「深夜特急3 インド・ネパール」沢木耕太郎/86年新潮社、94年新潮文庫

 深夜特急のなかでも、インドが最も面白い。カルカッタとベナレスには、何としても行ってみなくては、と思わせるほどだ。ガンジス河の死体焼場を見た夜に熱を出すなど、出来すぎた話に感じるところもあるが、材料の良さに加え、筆者の感性と切口に共感できるものが多く、全体として、極めて説得力の高いルポルタージュになっている。表現方法も生き生きとしていて、学ぶべきところが多い。旅人ならびに、ジャーナリストの必読書である。

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「カルカッタの街の第一印象はとにかく暗いということに尽きた。暗い。しかし、眼が慣れてくると、その暗い闇の中にうごめくものがあることが見えてくる。人間だ。道の傍らに薄汚れた布をかぶり、海老のように体を丸めて横たわっている。ここにも、あそこにもいる。」

「酒場を出て、ホテルに戻る道を辿りながら、医大生が呟いた。『ビール4本分か…』彼が言いたいことは訊かないでもわかった。私も同じことを考えていたからだ。」

「ホテルの前の通りに出て、私は思わず嘆声を漏してしまった。歩道にインドの人々が往きかい、車道に自動車やバスが走っていることには驚かなかったが、その両方を白い牛たちが自由自在に歩き回っているのには、驚きをとおりこして感動してしまったのだ。」

「この短い小路をサダル・ストリートといい、インドを旅しているヒッピーたちなら知らぬ者はないくらい有名な通りだという。カルカッタの中でもとびきりの安宿が集中していることもあるが、それ以外にも近くにブラック・マーケットがひかえていることや、旅に関する情報とかハシシとかが簡単に手に入ることも、この通りを有名にしている大きな要因なのだという。『一泊何ルピーくらいが相場なの?』『6ルピーから8ルピーといったところかな』ヒッピーは私の質問に今度は素直に答えてくれた。『ただしドミトリーだけど』」

「私はその人の流れを縫って歩きながら、インド人が実にさまざまな皮膚の色を持っていることに感心していた。ベージュのような淡い茶色の人もいれば、漆黒に近い人もいる。色だけでなく顔立も千差万別だった。我々がインド人に対して抱いているイメージといえば、色は黒いが目鼻立の整った美男美女というものだが、通りを歩いている人々は、当然のことながら、誰も彼もが美男美女というわけではなかった。…歩いている人を眺めているうちに、奇妙なことに気がついた。皮膚の色が濃くなればなるほど、身なりがみすぼらしいものになっていくのだ。それは残酷なくらいはっきりしていた。皮膚の色と服装のよしあしとの間にはかなり深い因果関係があるようだった。」

「同じ土地を同じように動いても、人によってこれほど受取りかたが違うのかと、不思議な気がした。私はこのオフィスに来るまでの道すがら、こんなことを思っていたのだ。カルカッタという街はほんのワンブロックを歩いただけで、人が一生かかっても遭遇できないようなすさまじい光景にぶち当り、一生かかっても考えきれないような激しく複雑な怨念がわき起ってくる。なんという刺激的な街なのだろう。いったい自分はどのくらいこの街にいたら満足するのだろう…。」

「頭上には蝿の大群がいて、テーブルの上の皿にたかってくる。手で払っても払ってもきりがない。医大生は神経質に追払っていたが、私は途中で諦めた。中国式に蝿のたかるものはうまいものと思うことにしたわけではなく、これほどしつこい蝿たちが調理場でこの皿だけを見逃してくれたはずはないと気がついたからだ。ここで追払ってもすでに遅い。周りを見渡すと、蝿などにかかずり合っている客など誰もいない。」

「このサダル・ストリートは、サルベーション・アーミーの前で会ったヒッピーが言っていた通り、確かに便利なところだった。とにかく周囲には食堂がいくらでもある。しかも嬉しいことに、味のしっかりした中華料理屋が数件あり、カレーに飽きれば炒飯やタンメンを食べることができた。」

