平成14年(ネ)第2307号

控訴人 

被控訴人    株式会社日本経済新聞社

 

2002年5月23日

東京高等裁判所

 第8民事部 御中

                           控訴人訴訟代理人

弁 護 士    塚   原   英   治

同         早   瀬       薫

 

準備書面(1)

 

第1 原判決の基本的な誤り

 1 原判決は、控訴人の懲戒処分につき、確認の利益は認めたものの(29頁)、懲戒処分を相当とし、かつ配転には違法な点がないとして、損害賠償も否定した。

 2 控訴人は、原審に於いて、被控訴人の懲戒処分の不当性及び資料部への配転の不利益性・異常性を証する著名な新聞記者経験者の陳述書3通を提出し、論証したが、原判決はこれに答えていない。

 とりわけ、就業規則該当性の判断に顕著であるが、これは第3ないし第6で詳論する。

 3 原判決は、被控訴人守屋部長の当初のHP全面閉鎖命令が違法であり(35頁)、控訴人がこれに従う義務がなかったことを正しく認め、守屋部長が控訴人の要求を無視して、会社にHP規定を設けるよう働きかけなかったことを認めている(20頁)。

   にもかかわらず、この違法な命令を不満とし、被控訴人がHPについての合理的な基準を作らないことに怒りを覚え記載した控訴人の文章を、「通常の社内批判の程度を超える感情的なもの」だとし、処分相当だとした(34頁)。このような文章を書くに至った事情に鑑みれば、控訴人を重い処分にするのは、バランスを欠き酷に失するものである(第6で詳論する)。

 4 原判決は、「被告の経営・編集方針を、個人のHP上に『新人記者の現場から』の各文書の公開を再開した平成10年5月ころにまでには当然に認識していたことが認められる」と認定し、あたかも「確信犯」であったかのように認定しているが、全く事実と異なる。第7の2で詳論するとおり、すべての控訴人の活動は、まるで不明で社員が認識できない経営・編集方針や就業規則を、明確化するための活動だったのであり、原判決はこの点について根本的に誤った認識をしている。

 

第2 新聞記者の言論の自由

 1 原判決は、「仮に懲戒処分の対象となる労働者の行為が憲法上保障される場合であっても、憲法上の権利保障は労働者と企業との間の労働契約関係を直接に規律する効力を有するものとは認められないうえ」と述べる。

   しかし、私人間の関係を直接規律するものではないとしても、「人権は、公法・私法を包括した全法秩序の基本原則であって、すべての法領域に妥当すべきものである」(芦部信喜『憲法』岩波書店(1993年)95頁)から、懲戒処分の妥当性についても、言論の自由との関係での考慮が必要である。

 2 今回の処分の効力を判断するについても、「機密」判断を含め、言論の自由との抵触が問われなければならない。にもかかわらず、原判決は、秘密性の判断につき、会社が秘密としたいものが秘密だと安易に判断している。

   さらにいえば、被控訴人守屋部長が当初、問題箇所を特定せず、HPの全面閉鎖を命じたのは、今回問題とされた部分以外の控訴人の言論活動、たとえば記者クラブ批判などを封じる目的があったためである。被控訴人がなした行為の言論抑圧性を正しく認識しなければならない。

   この点は、原告準備書面3で詳しく論じたところを参照されたい。

 

第3 会社の編集方針違反について(その1) 取材源の秘匿

 1 原判決は、「被告が責任を持って発行する新聞などの各種媒体に掲載しなかった取材源を公開しないこと」を経営・編集方針としていると認定している(31頁)。

   しかし、被控訴人は、「会社の編集方針」なるものを明示したことはない。被控訴人が主張する「取材源秘匿の鉄則」も、文書で説明された事実は一度もない(佐々証言14頁)。本訴のなかでさえ、主張が変化しており、証言に明らかなように守屋部長と佐々部長でも考えが異なっている。このように、そもそも経営・編集方針とは曖昧模糊としており、それを根拠に懲戒処分できるような確固とした代物ではない。

 2 控訴人は経営・編集方針を認識できていない

 控訴人は、記者教育の中で、被控訴人の「編集方針」を教育されたことはなく、被控訴人の理解する「取材源の秘匿」を教育されたこともない。被控訴人が自己の「編集方針」を懲罰をもって徹底しようとするのであれば、明示は最低限の要件である。もちろん、その内容が憲法違反であるか否かは別問題である。被控訴人が、口頭で具体的な説明をしたのも、1999年2月の「退職強要面接」が初めてのことであった。

