「空気の研究」/山本七平/1983年、文春文庫

 W杯で岡田監督が友人からこの本を贈られた、というのもよくわかる。「昭和初期に入るとともに『空気』の拘束力はしだいに強くなり、いつしか『その場の空気』『あの時代の空気』を、一種の不可抗力的拘束と考えるようになり、同時にそれに拘束されたことの証明が、個人の責任を免除するとさえ考えられるに至った」との分析は、80年代末に至って、バブル崩壊を「当時の空気では…」と空気のせいにする日本の本質を突いており、平成の世でますます強まっていると言えよう。これを知っていれば、逆にこの性質を利用することも可能だ。熟考に値するテーマである。エリート集団が陥る罠について分析している点では、ベトナム戦争を描いた「ベスト・アンド・ブライテスト」(ハルバースタム著)と似たテーマ。(2000年2月)

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「『空気』と『論理・データ』の対決として『空気の勝ち』の過程が、非常に興味深く出ている一例に、前述の『戦艦大和』がある。これをもう少し引用させていただこう。注意すべきことは、そこに登場するのがみな、海も船も空も知り尽くした専門家だけであって素人の意見は介入していないこと。そして米軍という相手は、昭和16年以来戦い続けており、相手の実力も完全に知っていること。いわばベテランのエリート集団の判断であって、無知・不見識・情報不足による錯誤は考えられないことである。まずサイパン陥落時にこの案が出されるが、『軍令部は到達までの困難と、到達しても機関、水圧、電力などが無傷でなくては主砲の射撃が行い得ないこと等を理由にこれをしりぞけた』となる。従って理屈から言えば、沖縄の場合、サイパンの場合とちがって『無傷で到達できる』という判断、その判断の基礎となりうる客観情勢の変化、それを裏付けるデータがない限り、大和出撃は論理的にはありえない。だがそういう変化はあったとは思えない。もし、サイパン・沖縄の両データをコンピューターで処理してコンピューターに判断させたら、サイパン時の否は当然に沖縄時の否であったろう。従ってこれは、前に引用した『全般の空気よりして…』が示すように、サイパン時になかった『空気』が沖縄時には生じ、その『空気』が決定したと考える以外にない。…むしろ日本には『抗空気罪』という罪があり、これに反すると最も軽くて『村八分』刑に処せられるのであって、これは軍人・非軍人、戦前・戦後に無関係のように思われる。『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の『超能力』かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、『作戦として形をなさない』ことが『明白な事実』であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない。」

「われわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種のダブルスタンダードのもとに生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基本となっているのは、『空気が許さない』という空気的判断の基準である。大和の出撃はそのほんの一例に過ぎない。」

「大畠清教授が、ある宗教額専門雑誌に、面白い随想を書いておられる。イスラエルで、ある遺跡を発掘していたとき、古代の墓地が出てきた。人骨・されこうべがざらざらと出てくる。こういう場合、必要なサンプル以外の人骨は、一応少し離れた場所に投棄して墓の形態その他を調べるわけだが、その投棄が相当の作業量となり、日本人とユダヤ人が共同で、毎日のように人骨を運ぶことになった。それが約一週間ほどつづくと、ユダヤ人の方は何でもないが、従事していた日本人二名の方は少しおかしくなり、本当に病人同様の状態になってしまった。ところが、この人骨投棄が終わると2人ともケロリとなおってしまった。この2人に必要だったことは、どうやら『おはらい』だったらしい。実をいうと2人ともクリスチャンであったのだがーーまたユダヤ人の方は、終始、何の影響も受けたとは見られなかった、という随想である。骨は元来は物質である。この物質が放射能のような形で人間に対して何らかの影響を与えるなら、それが日本人にだけ影響を与えるとは考えられない。従ってこの影響は非物質的なもので、人骨・されこうべという物質が日本人に何らかの心理的影響を与え、その影響は身体的に病状として表れるほど強かったが、一方ユダヤ人には、何らの心理的影響も与えなかった、と見るべきである。おそらくこれが『空気の基本型』である。…従って、この状態をごく普通の形で記すと、『2人は墓地発掘の『現場の空気』に耐えられず、ついに半病人になって、休まざるをえなくなった』という形になっても不思議ではない。物質から何らかの心理的・宗教的影響を受ける、言い換えれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態、この状態の指摘とそれへの抵抗は、『福翁自伝』にもでてくる。」

