「賢いお金の使い方」          ハノイ(ベトナム)  '95 . 8

 もうやめておこう、と思ったその時、その少女は現われた。ここはホアンキエム湖。首都ハノイの中心である。この辺りには、外国人旅行者目当ての「物売り」が大量に徘徊している。その多くは10代の若者で、10歳にも満たない子供も少なからずいる。

 私が少しでも商品に興味を示すと、湖を半周するくらいまで、1キロでもくっついてくる。ポストカード10枚が5万ドン。日本円にして5百円弱で、よく考えると、法外に高い値段だが、着いたばかりで、物価レベルがまだ飲み込めていない。また、買うことによって、歪んだ形ではあれ、子供達を瞬間的に救えるのも確か。熱心さにも負けて、3人から買ってしまった。しかし、さすがにキリがないので、もうやめようと決心していたのだ。

 少女は、英語が堪能だった。話術も巧みで、他の売り子が「貧しくて、腹が減って両親がいなくて困っている。助けてくれ。あなたにとっては安い買い物だ」とひたすら情に訴えるのに対し、「何処から来た?」「いつ来たの?」「どこに泊まっているの?私が安い宿を知っている」「どこを見に行きたい?ハノイではどこそこがいい」などと、誘導尋問をしていく。少しでも旅行者の役にたっ
て、そのお礼という形で物を買ってもらおうという考えである。ついつい話に乗っているうちに、買わざるを得ないような状況に追い込まれるという寸法だ。

 とにかく、みんな必死である。ここまでこの子らを駆り立てる背景には、何があるのだろう。果たして、この子たちの言っていることは本当なんだろうか。様々な疑問が湧き、色々尋ねてみたくなったので、とりあえずガイドさせてみようと思った。

 始めて歩く街なので、英越通訳兼、ハノイのガイド兼、ベトナム語・英語講師と考えれば、ハガキを買うことになっても、高くない。

 私は、人を見抜く眼には少々の自信があったが、この売り子たちの言うことに関しては、半信半疑だった。情に訴えるのは買わせるための常套手段だし、みんながみんな同じことを言うのも変だった。

 私は、根掘り葉掘り、尋問した。家族のこと、住居のこと、生い立ちから今の生活まで。彼女は、15歳で、両親は老衰で亡くなっている。今は政府の施設である小屋のような家に住んでいる。貧しいので学校にも一切行ったことがないという。

 それでは、なぜそんなに英語がうまいのかと尋ねると、2年間独学で勉強したとのこと。その際に使用した唯一の書物が「ベトナム-英語辞典」で、これがまた売り物で、私に買えというのだから、恐れ入る。

 よく見れば、物売りの子達は、みんな体格が小さく、痩せている。彼女も、15歳にしては背が低いし、細い。多かれ少なかれ、みんな発育不良である。

 だいたい、この年の年齢で学校に行っていないのだから、やはり身寄りがない子なんだろう。考えれば考えるほど、彼女の言うことを信じるようになった。もうこれ以上質問しても、お互いつらいだけだ。

 良く観ると、彼等のほとんどが同じものを同じスタイルで売っていることに気がつく。ポストカード、地図、辞典類をダンボールの入れ物に包み売り歩いているのだ。

 そして、皆が、英語で記された政府発行の証明書を持っていた。いわく、「この子たちは、めぐまれない子供たちです。確かに値段は高いですが、もし旅行者がこれらの物を買ってあげれば、あなたはジェントルマンです」というわけだ。

 彼女の話では、この売り子たちは、この湖周辺に50人くらいいる。一日あたり、せいぜい3つくらいしか売れないのだという。男ならば、アンコム(飯を食う=とりあえずの仕事)と呼ばれるシクロ(人力車)のドライバーにでもなれば良いが、女には力仕事はできない。そうかといって、物乞いになるわけにもいかないから、彼女にとって仕方のない選択なのだろう。確かに、少数ではあるが、物乞いの子供もいるにはいるが、全く相手にされていない。

 政府からの十分な福祉は受けていないのだろう。必死に売ろうとする姿から見て、歩合制であることは間違いない。「生きたかったら、売るんだ」という使命感さえ感じられる。おんぶにだっこの福祉政策なんて、この国には存在しないのである。

