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提灯記事
 私は学生の頃、日経の一面をいつもつまらないと思っていた。どうしてこんな小難しい官庁の政策見通しモノが一面トップのニュースなんだろうか、といつも疑問に思っていた。テレビをつけてもやっていないし、何がニュースなのかも分からない。理由が分かったのは入社して二年たったころだ。要するにあれは、癒着だった。ニュースを貰うための取引材料だったのである。

 官僚は、常に自分の政策を実現したいと思っている。そのためには、新聞社にリークして、周囲や世間の反応を見たり、新聞社に書かせることで既成事実化するのが都合が良い。新聞社は「取材源の秘匿」を乱用し、誰がリークしたかを伏せるため、責任を負うリスクもない。日経としても仲良くなっておけばいずれ本当に大きなニュースをモノにできるかも知れないので、官僚の企みに喜んで加担する。他社は日経の官庁リークものはそもそもニュースバリューがないので追いかけないが、日経はニュースバリューに関係なく読者ニーズを無視してでも一面に載せてくれ、しかも批判精神ゼロなので、官庁としても利用しがいがある。しかも読者は、日経が公正中立だと思い込んでいるから始末が悪い。こうして、読者を無視した悪の癒着関係が成立しているのである。

 なかでも悪質なのが、大蔵省との癒着だ。今の社長がそうであるように、官庁の中の官庁である大蔵省を担当することは出世につながる。いかに大蔵の手先になるかが日経では重要な評価指標となっており、財政研究会(大蔵省記者クラブ)のキャップ(現場リーダー)の最も重要な仕事は、大蔵幹部を日経幹部が接待する席をセッティングすることだ。

 そこには、それが国益や有権者の生活にどういう影響があるか、という視点は全くない。最近の例で言うと、ペイオフにまつわる報道は、大蔵省の手先ぶりを浮き彫りにさせていた。ペイオフは大蔵の銀行に対する既得権保持の狙い通り、決済性預金なら1000万円以上でも保護されることになるなど、完全に骨抜きされている。その過程で日経が一面トップで、何度、大蔵の既成事実化に加担したことか。

 例えば、99年8月だけで、「検討中」のリークものが2本も、あたかも決まったことのように何と一面トップで報道されている。勿論、決定権は国民が選んだ政治家にあるのだが、そんなことはおかまいなしだ。「大蔵様がやりたいと思っているのだからその通りにするのが正しい」というのが日経の体制べったり思想である。恐ろしいことに、この後、この通りに決まってしまったばかりか、金融監督庁の望み通りにペイオフ自体が延期されてしまった。まさに日経の「保護報道」の連発が空気を作り、「ペイオフは危ないから延期」という既成事実化に一役買ったわけだ。一貫しているのは、常に疑念を持つことなく大蔵(とその分身たる金融監督庁)が実現したい方針通りに解説までしてあげる点(つまり礼讃記事)で、国益を無視した権力べったりの姿勢がうかがえる。

99/8/8→

99/8/19→

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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