「東電OL殺人事件」/佐野眞一/2000年、新潮社
東電OL殺人事件は、最後まで読んで、いよいよ、偶然はあり得なくなってきた。渋谷、五反田、西永福といった土地勘のある場所ばかり出て来たことに驚いていたが、遂に、主人公の2人(被害者と冤罪が疑われる被告人)が私の住むマンションのすぐ近くに住んでいたことまで判明した。
《数日後、私は品川区の小山を訪ねた。テレビ、週刊誌が一斉に、新潟県で発覚した「少女監禁事件」の謎を報じている頃だった。渡辺泰子は登記上、この街で生まれ2歳までここですごしたことになっている。しかし、付近の住民のなかに、渡辺の両親や泰子のことを記憶にとどめている者は誰ひとりいなかった。泰子が幼児期を過ごしたと思われる場所から百メートルと離れていないところに西小山商店街のアーケードがある。下町情緒を色濃く残すそのあたり一帯は、東京のなかでネパール人たちが最も数多く集まっているところとして知られている。ゴビンダが事件発覚後、身を隠したのも西小山にあるウイークリーマンションだった。むろん単なる偶然の悪戯にすぎないのだろうが、泰子とネパールを古層でつなぐような地理的暗合に私は言葉をのむ思いだった。》
「西小山商店街のアーケード」は1つだけで、おれはそこから徒歩30秒のところに住んでいるから良く知っている。このウイークリーマンションは、おそらく「WEST INN」である。うちから20メートルくらいのところに2つあり、毎日、前を通るが、普通の小奇麗なものと異なり、コインランドリーが付いていて、前からユースホステルのような雰囲気があり、短期の外国人労働者向けだなとは思っていたが、ネパール人が沢山たむろしている訳でもなく、むしろ見かけなかった。事件のあと、警察に眼をつけられて引っ越したのだと思う。そもそもが不法滞在者だから。
西小山は、銭湯や安アパート、コインランドリーがいやに駅周辺に多いなとは最初から感じていたんだが、これはようするにネパ−ル人が最も多く集まるところだった歴史があるからのようで、謎が解けた。今は、本当にたまにしか見かけない。
しかし、佐野がうちの周りで聞き込みをやっていたとは、、。殺された渡辺泰子の生家も、うちから100メートル以内のところにあるわけだが、もしかしたらこのマンションが建つ前にこの土地に住んで居たのかもしれないし。やっぱり、「偶然の悪戯」とはとても思えないものがある。
神か悪魔か知らないが、おれに何かを警告しているように感じた。おれの「小堕落」を戒めようとしているのか?「堕ちるところまで堕ちよ」といっているのか?確かに、中途半端に堕落していることは認めざるを得ないのだが。。。おれは近々、何かの大事件に巻き込まれるかも知れない。何か見えない力によって吸い寄せられていくようだ。この本を、まさに一審判決の日に読んでいたのも偶然ではないだろう。
そう思えるほど、この事件と本はおれのために出来たんじゃないかと思うほど因縁めいていて、シンクロしている。無意識の世界は、やっぱり現実世界と強くつながってるのだろうか。
この事件のテーマは「堕落と時代」といったところだ。
《坂口安吾が『堕落論』のなかで「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」と述べた言葉を想起させ、私を感動させる》 おれは正しく堕ちる必要があるのかも知れない。
《
「キョウ、セータ−ト、シャツト、クツシタイレマシタ。
ホカニホシイモノハナイデスカ?」
「ネパールゴノホン」
「ドンナ、ホンデスカ」
「レキシ、ノベル。ソレト、シンブント、マガジン」
「ソレハ、ドコデウッテマスカ?」
「ニシコヤマデ、ウッテマス」
「コンド、カッテモッテキマス。トコロデ、カラダ、ダイジョーブデスカ?」
》
これは、拘置所で面会に行った佐野とゴビンダの会話だが、この本を売ってる場所はわからない。
また、目黒川沿いの道付近も、週に2回は通過する。五反田からタクシーで帰るから。ポン引きがうざい。↓
《泰子は東電が休みになる土、日ごとに西五反田2丁目にある「魔女っ子宅配便」というホテトルに通い、「さやか」という名で客をとっていた。五反田駅西口を出て山手通り方面に少し進んだ、どす黒くよどんだドブのような目黒川沿いの一帯は、表通りは銀行の支店が軒をつらねるビジネス街の様相を呈している。だが、裏に一歩はいると小さなマンションが立ち並ぶごみごみとした一画となっている。五反田のホテトルのメッカはこの界隈だという。》
この五反田の本屋も使っている↓
《あの日は暑い日で、ブレザーを脱いで、明屋書店の前にあるちょっとしたスペースに置いていたんですが、ブレザーを着ると、内ポケットにいれていたはずの封筒入りの現金がない。‥正野は、盗難届を出すことによって、泰子とは何の関わりあいもないことを結果的に証明したことになる。もし、正野が届けを出していなかったら正野は重要参考人として警察の徹底的な取り調べを受けなければならなかっただろう。私は正野の話を聞きながら、人間はいつも刃の先を渡るような危険な道を歩いているのかもしれない、と思った。》
