例えば週刊誌が名誉毀損のでたらめを書いたところで、裁判となって負けたとしても最後で何十万円か払えばいいわけです。…それくらい払ったって、元はその何倍も儲かっている。」

「企業が、過労死した社員に入ってきたはずの保険金をピンハネしている、という記事です。企業とはここまえすさまじいものなのか。…いったい、どこの企業かなと思って見たら、なんと名前が出ていないんですよ。…個人の犯罪だったら、何も証明されていない段階で、ささやかな容疑でもいきなり名前が出てしまうのに。」(岡庭)

「同じ本多さんの野球批判の中で、日本中の国土を商売にして荒している堤義明の西武ライオンズを、吉永小百合が応援しているのはなぜなのか問いかけたところがありましたが、あれはずいぶん物議をかもしたんじゃないですか。…読者投稿を見ていると、若い人が大先輩の本多さんをつかまえて、なにか大人っぽくたしなめるという例が多い。…だいたい本多さんは吉永の私生活を批判したわけじゃない。本多さんが取上げた吉永小百合という像は、球場に行ってひそかに応援したり、自宅のテレビの前で応援している個人ではなくて、公人としてのふるまいを言っている。」(岡庭)「重要なことには大して反応しないくせに、こういうことに反応するんですよ」

「いまの会社というのは、原則として自分の社内のサラリーマン記者でやりますね。フリーの人や外部のいろんな筆者はほとんど使わない。だからあの程度の報道しかできず、同じようなことをみんなやっているわけですよ。」

「だから本来のジャーナリズムの新聞があれば、その時々の時事的なことは全部通信社に任せておいて、独自の目を持ったルポだの論評だのができる。またフリーの人に活躍してもらって彼らがいろんな所に自由に潜入していけば相当なことができるわけで、そうすればフリーの人を育てることもできる。」

(岡庭)「コメ輸入とそれによる農村つぶしは、日本の伝統的な文化と共同体をつぶし、天皇性の否定につながることになるわけですから、…」

「雑報以外は全部著名原稿というかね、視点と責任がはっきりしているという、それをやるべきだと思っています。」

「書く場を確保するために、自分で新聞社やりたい。もちろん、日刊。読者が全員株主になる会員制の新聞にしようかと思ってるわけ。『朝日』よりちょっと安くする。当面の目標は10万部。読者以外にはいかなるタブーもないから、これで真のジャーナリズムを貫徹できます。もう日本の新聞はすべて情報産業にすぎなくなっていますからね。」

「職安をたずねるのは初めてですが、これが『ハローワーク』などと改称されているのには驚かされました。公的な役所が、ここでもまた植民地的なわけのわからぬ家畜語を採用しているのです。」

「大江さんが、ああいうインチキをやる理由は、今言われた通りだろうと思いますよ。つまり、既得権を守りたい、商売です、一言で言えば。だから捏造・改竄常習のゴロツキ反動出版社たる文春にもしがみつく。しかしそれはもう私は知識人とはみなさないわけですね。・・・知識人はいろんな定義がありますけど、これだけはぬかせない条件というのは誠実さのほかに勇気だと思うんですよ」

「それに『1つの事実を全人格にかぶせる』と言っても、それは第一に『1つの事実』の内容によりますからね。単なるミステークや駄作と言った程度ならともかく、大江さんの場合は全人格の本質にかかわる問題でしょう。第2にしかもそれが『1つ』や『2つ』の事実じゃない。連続的にやっているでしょう。」

「しかし少なくとも私自身が1証人として言えることは、この三〇余年間に新聞が『一極集中』の歯車のひとつへと常に変身してきた事実です。」

「筑紫君とは朝日新聞の入社同期なのでよく話したりしてきたのです」

「ただ、現役記者の中に今なお実に立派なジャーナリストがいることもまた事実です。しかしかれらは決して『主流』ではないでしょう。かれらにとって『ジャーナリズム』を貫くことは、社内での闘争の日々ともなっています。」

「本誌の最終号となるこの場で、もうすこし具体的なかたちを読者に紹介し、本当に実現する段階にもし到った場合にご協力あるいはご支援をお願いすべく、そのための『お知らせ』も兼ねることにしたい。…C経営の独立堅持のため一種の会員制とし、創刊時の全読者に株主になっていただく。一株五万円とし、創刊時読者は半年間の購読料を無料に。読者数を五万人確保できた時点で創刊開始とする。…まる十九スタッフ記者の中の10人前後を編集委員とし、これに業務関係役員数人を加えて最高決定機関とする。社長はその権限を代行する。…『朝日ジャーナル』発表当時の原文では、ここに『登録』先の日刊新聞創刊準備委員会の仮住所と関係事項、創刊断念の場合の通知方法などが示されていました。しかし日刊新聞は配達問題が最大の障害となってまだ進展をみないので、この部分を削除します。」

