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言論の封殺と統制
 新聞記者ほど自由にモノを言えない職業はないだろう。個人の立場で意見を表明することは完全なタブーだ。そして、それを破った人は不遇な目に遭う。府中別館に飛ばされても頑張っている読売の山口正紀さんのような尊敬すべき人もいるが、これは絶対におかしなことである。記者のミッションを果たせば果たすほど、中心から遠ざかるのが実態なのだ。そして残っているのは、カネ儲け主義に汚染された経営陣のイエスマン、生きているのが恥ずかしいような人たちばかり。思想の自由も、言論の自由も、表現の自由もない。

 権力を批判したがために編集から外されペンを取り上げられるという例は枚挙に暇なく、最近では神奈川新聞など地方紙でも例がある。表面化しないことが多いから問題だ。新聞労連などに行くとかなりの例を知ることができるが、労組が経営にべったりになった昨今では結局、泣き寝入りすることが多いという。民主国家としては最低の世の中だ。

 以下は、天皇報道に問題あり、という極めて常識的な意見を表明したがために飛ばされた例で、珍しく記事になった。記者として至極当然の行動をとった読売、朝日の両記者は、その後、出世の道を閉ざされたまま、現在に至っている。

以下、90/12/13「週刊文春」より


「即位の礼、大嘗祭と続いた天皇報道ラッシュはなるほど凄まじかった。その洪水のような報道に抗議した読売記者が、遠隔地の支局に“左遷”。記者が人権擁護委員会に救済を申し立てるや、読売側は『懲戒解雇も辞さず』と怒りをエスカレート。一体、何があったのか?」