なんか、いやに臨場感溢れるノンフィクションだ。事実は小説より奇なり。(2002年4月)
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安吾は『続堕落論』のなかではこうもいっている。「‥先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己れの真実の声をもとめよ。未亡人は恋愛し地獄へ堕ちよ。復員軍人は闇屋となれ。堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。表面の奇麗ごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。‥」
昼食のために入った食堂は、入っただけで伝染病がうつりそうな店だった。便所には、大便が脱糞したままの状態でうずたかく盛り上がっていた。ところが、出てきた料理は、みなじっくりと手がかけられ、思わず目のさめるようなうまさだった。‥高級料理店ならいざしらず、日本の大衆食堂で、これだけ料理に手をかける店があるだろうか。私は日本の高速道路のサービスエリアのレストランで出す、高いだけで何ひとつ気持ちのこもっていない食事のまずさを思い出し、日本はネパールに比べて本当に豊かだといえるのだろうかと、しばし考え込んだ。
−−取調べ中に、警察は大声をあげるとか、あなたを殴るとかしましたか。
「一回だけありました。机をバーンと叩いて、いいから早くいって、いって、といいました」
−−何時間くらいやられましたか。
「十時間、十一時間、ずっと一日中」
−−それは渋谷警察署のなかでですか。
「そうです」
私は念のため、ナレンドラに、いま話した要旨をネパール語で書いてもらい、そこに彼の署名をもらいたい、といった。ナレンドラは私の要求を快諾してくれた。いま私の手元には、ナレンドラのサインが入ったそのメモ書きが残っている。
私はゴビンダの母親と妻、それにウルミラに、「どこまでお力になれるかわかりませんが、ジャーナリストとしてできる限りのことはします。絶対に気を落とさないでください」と挨拶し、秋の陽光をいっぱいに浴びたその家を離れた。
私はラメシュに会う前に東京と連絡をとり、ラメシュが話すであろう証言内容をあらかじめ想定した英文の「宣誓供述書」をつくるよう指示していた。‥用意した「宣誓供述書」が、はたしてどれほどの法的効力をもつものかはわからなかったが、ラメシュの証言の信憑性を高める上で役立つことだけは確かだった。
−−上野以外ではどこへ連れていかれましたか。
「赤羽に行きました。赤羽のカラオケです。そこでもずいぶん飲まされました」
−−それはあなたを取り調べた人ですね。
「そうです」
−−つまり、あなたに暴力をふるった人ですね。
「そうです」
−−先日あったナレンドラさんの話では、警察はあなたに就職の斡旋をしたとも聞いています。給料も以前の職場に比べて2倍くらいもらったと、彼はいっていました。その話は本当ですか。
「本当です。警察は私に仕事を紹介してくれました。円山町のアパートにはもう住まないほうがいい、といって他のところに連れていったんです。そのとき給料を30万か35万ぐらいもらいました」
−−警察が紹介したわけですね。
「そうです」
とめどもなく堕落することでしか自分の生を確認できなかった泰子は、堕落に赴くそのすさまじいまでのエネルギーで、ネパールの農村からやってきた純朴な青年まで奈落の底にひきずりこんでしまったような気がしてならない。いや、ゴビンダが虚妄の繁栄にわく日本に出稼ぎにきたというそのこと自体が、そもそも間違いだった。彼はカトマンズに家を建てるなどという野心をもつべきでなかった。イラムの田舎で両親と妻子に囲まれ、飼っている牛とともにのどかな生活を送るべきだった。
「キョウ、セータ−ト、シャツト、クツシタイレマシタ。ホカニホシイモノハナイデスカ?」
「ネパールゴノホン」
「ドンナ、ホンデスカ」
「レキシ、ノベル。ソレト、シンブント、マガジン」
「ソレハ、ドコデウッテマスカ?」
「ニシコヤマデ、ウッテマス」
「コンド、カッテモッテキマス。トコロデ、カラダ、ダイジョーブデスカ?」
泰子が東京電力初の女性総合職として入社した1980年は、わが国の年間自動車生産台数が1千万台を突破し、世界一になった年である。日本はこれが合図だったかのように、政治家から官僚、経営者から庶民にいたるまで金に群がるバブルという名の「小堕落」の時代に突入していった。そして泰子はバブル崩壊と軌を一にしたアヤつきのホテルに入り、その数時間後、何者かによって殺害された。
私には泰子の自暴自棄とも思えるそんな行動それ自体が、本当に堕落するとはこういうことなんだよ、バブルに浮かれた世間の堕落なんて「小堕落」にすぎないよ、といっているように思えてならなかった。