「実はこの編集委員制度こそが、本稿で縷々述べてきた『記者冷遇の構造』の改革に相当する画期的制度だったのです。大学で言えば前述のアメリカにおける『管理能力とはっきり分けた研究能力の評価』に相当します。・・・この制度の失敗・崩壊の根本的原因は、新聞社の根幹構造にふれないままの部分的改革だった点にあると思います。根幹構造とは、人事権を左右する役員会の構成です。二〇人余りいる役員のうち少なくとも数人以上は、実際にペンを持つ編集委員を『記者の利益代表』として制度的に確保すべきでした。」

「最近の本多さんは、敵をつくる鋭さが、過剰に溢れているように見えることがあり、それが気になります。弱い者にとっては、怖くみえてしまうこともあるからです。」

「アブク経済に便乗して急伸した新聞ほどひどいとみてよい。・・・不景気においては、デパートであれ不動産であれ自動車産業であれ、『商売』や『産業』がしぼむのは当たり前であり、だから不景気なのである。そして『新聞もそうだ』ということは、新聞がまさに『商売や産業』になっていたこと、『公器』ではなくなっていたこと、すなわちジャーナリズムならぬ情報産業になっていたことを意味する。もし本当のジャーナリズムに徹した新聞として読者の信頼にこたえていれば、景気に左右される度合いはきわめて少ないであろう。むしろ不景気のときこそ真のジャーナリズムを求めて新聞が読まれていいはずだ。」

「だが、情報産業化した新聞は、大部数になればなるほど画一化し、個性がなくなり、驚くべきことにページがふえるにしたがって突っ込んだルポや解説が減少していった。」

「だいたい新聞社と民放がはっきり系列化したころと重なる。」

「化学でいう不可逆反応の起きたあとの世界が日本型『現代の新聞』である。」

「アメリカ建国の父、トマス・ジェファソンの胸にあった『適当な手段』の1つは、借金のかたに土地を取り上げるということであり、他の1つは賄賂による個人の買収であった。・・・ポトマッック川のほとりの壮麗なジェファソン・メモリアルを訪れる旅人達に知らせても悪くない史実の1つである。・・・このアメリカという国の最大の特徴の1つは、その鯨のように巨大な偽善性にある。アメリカ人は他人に対するいいわけとしてではなく、自分にいいきかせるための『正当な理由』を、何としても必要とした。それは『神の思し召しにしたがって』ということであった。」

「投書あるいは投稿欄のない新聞はほとんど考えられないので、週刊誌についても漠然と同じように思いこんでいた。・・・これは実に象徴的な文化現象であると同時に政治現象でもあろう。つまり完全な一方通行である。・・・あるいは事実上『文句を言わせぬ』『意見など聞く耳を持たぬ』という編集方針なのだろうか。」

「総じてダメな新聞ほど批判に不寛容である。したがって、ジャーナリズム精神の健全さと、批判に対する寛容度とはほぼ比例する。・・・『比例』グラフのどの位置にあるかを計測することによって、その新聞の『ジャーナリズム精神度』を知ることができる」

「なぜ西武優勝を喜ばぬかといえば、これが日本列島破壊の代表的企業のチームだからである。『西武』ファンにうかがいたい。皆さんはこのことを知った上でのファンなのか、知らなかったのか。チームに対する応援と、そのオーナーのやることとは別だ、という意見の存在は知っているが、これは程度問題であろう。」(→「知らないことの罪」は、どこまで許されるのか?これは情報を伝える仕事に携る者として、重要な命題ではないか?)

(皇室タブー原稿について)「『サンデー毎日』連載中に二度だけ休載があった。…二度目は今年六月二七日号である。…すなわち皇太子結婚の二日前である。したがってコラムでもこのことをとりあげた。だが、これは編集部によってボツにされた。やはり『皇室タブー』にふれるので勘弁して欲しいという。…この程度の内容であれば、末期には落ちぶれたとはいえ、『朝日ジャーナル』なら発表できた。『サンデー毎日』だと許容限界がそれだけ狭いのであろう。それぞれの雑誌にはそれなりの許容限界があるのだから仕方がない。これは『サンデー毎日』編集長の限界というよりも、彼がそのようにせざるをえなかった毎日新聞社体制の問題であり、ひいいては毎日新聞社がそうすることを求めている『主流日本人』の意識の問題なのであろう。」

