「文化と文明のトレードオフ…1」

<急速な変化>           ホーチミン(ベトナム) '95 . 9

 ホーチミンシティを歩いていると、色々な人に出くわす。市内など狭いもので、ハノイの空港で出会った日本人に再びバッタリ出会うこともあった。シクロやバイクタクシーの客引きはひっきりなしだが、英語やボディーラングイッジがほとんど。リコンファームしようと中華航空のオフィスへ向かう途中、珍しく日本語が聞こえた。

 「こんにちは。私はベトナム人で、日本語を勉強しています。ガイドさせてください」

 

 流暢とまではいかないが、わかりやすい日本語だ。

 「私は、他のベトナム人とは違い、信頼できます。この手紙を見てください」 

 そう言って、しきりに自分宛の手紙を見せる。自分が過去にガイドした日本の学生やビジネスマンから送られてきた日本語の手紙だ。「信頼できます」「いいガイドです」「楽しかったです」などの言葉。

 とっさに、ニュージーランドを旅した時に出会った「ドクター白井」を思い出す。彼は、2年前、初めて出会った私に、かつての自分が写真付きで登場している新聞記事(ケネディ、ジョンソン大統領との会談など)の切り抜きや、あの浪越徳三郎氏からの感謝状、患者からの感謝の手紙といった「動かぬ証拠」を見せ、あっという間に私を信頼させた。医者であり、ビジネスマンでもあるドクター白井は「これを見せると、下を省いて、ダイレクトにトップと交渉できるんですよ」と言っていた。

 私が当時60歳のドクターを信頼し、即日で指圧の診療を受けたのは言うまでもない。こういった客からの手紙などは、かなりの程度信頼できる、動かぬ証拠なのだ。ビジネスの武器になる。

 ということで、ガイドしてもらうことにした。日本語、英語、ベトナム語を話せるとは、具合がいい。彼の名は、Tuan。36歳で独身だった。ホーチミン大学で英語を学び、現在は夜学でウイークディは「さくら日本語学校」に通う。昼間は日本人をガイドして収入を得ている。

 「今、日本語学校はどこもいっぱいです。少し前は英語だったけど、2、3年前から、日本語が人気です。」「私はビジネスもしている。英語が下手な日本人には、私のような日本語を話せるベトナム人が必要なのです。」

 昨年(94年)、関空からダイレクト便が始まったこともあり、日本でベトナム旅行がブームになりつつあるのは確かだ。ビジネスの面からも、日本語の需要は高まるばかり。Tuan氏は、沖縄の伝統芸能品の原材料を輸出するビジネスもしており、日本人からの手紙を見せて説明してくれた。

 「日本人学校には、20歳前後の人が多く、私みたいなおじさんは少ない。大学では日本語のコースがないので、大学生が夜間、勉強しにくるのです。」

 ベトナムは識字率が9割以上と、同レベルの経済規模を持つ国と比べ、極めて高い水準にある。日本語ブームも、勤勉な国民性を象徴しているようだ。日本人教師のクラスは、授業料も高く、1ヵ月20ドル。ベトナム人の先生だと10ドルだという。それでも、日本のレートでは破格の安さだ。

 Tuan氏は、1年しか日本語を学んでいないわりには、読み書きまでできて、日常会話にも支障がない。

 しかし、難点があるとすれば、私の話で判らないところがあると、笑って聞き流すところが時々見受けられる点だ。これは信頼度を落とす原因になる。日本語を全て聞き取り、かつ理解できるはずがないので、わからないところは、わかるまで聞き返す姿勢が欲しい。信頼性に関わる問題だ。記者も同様。「わかるまで聞く姿勢」が重要だろう。お互い、理解し合わず、なあなあで聞き流していたら本心は伝わらない。

 英語で話すことにした。日本語だと、私がナチュラルスピードになってしまい難しい単語を使わないように気を使うのが億劫だが、英語は双方にとって外国語であるためコミュニケーションがとりやすい。

 Tuan氏は、日本語を習う前は米国人をずっとガイドしていたという。米国人に対してどう思っているのか気になった。 

 ベトナム戦争当時、彼は中学生だった。しかし、特に巻きこまれた訳でもなくアメリカに対する特別な憎しみはないという。他に私が接したベトナム人でも、アメリカ嫌いの人はいなかった。Datも、Thanも、大概が「昔のことだし、もう関係ないよ」という態度だ。米国人について彼が思っていることはといえば、「アメリカ人はベトナム人女性を目的に来るから、駄目だね。日本人はツーリズムオンリーでいいよ。」とのことだ。

 日本人もたいして変わらないと思う。実際、そういう日本人に会ったし、スリなどの被害にあった噂も聞く。日本人は、情報に詳しく、警戒心が強い、とは言えるかもしれない。

 Tuan氏の話を聞けば聞くほど、ベトナムの急速な変化を実感する。

 空港のカフェに、ベトナム航空の人が入ってきた。「ベトナム女性の衣装は、奇麗でしょう。昔はみんな、アオザイだったよ。」 

 アオザイとは、ベトナム独特の女性の伝統衣装で大変美しいのだが、もはや、学生服として着ざるを得ない学生と、ベトナム航空のスチュワーデスくらいにしか滅多に見かけることはできない。