「マスコミかジャーナリズムか」/本多勝一/2000年1月、朝日新聞社

 92年に「朝日ジャーナル」最終号で「ジャーナリスト党宣言」と題して構想をぶち上げた日刊新聞創刊の思いを、99年になっても「金曜日」で若者に呼び掛けているのには驚いた。もう諦めていたのかと思っていたが、是非とも進めていって欲しい。国会で述べた意見が本多氏のものだけ赤旗以外に載らなかった、というところは確かに今のマスコミの現状を象徴している。佐高氏の陳述が載っていたのは覚えているが、あそこで本多氏も述べていたという事実は、私も知らなかったし、全く国民に知らされなかった訳である。その他は、労組との対話などが中心で、中身は薄い。インタビューものがどうしても中身が論理立たずに長いだけで中身がなくなりがちなのと同じである。とはいっても、やはり本多氏は貴重な人。権力を批判できる数少ない知識人である。もう少し妥協すれば、筑紫哲也になれたのに、、、とも思うが。

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「私の妹がかなり重い身体障害者で、親も年寄りになったし、就職せざるを得なくなったということです。」

「書くという面だけで言えば、ボケるまでとか、死ぬまでとかでしょう。私にはもう1つの夢があります。これは鎌田さんにも関係のあることで、鎌田さんみたいなフリーのすぐれたライターが、高い原稿料で書けるような場をつくること。つくるだけつくって早くだれかに譲って、自分はそこでライターになりたい。というのは、極論すれば日本にジャーナリズムはもうないと思っているんです。あるのは情報産業としてのマスコミだけ。もちろん現場の記者には実によくやっている人たちがいるし、リクルート疑獄なんかもかれらの手柄です。ところがこういう記者たちを優遇せず、ライターとして二流の記者が管理職になって月給が高くなる構造ですからね。情報産業化はとくにこの10年間ぐらい甚だしくなったと思います。なぜこの10年間かというと、テレビと新聞が癒着しはじめた。たとえば朝日で言えば、テレビ朝日がある。」

「『読者が株主の日刊紙』について、『朝日ジャーナル』最終号に書いた『ジャーナリスト党宣言』の中で、一応おおざっぱなたたき台のことは触れておりますが、本当はこの計画はもちろん私だけじゃなくて、何人かの同志で考えていることです。まだ発表するつもりはなかったんですが、たまたま『朝日ジャーナル』があれでおしまいになってしまうというものですから、取りあえずそういう構想があるということをお知らせする意味で発表したわけです。だからその後、それ以上の細かいことはまだ進んでいないんですが、この問題で一番大きな障害というか、進める上での具体的な問題は配達の問題にあると思います。やっぱり宅配をやりたい。配達の問題は現在の新聞界での最も大きな問題で、大変困難になっておりますが、あれと同じような方法を取ろうとは思っていません。」

「読者が株主になるということは非常に有力な方法だと思うんです。その着想は、『ハンギョレ』新聞とは別に私たちも考えていたんですが、具体的にそれをやっている所があるということを知って取材に行ったわけです。読者が株主になる方法をやってるのは他にフランスの『ル・モンド』があります。これは元はそうじゃなかったんですが、途中から切り換えて読者が株主になっております。『ハンギョレ』新聞を取材して、『やっぱり株主としてやる方法は非常にいい方法だ』とますます自信を強めました。」

「ある外資系の製薬会社の役員をやっていたんですけれども、役員といったって、たいていの会社がそうであるようにオーナー以外の役員は全部サラリーマンです。これがもう、大変な会社人間で働いている。あれはガンになる1つの要素だと思うんですが、それでガンになって『俺は何という会社人間だったのか』と気が付くのですよ。人生はこんなもんじゃなかったはずだと言って、それで陶芸や彫刻を始める。しかしもう既に遅くて、刻々と死ぬ日が近づいて来る訳です。そうした間にいろいろ考えてることが大変感動的なんですが、いくら気がついても失った人生はとり返せない。しかし、会社人間ということがいかに馬鹿げたことだったとしても、必ずしも会社をやめる必要はないわけで、『人生とは何か』という問題まで考え及ぶかどうかです。だから、もし『人生とは会社人間である』ということを悟った人なら、それはそれで別に知ったことじゃない。ところが悟らないでいつのまにか会社人間になっている、個人としての人生を忘れている。喜々たる奴隷。そういう状況が進んでいると思うんですね。だから、彼がガンになってから気が付いたことは、本当はもっと早く、例えば学生時代に気が付いておったら、全然別の人生があったんじゃないか。別にそれは会社に行くなということじゃなくて、生きるための月給は必要だろうから就職はそれでいいんだけれども、しかし『会社にいながら会社人間でないこと』は可能ではないかということが1つのヒントになると思うんです。学生じゃなくたって、考えてみれば生まれたときからそうじゃないかと。ガンになって気が付いたことに、本当は子供のとき気がつけば、たぶん別の人生があるんじゃないでしょうか。しかし、今の日本の教育制度というのは、反対にそういうことを極力つみ取っていくわけで、いかに個性や才能をつみ取るかが今の日本の教育の基本方針です。好きなことを止めさせる。早く、子供の時から進学塾やら受験校などに強引にやらされて、親も洗脳されてますから、強引にやらせて、子供が自分の頭で考えることを止めさせる。好きなことも止めさせる。自然との接触を止めさせる。単に与えられたものをコナスことが得意な受験秀才、つまりは企業のニーズにこたえるような人間を育てる。そういう基本的な教育機関になってますから、ますます『人生』をふりかえるようなチャンスは無くなる。」

