「おしんと翼」            テヘラン(イラン) '95.11
 
 カルバーニが聞き込んで見つけてくれた切符売場は、「とてもここが…」というような奥まったところにあった。これでは、私1人で見つけるのに丸1日かかるところだった。イランでは鉄道よりもバスの方が、ポピュラーな交通手段のようである。

 案の定、その日は既に便がなかったので、テヘランを発つのは翌夕にして、カルバーニの家に遊びに行くことにした。「風の吹くまま」の旅は、私の得意とするところだ。彼の家は、レンガとコンクリートで固めた2階建て。一連の建物群は、ごちゃごちゃしていて、どこからが隣の家なのかわからない。塀は高く防犯は万全のようだ。「ガラス扉の亀裂を見てくれ。これはイラン・イラク戦争の爆弾のせいだ。日に3〜4回は落されて、怖かったよ」。果して、首都の民家に爆弾を落すような大戦争だったのかは不明だが、十年もやっていれば…、と信じることにした。

 「オスン、オスン」。迎えてくれた家族は、私が日本人だとわかると口々に言出した。英語も日本語も喋れない彼らが発した言葉で、私が理解できたのはこれだけだ。「し」という発音がペルシャ語にはないのだろうか。「おしん」は、今は終ってしまったが、以前放送され人気を博していたという。きっと、彼らが知っている唯一の「日本」なのだろう。
  
 そういえば、イスファハンのバスターミナルのTVでは、アニメ「キャプテン翼」に、大人から子供まで、多くのイラン人が見入っていた。この国ではサッカーも盛んのようで、路上で子供や青年が、サッカーをしている光景も良く見かける。よく見ると、全て同じ種類のゴムボール。いわゆるサッカーボールには見えないが、このボールは至るところで売っている。

 「キャプテン翼」は、空港の国際線ターミナルでも流れていた。それまで少年がコーランを読み上げている場面が放送されているのだが、時間になると職員が全てのテレビを手動で「翼」に切り替える。ペルシャ語の吹き替えで、登場人物の名前やストーリーは、10数年前に私が見たものと同じ。かなり初期の場面だ。全国小学校サッカー選手権で翼と小次郎が戦う。試合中には、それぞれの選手が、苦しい生活に耐え、新聞配達をしたりしながら、恩師との厳しい練習を重ね、家族愛につつまれ成長してきた情景が回想されていた。

 「オスン」と「ツバサ」。清貧を耐抜く女に、スポーツに打ち込む男。どうもこの両者はイスラム国が理想とする男女像にぴったりくるように思えてならない。だからこそイスラム信者たちに受けている、という面はあろう。

 しかし、この国のテレビには3チャンネルしかなく、すべて国営とのことだ。つまり、これらの番組は、政府に厳選されたものであり、従って、まさに国を統治するのにもってこいの教育番組と見ることができる。男は生活水準の低さや他国の物質的豊かさに気が付かないほど、スポーツに打ち込んで欲しい。女は、イスラム教の厳しい戒律に耐えて欲しい。ひいては、それが現体制の維持につながり、都合が良い。

 「おしん」が世界中で大ヒットしているのは周知の事実であるが、その理由は「幼い時から皆のために黙々と働き、家族や社会に尽くす」というアジア的マゾヒシズムが東南アジアを中心に広く受け入れられていることに加え、その教育効果が広くイスラム世界でも当てはまり、非民主国家で国民をマインドコントロールするのに役立つ、という理由もあるのではないか。

 その意味では、日本のアニメは、独裁体制の維持に一役買っていることになる。アニメごときにそんな力はない、という意見はもっともだし、自由市場で需要と供給に基づいて放映されているのなら問題はないだろう。ただ、民主化を促すという意味においては、特定のアニメのみを受入れる国に対しては、多少の注意が払われてもいいような気がする。ターミナルで「翼」を見入る大人たちの真剣な眼を見て、そう思った。 


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