「東電OL症候群」/佐野眞一/2001年、新潮社

 「東電OL殺人事件」の続編。2審以降を追っている。四百ページ弱の本だが、興味深く2日で読めた。実際に東電OLは売れている。本が売れない、長いものが読まれない、と言われるなかでも、秀逸なノンフィクションのルポは長編でもちゃんと売れることを、この2冊が証明したのだ。

 当局の発表モノばかりの絶望的な日本メディアが冷め、事件を風化させる方向に進む一方、ワシントンポストやAPなど各種外国メディアが大きく報じ、テレビ化、映画化、仏語翻訳出版のオファーが来る。その理由は二本の柱、すなわち「女は性にとらわれて死んだ泰子に魅了され、男は権力にとらわれて獄中にいるゴビンダに思いを馳せているのではないか」という著者の分析が的確だろう。

 中心となる読者は女性であり、飯島愛の百万部超となった「プラトニックセックス」の要素に、更に「アエラ」のターゲット読者層(働く女性)が加わったものと考えられ、「ヤスラー」なる言葉も生まれたほどだ。事件の展開により、更に冤罪事件、司法の闇がアジェンダとして加わり、腐敗権力を憂う男性読者をも取り込んでいったと思われる。それほど、この事件が社会の本質を明らかにするだけの普遍性、世界性を持っていたということだろう。「病んだ社会というのは、実は病んだ者にしか見えない、というふうに私は思っています」というのは至言である。

 事実は偶然とはいえないほどにシンクロし、意味のある一致を見せつつ、次々とつながっていく。ノンフィクションの魅力をこれでもか、と見せつけるのだ。泰子と同年の東京高裁判事・村木は、一審でゴビンダ無罪判決後の再勾留決定に関わった1人だったが、後に少女買春により弾劾裁判で罷免され、退官願いを森総理に出した。その森総理は、学生時代には、かなり確定的な学生時代の買春疑惑がある。

 世界(日本のマスコミ除く)がこの問題に「発情」した一方、著者は、なぜここまでストーカーのごとくこの問題を追ったのか。その動機は気になるところであるが、佐野は「私は『発情した根源をむきだしには語らなかったが、行間には私個人の親と子、兄弟にまつわる誰にも話せない闇と哀しみを潜ませたつもりである」と述べるに留めている。佐野の過去、そして人間としての本質が潜む、実に興味深い記述である。(2002年4月)

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 つづいてきた映画化の話も、裁判問題に最終的な決着がついていないこと、「東電」という名前に配給会社が遠慮して難色を示していることなどが重なって、今のところまだ頓挫したままである。

 泰子がその前に佇んで客を引いていた道玄坂地蔵には読者たちの間でヤスラーと称されるキャリアウーマンたちの参詣が絶えず、いまではひそかに泰子地蔵と呼ばれているという。

 高木はなぜ外部に対してこれほど強い警戒心をもたなければならないのか。彼の裁判官としての履歴を調べてみて、それなりに納得がいった。彼がこれまで手掛けた事件は、被告や弁護人から冤罪が叫ばれている事件ばかりといっても過言ではない。76年3月、北海道庁が爆破され、死者2名、重軽傷者90余名を出すという事件がおきた。‥88年1月の札幌高裁でも控訴は棄却され、死刑判決となった。このときの裁判官が高木だった。‥90年5月の足利事件の判決にも高木はからんでいる。‥96年5月、東京高裁は控訴を棄却し、無期懲役の一審判決を支持した。裁判長はやはり高木だった。‥高木は、いまや警察のデッチあげだということがほぼ明らかになった狭山事件にも関与している。‥再審請求棄却という決定を下したのは、やはり東京高裁第四刑事部部長の高木だった。


 高木という男の人物像に興味を持った私は、高木の同期生たちを探して、彼の人となりを尋ねた。高木は昭和十一年、福岡県久留米市の生まれである。九大在学中に司法試験に合格し、昭和二十五年四月から2年間、第14期司法修習生として学んだあと、静岡地家裁判事補を振り出しに、那覇地裁判事、札幌高裁判事、宇都宮地裁所長などを経て、東京高裁判事部総括となった。14期生たちの語る高木像は、よくい3えば堅実、悪くいえば面白みがなく、一般の人が裁判官というものに抱くイメージを、そのまま型抜きしたような印象だった。

 司法修習生第14期の同期に、安倍晴彦という元裁判官がいる。安倍は98年に裁判官を退官し、現在は弁護士となっているが、36年間の裁判官人生で、一度も裁判長にならなかった。というより、なれなかった人物である。そのきわめて特異な事情については、最近出版されたばかりの「犬になれなかった裁判官」(NHK出版)という自著に詳しく述べられている。この本によれば、彼が裁判長になれなかったのは、若い頃から青年法律家協会(以下青法協と略)に所属し、当局の執拗な脱会工作にも屈せず信念を貫いたためだという。

