「日経表現の自由侵害訴訟」
 記者の言論・良心の自由を封じる『日経』を訴える
プレス版

 未だマスコミで1行も報じられていないが、日本経済新聞社を被告として、記者の表現の自由を争うかつてない民事訴訟が、着々と進行中だ。本件につき、他社・他国例も含め原告である私の立場から報告・解説する。

 被告は日本経済新聞社(鶴田卓彦社長)で、出勤停止処分の無効とその間の未払い賃金及び慰謝料等を含む1022万円余りを請求、2001年3月に東京地裁に提訴した。処分の根拠は質問状(99年9月)を出しても明らかにされなかったが、被告は6月12日付準備書面1でやっと4点を挙げてきた。その前に事件の経緯を述べよう。

 私は96年に入社して間もなく、新聞社の旧態依然ぶり・腐敗ぶりに驚愕し、知人宛のメールでその事実を知らせるとともに、ホームページ(HP)にも転載を始めた。内容は、記者クラブや権力との癒着など取材プロセスにおける問題点の指摘が半数余り、残りは軍隊的・旧態依然の社内・業界体質などで、ファイル数は最大で100余。HPには昔からの書評・旅行記など様々なコンテンツがあり、個人的な内容が半数以上あった。
 97年5月、「週刊朝日」に紹介されたため会社がHPを発見、一方的な閉鎖命令を受けた。表現の自由侵害と抵抗したが、「命令に従わないと、次の人事で応援できない」と追い詰められたため「会社として基準を作成せよ」と注文し「わかった」(守屋林司部長)との回答を得て閉鎖。その後、表現禁止状態が続いたが、折に触れ聞くもなしのつぶてで、1年後(98年5月)、既に約束は果たしたとの判断から当然の権利として再開した。
 会社は8ヶ月後の99年1月にやっと気付き、「なぜ命令に従わない」と激怒、「懲戒解雇か依願退職の2者択一だ」と12時間、一方的に脅迫した末に上申書を書かせ、2週間の出勤停止処分とした。4月に取材現場から外し4割も給料が低く、一日中新聞を読むくらいし仕事がない部署で飼い殺し状態となり、退職した。

 以上が経緯だが、準備書面による処分の4つの根拠について、1つずつ見ていこう。
1.「再三の注意にもかかわらず自己のHP上への掲載を続行した」ことにより「責任者の命に従わない」(就業規則71条1号)。
 上記経緯の通り、注意は一回だけで、しかも一度は責任者の命に従い不本意ながらHPを閉鎖した。1年も猶予がありながら検討しなかった会社側こそ問題だ。そもそもHP閉鎖を1年も強要する権利など会社にはなく、これは表現の自由を保障する憲法違反だ。

2.「会社の経営方針あるいは編集方針を害する行為をしないこと」(33条1号)に違反した。
 被告は「取材源の秘匿」が経営・編集方針だと主張する。私は記者クラブを通した癒着の実態や取材現場の軍隊的実態につき、一部実名で記した。取材先が権力である場合、それを特定できようが、秘匿の約束がない場合は問題ないことは「新聞記者の良心宣言」でもうたわれている。私が特定した取材源は全て権力そのもので弱者ではない。
 編集権については、日本新聞協会が1948年に発表した声明で、新聞経営者は「編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する」ことができるとされた。これは恐ろしいことだ。接待を受けたら取材先企業に費用を払わせたほうがコスト削減になり、記者クラブや再販といった既得権は保持したほうが会社は儲かり、取材先(権力)を守るため情報源を秘匿したほうが癒着も容易だ。どれも企業収益に貢献するが、公の利益や記者倫理に反する。
 最近では、田中真紀子外相の外交交渉の席での発言を新聞記者にリークした外務官僚は、機密を漏らし国益を害した可能性が高く公務員法違反の疑いが濃厚でも、取材源秘匿の美名の下に新聞社に守られている。
 こうした状況に対し、経営の論理に支配されつつある新聞界に危機感を持った新聞労連(北村肇委員長が97年に発表したのが「新聞人の良心宣言」だ。「公的機関や大資本からの利益供与や接待を受けない」「会社に不利益なことでも、市民に知らせるべき真実は報道する」「新聞人は閉鎖的な記者クラブの改革を進める」などが定められた。私の処分は図らずも良心宣言を実践した結果であるが、本訴訟で経営の論理と記者の良心のどちらが優先されるのか、貴重な判例ができる。

3.「会社の機密を漏らさないこと」(33条2号)に違反した。
 部署の名称や人数を記したこと、締切の時間を記したことが機密だそうだが、これについては担当弁護士も呆れており、この程度で処分理由になった前例はないという。

4.「会社の秩序風紀を守るため、流言してはならないこと」(35条2号)に違反した。
 これはHPを閉鎖させた日経に対し「悪魔」「天然記念物級」等と記したことを指しているが、記者の表現の自由を禁止する行為は言論の自由を守るべき新聞社として自殺行為であり、流言でも何でもない。

