「汚染都市」             テヘラン(イラン) '95.11

 巨大な岩石を並べたような山々が、空を半分、埋めている。それも、すぐ近くに迫っている。テヘランで方角を誤ることはない。標高5671メートルものダマバンド山(イラン最高峰)を含むエルブルズ山脈が、常に北を教えてくれるからだ。大都会・イランを象徴する高層ビルの合間の風景をも埋め尽くすその岩山は、文字どおり緑のかけらもなく岩のような薄い黄土色。晴れた日は青空とのコントラストが美しく、また曇っている日は頂上あたりがぼやけて、どこから上が空なのかわからない。それほど高い。日本では全く見かけることのない高原都市の風景がそこにはある。

 高原だからといって空気がおいしいというのは安易な連想だ。テヘランはエルブルズ山脈から100キロほどしか離れていないが、空気は極めて淀んでいる。200年ほど前にカージャール朝が首都に定めてから発展、イラン政府いわく「世界最大のバザール」があることで知られるテヘランだが、市内の交通手段は車しかないため、物資や人の運搬は全て車やバスに頼っているからだろう。

 「こんにちはー、すいません。私、日本人と同じです」
 不意に日本語が聞えた。車の中から、手を振って私に話しかけている。これは都合がいい。私は、イスファハンに発つための鉄道の駅を探していたが、なかなかたどり着けずに困っていたところだ。何しろ、案内表示など全てがミミズが這ったようなペルシャ語で、そもそも、わかるはずもない。彼は、カルバーニと名乗るロシア系のイラン人で、日本に出稼ぎに行ったことがあるとのことだった。

 カルバーニは、中古のBMWに乗っていた。街中にベンツ、フォルクスワーゲン、プジョーなど西欧車が溢れている。すべてが旧型である。アンティーク車マニアにはたまらないだろうが、日本で世界一きれいな最新車ばかりを見慣れている私の目には、全てがポンコツのボロ車にしか映らない。それがタクシーであろうが、ほとんどの車はウインカーもつかず、左右のバックミラーがない車も平気で走っている。エンジンもさぞかし痛んでいることだろう。とにかく、燃費が悪そうだ。排ガスの色がドス黒い。

「イランは外国製品は日本より高いけど、ガソリンだけは本当に安いよ。1リッター2円だからね」
「20円じゃないの?」
「いや、2円です。高級なガソリンでも、3円よ。」

 どんなに燃費が悪くても、購買力を考慮しても、これは破格の値段である。いくら所得が低いとはいえ、この値段ならば車の所有に関する負担は、ゼロに等しい。まさに湯水のように使えてしまう。これが産油国というものなのか。これでは、排ガスの臭いが充満するのも無理はない。

 昨今、地球の温暖化で二酸化炭素の排出規制が問題とされているが、いったい、あれは同じ世界の出来事なのだろうか。いわゆる先進国が規制を強化して電気自動車などを導入するより、このポンコツを何とかする方が、よっぽど簡単に排出量を減らせるのではないか。
 
 先進国だの途上国という括りで規制に差をつけるのが国際会議での流れとなっているが、この産油国と非産油国の圧倒的な価格差を無視しては、どんな議論も虚しく聞えてしまう。エルブルズ山脈の雄大な自然と、その裾野に広がる淀んだ空気を目のあたりにして、一層、その気持ちは強くなった。

後ほど(96年5月)NHKのニュースで知ったことだが、WHOの調べで、テヘランは、世界で最も空気の汚染された都市に認定されたとのことだ。「人口800万人のところに150万台の車がひしめいており、20年前の車が平気で走っている」からだそうだ。


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