「私の文庫が今までに朝日文庫だけで二十何冊出ていますけれども、あの中でベストセラーの順位を言いますと、一位が『日本語の作文技術』で、二位が『中国の旅』なんですね。つまり『中国の旅』は印税でも儲けさせてもらっている。もちろんそんなことでは悪いから、いろいろ還元していますけれども、しかし経済的にはそういうことが言える。だったらどうしてフリーの人はああいうことをやらんのか。…最終的には、体制癒着型の幹部が、余りそんなことを歓迎しない。大多数の日本人も好まない。そこにまた行き着くわけですよ。そういうことをやる記者は余り優遇されない。」

「私は必ずしも困難とは思いません。案外“裸の王様”と思っています。単に、本気でやろうとした人がいなかっただけではないのか。首都圏だけでも100万部の、強い影響力ある日刊紙(夕刊は不要)は、実現の可能な『ジャーナリストの冒険』ではないか。少なくとも需要は十分にあるのですから。あるいは30万部くらいのクォリティー=ペーパー(高級紙)とか。実はその詳細な原案を、『朝日ジャーナル』休刊直前の最終号で発表したことがあります。いかがですか。この冒険に加わる同志たちはいませんか。実現のためには、もちろん周到な準備が必要だし、徹底した市場調査と資金が欠かせません。それらはしかし、実現のための準備であって、西堀栄三郎氏(第一次南極越冬隊長)のいう『石橋は叩くと渡れない』ということでしょう。問題は、決意をするのか、しないかです。今の大新聞は、みんな戦前からのものですね。天皇制と同じで、これもたいへん日本的現象にほかなりません。原寿雄氏はこのシンポで『平和革命でこそメディアは大きな働きができるはずだ』と言われたのですが…。」(『週刊金曜日』1999年4月16日号)

「盗聴法だの国民総背番号制だのといった驚愕仰天法案の強行採決がせまった今月(1999年8月)9日、衆議院第二議員会館で保坂展人議員の主催する記者会見に、佐高信氏や宮崎学氏など数人とともにのぞんだ。田秀夫議員や円より子議員も出席・発言した。私が話した内容はおよそ次のとおりである。…新聞やテレビの経営首脳、つまり社長や社主こそ出てきて政府を弾劾すべきだと思います。そういうことは、むしろ戦前の方がありました。…その後、日本は戦争への道を進みましたが、今の日本は新聞紙法などなくて全く自由なのに、こういうひどい法案に対してマスコミはあまり闘いませんね。…発言者たちの話がひととおり終わったものの、『ご質問は?』の司会の声に、第一会議室を埋めた満席の記者たちは誰1人応じなかった。ただ聞いただけ。

少なくとも二十年前には、こんな風景はなかったと思うのだが。翌朝の新聞で、『朝日』と『読売』はこの記者会見全体をボツにし、『毎日』は一番詳しかったが私の発言だけをボツにし、『東京』は他の市民団体の集会とともに全体を報道、『赤旗』は見出しに私の名まで出した。現在のマスコミ情況をよく反映している。8月13日朝刊各紙は、これら驚愕仰天法案を、例によって『成立』してから初めて白ヌキ太ゴチの大横見出しかぶせによる一面トップで報じた。『君が代』を毎日包装しつづけてきたNHK同様、もはや全国紙はほとんど御用マスコミと化し、かくて亡国的大翼賛情況が確立した。」(「週刊金曜日」1999年8月27日号)