 原判決は、「取材源は取材先との約束がなければ原則として公開することが許されるべきものであると主張するが、被告がこのような考え方に立っていないことは原告も充分に認識していたものである」(32頁)とするが、それが、違反すれば懲戒されるような編集方針などと認識する機会はなかった。ないからこそ、第7の2で詳論するように、控訴人は基準策定を求めたり、HPを再公開したり、質問状を送ったのである。

 3 新聞紙面に載らなかった取材源は全て秘匿しなくてはいけないのか

 原判決は、「取材源を公表するか否かの判断は、基本的には被告がその責任において行うべきもので、原告が判断すべきものではない」とする(32頁)。

 しかし、記事の中に取材源が明示されなかった場合が全て「取材源を秘匿すべきだと会社が判断した場合」になるわけではない。会社は日本のジャーナリズムの悪しき慣行に従い、取材源の明示を怠っただけなのである。

 新聞紙面で特定しない取材先を特定したことをもって「取材源の秘匿」違反とするのは「被告のジャーナリズム機関としての認識不足」(甲21号証・山口意見書6頁)であって、鉄則ではない。「本件のような場合に『取材源の秘匿』を持ち出すのは、いいがかり」(甲18号証・北村意見書4頁)というべきである。

 4 原判決はまた、「取材先は、被告の記者である原告に対し、被告の判断と責任において作成される新聞等の記事として掲載されることを承諾して取材に応じているものであって、原告がその判断と責任において作成する個人のHP上において取材内容を公にされ、あるいは取材源を明らかにされることについて承諾しているものであるとは認められない」とする(32頁)。

 しかし、そのような限定付きの承諾は通常存在しない。取材先が掲載媒体を指定して取材に応じることは、かえって癒着として糾弾されることがある。取材先は、掲載をしないことや、取材源を秘匿することを条件に、両者承諾のもとで取材に応じることはある(それでも特に公人のオフレコ発言の場合は公共の利益を優先して公開することさえある)が、その他の通常の取材活動において、取材結果をどのように公開されようが、問題にはならない。

 たとえば読売新聞社記者の第一勧銀事件の取材結果が、読売新聞社会部『会長はなぜ自殺したか』という本になって新潮社から刊行されるなど(1998年)、取材した新聞社が「責任を持って発行する」媒体以外から公表されることはいくらでもある。新聞の取材に応じたものは、単行本化に際し、承諾を求められることもない。

 被控訴人の記者である田勢康弘氏などは、日経の記者であることによって得られた取材結果をもとにして、覆面で政治小説を発表したり(甲29号証の3)、新潮社からジャーナリズム論を公刊している(甲29号証の2)が、被控訴人社内で問題にされた様子は全くない(佐々証言13頁、守屋証言13頁)。

 

第4 会社の編集方針違反について(その2) 捏造

   原判決は、「被告が責任を持って発行する新聞などの各種媒体に」「虚偽の事実を掲載しないこと」を経営・編集方針としていると認定し(31頁)、控訴人が記載した「捏造記事」が虚偽の事実の記載に当たるとしている。 しかし、この頁は、虚心に読めばわかるとおり、筋書き通りに現実をあてはめて強引に記事を作るという新聞社の慣習を、自らの体験を踏まえて批判しているものである。控訴人は確かに「哲雄」という名前を創作したが、問題なのは、控訴人の行為ではなく、予定した記事にあてはめたり、あるいは上司が記者のとってきたコメントを勝手に改ざんする行為である。それこそ、まさに「記者の倫理」に反する捏造行為である(前澤猛『新聞の病理』甲26号証50~54頁を是非参照されたい)。

   原判決は、このような新聞社の日常的「コメントの捏造」は問題にせず、何ら実害のない「人名の創作」(仮名であっても何の支障もなく、控訴人が記事に書いた名も、記事中で「仮名」としておけば、何の問題にもならなかったはず)を、「人名の捏造」「編集方針を害している」と決めつけている。これもまた、著しくバランスを欠いた判断である。

 

第5 会社の機密を漏らさないこと

 1 原判決は、「夕刊の各版の締切時間」と「社内の部署ごとの人員」「中途採用はしないという方針」が、もらすと懲戒処分に値する「機密」に当たるという。驚くべき判断である。