「私は香港以来の熱狂に見舞われ、毎日カルカッタの街をうろつき廻った。カルカッタは、特に何があるという街ではなかったが、いくら歩いても飽きそうになかった。」

「通りすがりの人はその様子を見て、男からピーナッツを買い、ネズミに向って投入れるのだ。私は香港で廟街に初めて遭遇した時のように体が芯から熱くなってきた。いったい、このネズミたちとピーナッツ売りはどういう関係にあるのだろう。彼が公園の花壇を勝手に利用して飼っているとは考えにくかった。少なくとも、ここはインド第2の都市の中心にある大公園のはずなのだ。しかし、公園には、間違いなくドブネズミの大群がいて、それをタネに金を稼いでいる人物がいる。しかも、カルカッタの人々はそれを少しも奇異なこととは感じていないようなのだ。このネズミたちがどうしてこのような場所に存在しているのか、存在するのを許されているのか、私にはいくら考えてもわからなかった。だが、たとえ理解できなくとも、柵の中で走り回っているネズミたちの姿に、これぞカルカッタといった強い衝撃を受けていることは確かだった。ふと、このインドでは解釈というものがまったく不用なのかもしれない、と思えてきたのだ。」

「このカルカッタでも、停電を忌むべきものと感じている大人とは違って、子供たちは闇の中で小さな祭りの時のような興奮を覚えているのではないか、という気がしてならなかった。」

「ガヤからブッダガヤまで、ほんの15分か20分程度の距離だと思っていた。それが行けども行けども着かないのだ。しばらくして集落が見えてきた時にはここかなと思ったが、車夫はそこでひと休みするとまたリキシャのペダルを踏みはじめた。炎天下の河沿いの一本道を汗だくになりながら走らせていく。しかし、三十分たっても四十分たっても着きそうにない。これで1ルピー二十五パイサ、四十五円足らずでは余りにも申し分けなさすぎる。私があれほど一ルピー25パイサに執着してしまったのは、金が惜しいというより、観光客ずれしているだろう車夫に甘く見られたくないためだった。そんなつまらない粋がりが、結果としてこの痩せこけた車夫を不当に安い料金でこき使うことになってしまったのだ。一時間を過ぎてようやくブッダガヤに着いた。」

「便所で手が使えるようになった時、またひとつ自分が自由になれたような気がした。」

「語学が堪能でないために、せっかくの知識を生かせない。私も此経さんも、通訳できるほどの力量はない。途中からドアルコさんは、彼らと意志疎通をはかることを諦めてしまった。それが私などにもよくわかった。確かに、その善意にもかかわらず、彼ら農大生は農業技術者の卵としてではなく、ただの子供たちの遊び相手としてしか存在していなかった。しかし、と私は思わないではなかった。かりに農場運営のうえではまるで役に立たなかったとしても、アシュラムの主役である子供たちにとっては、この異国からの陽気な来訪者たちは、単調な日々を変化のある楽しいものにしてくれる季節はずれのサンタクロースのようなものであったはずなのだ。」

「英語やフランス語やたぶん中国語や日本語にもあって、ヒンドゥー語にない言葉が3つあるが、それが何かわかるか。私が首を振ると、キャロラインが教えてくれた。『ありがとう、すみません、どうぞ、の3つよ』この3つの言葉は、本来は存在するのだが、使われないためほとんど死語になっているという。使われない理由はやはりカーストにあるらしい。異なるカースト間では、たとえば下位のカーストに属する者に対してすみませんなどとは言えない、ということがあるらしいのだ。そう言われてみれば、確かにインドでその種の言葉を耳にしたことはなかった。」

「アメリカやヨーロッパからのヒッピーたちにとって、カトマンズはモロッコのマラケシュやインドのゴアと並ぶ三大聖地のひとつなのです。とりわけカトマンズは、西からの旅人にとっては地の果て、行き止り、という印象があるため、ユーラシア巡礼の最後にして最大の目的地になっているようなところがあります。」

「このカトマンズがとりわけ僕たち日本人に安らぎを与えてくれるのは、街を行く人々の顔立が日本人によく似ているからです。すべての人がそうだというわけではないのですが、全体としてやはり彫りの深いアーリア系より、へん平な顔立のモンゴル系が目立ちます。インド人を僕たちと同じ東洋人という言葉で括ることはためらわれても、ネパール人なら躊躇しなくてすむといった親しさが感じられるのです。」

「ヒッピーたちが放っているすえた臭いとは、長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。彼はただ通過するだけの人です。今日この国にいても明日にはもう隣の国に入ってしまうのです。どの国にも、人々にも、まったく責任を負わないで日を送ることができてしまいます。しかし、もちろんそれは旅の恥はかき捨てといった類いの無責任さとは違います。その無責任さの裏側には深い虚無の穴が空いているのです。深い虚無、それは場合によっては自分自身の命をすら無関心にさせてしまうほどの虚無です。」

