「柔らかい企業戦略」/嶋口充輝/2001年、角川書店

 「マーケティングの醍醐味は、市場に関係性を貫きつつ、顧客に革新的な提案をし続けるところにある。そのためには、アンビションが必要だ。アンビションは、組織の求心力となり、マーケティング展開のコアとなるとともに、顧客が企業を選択する基準ともなるからだ」。「普通のブランドがモノやサービスを通してスタイルを訴求しているのに対して、メガブランドはスタイルやシーン、夢の実現の中にモノを位置付けている」。「重要な顧客志向とは、顧客を選別し、優良顧客に対してあらん限りの価値を提供するとともに、先端的な顧客を企業、あるいは事業のパートナーとしてとらえ、積極的に対話し、顧客の知識を吸収し、さらに正社員、あるいはある意味でアウトソーサーと位置付け、商品企画や商品開発にまで参加させる姿勢を指していう」。「経営トップから現場に至るまで、コア人材はすべからくドリーマーでなければいけない」。
 いずれも目から鱗の至言である。本書で述べられているアンビションという概念は、規格大量生産で似たようなモノをひたすら作って来た日本企業に、最も欠けている点だろう。21世紀の創業者は、本書の意図を肝に銘じねばならない。果たして消費者に対し、一貫して良い生活、夢のある魅力的な生活を提案し、夢を見させる会社が、日本に存在しているだろうか。"Think different"という明確な生活を提案している「アップル・コンピュータ」のような会社が、日本にあるだろうか。私の心に深く訴える会社は、残念ながらない。あるとすれば、それは本書でも述べられているが、湘南藤沢キャンパスだった。確かに私は、SFCのアンビションこそが、大学選択理由だったのである。(2002年3月)

−−−−−
 ハメルとブラハラードは、「ストラテジック・インテント」において、戦略的な意図の明確化によって新たな成長段階を築いた代表的な企業として、キャノン(複写機)とホンダ(乗用車)を挙げている。その理由は、アンビションにある。キャノンのアンビションは「ゼロックス打倒」、ホンダのアンビションは「第2のフォードに」であった。‥複写機の代名詞であったゼロックス、初めて全世界に大衆車を普及させたフォードという目標像を具体的に示している。創業や出発時の時代性を考えれば、アンビションとしての要件を十分に備えていることがわかる。

 ‥湘南藤沢キャンパス創設時のコンセプトは、「未来からの留学生」であった。どういうことか、このキャンパスの10年後、20年後の卒業生が社会のリーダーとして活躍する。そうした絵姿をイメージして、そのために今、何をしたらいいかということを考え、施設・設備を整備し、カリキュラムを組みましょうという意味だ。未来の問題解決能力を高めるためには、心理学とか社会学といった既存の学問的枠組みにとらわれる必要はなくなるだろう。しかし、それにしても「未来からの留学生」というのはもう一つ、わかりにくい。ところが、湘南藤沢キャンパスの実質的な創設責任者にそのイメージを聞いたところ、「未来のスピルバーグのような人間をつくりたいんだ」とおっしゃった。

 ソニーの出井伸之氏が1995年に社長に就任早々、「リジェネレーション(第2創業)」とともに「デジタルドリームキッズ」というスローガンを掲げた。‥トヨタが今掲げるスローガンは、Drive your dreams。ホンダはThe powaer of your dreamsだ。

 マーケティングが与え得る2つ目の夢の形は、すでに存在している商品なりサービスに新しい意味を与えることだ。これは消費者の潜在的なニーズやウォンツを引き出すというよりも、期待値を塗り替える作業に近い。これらの例は、サービス産業に目を転じるとわかりやすい。たとえばスターバックス・コーヒーがある。‥創業者のハワード・シュルツ氏は、このコーヒーチェーンのコンセプトを、Safe harbor for people to go、人々が安心して立ち寄れる非難場所と言った。「スターバックスのブランド価値は、製品や商標だけにあるのではなく、スターバックスの店での体験へのある種の信用と信頼感にもある」とシュルツ氏は説明する。つまり、スターバックスのミッションは、顧客にどの競合店よりも、安心とより良いエクスペリアンスを与えることなのである。だから、「スターバックスは、ストレスを鎮める場所」だと説明される。‥そこでイメージされるのは、家庭、仕事場に次ぐ、第3の居住空間であるという。

 マーケッターの願望は、常にリピートカスタマーの創造である。つまり、顧客ロイヤリティの最大化だ。そして、ある時期を堺に、宣伝よりもむしろ口コミでそのブランド価値が広まっていく。価値が拡大しながら伝播し、思いも寄らないところで再生産されることをマーケッターは夢見る。‥まさに、信者を作り出すことが、マーケッターの最高の栄誉でもあるのだ。その商品が提供する価値が、顧客にとって人生の根幹をなす一部にまでなり、生きがいとなることすらあるのだ。


 世界中の成功をほしいままにするコカコーラだが、かつて一度だけ危機があった。1983年に発表したコカコーラの味の変更である。400万ドルをかけ、19万人を調査した結果の決断であったが、大変な失敗であった。多い日には1日8000本の電話が鳴り、合計すると4万通の手紙が殺到したのである。そのすべてがオールドコカコーラのいわば信奉者からのクレームである。‥発売から3ヶ月も経たないうちに、コカコーラ社は「コカコーラクラシック」の名前で従来の味を復活させた。‥コカコーラは、アメリカ人にとって、まさにアメリカの象徴であり、アメリカンウェイオブライフの象徴であり、民主主義の象徴であり、平等の精神の象徴なのである。‥真珠湾攻撃の直後、当時のCEO、ロバート・ウッドラフフ会長は、戦時体制下の経営方針を発表した。それは、「我々は、いかなるコストがかかろうとも、米兵が世界中のどこにいようとも、5セントでビン入りのコカコーラが飲めるようにする」というもおのであった。‥工場が建てられない場合には、ジープの後ろに移動式のボトリングユニットを取り付けてまでコークを戦地に送ったのである。