 会社が秘密と扱っていても、客観的に秘密ではないもの、あるいは実質的にそれを秘密として保護するに値しないものは、公表したとしても処分される理由はない。このことは、国家公務員法109条12号、100条1項にいう「秘密」について、最高裁昭和53年5月31日決定・刑集32巻3号457頁(外務省秘密電文漏洩事件)が述べるところである。

 2 「機密」とは

 「機密」とは、「(枢機に対する秘密の意)政治・軍事上のもっとも大切な秘密」『広辞苑(第5版)』(岩波書店・1998年)のことである。防衛庁の「秘密保持に関する訓令」(昭和33年11月15日)では、「機密」とは、「秘密の保全が最高度に必要であって、その漏洩が国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるもの」をいうとされ、それに至らない「極秘」や「秘」と区別されている。

 原判決が機密に該当するとした、採用の方針や、締め切り時間などは、実質秘になり得るような情報ではないし、「機密」などと言うものでは全くない。

 新聞の締め切り時間は、各社間でいたずらに締め切りを延長しないよう朝刊・夕刊最終版について協定が結ばれている。したがって社外秘でも何でもない。控訴人代理人ら報道されるような事件を担当する弁護士なら皆知っている(記者会見をする機会があるため、日程調整の常識になっている)。現に各新聞紙上でも、報道検証記事などで、締め切り時間に言及した記事がある(甲21号証・山口意見書6頁)。このようなものが普通の企業で機密扱いになることはあり得ない。もしこれが「機密」だというなら、被控訴人はインカメラ手続きでも申し立てたであろう。

 通常人は知る必要がないことだと言うのかもしれないが、それは秘密にすべき理由とはならない。競合他社との競争上知られたくないことだと言うのかもしれないが、記者クラブ制のもと、お互い他社の事情は皆知っているのである。この意味でも秘密性を欠く。新聞社は権力に情報公開を迫るべき存在なのだから、新聞社が自らの情報を一切秘匿するのはおかしいのであって、これが明らかになったからといって全く処分の対象となるものではない。

 3 会社が「秘密」だと言えば、すべて秘密なのか

 原判決は、「被告が社外秘としていることを明らかにした上で、敢えてこの事実をHP上に記載して公開していることが認められる」(33頁)とする。しかし、会社が社外秘としたものの中身を検討することなく機密扱いすることは、前掲の最高裁判決の趣旨に照らしても問題である。実質秘と言えるかが問われなければならない。

 原判決が「機密」に当たるとするのは、中途採用に関する会社の方針を説明した文書と記者の配置数である。被控訴人によって予め「社外秘」とされていたのは、このうち採用方針のみであり、配置数は控訴人が名簿から算出したものである。文書に社外秘として記載されていたわけではない。これらが「機密」になるならば、ほぼすべての企業内文書は「機密」になるであろうし、新聞記者が民間企業の採用方針や人事配置を取材することも不可能ということになる(甲21号証・山口意見書7頁)。このような程度のことは日々報道されている。マスコミ関係の就職情報誌や就職マニュアルなどでは、どこの社で中途採用があるか否かはふつうに報道されている。控訴人は、まさにここで明らかにした程度のことを「社外秘」としていることを問題にし、新聞社の情報公開の必要性を指摘しているのであるから、「社外秘」であることを謳うのは論述から避けられないことである。

 従業員の名簿は、住所などのプライバシーにかかわる情報が記載されているから、社外秘とすることもありえよう。しかし、そこから抽出された情報が秘密になるわけではない。

 さらに言えば、現在、食品の安全性や表示の適正などに関し、企業の不祥事が続いていることから、英米の法制に倣った内部告発者の保護が議論されている(これらの法制については、丸田隆「告発先進国・米英の保護法に学ぶ」週刊金曜日360号22頁参照)。内容の適否を問わず、会社が秘密扱いしたものを公表すればすべて懲戒処分に付することを可能にする論理は、時代に逆行するものである。

 

第6 「流言してはならない」との義務に違反した行為は無いこと

1 原判決の内容

  原判決は、控訴人のHP「悪魔との契約1」「悪魔との契約4」の表現のごく一部を引用した上で、「不穏当な表現から、被告の外部の者だけではなく内部の者に対しても、被告は社会的に悪とされるべき行為を繰り返し行ってきている企業であるという印象を与える」「このような内容の文書が公開され続けることによって被告の秩序風紀を乱す結果を招きかねない」ため、「会社の秩序風紀を守るため、流言してはならない」との義務に違反したと認定した(34頁)。