 「修習生のなかで一番の出世頭は『局付き』です。これは、最高裁事務総局に所属する民事局、刑事局、家庭局に最初から配属される超エリートコースです。‥『局付き』で青法協会員だった人は、ある時点で圧力がかかって、全員青法協を辞めました。10人か11人いたでしょう。青法協本部に『辞めます』という内容証明郵便を全員が出したんです。『局付き』たちはエリートコースをとるか、青法協をとるか、まさに『踏み絵』を迫られたんです」

 ゴビンダに逆転有罪判決を下した高木俊夫は、こうした「ブルーパージ」のなかで、自分の身をどう処したのか。同期の安倍はいう。「高木さんは『局付き』ではなかったが、現場を歩いた裁判官のなかでは、同期中一番出世が早かった。裁判長になるのも、地裁の所長になるのも他の人よりだいぶ早かった。青法協裁判官部会にはその当時3百人ぐらいいましたが、当局から圧力がかかったとき百人くらい辞めました。高木さんもそのとき辞めたはずです。」
 
 高木の一連の検察寄りの判決には、青法協からの脱退という負い目がからんでいるだけではなく、勝ち組ではあるが超エリートではない裁判官のひけ目にも起因しているように感じられる。ある元裁判官によれば、検察庁と裁判所の間には画然とした一線が引かれているというのは真っ赤なウソで、検事の意に添わない決定を出すと、抗議の電話がジャンジャンかかってきたり、直接部屋に押しかけてくることが日常茶飯事のように行われていたという。


 朝日、読売の判決翌日の朝刊には、この裁判に関する続報は一行もなかった。これほど大きな問題をかかえた裁判結果を、当日の夕刊に速報的に流すだけですませる報道のあり方に、私はあらためて日本の新聞報道の一過性を感じた。とりわけ朝日の報道姿勢は欺瞞としか思えなかった。判決当日、新聞各紙は、この判決結果を一面、社会面ともトップ扱いとしたが、朝日は一面でも社会面でも2番手扱いで、記事内容も所在にほとんど突っ込んでいなかった。事件発生当時、朝日は他紙と同様、被害者の実名を写真入りで報じた。東京電力という社名ももちろん使った。それが無罪判決が出たときの見出しは、「電力・OL」や「渋谷・OL」殺人事件とかわり、今回は「女性会社員殺害」となった。東電OLや東電女性社員とはっきり打ち出した他紙に比べ、大広告主である東京電力に遠慮していることは明らかだった。‥新聞は東京拘置所に勾留中のゴビンダに一度も面会しなかった。「神様、やってない」という俗耳に入りやすいセンセーショナルな見出しを掲げた割には、中身は司法当局の流した都合のいい発表を鵜呑みにしただけのうすっぺらな記事を書いただけで、この事件の幕引き役を演じさせられた。この報道は、記者クラブ制度の弊害の見本のようなものだった。
 
 佐野 日本には記者クラブという大変便利な制度があります。どこが便利かというと、情報を出す官庁にとって非常に便利なんです。自分たちにとって都合のいい情報を記者クラブというたまり場に出しておけば、サラリーマンジャーナリストがそれをすぐ新聞に報じてくれるという構造ができあがっているわけです。これは世界的にみても非常に不思議なシステムですし、本来のジャーナリストには必要ない制度だと、僕は思っているわけです。
 バレリー 本当に変だと思います。アメリカにも日本の記者クラブ制度に似た「ビート」という国防総省やホワイトハウスをカバーする仕事があります。だから私は特派員という、どこでも自由に飛び回れる今の自分の仕事がとても好きなのです。

 (外国人特派員協会での質問に答えて)
 いま、ゴビンダは最高裁に上告中です。先進諸外国では公判で裁判の過程をテレビカメラに撮られたり、文字通り白日の下にさらされます。ところが日本の最高裁というところは、あの大理石でつくられた石の塊のような建物が象徴するように、あそこに入ると何が行われているか、われわれは一切教えて貰うことができません。つまり、あそこに入ったら、外の人間には物音一つ聞こえないわけです。その石の壁を割る武器として、私は渡辺泰子さんのまなざしを使いたかったわけです。つまり、渡辺さんが抱えていた心の闇が、われわれの世の中の闇、とりわけ司法の闇を照らし出しているのではないか、というのが私のモチーフです。ある意味で渡辺泰子さんは、大変に病んだ女性だったと思います。しかし、病んだ社会というのは、実は病んだ者にしか見えない、というふうに私は思っています。

