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研修の感想
 2年目研修で絶望感を強め、しばらく無気力状態が続いた。とにかく、何を言ってもムダだということが、はっきりした。そして、きれいに洗脳されている多くの同期を見て、迷いもなくなった。エリートたちは、歯の浮く ような優等生的感想文を提出したのだろうが、私は正直に思っていることを書き、幹部に行き渡るよう10枚コピーして管理部に送った。A4で1枚との制限つきだったので、10ポイントの小文字でびっしり書いた。管理部から注意された直属の部長の反応は予想通りで、私を公園に呼び出して全否定の説教をした。少しでも理解しようという柔軟性が相変わらずゼロで、管理能力のなさを感じるとともに、さらに絶望感は深まった。
                             (以下、送付した原文そのまま) 

研修の感想」     1997年 10月12日  

 当社組織の社風から予想するに、せっかく提出した感想文も、形式主義で読み流しておしまい、ということになりかねないので、まずは、研修の指導者諸氏だけでなく、できれば参加者全員に行き届くことをお願いしたい。

 私がまず思ったことは、多くの同期の記者たちが、立派ないわゆる「優等生」であることだ。そして、会社を聖域化せず、どうどうと分析、批判できる、つまりジャーナリストとして当然の能力を持つ記者に育っていたのは、ほんの数人であったことである。

 自身の保身と出世のために、思ってもいないことを言ったり、平気でウソをついていた記者が何人もいた。どうしてそのような行動をとるのかと言えば、そういった人たちが社内的に有利になる会社の空気、仕組みがあるからである。幹部らは勝手に、「自由闊達な会社」などと思っているようだが、とんだ思い違いと言わねばならない。「会社への要望はありません」などと平気で宣う記者たち。そういった「おべっか」を使う記者が有利な立場になり、私のように会社自身をもジャーナリスティックに見ようと試みる記者が不利な立場に追い込まれる社風であることを、幹部はもっと認識すべきではないか。

 会社を辞めていった同期2人以外に、私が知っている範囲で、少なくとも5人は会社に嫌気をさしている。仕事自体にではなく、会社の体質に、である。会社はそういったまともな記者にとっていずらい場所であり、彼らが選別・排除された結果、いずれナチのような統一思想を持つ組織となるだろう。

 同期に、ナチのエリート青年将校と化しているような人たちが沢山いた。命令に従い、冷静沈着に指令をこなす。一切の疑問を持たない。記事を書く実習があったが、答えの決まっている問題をこぞって競うなど、本当に呆れた。冷戦構造・55年体制下の体質をそのままひきずっている。確かに、優等生たちは教えられた通りに記事を書くだろう。幼い頃から、試験、試験で高得点を重ねてきたのだから当然である。しかし、ジャーナリストに求められる能力は、それを疑い、おかしいと思ったら批判し、行動に移す力だ。冷戦後の今、世界で起こっていることは、答えの見えない問題を解決する試みであり、我々が養わねばならぬのは、答えが1つの画一的報道をする能力ではない。

 「下からどんどん発言していけば変わる」という指導員の発言があったが、最初の採用時から、会社ベッタリの体制側記者ばかりを採用しているのだから、多数決では常に負けることになる。多くのまともな記者たちと、研修後に「のれんに腕押しだね」と感想を述べあった時、「もうどうにもならないな」と諦めの気持ちになった。

 確かに、いつまでも「zen-gen」などという軍隊イベントに強制参加させている会社でも、社員の生活は困らない。アジアの人たちがそれを聞いたら一大ニュースだろうが、それでも日経新聞は存続する。独占的経済紙であるから、経営的には問題は起こらない。ただ、ジャーナリストとしてのプライドや満足感、合理性や社会的正義を求める記者たちにとっては、極めていびつな組織であることは、率直に言って議論の余地がないと思う。沈みかけた時に初めて気づくのが世の常だが、「それでいいのか」と問いたいのだ。

 ソニーの出井社長は、以下のように述べている。私も研修で指摘したイントラネットの件である。「私の目下の最大の楽しみは、私自身がソニーのホームページを持っていて、毎週1回、内容を更新しているんです。私の全行動を公開して、それこそ最近行ったレストランとか飲んだお酒とか、あるいは最近読んだ本だとか、何を感じたかとか、いろいろなことを載せている。大賀会長も私のホームページの愛読者の1人になってくれたりしている。とにかく非常に面白くて、本当に楽しんでいますよ。」「去年の4月ごろからだから、もうかれこれ1年と4、5ヵ月になるでしょうか。最近は1部英訳されたりしていますよ。これはイントラネットなのでソニー以外の人はアクセスできませんが、ソニーグループの従業員とはたいへんいいコミュニケーションになるんです。」(フォーブス11月号より)

 こうしたリーダーや仕組みは、日経には議論の余地なく「いらない」ということか。今時、社内で分煙していなかったり、電話が1人1番制でなかったり、自主留学を全く認めなかったり、中途採用をしなかったり。現場ではあるべき姿を目指して組織を活性化する意見が、それこそ宝の山のように沢山上がっている。しかし、議論の余地のある問題についても、議論を受け付けない風土がある。堀川編集長が我々の要望に対し「全く納得するような意見はなかった」と述べたのがその良い例である。現状に対する批判に聞く耳を持たず、たとえ少数だろうが、正論が通じない組織で良いのか。

 社会の公器として、言論・報道機関として、それは許されない、というのが、私の感想である。