「NHK受信料拒否の論理」/本多勝一/77年旧版・91年朝日文庫

◆「例えば、君が代を放送することによって、まるで『天皇陛下ばんざい』を毎日やっている。あれは、新聞の片隅に『天皇陛下ばんざい』と毎日印刷しているのと同じですからね」──確かにそうである。中立な立場というのはありえない。私も、NHKが日本人の偏狭な右翼的思想を植え付けている元凶であると思うし、即刻、このような曖昧なものは変えなければならないと思う。少なくとも、この問題を解決しないで、健全な報道・言論機関だなどとは言えないはずだ。最低限のモラルとして、私も受信料を絶対に払わないことに決めている。日経産業新聞をSS、日経金融新聞をKSなどと呼んでいるのは、日本放送協会をNHKと呼んでいるのと同じセンスだ。本来はJBA(japan broadcasting associate)だったかもしれない。本多氏は大いにこれを評価しており、私も植民地文化国と化している日本の現状を鑑み、SS、KSの呼び名を評価しなおすことにした。

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「アメリカ合衆国側及びそれに盲従する日本の自民党政府は、常にこれを『北ベトナムの侵略』であり、50万の大軍を送り込んだ合衆国側は『共産党勢力の侵略』をつぶすための聖戦の遂行者としてきた。しかし実際に米軍の最前線に従軍し、解放戦線や北ベトナムとも深く接してみると、これは全く正反対であり、侵略しているのは合衆国の側なのであった。ベトナムであんなにひどいことをしているアメリカ合衆国は、それでは自分の国内でだけは、私たちが子供のときから文部省教育で教えられてきたように、民主主義で自由で平等なのだろうか。実際に行ってみると、これまた全くの正反対であり、暴力と差別を支配原理とする恐るべき帝国なのであった。いったいどうして、私たちはこうも正反対のことを常識にさせられているのだろうか。いうまでもなく、明治以来の支配権力にとっては、その方が常に有利であり、トクをするからであることが基本だ。一般民衆が、こうした正反対の事実を心底から理解しては、権力は困る。しかし、正反対の常識を民衆の間に植え付ける作業は、権力だけでは決してできない。ここで巨大な協力者として、マスコミが現れる。マスコミの中でも、とくに影響力・機構・権力ベッタリ度ともに並外れて大きいのが、NHKである。」

「全マスコミの中で、NHKは最後までこれを『中共』と呼び続け、正式の国名を使わなかった。そしてNHKテレビは、毎晩放送が終わるたびに、中国人などから見れば侵略の象徴としての血ぬられた日の丸をはためかせ、それだけならまだしも、同時に天皇をたたえる歌『君が代』を演奏し続けている。この歌は、中国・朝鮮はもちろん、アジア人から見れば『虐殺の歌』として響くのだ。侵略と虐殺の頂点にいた天皇。それをたたえる歌を連日流しているNHK。」

「罰則が一切ないので、税金などの滞納と違って、ご心配はひとつもありません。」

「『赤旗』に天皇制礼賛の文章は出ないし、宮内庁にある皇宮警察本部が出している『済寧』に天皇制打破の文が出るはずはない。もともと、いわゆる商業紙も含めて、すべてのマスコミ・ミニコミは、広義の機関紙なのだ。」 

「経営者らによって、社内報などでよく利用される精神。賃金契約によって、魂までも売ってしまいがちな、ドレイ化された精神。しかしこうした精神が、NHK社員の間にもし特に強いとすれば、それはNHK経営者の愚民政策が実にうまく成功している証拠であって、この政策に骨の髄まで侵食された犠牲者としての、このヒステリックな彼女を、あまり責めるべきではないだろう。」

「私は68年には、とある作家・編集者グループの宣言に従って、67年分の所得税のうち23%の支払いも拒否した。そのため国税局に手紙を書き、『アメリカと私の名のもとに、私の金で、遠い他国の哀れな人々に対してこのような残酷きわまる不正行為と流血の惨事が加えられていること』は、私の良心の許すところではないと告げてやった。」→テレビや製品の裏で

「死んでしまった父のためと、残された母や身障者の妹のためと、私自身少しいなかにいて考えたいこともあって、勤務先を1年近く休職した。」

「世に政治的でないものはないという明白な事実を多少とも知っている者なら恥じて使わない。」

「NHKの機構、その経営方針を攻撃すると、なんだか自分も攻撃されているように思いこんでカッカとしてしまう『愛社精神』の構造。私が働いている朝日新聞の中にも、朝日の悪口を書かれるとすごく不愉快になって、感情的になってしまう人がいるけれども、私としては、朝日が徹底的に批判されれば、それは大変結構と思っています。できればいろんな資料を出して応援したいぐらいですよ。」

「ご存じのように、私が不払いをはじめたのは、見ないものをどうして払うのかという疑問からスタートしている。そこがどうしても理解できない。理解できないことはいやだということから始めたわけです。ものすごく単純なんです。別に、受信料を皆でやめて、その後こういう風にした方がいいというはっきりした目的があってはじめたわけではない。はじめて行くと分からないことが一杯ある。例えば、君が代を放送することによって、まるで『天皇陛下ばんざい』を毎日やっている。あれは、新聞の片隅に『天皇陛下ばんざい』と毎日印刷しているのと同じですからね。」

「だいたい、全国の県庁所在地などに行きますと、お城のそばにNHKの放送局がある。」

「なんで放送局というのはああいうぜいたくな建物を建てなければならないのか、これが浪費の最大のものです。」(志賀)

「日本薄謝協会に、別名『日本文化破壊協会』という新しいタイトルがつくわけですね。」(松本)

「NHKの内部にいる個人にはむろん尊敬すべき人も知人・友人もいる。組織自体・体制自体への批判と個人とはあくまで別問題であり、峻別しなければならない。」

「さて、とはいうものの、NHKという組織にも時には賞賛すべき部分もある。その一例が、『NHK』というまさに名称そのものの略号の付け方だ。『日本放送協会』をそのままローマ字にして頭文字をとるとNHKとなる。当然きわまることだが、これが少しも『当然』となていないのが、かなしき植民地文化国・日本なのだ。」