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消費者  
 日本の物価は世界一高いが、消費者は大人しい。国策として産業育成のため規制をかけてきた結果であるが、既に欧米諸国へのキャッチアップ過程を終えた80年代に至っても政治圧力から規制撤廃が進まなかったため競争原理が働かず、今や、消費者は馬鹿みたいに高い物価を強いられている。通信費も新聞費も、米国の三倍は高い。

 しかし、「日本に消費者運動はなかった」(「日本の論争」/草野厚)で論じられているように、日本の消費者団体というのは、特に価格について関心がなく、無力に近い。化粧品の安全性について日本消費者連盟が数冊の本を出してはいるものの、安全を求める消費者のニーズをいかに満たしてこなかったかは、「買ってはいけない」の二百万部に迫るベストセラー化によって証明された。

 同書筆者の一人は言う。「花王、ライオン、P&Gの大手三社は、テレビCMを利用し、消費者をマインドコントロールしている。ビデオリサーチによると、CM時間がもっとも長いのは花王で、三番目がライオンである(1997年)。その結果、ほとんどの消費者が、『合成洗剤はせっけんよりも優れている』という誤った認識を脳にすり込まれてしまった。…民間のテレビ局は、合成洗剤を批判する番組は流さない。大スポンサーである花王やライオンなどの製品を批判することは、タブーなのだ。そして、そのメリットばかりを強調するCMを連日流し続ける。また、自動車の排気ガスを問題にする番組も流さない。トヨタ自動車、日産自動車、本田技研は、洗剤メーカーと並ぶ大スポンサーである。これは、ネガティブな、すなわち情報を流さないことによるマインドコントロールである。私たちは『買ってはいけない』で、こうしたマインドコントロールを少しでも解こうとしたのである。」(「『買ってはいけない』はインチキ本だ」への反論/渡辺雄二(科学評論家)/文芸春秋10月特別号) 

 消費者は、確かに騙されてきたし、それを薄々実感しているからこそ、「買ってはいけない」に飛びついたのではないだろうか。企業の広告ばかり見ていては本当に重要なことはわからない、というのが「買ってはいけない」の1つのコンセプトだ。これは、『供給者』たる企業中心の社会に対する、『受益者』たる消費者のアンチテーゼなのである。

 この潜在的なニーズは、インターネットの普及によって加速度的に満たされる可能性がある。99年には、東芝という大企業がアフターサービスの問題で消費者に暴言を吐き、それを録音していた消費者がHP上で公開した結果、アクセスが殺到、遂に副社長が謝罪したという『事件』が起きた。これは非常に革命的な出来事である。

 ベネトンのように、トスカーニ氏を起用して企業中心のCMとは全く異なる、消費者側に立ったCMを流す企業も出てきた。「大気汚染が進み交通事故が増えるなかで流される優雅な自動車のCMか。肺がん患者の苦しみの間にも続けられる美しいたばこの広告か。または…。トスカーニ氏は言う。『もうたくさんだ、そんな甘ったるいバカげた現代広告は』そして、氏がベネトンという舞台で挑むのも、厳然としてある人種差別や民俗抗争、難病といった『時代の悲劇』を、人々に直視させることだといえる。」(「AERA」より)

 ベネトンは、純粋な民間企業でありながら、規制に守られた日本の大新聞などより、ずっとジャーナリスティックな活動をしていることになる。

 時代は、確かに動き始めている。国の経済発展のために企業に搾取されねばならなかった時代は、とうの昔に終わっている。我々は、「もの言わぬ消費者」から脱皮していかねばならない。それでも日本は、依然として供給者中心の貧しい国であり、日経のような「企業の代弁者」が幅を利かせている。そんな時は、例えば、トスカーニ氏の表現を借りて叫ぶのだ。「もうたくさんだ、そんな甘ったるいバカげた日経記事は!」