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新聞記者というキャリア
 新聞記者という職業は、つぶしが効かない。正確には「特に若い頃は」転職が難しい。なぜかといえば警察担当になって毎日副署長や刑事を追い回す「サツ回り」や、記者クラブで発表される情報の処理は、健全な市場競争で必要なスキルでは全くなく、規制下でしか通用しない内輪の争いのための「遊び」でしかないからだ。本来的な付加価値はゼロに近い。そして、徹底した年次主義のおかげで、どんなに頑張っても、上がつかえているうちは活躍できない。日本企業特有のゼネラリスト志向と癒着防止のためもあって、1、2年でどんどん部署も担当も変わるため、専門性も身につかない。45歳を超えるくらいになって運が良ければ大学教授や独立した専門記者になれるかもしれないが、それまではひたすら耐えるのみだ。この業界で絶望した記者や経営方針に反発を感じている記者が多い一方で離職率が低いのは、単に転職先がないという重要な理由があるのだ。

以下、ウォルフレン「怒れ!日本の中流階級」より


「日本には真の労働市場は存在しない。大企業は新人採用にあたって特定の能力を求めはしない。むしろ欲しいのは、集団に適応できる順応性である。したがって、サラリーマンが出世を望むなら、やる気のある態度を見せながら保守的かつ円満な人間であることを強調するのが得策となる。」

「日本のサラリーマンは、他社でも生かせる専門能力を身につける代わりに、1つの会社の各部分を少しずつ経験した『総合職』にさせられがちだ。たとえば、日本の新聞記者が4年ごとにぐらいにちがった職場に異動させられるのを見て、私は驚きっぱなしだ。」


参考:新聞記者から転職した例

掘紘一 読売新聞記者を約5年、三菱商事、ハーバード大学経営大学院を経て、現在、ボストンコンサルティンググループ社長。

竹内謙 朝日新聞記者、海外NPO活動等を経て、現在、鎌倉市長。

茂木敏充 ハーバード大学政治学大学院、読売新聞記者、マッキンゼーを経て、現在、自民党衆議院議員。 

司馬遼太郎 産経新聞記者を経て、歴史小説家。96年没。