and more info
人事 --変わらぬ企業体質--
 現在の鶴田という社長は、森田元社長が江副から八千万円以上の賄賂を得たのがバレて失脚したため、運良く回ってきたいわゆる「棚ボタ」社長だ。橋本龍太郎が大失政で失脚し無能な小渕が首相になっちゃったのと同じようなものである。森田は杉野という男を次期社長に決めていたが、不祥事で人事権を失い、結果的に、当時副社長だった新井をつなぎ役として、鶴田は社長になれたのだ。

 八千万円もの「濡れ手に粟」を手にした森田が進めていた「総合情報機関路線」は、事実上、鶴田にもそのまま受け継がれ、権力との癒着体質も変わらず、権力を監視するという意味のジャーナリズムから、どんどん離れていっている。役員の人事権は事実上、社長が持っているので、「癒着して濡れ手に粟を得る」体質は、役員全体、そして日経全体が持っていたと言って良い。

 賄賂がばれて森田政権全体、企業全体の体質が問われたにもかかわらず、森田一人が辞めただけだった。端的に言えば、「癒着のどこが悪い」とどうどうと言えなければ出世できないのが日経の企業体質であり、私の直属の部長も「あれは違うんだ」などと、森田を擁護していた。森田の辞任は全くの「トカゲのしっぽ切り」で、癒着を是とする者が昇進していく企業体質は変わっている気配がない。現在は、首が鶴田にすげ替えられているに過ぎないのである。

 森田がマスコミが騒ぎ出すまで「賄賂がいけないことだ」と理解できなかった、というエピソードは、問題の根深さを象徴している。さらに、新井新社長を中心とする役員会は何と、失脚した森田を顧問に推薦した。役員全体が、賄賂を受け取ることを問題と認識しなかった証拠である。現在でも、森田の事件を社内の戒めとして用いることはタブーとなっていて、新人研修でも二年目研修でも、森田のモの字も、リクルートのリの字も聞くことはない。リクルート事件とは、まさに日経の企業体質が生みだした事件だった。その体質(人事評価指標)が、今日にも脈々と受け継がれているのである。

 ちなみに、新井・元社長は後に国家公安委員となった。「ボクは後藤田さんとトモダチだからね、、」などと就任の経緯を平然と宣っている。そもそも、権力と対峙すべき新聞社のOBが警察庁傘下の公安委員になるべきではないのは言うまでもない。だから警察の広報ばかりして、批判できなくなっているのだ。

 新井は、少女監禁事件の大事な場面で麻雀接待をするという大失態を犯した新潟県警本部長が依願退職した件を、国家公安委員会として無罪と判定した理由について、「三〇年もやった人が、組織にはなむけできない形で辞めるんだから、、」とコメントしている(サンデープロジェクト2000/3/6)。森田が依願退職した当時と、全く同じような場面で、相変わらず倫理観のカケラもない発言。何も変わっていない。もはや、死ななければ治らないのだろう。森田も、本部長も、最低でも懲戒免職だ。有権者の大半は退職金ゼロでも甘いくらいだと感じているはず。こんな無能な国家公安委員が税金から年収2660万円という首相並みの給与を得ているのだから、いかに日本という国が間違っているかを実感せざるを得ない。私など、もはや納税意欲ゼロである。

 森田、新井、そして私を処分した鶴田と、この会社のトップは骨の髄まで腐り切っている。権力との癒着と汚職、倫理の退廃。完全な反民主的・反国家的企業。そして組織の常として、末端まで腐敗は進行しているのである。

 

以下、「勝負の分かれ目」(下山進/99年、講談社)より引用


「1984年の12月25日のことである。日経の社長室に江副が訪ねてきた。……2000株を2000万円でどうかという話だった。『あさってから台湾なんだ。じゃあ今から銀行にお金をとりにやらせよう』『いや、結構です。私どもの関連会社のノンバンクがありますから、そこで融資をさせていただければ。担保は、取得する2000株の株をあてます』あとの細かな処理は秘書室長が行い、森田は正月には台湾でゴルフを楽しんでいたという。」

「28日付の『日経』の情報産業特集でリクルートが紹介され、店頭登録をされた30日には『リクルートコスモス、マンション販売で二位』という記事が掲載された。店頭公開直後の初値は活況で5270円をつけた。…森田が、リクルートコスモス株を売却したのはその直後の11月中旬で、8000万円を超える利益を得ていたのだった。」

「なぜ、新井、鶴田だったのだろうか。森田のリクルートスキャンダルが発覚した時点で、森田が次の社長に指名しようとしていた杉野直道が、根回しをし、政権を掌握するということができなかったのだろうか。…歴史に『もし』はないが、『もし』森田が、自らの仕事にもう少し自覚があり、江副の甘言に乗ることがなければ、松明は杉野にうけつがれていただろう。社長の人事権は絶対だ。しかし、日経の名を辱めた男に、次の社長を指名する権利はなかった。…通常、代表取締役社長を務めた者は、日本経済新聞では『顧問』の肩書を得ることになっていた。その慣例に従って、取締役会では辞任した森田を『顧問』として推薦することを決めた。が、OBの反発によりこの『顧問』の資格は剥奪されてしまう。」

 

以下、「滅びゆくジャーナリズム」(本多勝一/ 96年、朝日文庫)より引用


「日経新聞の森田前社長は、新入社員の研修などで『わが社は経済に関する世界的な総合情報産業であって、君たち記者に求めるのは正確なデータだけだ。天下国家を論じたい人はキャンペーン好きの某新聞社へ行くか、郷里へ帰って議員にでもなりなさい』といったようなことを言っていたというんです。某新聞社とは朝日のことでしょうが、そうなると、われわれが描いている新聞ジャーナリズムというのは幻想であって、実態は情報産業になり、私企業として金儲けに走っているということかもしれない。」(解説・斎藤茂男)

「『……ことかもしれない』とは随分控え目な言い方をしたものだな、と思う。現実はその後ますます滅びの方向へ進んだのではないか。」(本多勝一)

 

以下、週刊文春2000/3/23より引用


--日経新聞は、国家公安委員の問題についてほとんど報道していません。

新井氏「そりゃ、委員に僕がいるからだろう」