「欧米訛りの英語」      ミトー(ベトナム)  '95 . 8

 ミトーという町へ行った。ここは、はるばるチベットに支流を持つメコン川の河口にある街だ。川が重要な交通手段となっており、どの家にも船つき場と船がある。もっとも、家は木造が多く、船も大したものではない。

 同じ農村地帯でも、ハノイの北部とホーチミン南部ではかなり違うことに気付く。北部がかなり画一的にコンクリート化が進んでおり、どの町でも同じ定食屋(FHO、COM)の看板が目につくのに対し、南部は木造、ワラ葺きが多く、町全体がバラバラの印象がある。これは単に気候の違いというよりは、過去における体制の違いに起因するものだろう。

 田舎町を見ていて驚くのは、どこに行っても、カラオケとレンタルビデオ屋があることである。カラオケは家庭のテレビにつなげられ、昼間から歌声が聞こえる。

 レンタルビデオは、前出のThan氏によると、1本1千5百ドン(15円)で借りられ、ビデオデッキも1日1千ドンで借りられるのだそうだ。ソフトは中国のアクションものが多かった。「おしん」もあるという。

 赤茶色に深く染まったメコン川をクルーズする。遠く彼方、チベットを流れていた頃は水も透明だったに違いないが、今となっては、どこまでも同じ色だ。濁ってはいるが、それは飲めば益々健康になりそうな、大地の力強さを感じさせた。うっそうと生い茂るヤシに熱帯らしい花が咲き、見たこともない鮮やかな色の魚が陸に這い上がっていた。

 ココナッツ飴の工場を見学する。工場といっても、外見は普通の民家で、10人ほどが、すべてを手作業で進めている。

 カフェのツアーバスで行ったので、またいつものバックパッカーの顔触れだ。だいたいG7+北欧3国の人達に会えると思っていい。今回は香港人が珍しく混じっていた。彼等は皆、英語に不自由しない。

 日本人は私の他に女性が2人。大学生だ。彼女たちは英
語を盛んに話すのだが、私は不自然さを感じてならなかった。英語が「欧米なまり」なのだ。どうして、どうどうと日本語らしい英語を話さないのか。なぜ、変に舌を巻いてネイティブの真似をして話す必要があるのか。私には欧米コンプレックスを持っているように思えて仕方がなかった。シンガポール人は"SINGLISH"を話すし、中国人は"CHINGLISH"を何の憶測もなく話すではないか。ラテン語から派生したヨーロッパの言語とは全く違う言葉を話すアジア人が、無理して欧米風に似せる必要などないのだ。

 私は「共通語としての英語」の重要性に異論を唱えるわけではない。しかし、共通語としての英語は、決してネイティブの発音と同じである必要はない。発音を似せた時点で、どうしても媚びが入るのではないか。どうどうと「ジャックリッシュ」を話せばいい。カタカナ発音の何が悪いのだ。日本を代表するような人物の発音は、ジャックリッシュばかりだ。ソニーの盛田会長もそうだったし、世界のオイルマンとして活躍した落合信彦氏も、カタカナそのものだ。戦後の日本を代表する企業家たちの英語は、完全に英語を日本語に当てはめている点で、欧米に負けていなかった。彼等は日本人としてのアイデンティティーを失っていない。

 それに比べ、この日本人女性たちは、異端児を認めない日本社会の体質に染まっているかのように、英語というものを、舌の長さも日本人とは違う人たちが話すアングロサクソン方式に、無理やり合わせなければならないと思い込んでいるように見えて仕方がなかった。

 これは、日本国民としてのアイデンティティーや愛国心にも、関わりの深い問題である。宮沢首相は、クリントン大統領との会談を得意の英語で行ったが、あれには、国辱的なものを感じざるをえない。仏のシラクだって独のコールだって、英語を話せるが必ず母国語で通訳を通して首脳会談をしている。

 コミュニケーションの手段としての英語は重要だ。それは、文字どおり伝わることが重要であって、英語を母国語とする人だけに伝わり易くても仕方がない。

 あくまでも、自国の言葉に誇りを持つべきと考えるのは、私だけだろうか。それとも、これは単なる「僻み」なのか?

 クルーズ中も、あれこれ考えることは多かった。ただ、こういった考えが『私の胸に強い愛国心が宿っている証拠なのだ』ということだけは確認できたように思えた。

 メコンの方は相変わらず、一点の迷いもないかのように、赤茶色に濁っていた。

 


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