「といえば最初に出てくるのが、おそらく『その空気は何と英訳すればよいのか。エアーで意味が通ずるのか』という質問だと思う。空気などというものは日本にしかないから、外国語に訳せるはずはないと誤解している人もいるのかもしれぬ。しかし心配は御無用。空気の存在しない国はないのであって、問題は、その空気の支配を許すか許さないか、許さにもないとすればそれにどう対処するか、にあるだけである。従ってこの『KUKI』とは、プネウマ,ルーア、またはアニマに相当するものといえば、ほぼ理解されるのではないかと思う。これらの言葉は古代の文献には至るところに顔を出す。もちろん旧約聖書にも出てきており、意味はほぼ同じ、ルーア(ヘブライ語)の訳語がプネウマ(ギリシャ語)でそのまた訳語がアニマ(ラテン語)という関係にもなっており、このアニマから出た言葉がアニミズム(物神論?)で、日本では通常これらの言葉を『霊』と訳している。しかし原意は、希英辞典をひけば明らかなようにwind(風)、air(空気)である。…原意は『風・空気』だが、古代人はこれを息・呼吸・気・精・人のたましい・精神・非物質的存在・精神的対象等の意味にも使った。また言霊の『たま』に似た使い方もある。そしてそれらの意味を全部含めて原文を読むと、ちょうどわれわれが『あの場の空気では…』という場合の『空気』のように人々を拘束してしまう、目に見えぬ何らかの『力』あるいは『呪縛』、いわば『人格的な能力をもって人々を支配してしまうが、その実体は風のように捉えがたいもの』の意味にも使われている。従って私はそういう用法での原意はほぼ『空気』であろうと思っている。」

「日本には『多数が正しいとはいえない』などという言葉があるが、この言葉自体が、多数決原理への無知から来たものであろう。正否の明言できること、たとえば論証とか証明とかは、元来、多数決原理の対象ではなく、多数決は相対化された命題の決定にだけ使える方法だからである。これは、日本における『会議』なるものの実態を探れば、小難しい説明の必要はないであろう。たとえば、ある会議であることが決定される。そして散会する。各人は三々五々、飲み屋などに行く。そこでいまの決定についての『議場の空気』がなくなって『飲み屋の空気』になった状態での文字通りのフリートーキングがはじまる。そして『あの場の空気では、ああ言わざるを得なかったのだが、あの決定はちょっとネー……』といったことが『飲み屋の空気』で言われることになり、そこで出る結論はまた別のものになる。従って飲み屋をまわって、そこで出た結論を集めれば、別の多数決ができるであろう。私はときどき思うのだが、日本における多数決は『議場・飲み屋・二重方式』とでもいうべき『二空気支配方法』をとり、議場の多数決と飲み屋の多数決を合計し、決議人員を2倍ということにして、その多数決で決定すればおそらく最も正しい多数決ができるのではないかと思う。というのは、このように、会議内と会議外で、同じ人間の同じ決定が逆にも出うるということは、その人びとの命題への把握の仕方が各人のうちで、あるいは賛成7対反対3、あるいは6対4、5対5となっており、それぞれの空気によって、会議内では賛成だけが表に出、会議外では反対だけが表に出る、という形になっているからだと考える以外にないからである。従ってそれを総計すれば本当の多数決になるわけだが、元来は、これを一議場内でやってしまうことが多数決のはずである。」

「決断をだらだらと引き延ばしても、別に大したことにはならない状態にあった日本では、これでも支障はなかったのであろう。徳川時代を見ていくと、幕府の成立からその終末までに、真に大きな運命的な決断を必要としたという事件は皆無に等しいからである。そのため、一時的な例外期はありえても、日本は常に、この状態へと回帰していく。…空気の支配は、逆に、最も安全な決定方法であるかのように錯覚されるか、少なくとも、この決定方式を大して問題と感じず、そのために平気で責任を空気へ転嫁することができた。明治以降、この傾向が年とともに強まってきたことは否定できない。だが中東や西欧のような、滅ぼしたり滅ぼされたりが当然の国々、その決断が、常に自らと自らの集団の存在をかけたものとならざるを得ない国々およびそこに住む人々は、『空気の支配』を当然のことのように受け入れていれば、到底存立できなかったであろう。」