「思いきり手足が伸せる幸せを味わいながら、甲板に坐ってチャイを飲み、河を渡る風に吹かれていると、カトマンズからの30時間に及ぶ強行軍が、もうすでに楽しかったものと思えてきそうになる。なんと心地よいのだろう。その気持を言表わしたいのだが、どうしても適切な言葉が見あたらない。すると、放心したような表情で空を眺めていたアランがぽつりと言う。『Breeze is nice.』うまいなあ、と思う。」

「ベナレスはヒンドゥー教徒にとって最大の聖地である。ここを流れるガンジス河の水で沐浴すれば、あらゆる罪は洗い流され浄められる、という。しかし、私がベナレスに立ち寄ることにしたのは、ヒンドゥーの聖地としてのベナレスに関心があったからではなく、ベナレスという町がカルカッタに匹敵するほどの、猥雑さと喧噪に満ちた町だと聞いたからだった。確かにそれは間違いなかった。」

「ようやく、人やリキシャがあちこちから集ってきては、髪の毛一本ほどの間隙を縫って擦れ違う賑やかな一角に到着した。」

「ベナレスでは、聖なるものと俗なるものとが画然と分れてはいなかった。それらは互いに背中合せに貼付いていたり、ひとつのものの中に同居していたりした。喧噪の隣に静寂があり、悲劇の向こうで喜劇が演ぜられていた。ベナレスは、命ある者の、生と死のすべてが無秩序に演ぜられている劇場のような町だった。私はその観客として、日々、街のあちことで遭遇するさまざまなドラマを飽かず眺め続けた。」

「だが、無声映画を見ているようなことが起きるのはそれからである。通りに面した店に坐っていた穀物屋の親父が、道にこぼれた牛乳を見て、奥にすっ飛んでいき、犬を連れてくる。そして、盛んに、こぼれた牛乳を飲めとけしかける。こんなご馳走は滅多にありつけるものではない。犬も必死に飲もうとするのだが、リキシャが切れ目なく往来しているため、なかなか近づけない。近づいてはリキシャにひかれそうになり、悲鳴を上げて跳びすさる。口を開け、よだれを垂らしながら、あと一歩が踏込めず、うらめしそうに見ているばかりなのだ。近づいては跳びすさり、近づいては跳びすさる。その果てしない繰返しは、まるでチャップリンの映画のワン・シーンのようだった。」

「ベナレスには野良猿がいて、あちこち自由に歩いては悪戯をしているということだった。だからといってその猿をどうしようということもないらしい。そこがインドのインドたるゆえんのところなのだろう。」

「すると、彼は急いで部屋を出ていき、恐らく彼にとっては最上のものであろうシャツを着て、髪には櫛を入れて戻ってきた。しかし感心したのは、部屋に入ってくると、自分ばかりでなく、力仕事をしているもうひとりの少年も撮ってあげてくれないかと、頼んできたことだ。この心優しいニーランニャムにも、カーストというものは絶対的な支配力があるらしく、小さなほうきを持って部屋の床を掃除しにくる、明らかに下のカーストに属すると思われる同じ年格好の少年に対しては、軽蔑の色を隠そうとしなかった。その少年が私の部屋で少しでも長居しているのを見かけると、蹴っとばさんばかりにして追出してしまう。そのたびに、ニーランニャムおまえもか、と暗い気持になった。」

「身につけているものといえば、クルタとピジャマと皮のサンダルだけ。皮のサンダルはベナレスで買ったものだが、クルタとピジャマはブッダガヤで仕立ててもらったものだ。仕立てたのはいいが、涼しいカトマンズでは着る機会がなかった。要するに、白い綿布で作ったパジャマのような服である。パジャマの語源はインドのこのピジャマにあるといわれているくらいなのだ。」

「不意に、まったく不意にガンジス河に出た。そこにもやはり沐浴所があったが、どこか普通とは違っている。…沐浴所では、傍らに死体焼場があるなどとは思えない平然とした様子で、5、6人の男女が河の水に体を浸している。…青竹を梯子のように組んだものに縛り付けられ、大量の薪の上に乗せられているその塊りには、人間の体特有の凹凸が微妙に浮き出ていた。どうやらここは、やはり死体焼場のようだった。…私は、一日中、死体焼場にいて、焼かれたり、流されたりする死体を眺め続けた。…牛がうろつき、烏が飛交い、その間にも、焼かれ、流され、一体ずつ死体が処理されていく。無数の死に取囲まれているうちに、しだいに私の頭の中は真っ白になり、体の中が空っぽになっていくように感じられてくる……。その夜、私はあまりの寝苦しさに何度も眼が覚めた。ベナレスの夜はいつでも暑く、その夜だけが特別ではなかったはずだが、何度も何度も眼が覚めた。浅い眠りの中で、私は恍惚とした表情で匂いを嗅いでいる牛たちの夢を見ていた。」