「この調子が続けば、やがては皇太子の外国人との恋愛・混血だって阻止すべき論理的根拠を失うし、げんにヨーロッパの階級社会では外国の皇室との混血など全く珍しくなく、むしろ平民との混血の方が忌み嫌われてきました。」

「明治以来の皇室はイギリスの王室のサルまねをして日本古来の伝統的服装などをかなぐり捨てた。」

「たとえば久米宏氏のニュースステーションに1つの主張があるとき、その同じ番組のその時間の中で反対の主張も加えて『中立』にする必要があるのですか。また久米氏がある視点で番組を担当している時、同一人物が逆の視点を別の日にやるべきなのですか。こんなことを言い出したら一切の主観が成り立たない。」(→安藤と木村の意見の違い表出するニュースジャパンを、視聴者はどう思って見ているだろう?)

「現状で可能なほとんど唯一の方法は、批判の対象者に反論の機会を提供することである。」

「アメリカのFCC(連邦通信委員会)のように、独立行政委員会がやればいいんです。」(青木)

「FCCに次の三原則があったが、このうち第2項だけは『言論の自由を保障する憲法に違反する』として一九八七年に廃止されている。@放送時間均等の原則A報道の公平原則(賛否両論がある問題の報道は、双方の議論を公平に紹介する義務)B反論の機会提供の義務」

「公共性とは何か。・・・言論の自由という憲法二一条が至上命であるからには、そのもとでの公共性でなければならない。そして、全人類が一人残らず偏向していることは先に証明済みであるから、したがって『偏向していない公共性』もありえない。・・・『その偏向している多様な人々に広く機会を提供すること』がすなわち公共性ということに、当然なる。大きな変異の幅のまんなかだけ選んで両側を切ってしまうのではなく、変異の幅の全体を考慮することこそ『公共』なのだ。したがって公共を論ずるときに『中立』は有害無益、何の関係もないといえよう。となれば、放送が公共性を保つたっめの最大の任務は、さきのFCC三原則の第B項、すなわち『反論権』ということに、ならざるをえない。・・・憲法二一条(言論、出版の自由)のためには反論権が保障されねばならぬ・・・問題はテレ朝が偏向していたかどうかでは全然ない。その偏向番組に対する反論の機会を拒否したかどうかにある。」

「『放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確認すること』(第一条の二)この『不偏不党』という定義不明な言葉は、新聞紙法の『安寧秩序』に相当すると思いませんか。どうにでも解釈できる。これを理由に国家権力が介入できる。げんに見よ。テレビ朝日の認可更新が、今度の偏向事件によって『条件つき』とされたではないか。問題の根源は、この放送法にある。放送法を廃止して、FCCにあたるような民間の第三者の機関を設立すること。」

 

 「いま同志たちとともに叩き台をつくっている新しい日刊紙の、ごくおおざっぱな輪郭はつぎのとおりである。

1 いわば高質紙(クオリティー=ペーパー)として週に5日発行。夕刊なし。休刊は日・月の2日。ブランケット判(現行の一般紙と同じ)で当面は12ページだて。

2土曜または日曜に特別版(いわゆる日曜版に相当)を発行するが、これは従来の常識的日曜版とは全く異なり、総合雑誌や週刊ニュース雑誌の役割を果たすほか、重要な記録を網羅的に収録し、当面は30〜50ページだて。

3原則として宅配を考える。したがって創刊段階で宅配可能な地域以外は当面郵送となる。

4経営の独立維持のため一種の会員制とし、創刊時の全読者に株主になっていただく。1株5万円(商法第166条の2による)とし、創刊時読者(株主)は半年間の購読料を無料に。読者(株主)数を5万人確保できた時点で創刊開始とする。影響力を持つメディアとしての安定部数の目標は30万部。一定限度内で多数の株を1人が持つことも可能なので、5万人は5万部に相当するが、株数はもっと多くなって約30億円の見込み。利潤があれば株主の購読料を半年単位で値下げしてゆく。

5一般紙面の編集方針は、一切のタブーを排するために結果として政党的中立となる。「中立」はしたがって、現行マスメディアのような消極的(いわゆる『左』『右』を排除した)中立ではなく、積極的(それらをとりこんだ)中立となろう。日本の宿阿となった官僚主義(官権)との対決をはじめ、特に環境問題と人権問題を重視する。関連して裁判批判にも重点をおく。