 それにしても、この子らはその抱えている運命にも関わらず、悲壮感を感じさせない。それどころか、パワフルで、明るささえ感じさせるのである。若さゆえのことなのか。人間の生命力のたくましさ、強さを感じざるを得ない。

 ガイドとして、彼女は有能だった。彼女に比べれば英語も満足に操れない私にも、分かりやすい説明だった。言語の不自由な人間とコミュニケーションがとれる人ほど、頭の回転が早いものだ。簡単な例で言うと「THIRSTY?」で聞き取れなければ「WANT TO DRINK?」と直ぐに言い換えれるかどうか。

 彼女は賢かった。少なくとも、日本でその辺に湧いている日本の女子大生よりは、確実に。環境が鍛えた面もあろう。しかし、日本に生まれていれば、全く違った人生を送っていたことだろう。人生なんて、所詮、生まれた時に半分くらいが決まっているのだ。

 いろいろ考えながら歩き回っているうちに、腹が減ってきた。

「腹が減ったな。昼ご飯を食べないか?」

「カフェ?それともレストラン?」

「私はあなた達が普段食べているものと同じものを食べたいんだ。君がいつも食べている店に行こう。」

 ということで連れて行かれたのが、大衆食堂。軒先に並べられた皿の中からおかずを数品選ぶ方式。主食はFHO(ベトナム式ラーメン)かCOM(御飯)、またはチャーハンなどを頼む。飲み物はTEA(ジャスミンティー)かペプシなどのジュース類。ゆでたカニやら野菜炒めやらを頼む。確かにきめ細かな味ではないが、それなりにうまい。FHOも具が沢山入っていて、ケチケチした日本のうどんよりもずっと好きだ。チャーハンをおかわりして、ベトナムでは割高のペプシも飲んで2人で5万5千ドン(5ドル)。安いものである。彼女は「私だから、安くておいしい店を知っているのよ」と得意げである。

 その後、大使館、ツーリストオフィス、神社、土産屋さんなどを案内してもらった後、10ドルの安宿を案内してもらって、とりあえずそこで解放することにした。

 絵葉書と英越辞典で彼女の最初の言い値は12万ドン(12ドル弱)だったが「2つでいくら?」とわざと聞いてみた。

 「あなた次第よ。あなたは私にいくらくれる気があるの?」

 彼女のほうが上手だった。

 「英会話の練習にもなったし、20ドルでどうだ?」と言うと、本当に喜んでいた。

 こういった外貨の落とし方は、観光地ばかりをうるおわせ、マクロ経済を歪ませることは薄々わかっているのだが、情に訴えられると弱い。彼女の真剣なまなざしと、懸命なガイドに負けた。いい店に、いい宿を案内してくれたし、5時間のガイド料としては、安いものだ。

 それにしても、私は逃げようと思えばいつでも逃げられた。しかし、最初にものをもらっていた以上、それを持って逃げることはできなかった。

 『心の中を見透かされているのは、おれの方かもしれない』

 彼女と別れたあと、そんなことを考えながら、夕食は本格的なベトナム料理を食べようと思い、レストランに向かった。

 ガイドブックに載っているシーフードの店でカニ料理を注文する。しかし、これがスパイスが効きすぎて、全然おいしくない。昼飯のカニの方がましだ。なんとかチャーハンで腹をたしなめ、ミネラルウォーターで口のヒリヒリを抑えたが、なんとそれだけで26ドルもの請求だった。

 これには、本当に後悔の念が収まらない。夕方、彼女にあげた20ドルと、この26ドルの中身は、あまりにも違うのだ。

 ふと、新聞で読んだ、世界一の大金持ち、ビル・ゲイツの言葉を思い出した。「お金を賢く使うことは、お金を稼ぐことと同じくらい難しいことだ」 

 宿への帰り道、落胆しながら、思った。

 「二度とレストランなんか入るまい。レストランで使うくらいなら、社会の底辺で一生懸命生きる貧しい人々に、少しでも還元しよう…」


※その後の20ヵ国以上にわたる旅においても、ホアンキエム湖周辺以上に執拗な物売には、出会うことはなかった。ベトナムのパワーの凄さを象徴するものだろう。

 


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