「サトナに着いたのは、なんと夜の10時を過ぎていた。…ついに来た、という予感がする。これまで、いっさい病気とは無縁でこられたが、ついにやって来た。それも一気に、激しく、襲いかかるようにやって来た。ベッドに横になっていると、熱だけでなく、呻いてしまいそうになるほど頭が痛む。これはただの風邪ではないのかもしれない。思い当ることがないではない。ベナレスに着くまでの2日間はかなり強行軍だったし、ベナレスに着いても、ろくに疲労を取らないうちから炎天下を歩き廻るというようなことをしてしまった。…これは一種の知恵熱なのかもしれないな、と煮えたぎる湯の中でゆらゆらと揺れている豆腐のような脳のどこかで考えていた。ベナレスの死体焼場での不思議な時間が私に熱を出させた。次から次からやって来ては、燃やされ、流された死体たち。私はあれほどおびただしい死に取囲まれたことがなかった。私は幼児のようにただ眼を大きく見開いてじっと眺めていることしかできなかったが、それが整理のつかない混乱をもたらし熱を出させた……。」

「私は朝の6時に着くというその列車で思い切ってデリーに向うことにした。…私は1晩中、固い寝台の上をのたうち廻った。午前6時、列車はようやくデリーに到着した。本来なら、半年も前に、ロンドンまでの乗合バスの旅の出発点として、浮き立つような気分で足を踏み入れただろうこのデリーの地に、いま苦痛に顔を歪めながら降立とうとしている。その皮肉な事態を笑い飛ばそうと思うが、うまく頬の筋肉が動いてくれない。…男は十分ほどして戻ってきた。確かにあのボーイだった。彼はベッドに近寄り、私の顔を覗き込むと、水差しからコップに水を注ぎ、それと一緒に毒々しいほどの緑色をした三粒の丸薬を差出した。『これを飲むといい』」

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「イラストレーターの黒田征太郎さんに、ある時、いやぁ、男は26までに日本を離れなければね、と言われたんですよね。」

「お屋敷の屋上で静かに掃除をしている子がいて、それがカルワーだったの。チベット人からグルと皮肉なあだ名をつけられていました。」「グル、というのは?」「ヒンディー語で人生の師という意味でね。」

「旅をするのは、人の親切にすがっていく部分があるけど、疲労困憊してくると、人の親切がうまく受けられなくなるんですね、わずらわしくて。たとえばバスでタバコをすすめられたり、食堂で会った人が食べ物を半分わけてくれる。ところが、だんだん肉体的な疲労がたまってくると、人を拒絶するようになって、その果てに、人に対しても自分に対しても無関心になって、どうでもいいじゃないか、たとえ死んでもかまわないじゃないか、と思うようになってしまう。…怠惰とか倦怠の八十から九十パーセントは、肉体的に健康で疲労が取除ければ消えちゃうんじゃないか、ってね。」

「僕にひあ、凄い人だな、と思って親しい気持を持っているヨットマンがいるんです。個人タクシーの運転手をやっていて、金を貯めてはレースに出たりして、金がなくなるとまたタクシーに乗る。ごく普通の人なんだけど、実に鮮やかな生き方をしている。」

「僕が旅から帰ってきて思ったのは、好きな女性に話できることがひとつくらいはできたかな、ということでした。旅に出る前は、人から話を聞くことはできても、人に話をすることなんてできないと思っていた。自分ががらんどうで、カラッポな人間で、何もないという気がしていましたからね。でも、帰ってきたら、1つくらいは話せることができたな、それでこの旅はオーケーだなと思いましたね。」

「そういえば沢木さん、以前『ミッドナイト・エクスプレス』を見てとても怖かったって言ってたでしょう。」

「旅のことって、抽象的には語れない、とは思いませんか?…僕には、たかがいくつかの国を短期間歩いただけで、わかったようなことは言うまい、と決めているようなところがありましてね。」