and more info 「取材上の秘密」にあたる、とされた文書「悪意なき犯罪」
掲載時期:98年夏 (当時の原文そのままです)
NTTグループの「残暑払い」という会合に呼ばれ、出席した。担当記者とNTTグループの広報・役員・社長連中が計30人ほど集まるものだ。西鉄ホテルが会場で、前のほうに、包まれた大小様々の箱が山のように積まれていた。これは何なのかと言うと、ゲームの景品なのだった。
ゴルフゲーム、ストラックアウトゲーム(ボールを投げて的に当たった数を競う)、ビンゴゲームなどをドコモ、パーソナル、NTT本体などのグループごとのテーブル別(記者も含む)で競うわけである。ビンゴでは全員に何がしかの景品が当る仕組みで、ゴルフゲームでは、誰が勝つかに1口2百円で総額6万円が賭けられるなどギャンブルも行われていた。
他にもジャンケンゲームなどがあり、私が貰った景品は、ミュージカル「キャッツ」の観劇券2枚(計2万3千円)、地元大型遊園地「スペースワールド」一日フリーパス券2枚(多分2万円はする)、Mlesna Teaのティーバックセット、チキンラーメンの販促用ティーカップ、玄関の見張り番(犬が来客をセンサーでキャッチし吠えて知らせるオモチャ)だった。おそらく計5万円はする。ほかにもホテルの宿泊券など様々な景品があり、NTTの身内を外してジャンケンゲームをやらせるなど、記者が優先的に当るようになっていた。これは賄賂以外の何モノでもない。
食事も豪華なものだった。鮨やステーキなどが次々と運ばれる。そして、バドワイザーの広告を身にまとった、いわゆる「バドガール」5人がサーブするのである。場所代・人権費など含め、1人2万円は下らないだろう。要するに私は、計7万円の接待を受けたことになる。
まあ、芸者を挙げての宴会をお役所が税金でやっているのとたいして差はない。考えるまでもなく、NTTという会社は、株式の65%を国が所有している、要するに国の子会社なのである。「民営化」などという紛らわしい表現は使わないほうが良い。本質的に民営ではないのだ。初期の設備投資が最大の支出項目となる設備産業なのに、その設備のほとんどを公社時代に何のリスクも負わず税金同様のカネで作っている。民営というなら、その正当な消却資金も支払って当然だ。民間企業は、不当な競争を強いられているのである。
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これは週刊誌のネタになってもいいパーティーだ。「まるで、ここだけバブル時代にタイムスリップしたみたいですね」と皮肉る私に対し、「こんなの、毎週のことですよ。別に驚くことじゃない」とNTTドコモ九州の社長。会場に居た連中が皆、退屈な人間であることは言うまでもないが、感覚がマヒしているとしか言いようがない。まったく、世の中狂っている。
記者のほうにも問題がある。「記者さんたちも、いろいろ会合があって大変ですね」などと言われると、「今日は、西銀(西日本銀行)と重なってましてね」などと「来てやった」気取りだ。日経ほど経済記者が多いところはないので、他社は1人でいくつもの業界を担当している。従って、毎週のようにこうした接待の席に出掛けるわけである。地元紙の記者など、完全に身内気分で乾杯の音頭まで取る。
私はこの事実を紙面に書いてやろうと思ったが、デスクが掲載するわけないのでやめた。実際、取材先を失うデメリットのほうがマスコミにとって大きいのは間違いないのだ。問題は三つある。第1の問題は、実質的な国営企業で、しかも赤字会社(九州地区ではNTT本体は経常赤字)が経費でパーティーを開いていること。第2の問題は、それに記者が問題意識を持たずに平気でたかっていること。(勿論、記者は関係を維持しないと取材拒否され仕事にならないので弱い立場にある)第3に、記者が費用を出したくても、企業(日経)が出さないこと。記者個人には通常、一切の経費が認められていない。(雑誌社などは1人で月20万円も使えると聞いている)
私が2年前に警察を担当していた時も同じような会合はあったが、その時はさすがに税金そのままなのでまずいと思ったのだろう。県警が自発的に領収書を発行し、マスコミが自己負担する方式をとっていた。確かに、記者がどう対応するかは別として、民間企業なら勝手にやっていて良いのかも知れない。しかし、NTTは実質的に民間でもなんでもない。これは倫理の問題だ。「法的に問題ないから良い」というのは最悪である。
「これは私の個人的なテーマでもあるのですけれども、社会が悪くなるというのは必ずしも悪意の人間たちがたくさん増えていることを意味しないと思うのです。(中略)資本の論理を超える公正さであるとか、あるいは真実を見つめる目でありますとか、そういういわば理念的なものを、資本の論理、法則の上位に立たせるきっかけをわれわれは探さなければならないと思うのです。」(辺見庸「不安の世紀から」)
確かに、NTTの人間たちや記者たちに悪意はないようだった。単に「公正さ」などの「理念的なもの」が完全にマヒしているのである。そして、記者たちは「資本の論理」に完全に覆われ、取材先との関係を崩すよりも記事になるネタを貰おうと、ますます平気で接待を受け、癒着したがる。そこには悪意はないが、社会は悪くなっていると思う。何とも滑稽な風景だ。夏冬の年二回あるというこのパーティー、小型カメラで隠し取りでもして報道番組を作ったら、反響はさぞかし大きいことだろう。