「ジャーナリストの作法」/田勢康弘/98年、日本経済新聞社

◆悔しいけど、買ってしまった…。彼のファンでもなんでもないのだが、やはり記者間のノウハウの共有を主張する者として先人の経験を記した書を読むのは当然ということだ。他にないのだから仕方ない。

 最初に違和感を覚えるのは、自らをジャーナリストと記していることだ。日経という巨大権力に対峙できず、会社べったりの人生のくせに、何がジャーナリストか。間違いなく「記者」だ。結局、批判だけして実行せず、日経から甘い汁を吸っている社畜。本書でも「年功序列、終身雇用の日本的システムの中で、狭いその世界しか知らない幹部が純粋培養され、トップへの階段を登って行くのである」などと自分を棚に上げて日本の官僚・大企業を批判しているのには、開いた口が塞がらない。まさにその代表者が田勢であって、他社よりもこの傾向が顕著である日経新聞という組織を批判できないという事実は、ジャーナリストでないことの決定的な証拠と言わざるを得ない。

 とはいえ、人モノとしてはなかなか面白い。実は、雄弁会出身だったこと。佐高信とは同年で、同じ山形出身、かつ高校時代に卓球部と共通点が多いこと。ただ、NHKワシントン支局長の手島龍一や朝日の船橋洋一と「不況トリオ」と言っているが、ちょっとレベルが違うのでは…。

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「だから、1時間ぐらいの記者会見や、インタビューなら、終った後でほぼその通り再現できる。その中で重要な部分を、自分のノートに記憶しておくことはあるが、現場ではめったにメモしない。メモ帳を持たないと格好がつかないと思う時は、関係のないことをメモ帳に落書したりしている。…ぼくは、もっとも優れた取材方法は取材対象がすべてを話してくれるように仕向けることではなく(そういうことは滅多にない)、取材対象者が話した覚えがまったくない状態で、結論を聞出してしまうことだと思っている。…自分が追いかけているテーマについて『これはどうなっていますか』と質問し、それに『それはこうです』などと親切に答えてくれるような取材対象はまずいない。もし、答えてくれるようなら、それは取材する価値もないような小さな話である。」

「作家の堺屋太一さんによると、人間には『思想』と『気質』でそれぞれ、ふたつのタイプがあるという。『思想』では『体制』と『反体制』にわかれるのだという。また、『気質』では『主流』と『反主流』にわかれるらしい。」

「ヨルダン国境にあるイスラエルの死海。南の端に切立った巨大な岩壁が並ぶ。その上に築いた城塞でローマ軍に追いつめられた九百人を超すユダヤ人が自害して果てた。西暦73年、ユダヤ民族の二千年に及ぶ離散はここから始まり、この地『マサダ』はユダヤ民族の国家意識の原点となった。城塞から海抜マイナス三百メートルの死海を眺めていると、目の前二百メートルほどのところをF15戦闘機が数機、飛立って行った。イスラエル軍の入隊宣誓式のあと『マサダを繰返すな』という精神を教え込むための飛行だという。翌日、首都エルサレムで会ったヘブライ大学の教授は『マサダだけでこの国を判断しないでほしい』とつぶやいた。しかし、はるか離れた日本を思うと『国家』の意味を考えずにはいられなかった。」

「近頃、いい顔をしているな、と思う人に出会うことが少なくなった。いい顔、そう、知的に、志高く生きているな、と思わせる人間である。」

「毎年、定期的に一流大学からエリートの卵たちが、ところてんのように社会に押出されて行く。年功序列、終身雇用の日本的システムの中で、狭いその世界しか知らない幹部が純粋培養され、トップへの階段を登って行くのである。」

「小選挙区制を導入している英国では、保守党も労働党も候補者選定にあたって、立候補を希望する人物を三回にわたって審査する。知的能力、誠実さ、政策の理解力、説得力、情熱などおよそ政治家として必要なものほとんどすべてが口頭試問などで審査される。また、どの選挙区から立候補するかも原則として政党が決める。はじめは相手政党の候補者が強い選挙区を割当てられ、どの程度票を伸したかで、次の選挙での候補者になれるかどうかが決まるのである。英国では出身地の選挙区から立候補することは原則的にできない。」

「ぼくたちの社説は、まず、週に一回、月曜日の正午から、一時間半ほどの会議を開き、そこに全論説委員が集って、一週間の社説について議論する。これから始まる一週間、どういう日程が予想されるかを政治、経済、社会、それに世界情勢、あるいは文化なども含めて、日程表をにらみながら議論をする。約三十人の論説委員にはそれぞれ担当分野というものがあり、こういう社説を書くべきだ、書きたいというような自己申告が行われ、それぞれのテーマについて意見を言合う。…論説主幹は小島明さんでぼくより四年先輩の経済の専門家である。」

「ひとつのコツは重要なことを話しているという気持ちに相手をさせないことである。どんな驚くような話が相手から飛出しても、ぼくはそんなことはもう知っているというような顔をする。鋭敏に反応することを避けるのだ。相手はこの記者は少しも理解していないのではないか、と不安になって、別の言い方で同じことを話してくれる。二度目のときはどんな人でも一度目より具体的に話すものである。」

「ジャーナリストの仕事のうち、華やかな部分はごく一部で、大半は地味な作業の積重ねである。その意味ではぼくはジャーナリストの仕事はCIA職員の仕事によく似ていると思っている。CIA職員はスパイのような仕事だけをしているわけではない。それは小説の世界の話であって、仕事の大部分は公開された情報の分析だという。簡単にいえば、新聞の切抜きである。公開された情報を毎日集め、分析を続けていると、いつか、どこかに変化や異常を告げる兆しのようなものが、顔を出す。それに直接集めた情報を重ね合せて行くのである。それと同じように、ぼくたちの仕事は、新聞を丹念に読むことにかなりの時間を割かざるを得ない。眼光紙背に徹して、その行間を読むのである。」

「名刺一枚で、誰にでも会える。それは一面、真実である。でも逆に言えば、誰にでも会わなければならないということでもあるのだ。たとえ会いたくなくとも。」

「小さな事実も積重ねてみるとまったく違う事実が浮んでくることもよくある。いわゆるメガ・ファクツ(超事実)である。ジャーナリストの究極の使命は、メガ・ファクツの発掘にあるとぼくは思う。」