2 本文書は「流言」に該当しないこと

 しかしながら、懲戒処分の判断としては、控訴人のHPが書かれた経過と「悪魔との契約1」「悪魔との契約4」の全体を見るべきであろう。

 これらは、被控訴人会社によってHP全面閉鎖を強いられ、その結果個人の大切な表現の手段を不当に奪われた控訴人が、その不当性を批判する手段をもつことも許されないという状況の中で書かれたものであり、そもそも被控訴人会社の不当な命令を批判する目的で書かれたものである。

 つまり、これらの文書全体は、自らのHP閉鎖命令の経験をもとに、「人事権をちらつかせて部下を脅す」行為を批判し、「言論機関であるはずの新聞の記者に言論の自由がない」という新聞社としての根幹に関わる問題を批判をするものであり(「悪魔との契約1」)、不当なHP閉鎖命令を出した被控訴人会社に対する正当な批判の文書である。従って、これらの文書は、「根拠のない風説」や「根も葉もない噂」である「流言」には該当しない。

 3 「表現」の問題にすぎないこと

 また、原判決が指摘する部分は、いずれも控訴人が会社を批判する中で用いた一連の「表現」にすぎない。

 すなわち、控訴人は、被控訴人会社からHP全面閉鎖命令を受けたことを批判する中で、言論を抹殺し、自浄作用がない組織である点を「天然記念物級の古く汚れた組織」「前科の固まりのような組織」「腐った組織」「屍姦症的性格を帯びた邪悪な企業」と表現したにすぎず、このような「表現」自体は「流言」に当たらない。

 会社を批判した書籍の出版を理由になされた戒告処分が、無効とされた三和銀行事件・大阪地裁平成12年4月17日判決においても、「本件出版物の表現には、露骨で扇情的なものが含まれる。しかし、その多くは異なる体制を標榜する者の労働運動において使用者側に対してされる常套文句というべきもので、専制支配といったり、奴隷を(ママ)記載したとしても、それがその本来の意味で使われているとは、読者の誰も考えないであろう」として、使われる文脈、状況の中で文書の「表現」を理解している(労働判例790号64頁)。

 この点、原判決は、HP上の一部の「表現」をとらえ、内部の者に「被告は社会的に悪とされるべき行為を繰り返し行ってきている企業であるという印象をあたえる」、「被告の秩序風紀を乱す結果を招きかねない」と判断するが、これもまた、大きな事実誤認である。

 本文書全体の趣旨は、前記2に述べた通りであり、文書を読んだ者は、不当なHP全面閉鎖命令に対する批判を知るのみであり、原判決がいうような印象を与えることはない。そして、この文書を読んだ者から、言論機関である被控訴人会社が記者のHPを全面閉鎖命令したことは問題ではないかという議論が起こる可能性はあるとしても、それこそ正当な批判に対する正当な議論であり、このような議論すら「秩序を乱す結果」というのであれば、会社内にいる限り、会社に対する正当な批判活動は一切許されなくなるおそれすら生じるのである。

4 社内批判への寛容性

 以上のように、そもそも本文書及び原判決指摘の表現は、就業規則の「流言」に該当しないのであるが、さらに、被控訴人会社が公共性の高い新聞社である以上、こうした社内批判には寛容であるべきである。

 この点、原判決は、社内批判としては「これらの文章の表現は一読して通常の社内批判の程度を超える感情的なもので、被告に対する悪意に満ちた表現がことさらに用いられているというべきであって、建設的な社内批判とは明らかに一線を画するものというべきであ」り、「企業秩序維持の観点から被告による懲戒処分の対象とされてもやむを得ないものである」と断ずる(34~35頁)。

 しかし、労働者から大企業に対しなされる会社批判においては、いきおい感情的になるなど、表現が強くなることはままあることであり、それをもって直ちに会社に対する批判全体を「建設的な社内批判」ではないと断ずることは相当でない。また、上記三和銀行事件においても、大阪地裁判決は、「『魑魅魍魎』の世界」、「社畜」「人間の仮面をつけた鬼」というような不当な部分があるとしても、問題とすべき部分は僅かであるとして、その文章全体の中で表現行為を捉えている。本件も同様にとらえるべきである。