6一般の雑報ニュースは通信社のものを全面的に採用し、自社のスタッフ記者は全員が独自の署名記事だけを書く。したがって雑報を争う記者は必要とせず、たとえば『朝日新聞』でいうなら編集委員クラスだけによる少数精鋭主義をとる。大学新卒の記者は当面採用せず、実績ある中堅以上のジャーナリスト集団とする。

7紙面整理には、たとえば現行新聞のようなページごとの独立制をやめて外国紙のように『〇〇ページにつづく』方式を採用するなど大幅な改革をすすめ、『社会部』『政治部』といったセクショナリズムを制度的に廃する。

8電波メディアはもちろん、活字メディアにしても、他の新聞・雑誌が報じた重要な特ダネは『〇〇新聞によると』として紹介し、記録を重視する。

9フリーのライター・写真家・知識人に多くの紙面を提供し、また稿料を高額にしてすぐれたフリーを育てる。

10外国情報に力を入れ、アジアを始め第3世界の声を重視して、それぞれの専門家などにほぼ定期的に寄稿していただく。

11音楽・演劇・絵画・ルポルタージュそのほか広範囲の文化を重視、旧来の小説偏重を是正してゆく。

12各種の市民運動やネットワークを重視し、その情報・動向・交流等をきめこまかく報ずる。外国の市民運動やNGO活動の類も広く伝える。

13テレビ・ラジオ欄は、単なる番組紹介にとどまらず、批判的視点を大幅にとり入れてゆく。一般にメディア批判や『ニュースの裏側』的記事を重視する。スポーツ関係も同様。

14マスメディアにおける反論権の確立をめざすべく、反論文の掲載を重視するほか論争を慫慂し、盛んにする。本紙の記事や評論に対する反論・再反論等はもちろん、他紙誌によって捏造・改竄・プライバシー侵害等による被害を受けた側に対しても、正当な反論であれば紙面を提供して『マスコミ公害』と戦う。

15日曜版(または土曜版)には、長編ルポ・長編論文のほか、講演・講義でも重要なものは収録する。書評も重視して、ときには一冊の本に全ページをついやすような論評も掲載し、稿料も相応に高額にする。

16スタッフ記者による署名記事は、各専門分野や独自の視点による記事を中心に、記録性・解説性・歴史性を重視し、大きな事件などについては随時『解説的要約』を掲載し、社外筆者にも多く登場していただく。

17読者(株主)の意見を最大限に尊重すべく、投稿ベージに質・量とも高い比重をおく。

18広告はむろん掲載するものの、経営上の比重としては過分な重きをおかない。

19スタッフ記者の中の10人前後を編集委員とし、これに業務関係役員数人を加えて最高決定機関とする。社長はその権限を代行する。

以上はほんの『叩き台のための叩き台』にすぎない。

…このような日刊紙を、もし創刊可能な条件がととのった暁には、ひろく購読者(すなわち株主)を募り、5万人に達した段階で刊行にふみきる。そのように募るときに直接お便りで要項をお知らせしたいので、購読ご希望の方々(すなわち株主予定者)は次の宛先へ往復ハガキで住所氏名、電話番号を『登録』していただけたら有難い。」

 「日刊新聞は配達問題が最大の障害となってまだ進展をみないので、この部分を削除します。進展があって創刊が決まれば、主要日刊紙の大型広告などでお知らせすることになりましょう。

 このような大計画は、いうまでもなく私1人で考えているのではない。強い意志と実力を備えた個性を、少なくとも数人は必要とする。またこうした性格の新聞は、もはや読者(株主)以外にいかなるスポンサーもタブーもなく、またスタッフ記者は真の意味でのジャーナリストにふさわしい理念を信条とする者に限られる。その人々を『党』に類する集団としてみるならば、なかば冗談もこめてにせよ、『ジャーナリスト党』とか『かわら版党』とか呼ぶこともできるのではなかろうか。」

「斎藤 日経新聞の森田前社長は、新入社員の研修などで『わが社は経済に関する世界的な総合情報産業であって、君たち記者に求めるのは正確なデータだけだ。天下国家を論じたい人はキャンペーン好きの某新聞社へ行くか、郷里へ帰って議員にでもなりなさい』といったようなことを言っていたというんです。某新聞社とは朝日のことでしょうが、そうなると、われわれが描いている新聞ジャーナリズムというのは幻想であって、実態は情報産業になり、私企業として金儲けに走っているということかもしれない。」「……ことかもしれない」とは随分控え目な言い方をしたものだな、と思う。現実はその後ますます滅びの方向へ進んだのではないか。」(解説・斎藤茂男)