「旧約聖書のうち『箴言』の世界は、我々が最も抵抗なく理解できる常識的な世界である。…『愚かなる者にその愚かさに従って答をするな、自分も彼と同じようにならないために。愚かなる者にその愚かさに従って答をせよ、彼が自分を知恵ある者と誤認しないために』とか言ったような、面白い言葉が数多くある。…一言で言えば『正義は必ず勝ち、正しい者は必ず報われる』世界である。だが、ここから『ヨブ記』に移ると、だれでも、以上の言葉に少々ゾッとしてくるのである。というのは、ここにヨブという完全に正しい人間、『箴言』の徳目のすべてを守っている富裕な人が登場する。すべての人が、彼のような正しい人は、そのように報われるのが当然だと考えている。ところがその彼を、あらゆる天災と人災が襲う。彼は財産を失い、家族を失い、らい病のような皮膚病にかかり、そのため町を追われ、ごみ捨て場に座って、陶片で体中のかさぶたを掻くような状態になる。すべてが失われた。そのとき、3人の友が見舞いに来る。しかし、あまりの悲惨さに誰も口がきけず、なぐさめの言葉も出せず、『7日7夜、彼と共に地に座していて、一言も彼に話し掛ける者がなかった』といった状態であった。だがついに1人が口を切る。それは慰めの言葉のようであり、彼には親切な忠告をしているつもりなのだが、これが、実に恐ろしい言葉になっている。一言でいえば、『正しい者は必ず報われるのだから、こうなったからには、お前には隠している罪悪があるに違いない。この状態から脱れるには、まず素直にそれを認めることが先決だ』という言葉である。」ーーすなわち神の裁きは正しいのである、従って、

  考えてもみよ、だれが罪のないのに、滅ぼされた者がいるか。

  どこに正しい者で、断ち滅ぼされた者がいるか。

  私の見たところによれば、不義を耕し、

  害悪をまく者は、それを刈り取っている。

  彼らは神のいぶきによって滅び、

  その怒りの息によって消えうせる。

  ……

  みよ、われわれの尋ねきわめた所はこの通りだ。

  お前もこれを聞いて、みずからを知るがよい。

 

  ということになる。ヨブがこれに対して抗弁をする。すると1人がいう。

  いつまでもお前は、そのようなことを言うのか。

  お前の口の言葉は荒い風ではないか。

  神は公義を曲げられるであろうか。

  お前の子らが神に罪を犯したので、

  彼らをそのとがの手に渡されたのだ。

  お前がもし神に求め、全能者に祈るならば、

  お前がもし清く、正しくあるならば、

  彼は必ずお前のために立って、

  お前の正しいすみかを栄えさせられるはずだ

 

 こういった問答が続くわけだが、この堂々めぐりのように見える問答に出てくるものは、1つの命題が絶対化された場合の恐ろしさである。そうなってしまうと、ヨブのような運命に陥れば、慰めに来たはずの者の助言まで、結局、『お前には隠している罪悪かあやまちがあるのだろう。なければこんな運命にならないはずだ。それを告白すれば、この運命から逃れられるはずだ』といった意味の、拷問に等しい糾弾になってくるという事実である。…この『ヨブ記』の結末がどうなるかは、いまは述べない。この書は、ゲーテの『ファウスト』、ジードの『背徳者』をはじめ、多くの作品に素材を提供しているだけでなく、西欧の多くの思想家が何らかの形で直接間接に言及している、大きな問題を含む書だが、それらは別として、この書の最初に出てくる問題は、いかなる命題といえども絶対化し得ない、絶対化すれば、その途端に恐るべき逆用が行われうるということであろう。…だがこの相対化の原則は、人間が人間である限り、2千数百年前も現代も変らないのである。1つの命題、たとえば『公害』という命題を絶対化すれば、自分がその命題に支配されてしまうから、公害問題が解決できなくなる。『差別』という命題を絶対化すれば、自分がその命題に支配されてしまうから、差別という問題を解決できなくなる。これが最もはっきり出てきているのが太平洋戦争で、『敵』という言葉が絶対化されると、その『敵』に支配されて、終始相手にふりまわされているだけで、相手と自分を自らのうちに対立概念として把握して、相手と自分の双方から自由な位置に立って解決を図るということができなくなって、結局は、一億玉砕という発想になる。そしてそれは、公害をなくすため工場を絶滅し、日本を自滅さすという発想と基本的には同じ型の発想なのである。そして空気の支配が続く限り、この発想は、手を替え品を替えて、次々に出てくるであろう。」