 5 原因を作ったのは被控訴人である

 原判決は、控訴人の文章が「一読して通常の社内批判の程度を超える感情的なもの」(34頁)であるとする。しかし、原判決も、HP全面閉鎖命令は「業務命令権の範囲を逸脱した無効なものであ」り、「就業規則上何らの問題のない文書含むHP全体を閉鎖するよう命じたものであって、到底許されないもので」あるとして(35頁)、その不当性を認めている。違法行為を先に働き、控訴人がこのような表現をする原因を作ったのは、被控訴人である。被控訴人が全面閉鎖を命じず、経営・編集方針を具体的に説明した上で、「削除すべき部分」を特定していさえすれば、問題はそこで解決していたとも言えるのである。控訴人の文章のみを切り離して議論するのは公平でない。

 

第7 本件処分の相当性

1 原判決の内容

 原判決は、「前提となる事実」において認定した各事実及び「特に原告の行った本件懲戒処分事由に該当する行為の内容、原告はこれらの行為をすることが被告の会社の経営・編集方針や就業規則に違反することを認識しながら、敢えてこうした行為を行ったものであること」などの事情を基に「本件懲戒処分が重きに失するなど客観的に合理的な理由を欠きまたは社会通念上相当として是認できないものであるとは認められない」とする(36~37頁)。

2 控訴人の認識

  しかしながら、前述の通り、控訴人が「被告の会社の経営・編集方針や就業規則に違反することを認識しながら」HPを再開したとする点は事実誤認である。

 原判決も認定しているとおり、1997年4月頃に、守屋部長からHP全面閉鎖命令を受けた時から、控訴人は、HPを作成する際に何がよくて何がダメであるのか、という点をたえず質問し、「ルールを決めてもらえばそれに従う。基準を作ることを条件にHPを閉鎖する」と反論していたのである(原判決20頁)。控訴人は、守屋部長が「削除すべき部分を特定することなく」(原判決35頁)、闇雲に全面閉鎖のみを命じたために、経営・編集方針を認識できなかった。何が許されない行為かについて理解していなかったからこそ、被控訴人会社に対し、ルール作りを主張してきたのである。

 控訴人がHPを再開した1998年5月においても、認識は同様であった。それまでの間、被控訴人はルールを作ることもなく、議論さえしていなかったのである(被控訴人が「業務外のHP等に関する規定」を策定したのは、懲戒処分後の1999年9月である)。このように、当時は特定された経営・編集方針や就業規則が存在しなかったことから、守屋部長の指示には反するとしても、会社規定には違反するものではないと考えたからこそ、控訴人はHPを再開したのである。

 HP再開が判明した1999年1月時点においても、控訴人の認識が同様であったことは、1999年1月19日に控訴人が作成した「反省と釈明」と題する電子メールに「会社と関連のあることも書かれていたため、『不特定多数の目に触れてはならない』との理由で一方的に閉鎖命令がだされ、98年5月に閉鎖しました。」と記載されていること(乙25号証)、同年1月26日に、同様に控訴人が作成した「誓約書」に「社員として従うべき社内規定にも明確に当該すると思われるものは見当たりませんが、会社側が規定を制定する姿勢を初めて見せていることから」一時的にHP閉鎖に同意するとし、さらに「何ならよくて何ならダメなのか、全面的にダメなのか、パスワード制限すれば良いのか、などを明確に定義していただきたく思います」と記載していること(乙26号証)から明らかである。

 なお、1999年2月17日の事情聴取の模様を記載した「機密文書」と題する電子メール(甲8号証の2)において、控訴人は、控訴人が、守屋部長らに対し「現状の規定に反したのは認める。相応の処分も受ける」との意見を述べた旨記載している。しかし、これは、2月17日の時点で初めてHPの内容についての問題点を指摘され、「懲戒免職か依願退職か二者択一だ」として辞表を書くよう迫られた控訴人が、自己の主張を押さえて譲歩する趣旨でこのような発言をしたにすぎない。控訴人が自己のHPが会社の経営方針・編集方針に反するとは認識していなかったことは、この日においても「何が経営方針であって、何が編集方針なのかをはっきりしても貰わないと困る」と反論したことから明らかである(甲8号証の2)。

