イスラム教          アバダン(イラン) '95.11

「13人の子供と、2人の妻がいるよ。」
 家族は何人いるのか、という私の質問に、マシャールはそう言ってのけた。それも、あたかも当然のことのように。イスラム教では妻は1人と限らないことは知ってはいたが、実際に目の前でそう言われると不思議なもので、異国に来たことを実感する。

 イラン国内の主な交通手段は、バスと飛行機。バスは2百円〜3百円ほどで、主要都市間を移動できる。マシャール氏と出会ったのは、シラーズからアバダンまで、夜行で10時間ほどのバスの中だった。シラーズで出会ったイラン人が、私が迷わないように、とバスに乗り込む際に、見ず知らずのマシャール氏に、私を紹介してくれたのである。対日感情が良く、嫌に大事にされるのは悪くない。

 逆に、現地人と知り合いにならないと、常に不安がつきまとう。数字も文字も全てペルシャ語なので、チケットを買うのが難しいのだ。飛行機も、1千円〜2千円ほどと安いのだが、例えばミャンマーのように観光地化政策を外貨獲得の手段として押し進めているような国のように、外国人に現地価格の3〜4倍もの料金を要求する代わりに英語が通じる、といった便利さはない。イランは外国人旅行者も少なく、特別料金は設定されていないのである。

 マシャール氏は55歳で、コックだったが、既にリタイアしており、子供に会いに行くのだそうだ。貫禄があった。会うなり、「おまえはアラブ人かと思ったよ。鼻がアラビアンだ」などとフランクに話し掛けて来た。イラン人は話好きだ。彼はアラビア語、ペルシャ語、英語を話せるという。「私が若いころは、川を渡ってイラクまで泳いだものだよ。ハッハッハ。でも今は全く往来がなくなってしまった‥。」当時を懐かしむように、数時間に渡って話してくれた。

 なかでも長く続いたのが、イスラムにまつわる冒頭の話である。「2人の妻がいて問題ないのか?」「ない。イスラムではノープロブレムだ。日本人だってたくさんの女性と関係を持つ。それと同じだ。」「1人の男が2人以上の妻を持つと、あふれる男ができるのでは?」「友達になれば、妻みたいなものだからいいんだ」

 イスラム教に興味を持った私は、いろいろ質問した。「なんで豚肉を食わないのだ?」「イスラムの教えだから」「日本人は食うのか?」「もちろん」「シラーズの韓国人はイヌを食べてるぞ」「日本人は食べないよ」……。

 イランでは町中の普通のサンドイッチ屋で、子牛の脳味噌が売られている。それも、たった5品のトッピングのうちの1品というように、ポピュラーな『定番品』なのだ。ソーセージ、ハンバーガー、コロッケ、野菜、のうみそ、という具合なのである。私には、とても食う勇気はなかった。しかし、不浄かどうかが唯一の基準であるイスラム教徒には、関係のないことなのだろう。無宗教国・日本で育った私は、単なる好き嫌いなどが物差しとなっており、特に私の場合、物差しは、見た目がグロテスクかどうか、であった。

 しかし、良く考えてみれば、どちらが合理的ということもない。とにかく、私にとっての脳味噌は、彼らにとっての豚肉と同じくらい、食べるべきではないものに思えただけのことだ。しかしそれは、特定の信仰に基づいたものではない。

「神を信じないのか?」「半分信じているよ」と答えたら、マシャールに笑われた。勿論、彼は完全な信仰を持っている。何か、引け目を感じたような気分になり、考えさせられてしまった。少なくともこの国においては、私のほうが合理的な根拠として、アカウンタブルではないように思えたのだった。

 


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