「深夜特急1 香港・マカオ」/沢木耕太郎/94年新潮文庫、86年新潮社

 「野良牛」がいるインド。ハシシに、20パイサ(8円)のチャイ、4ルピー(140円)のドミトリー。自由な生活。マカオでの大小(タイスウ)は読ませる。しかし、沢木氏の妄想というか想像力には、すごいものがある。内向的、かつ行動力もある人だ。乗合バスでデリーからロンドンまで行くユーラシアの旅。「真剣に酔狂なことをしたくなった」という沢木氏だが、何が酔狂なものか。それだけでも、立派な目的である。自分も酔狂なことをしたくなった。旅に駆り立てるシリーズだ。

---

「ミッドナイト・エクスプレスとは、トルコの刑務所に入れられた外国人受刑者たちの間の隠語である。脱獄することを、ミッドナイト・エクスプレスに乗る、と言ったのだ。」

「だが、デリーからロンドンまでの乗合バスの旅にとって最大の困難は、山賊でも、胃下垂でも、尻のすり切れでもなく、ニューデリー駅の若い係員のような『鉄道で行くべきだ』という偏見なのであった。」

「もしかしたら、私は『真剣に酔狂なことをする』という甚だしい矛盾を犯したかったのかもしれない。」

「次の日から熱に浮かされたように香港中をうろつきはじめた。私は歩き、眺め、話し、笑い、食べ、呑んだ。どこへ行っても、誰かがいて、何かがあった。」

「そんなばかばかしいひとつひとつが面白かった。歩いて歩いて歩き疲れると、食堂に入り、時には喫茶店に入り、映画館に入った。そして、夜になれば廟街だ。廟街で露店を冷やかし、屋台で夕食をとる、人と物とが氾濫していることによる熱気が、こちらの気分まで昂揚してくれる。香港は毎日が祭りのようだった。」

「日がたつにつれて、しだいに身が軽くなっていくように感じられる。言葉ひとつ覚えるだけで、乗物にひとつ乗れるようになるだけで、これほど自由になれるとは思ってもいなかった。言葉については、私にも不安がなかったわけではない。しゃべれる外国語はひとつもなく、学校で10年間も習ったはずの英語も、頭の中で単語を並べてみなければ、道を訊ねることすらできない始末だ。これで数カ月に及ぶ旅行ができるとは到底思えなかった。」

「英語で訊ね、答が返ってくる。すると、その中に、英語に独特の言い回しが含まれていることに気付く。記憶し、今度はそれを人に対してすぐに使ってみる。通じれば、それで確実に言葉をひとつ覚えたことになる。そうしているうちに、英語に対して萎縮していた心が伸びやかに広がってくる。少なくとも、私はそうだった。」

「しかしなんといってもよく乗ったのはフェリーだった。とりわけスター・フェリーは、香港島へ渡る時はもちろんのこと、用がない時でもただ漠然と乗っては往復して帰ってきたりするほどだった。私はスター・フェリーが好きだったのだ。スター・フェリーには、昼には昼、夜には夜と、その時刻によってそれぞれ異なる心地よさがあった。光の溢れる日中には、青い海の上に真っ白な航跡が描かれ、その上をゆったりと鳥が舞う。大気が薄紫に変る夕暮れどきは、対岸の高層建築群に柔らかな灯が入りはじめる。そして夜、しだいに深まる闇の中で、海面に映るネオンが美しい紋様を描いて揺れるのだ。私はこのスター・フェリーに乗ると、それまで自分が身を置いていた街路の興奮から醒め、心が穏やかになっていくのを感じた。…六十セントの豪華な航海。私は僅か7、8分に過ぎないこの乗船を勝手にそう名付けては、楽しんでいた。」

「黙っている限り、誰も私のことを異国人とは見なさなくなる。異国にありながら、異国の人から特別の関心を示されない。こちらは好奇の眼で眺めているが、向こうからは少しも見られない。それは、自分が一種の透明人間になっていくような快感があった。」

【対談】

「僕が旅から戻って、『深夜特急』を書き終わるまでに15年以上かかっているんですね。さらにこれが15年先ぐらいだったらどうだっただろうか。ある程度メモとか手紙みたいなものが残っているから、30年後でもオーケーだったような気もするけれど、でもきっとまったく質が変わってしまっただろうね。」

山口「沢木耕太郎といおうひとが書いた香港紀行も読みましたよ。『深夜特急』の原型になった文章だと思うんですが、あれで街歩きのイメージが固まった。発表誌は、たしか『月刊プレイボーイ』でしたよね。」

「以前、友人たちと1カ月ほどスペインを回ったことがあったんだけど、そのときの経験は、1行だね。『面白かったな』と。ただそれだけ。」

「帰国子女の特別枠なんてのはあるけれど、あれはお国のために『外地』で苦労した一家の子女に与えられるものだから。」(山口)

「また26歳の話に戻るけれど、二十五、六ぐらいで行ったらいいなと思うのは、いろいろな人に会ったり、トラブルに見舞われたりするたびに、自分の背丈がわかるからなんですよね。」