「『空気支配』の歴史は、いつごろから始まったのであろうか?もちろんその根は臨在感的把握そのものにあったのだが、猛威を振い出したのはおそらく近代化進行期で、徳川時代と明治初期には、少なくとも指導者には『空気』に支配されることを『恥』とする一面があったと思われる。『いやしくも男子たるものが、その場の空気に支配されて軽挙妄動するとは…』といった言葉に表れているように、人間とは『空気』に支配されてはならない存在であっても『今の空気では仕方がない』と言ってよい存在ではなかったのである。ところが昭和初期に入るとともに『空気』の拘束力はしだいに強くなり、いつしか『その場の空気』『あの時代の空気』を、一種の不可抗力的拘束と考えるようになり、同時にそれに拘束されたことの証明が、個人の責任を免除するとさえ考えられるに至った。」

「『ロッキード徹底追求』という『空気』には、否応なく『通常性の水』を差される。これはだれかが意識的に『水』を差そうとしなくても、『徹底追求』を叫ぶ人の通常性自体がその叫びに『水』を差しているのだから、その人が日本の通常性に生きている限り、その『空気』を『追求完了』まで持続さすことはできない。それは今太閤ブームを持続さすことができないのと同じである。言うまでもないが、元来、何かを追求するといった根気のいる持続的・分析的な作業は、空気の醸成で推進・持続・完成できず、空気に支配されず、それから独立し得てはじめて可能なはずである。従って、本当に持続的・分析的追及を行おうとすれば、空気に拘束されたり、空気の支配に左右されたりすることは障害になるだけである。持続的・分析的追及は、その対象が何であれ、それを自己の通常性に組み込み、追求自体を自己の通常性に化することによって、はじめて拘束を脱して自由発想の確保・持続が可能になる。空気で拘束しておいて追及せよと言うこと、いわば『拘束・追及』を一体化できると考えること自体が1つの矛盾である。これを矛盾と感じない間は、何事に対しても自由な発想に基づく追求は不可能である。言葉を換えれば、最初に記したように、対象を臨在感的に把握することは追及の放棄だからである。」

 (解説 日下公人)

 「微力を傾けて私が著者と読者の橋渡しを務めるという意味でまず頭に浮かんでくるのは『汝等の頭の髪の毛まで算えらる』(マタイ福音書十章三十節)という聖書の一句である。一年365日、太陽が照りつける砂漠に住む人々は、神と自分の関係をこのように実感するはずで、それがイスラエルやアラブにおけるエホバや中国における天の思想になっているに違いない。しかし、一年中雨が多く曇天つづきの日本では天から見られているという実感は少ない。中国からの輸入思想である『天知る、地知る、我知る』とか、『お天道様に相すまない』とかの考えは何時しか風化し、カビが生えて、自分1人位は何をしていても分るまいという土着の考えに吸収されてしまう。多分山が多く森林がすべての動物をおおいかくしてしまう日本の風土がそう考えさせるのである。一神教と多神教の差は『髪の毛まで算えられている』と思うか否かの差なのだろう。一神教を信じる人からみると、日本人はいつも仲間に付和雷同して互いの『空気』の中に生きることを何とも思わないらしいが、そんなことで最後の審判の時には何と言って神に申し開きするのか、と心配であるに違いない。しかし我々にそんな心配は分らない。魚が水を意識しないように我々は日本の『空気』を意識しない。」