 日経は本件発覚(99年1月)後、「業務外のホームページ等に関する規定」を策定、99年9月に施行した。その第四条では「従業員はホームページ等において、当社社名(略称、商号等を含む)、所属部署、役職、入社後の経歴等を原則として表示してはならない」とある。記者は会社の所有物ではない。会社がそこまで規制できるのか。
 こうした状況は、日経特有ではない。各社とも、外部での表現については会社の許可制で許可基準が不明確な点で共通する(表1参照)。これでは官僚の行政指導と同様、権力サイド(経営)にフリーハンドを与えているようなものだ。処罰例がないのは権利が明確でないため萎縮し自主規制した結果だろう。"
 個人の表現の自由が権利として認められないと、全てが経営の論理で動くため、業界の既得権(記者クラブ・再販…)や旧体質(軍隊的、年次主義…)は全く改革されず、多様な言論も保証されない。ただでさえ、本件のように権力の既得権を問う訴訟を起こして問題提起しても、マスコミ全体で自主規制され、一行も活字にならない保守的状況なのだ。HPさえダメとなれば、良心はどこで表現され得るのか。(本件は週刊新潮など数誌の取材を受けたが結局、自主規制された)  

 従来、夏休みを一ヶ月とったがためけん責処分された時事通信記者が処分無効などを訴えた裁判(八一年四月提訴)は各紙で報じられたし、会社の天皇報道に疑問を呈す行動を起こしたため左遷された読売新聞記者が人権擁護委員会に救済を申し立てた件(九〇年十一月)も週刊誌等で大きく報じられた。国税庁記者クラブ資料を発表日前に漏らしただけで退職に追い込まれた日経記者の件(九八年五月)でさえ複数誌で報じられた。今回はネット上の表現の自由という今日的課題であり、前例の少ない裁判という形にしたにもかかわらず一行も報じられない点で、業界全体で内部を庇い合う保守的状況が進んでいると言える。

 他国で参考になるのがフランスだ。仏では職業ジャーナリストは身分証が与えられ「社外活動の権利」が認められる。定期刊行物への掲載などの活動では、届け出後1ヶ月経過して回答がない場合、自動的に雇用主の同意を得たことになる(全国労働団体協約第7条)。私の場合、社外活動かは微妙だが、1年も放置することは仏では違法となる訳だ。
" 記者の表現自由権と併せて、新聞社の情報公開も重要だ。仏では労働法典第L.761−7条で「良心条項」と呼ばれる特別の精神的自由が認められており、「性格あるいは方針の著しい変化」等が生じた場合、記者は高額な手当を受取り、転職活動を行える。これは新聞社の方針が明確であることが前提だ。
 日本の新聞社は表向きは公正中立をうたい業界の改革にも前向きを装うが、入社してみないと内部実態は分からない。記者の良心を守るためには、会社の経営・編集方針・社内規定等が原則公開である必要がある。公開されて始めて、自分の信条と付き合せられる。読売新聞のように平気で回答拒否する閉鎖的体質はまっ先に改めさせねばならない。
 新聞社の労組には、あるべき姿を議論する場として新聞研究部という組織がある。しかし経営者にとっては、こうした社内のサークル活動レベルでガス抜きし、押さえ込んでおくのが最も都合が良い。当然の結果として、新聞業界は自己改革が全く進まなかった。記者クラブを改革したのは竹内謙・鎌倉市長であり、田中康夫・長野県知事だ。
 労組やマスコミ関係者、また「アジア記者クラブ」といった良心的組織がいくらシンポジウムを開き、また内輪で会合を開いても、それは「何が問題か」を議論することには有効であっても、改革を「実行」し結果を出すことには全く無力だ。特定少数者が内輪で情報交換して自己満足しているうちは、改革は進まない。

 改革を進める手段は2つある。1つは、既に述べてきたように、記者が不特定多数の社外に対し良心を表現する権利が認められることだ。例えば私が実践してきたように、記者クラブでどのような情報操作が行われ、どのような癒着が行われ、また新聞社内の時代錯誤な労働実態や軍隊用語が飛び交う体質などが記者の良心に基づいて改善策まで具体的に表現できるようになれば、当然、有権者や読者の圧力もかかる。それが本訴訟の本質で、これが内なる改革。

 もう1つは、外からの改革、つまりこうした旧来の体制に批判的な新媒体を作り、読者に本当のことを知らせることだ。日本の新聞業界は戦後、「東京タイムズ」などの撤退はあれど、新規参入は事実上なかった。そのため戦前から続く新聞社のみによる閉鎖的な業界体質が二一世紀に至っても継続され、読者の選択肢と知る権利が事実上、制限されている。

 内と外、いずれかを実現しない限り改革は絶対に進まず、国民の知る権利も守られない。このことはいずれ歴史が証明するだろう。

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