 APの配信の影響は案外大きく、これをみた海外メディアからの取材が相次いだ。海外のメディアがこれほど「発熱」するとは思ってもいなかった。だが考えてみれば、この事件を一過性の猟奇的事件のようにして処理してきた日本のマスコミのほうが、よほど異常だった。この事件は特異ではあるが、その特異さはマスコミ言語のなかで「消費」しきれず、どこか人間真理の普遍につきささっているところがある。海外のメディアは、日本のマスコミ報道のあり方を含めたその異常さに、現代日本のゆがみが露出していることを敏感に感じ取ったからこそ、この事件に特別の関心をもったのではないか。

 フランスの週刊誌「ル・ヌーベル・オブセルバトゥール」から取材申し込みの連絡があった。‥「まず、人権の問題です。こんな裁判はほかの国だったら絶対にありえません。それと、泰子さんの悲惨な人生です。その2つが幾重にもからみあっている。しかしそれ以上に、この事件が、現在の日本社会をすごく象徴している事件だと思ったからです。会社、家族、警察という組織のなかで、個人がいかに小さく無力な存在か。この事件は、そのことをありありと私たちに伝えています」

 「ワシントンポスト」からはじまった海外メディアの取材攻勢を受けながら、私はこんな自問を繰り返した。海外のメディアはなぜこの事件にこうも「発熱」し、日本のメディアはそれと反対にこの事件を「風化」の方向にもっていこうとしているのだろうか。その報道姿勢の彼我の違いにこそ、この事件がもつ「世界性」と、それに気づかない日本社会の「特殊性」が浮かび上がっているのではないか。それが私なりに得た結論だった。

 また冤罪板前氏が実刑判決を受けた静岡地裁は、ゴビンダに逆転有罪、無期懲役を言い渡した東京高裁判事の高木俊夫が最初に赴任したところである。高木と彼にはもう一つ接点がある。器物損壊容疑により静岡地裁で懲役8ヶ月の実刑判決を受けた彼は、これを不服として東京高裁に控訴した。これを審理し、懲役6ヶ月の判決を下したのが、東京高裁第四刑事部長(裁判長)の高木だった。私はこの事実を知ったとき、死んだ泰子は闇の連鎖ともいうべき見えない世界に私を連れてゆく巫女のような存在なのではないか、という思いにあらためて強くとらわれた。 

 私は直情径行の見本のような冤罪板前氏の話を聞きながら、女は性にとらわれて死んだ泰子に魅了され、男は権力にとらわれて獄中にいるゴビンダに思いを馳せているのではないか、という思いを何度か胸のなかでつぶやいた。

 私はいかにも地方公務員らしいつましい実家のたたずまいと、こみあげてくる感情を必死で押し殺そうとする母親の健気な態度に好感を持った。そして、こんなしっかりした家に育ちながら、村木はなぜ少女買春などという破廉恥罪を犯してしまったのか、とあらためて思った。

 ‥村木の転落の軌跡を同学年の渡辺泰子の転落の人生と重ねあわせてみたい、という誘惑にかられた。

 村木が退官願いを出したのは、前総理の森(善朗)である。学生時代の買春疑惑が取り沙汰された男に、「買春判事」が退官願いを提出する。未曾有の珍事というべきだろう。

 東電前には、街宣車もハンドマイクもなく、たったひとりきりで抗議する男がいた。担当者の話では、送電塔に当たる風の音がうるさいと、かなり以前からやってきている新手の抗議で、最近では茨城県に住む反対派の人間とはからって、送電塔付近の土地を買い占め、そこに穴を掘って送電塔の倒壊を目論んでいるという。

 自殺した現場付近は、朝霞浄水場の取水口となっており、大きな堰が設けられている。川の流れはかなり速く、下流の銀色の鉄橋にはオレンジ色の武蔵野線が武蔵野台地を貫いて走っている。平日だというのに、近くでのんびりと鯉釣りをしている釣り人たちに尋ねたが、誰ひとり4年前の自殺のことは知らなかった。それより釣り人たちの話で興味をひかれたのは、ここには年間20体以上の水死体が堰にせきとめられてあがるが、都民や埼玉県民の水道水の取水口となっているため、公式には一切発表しないことになっているという話だった。あったことだが、なかったことになってしまう。

 私は「発情」した根源をむきだしには語らなかったが、行間には私個人の親と子、兄弟にまつわる誰にも話せない闇と哀しみを潜ませたつもりである。さらにいうなら、「個」の哀しみを語るとき、「類」としてしか語れない人間存在そのものの哀しみを込めたつもりである。それは、丸裸で無人の地べたに寝かされたような、あるいは、宇宙にたったひとりで放り出されたような極北の孤独である。あえて言うなら、それが私の「発情」の根源だった。