 さらに、懲戒処分後においても、控訴人は、佐々人事部長に対し懲戒処分の理由を尋ねていること、この時の「経営方針を害した、機密を漏らしたなどの就業規則の該当個所がいくつかある。」との佐々人事部長の回答を受け(甲22号証)、会社に対し、処分理由についての詳細な質問状を提出していること(甲10号証)からすれば、懲戒処分後においてすら、控訴人は、自己のHPのどの部分が就業規則に違反したとされたのか、十分に認識していなかったことが伺える。むしろ、上記質問状への会社からの回答を巡り、佐々人事部長に対し「何が良くて何が悪いのか指標にならないから、誰もホームページで表現できなくなる。どうして具体的な根拠を明らかにできないんですか。記者クラブを通した癒着を暴いたことを理由に処分したなんて、言論機関として恥ずかしくて言えないものだからでしょう。」と述べていること(甲19号証)からも明らかなように、控訴人としては、自己の処分理由は、HP上に記者クラブ批判などの会社批判を記載したことだと理解していたのである。

 このような事実に照らせば、控訴人が「被告の会社の経営・編集方針や就業規則に違反することを認識しながら」HPを再開したとは到底いえない。

 なお、控訴人は、原審の原告本人尋問において、「会社の考え方と異なる方法というか、態様というか、内容で御自身が行動すれば、当然会社としての基準というか、その関係で摩擦が起きるというか、衝突が起きて、何らかの、場合によっては処分も受けるかもしれないというようなことについては、本件のホームページを作成する中ではそういうこともあるかなという感じを持って作成しておられたんですか」との裁判官の尋問に対し、「それはありました。」「ホームページのやつがきっかけになって議論が起こればいいと思いました。」と答えているが(原告本人調書35~36頁)、これは単に、記者クラブ批判などの会社批判を書いたことにより、会社内で「摩擦」や「議論」が起きることを期待していたことを述べたにすぎない。裁判官は「処分」の予測をも問うているが、これについて控訴人は何も答えていないのである。むしろ「何らかの規定ができるでしょうし、改善のほうに向かう可能性が高まったと思います。しかし、その前の時点で、私は処分されて葬られてしまったということだと思います」と述べている(36頁)ことからみても、本件懲戒処分は、控訴人にとって予期せぬ出来事であったのである。

 3 控訴人は経営・編集方針を認識できたはずがない

 原判決は、「平成9年5月ころ、守屋編集部長からこのことについて指摘を受けていた原告は、このような被告の経営・編集方針を、個人のHP上に『新人記者の現場から』の各文書の公開を再開した平成10年5月ころにまでには当然に認識していたことが認められる。」(31頁)と述べているが、以上述べたところから明らかなとおり、これは、全く事実と異なる。控訴人が経営・編集方針を認識していなかったことは、判決文で認定された事実関係に照らしても明白であり、むしろ逆に、すべての控訴人の活動は、不明である経営・編集方針を明確に認識するための活動であったとさえ言えるのである。

 4 処分の相当性

  個々のHPの内容については、前述の通りであり、問題と指摘されている控訴人のHPの多くは、新人の記者の立場からジャーナリズム及びマスメディアが抱えている問題を批判する目的で書かれたものであること、被控訴人会社において当時HPに関する社内規制が整備されていなかったこと、1998年から1999年当時のインターネット技術においては、控訴人のHPの読者は限られていたこと、実際に「害」と認定される事実は一切発生していないことからすれば、本件処分(不当配転を含む)を社会通念上相当と判断する理由はない。

  原判決は、「こうした事実をHPで公開したことにより、被告の信用を害する結果を招いたことが認められる」(32頁)と述べているが、そのような証拠はどこにもない。37頁で「被告や取材先に実害が生じていないとは断定できない上」と述べていることとも矛盾している。

 

第8 本件配転命令の違法性

 1 原判決の内容

 被控訴人会社と控訴人の労働契約は、職種限定契約とは認められないとした上で、本件懲戒処分が有効であることであること、懲戒処分の事由が記者としての取材活動に関連して行われたものであることなどから、「被告の措置が配転命令権の濫用にあたるなどにより違法であるとは認められない」としている。