「クリスタル」のすぐ近くにあるラブホテルの支配人によれば、泰子殺害の容疑者のゴビンダ・プラサド・マイナリが起訴された97年6月直後、渋谷署内で円山町のラブホテル経営者らを招いた打ち上げパーティーが行われ、事件解決に協力したという理由で彼らに金一封まで授与されたという。
「マハラジャ」ではゴビンダら外国人を不法就労させているばかりか、パートの主婦の脱税まで公認して勧めている。そのいじましさは、庶民の世界の「小堕落」そのものの姿のように思われた。閉廷後、96年夏から事件当日まで泰子が勤めていたホテトルのある五反田に行ってみた。泰子は東電が休みになる土、日ごとに西五反田2丁目にある「魔女っ子宅配便」というホテトルに通い、「さやか」という名で客をとっていた。五反田駅西口を出て山手通り方面に少し進んだ、どす黒くよどんだドブのような目黒川沿いの一帯は、表通りは銀行の支店が軒をつらねるビジネス街の様相を呈している。だが、裏に一歩はいると小さなマンションが立ち並ぶごみごみとした一画となっている。五反田のホテトルのメッカはこの界隈だという。
東電OLの仮面を脱ぎ捨て夜鷹となった泰子の姿は、坂口安吾が『堕落論』のなかで「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」と述べた言葉を想起させ、私を感動させる。私は泰子の奇矯な行動にこころ動かされるわけではない。堕落する道すじのあまりのいちずさに、聖性さえ帯びた怪物的純粋さにいい知れぬほど胸がふるえるのである。
あの日は暑い日で、ブレザーを脱いで、明屋書店の前にあるちょっとしたスペースに置いていたんですが、ブレザーを着ると、内ポケットにいれていたはずの封筒入りの現金がない。‥正野は、盗難届を出すことによって、泰子とは何の関わりあいもないことを結果的に証明したことになる。もし、正野が届けを出していなかったら正野は重要参考人として警察の徹底的な取り調べを受けなければならなかっただろう。私は正野の話を聞きながら、人間はいつも刃の先を渡るような危険な道を歩いているのかもしれない、と思った。
その日の夕方、ゴビンダはリラ、ナレンドラとはからって目蒲線西小山駅近くの不動産屋を訪ねた。惣菜類を並べた小さな店が軒を連ねる昔ながらの商店街が下町情緒をかもしだす西小山駅一帯は、ネパール人が集まる街としてよく知られている。3人はその不動産屋の仲介で、武蔵小山駅近くのウイークリーマンションを借りた。
ネパールから日本に出稼ぎにきた外国人労働者と、東京電力に総合職で入った慶応大学経済学部出身のエリートOLは、常識的にいえば、お互い絶対に遭遇することのない相手だった。その2人が時代のカクラチにぎりもみにされ、円山町に吹き寄せられた。そして円山町の強い磁力が2人を衝突させた。2人の衝突は、わが身を畜生道に沈リンさせた泰子の神々しいまでの「大堕落」と、ゴビンダのあさましくもケチくさい「小堕落」ぶりの対照を、ハリのなかに映る影絵のようにありありと浮かびあがらせた。この裁判を欠かさず傍聴してきた私にはそんな気がしてならなかった。
弁護人は最後にこういって最終弁論の冒頭をしめくくった。「‥裁判所は、本件真理に際して、弁護人の数が多いことを理由に、私たちを国選弁護人として認められませんでした。このため、弁護人は、これまで無報酬で弁護活動を行ってきました。これもわが国の司法に汚点を残さないための動機からでたものであります。」
「‥そして『弁護士をつけると長くなるぞ』等と脅迫・欺モウして弁護士との接見を妨害する一方、警察に協力をすれば日本に来て働けるようにする、もし協力しなければ2度と日本に来られないようにする等の働きかけを行い、リラに対し、警察が完全に生殺与奪の権利を有することを誇示して虚偽供述を迫ったのです」弁護人はこれに続けて‥
ゴビンダが事件発覚直後、粕谷ビル401号室を引き払って品川区西小山のウィークリーマンションに居を移したのはあくまでオーバーステイの発覚をおそれたゆえの行動だったこと、‥
数日後、私は品川区の小山を訪ねた。テレビ、週刊誌が一斉に、新潟県で発覚した「少女監禁事件」の謎を報じている頃だった。渡辺泰子は登記上、この街で生まれ2歳までここですごしたことになっている。しかし、付近の住民のなかに、渡辺の両親や泰子のことを記憶にとどめている者は誰ひとりいなかった。泰子が幼児期を過ごしたと思われる場所から百メートルと離れていないところに西小山商店街のアーケードがある。下町情緒を色濃く残すそのあたり一帯は、東京のなかでネパール人たちが最も数多く集まっているところとして知られている。ゴビンダが事件発覚後、身を隠したのも西小山にあるウイークリーマンションだった。むろん単なる偶然の悪戯にすぎないのだろうが、泰子とネパールを古層でつなぐような地理的暗合に私は言葉をのむ思いだった。
「‥でも、女性ならば誰でも、自分をどこまでもおとしめてみたい、という衝動をもっているんじゃないかとも思うんです」