2 労働契約の内容

 しかしながら、@被控訴人会社においては、募集職種として「新聞記者部門」・「出版編集部門」・「技術部門」と区別され、この区別に応じて採用されていること、A記者は人気職種であり、一流大学卒業生が50倍から100倍の倍率(競争率は司法試験より高い)で選抜されている(佐々証言9頁)ものであること、B新聞社において、記者職で採用された記者が取材活動からはずれる「資料部」に配属されるのは、「健康を損ねた」「年齢が高くなり体力的に無理になった」などの明確な理由がある場合か「左遷」かであり、これは新聞社に勤務する者にとって常識となっていること(甲21号証・山口意見書、甲18号証・北村意見書、甲23号証・浅野意見書、控訴人自身も当時から整理部への配転を「左遷」と捉えている)等からすれば、控訴人と被控訴人会社の労働契約は、職種限定契約ないしは、健康上などの正当な理由がない限り記者職から外さないことを内容とした「準職種限定契約」であると認められる。したがって、被控訴人会社の配置転換権も、上記のような観点から限定されなければならない。

3 本件配転の評価

 原判決は、本件配転の理由として「懲戒事由が記者としての業務に関して生じたものであったことから直ちに原告を本社における取材業務に就かせることは相当でないと考えられたこと」「資料部では、当時業務のシステム化が検討されており、いわゆるパソコンの知識を有する若い人材が必要と考えられ」、「原告には読者の意見や質問を身近に聞く経験を一定期間積ませる必要があると判断されたこと」を認定している。

 しかし、本件懲戒事由が理由のないものであることは前述の通りである。「同処分の前提となる懲戒処分事由が記者としての取材活動に関連して行われたもの」(39頁) であるならば、懲戒処分が違法である以上、それを前提とした不当配転は到底、認められないことになる。

 また、控訴人は業務のシステム化というような話を一切聞いたことはなく、まして被控訴人会社からパソコンの返却を命じられていたというのであるから、このような構想が現実化していたとは到底言えない(原告本人18頁)。さらに控訴人は、実際に資料部に異動後、「読者の意見や質問」を直接に聞く業務を命じられることはなかった。

 これらの事情からすれば、記者職で採用された控訴人を、あえて記者職から外して、資料部に配転する正当な理由はなく、配転命令権の濫用にあたる。

4 みなし解雇

 むしろ、控訴人のように若い記者の資料部への配転命令については、「若い記者が本人の希望以外で資料部に配置された例は、私の勤務する新聞社(読売新聞社)では聞いたことがない。」(甲21号証・山口意見書8頁)という程、異例であり、「新聞記者の場合、こうした形で非取材部門への異動を共用されることは『社を辞めろ』と通告されたことと同じであり、『一種の死刑宣告』である」(甲18号証・北村意見書5頁)こと、「資料部への異動人事は、記者として『殺される』ことを意味する」(甲21号証・山口意見書8頁)こと等からすれば、本件配転は、控訴人にあからさまに退職を強要するものであったといえる。

 また、懲戒手続の中で、守屋部長自身の控訴人に対する「もう日経の記者としてはおしまいだから、辞めた方がいい」という発言(原告本人16頁)(なお、守屋部長自身は、自身の陳述書の中で「君が10年後にジャーナリストとして名をなしているなら私の方から連絡するよ」と話をしたと陳述している。乙28号証8頁)も、このような退職強制の人事を裏付けるものである。

 そして、控訴人は、配転が半年上続いた時点で、このような「飼い殺し」の状況が続くことに耐えられず、被控訴人会社のねらい通り、退職届けを提出した。

 このように、配転に名を借りて実質的に強制された退職は、解雇とみなされるべきものであり、正当な理由がない以上、損害賠償の対象となる。

 

第9 裁判所に期待されるもの

 本件のような処分及び見せしめ人事が、原判決により「正当」であると認められたことの影響は重大である。本件は氷山の一角であり、社内言論の不自由を感じながらも不当人事を怖れてモノを言えない記者は、新聞社内に沢山いることを理解していただきたい。本件訴訟は、言論の自由をその存立基盤とする新聞社が、社員の言論の自由を正当な理由なく奪ったことを争っているものである。

 個人の言論の自由が保障されない国は、健全な民主国家から程遠い。控訴審裁判所は、原判決の誤りを正し、憲法に保障された「言論・表現の自由」の理念に則し、公正かつ賢明な審判をくだすことを心から願うものである。 よって、控訴人は、控訴状控訴の趣旨記載のとおり、処分の無効確認と未払い賃金、及び損害賠償の支払いを求める。