 マーケティングのミッションは人々に夢を与えること、端的に表現すれば、自社の顧客が喜んでいる顔、姿を具現化することなのだ。‥家の裏庭で家族でバーベキューを楽しみながら、コカコーラを飲む満ち足りた顔、スターバックスでリラックスして心地よさそうな姿、こうした顧客の顔や姿は容易にビジュアライズして想像することができる。そうした製品なりサービスは強い。それが、すなわち顧客価値なのだ。それらの顔や姿が容易に思い浮かぶのは、それがマーケッター自身の価値と同じだからだ。一流のマーケッターは常に、自らがかなえたい夢を具現化してきた。思い浮かべるべき喜びの顔や姿は、不特定多数ではいけない。ターゲットがはっきりしていなければいけない。

 昔の百貨店そうだ。百貨店は、ファミリーにとってのアミューズメント・パークであった。休日になれば、多くの家族連れが生活をエンジョイしに百貨店に集まってきた。これもまた、マーケッターが発信したイメージなのである。‥多くの場合、創業者にはそれがわかっている。‥マーケティングのもう一つの使命は、そうした創業者マインド、アントルプレナーシップをいかに後世に伝え、社員に養わせるかということだ。

 ‥創業者マインドを持つマーケッターはチャレンジャーでなければいけない。ルール・ブレイカーでなければいけない。まさに「円の外に点を打つ発想力」が求められるのである。‥何が必要か。夢を見る力、使命感、洞察力、ビジュアライズする力、ほかの人を巻き込むコミュニケーション能力、目標設定能力、そして強固な意志の力だ。いずれにしても、人々の深層心理に眠っているウォンツを掘り起こし、あるいは人々の期待を180度転換してしまう。あるいは、数多くの信者を創り出す、それがマーケティングの仕事なのだ。

 もう一つの自動車メーカー、日産はどうだろうか。ご存知のとおり、「モノより思い出」という名文句を高らかに宣言している。子供たちが求めているのは、モノではなく、思い出。体験であり、家族や仲間との絆なのである。

 人々は想像できることに心を動かす。それがメタファーの役割だ。ビジュアライズすることによって、ほかの人を巻き込むコミュニケーションを可能にしているのだ。‥ただ、繰り返しになるが、ビジュアライズするときに重要なのは、ターゲットを明確にすることである。そして、そのターゲットの夢を語り、そのターゲットが喜ぶ姿を映し出さなければいけない。

 スタンフォード大学のコリンズ教授らが著した「ビジョナリーカンパニー」には、「時を告げる天才と、時計というメカニズムを考えた天才と、どちらが偉いか」という問題提起がある。こういうわけだ。「今何時だ」と言ってぴたっと当てる人間は素晴らしいけれど、彼がいなくなったら時間がわからなくなる。比べて、時計を作り出した人間は、たとえ彼自身は時を告げられなくても、いつでも凡人がぴたっと時を当てることができるようにしたわけである。企業というのはそういうもので、スーパースター1人を生み出して、彼を頼りに生きていくのではなくて、スーパースター並みのパフォーマンスが可能な仕組みを組織内に持たないとだめだというわけだ。そのメカニズムとはどのようなものか。私は、最も重要なメカニズムは、社員全員が顧客との適切な距離感を持って、顧客から学び、顧客を超える。そうしたカルチャーを具現化できるようなものだと思う。つまり、相当場数を踏んだうるさい顧客とどのぐらい仲良くして、そして彼らの良いとこ取りをできるか。

 インターネットが真中にあることで、顧客との距離感を良いころあいに保っていくことができる。それはまさに、「スープが冷めない距離」だ。その距離感を保てれば、猛スピードで成長していく顧客に取り残されない。さらに、その成長を凌駕し、ブランドに憧れを維持することができるわけだ。

 インターネットで生活の2〜3時間を過ごす人たちは、自宅に帰るとテレビのスイッチを入れるようにコンピュータのスイッチを入れる。いつも行くウェブサイトは決まっている。いくつかのお気に入りを順番に訪問して、それで歯を磨いて寝る。このリストに入っていないといけない。‥オムツを売ろうと思ったら、その前にオムツを買うであろうお母さんたちの関心を買わなければいけない。お母さんたちにとって役に立つ情報を提供する。そういう位置付けにしないといけない。育児の悩み、医学的な情報、同じような悩みを持つお母さんたちとの意見交換、そういった場所をきっちり提供してあげることが必要だ。つまり、コミュニティサイトを作り上げるわけだ。今、キューピーのサイトの人気が高い。なぜなら、キューピーのウェブサイトでは3分クッキングの膨大なデータベースをさまざまな形で検索できるからだ。‥ウェブ上のいい経験は、たとえばキューピーと消費者との距離感を確実に縮める。

 インターネットの得意技は既存ユーザーのより一層のロイヤル化であって、新規顧客を引っ張ってきて驚かせることではないということを意味する。‥ちなみに、ホンダのウエブサイトではエンジニアの人が写真付きで週替わりで出てきて、いろいろな問いかけをする。たとえば「もう軽は不要ですか?」とかである。するとオーディエンスは、賛成、反対の意見を書く。賛成か反対かの帯グラフが掲示されていて、いずれかをクリックすると、それぞれの意見が読める。ある程度意見がまとまってくると、それぞれの開発の責任者が感想を述べる。

 3Cという分析視点がある。カンパニー(自社)、コンペティター(競合)、カスタマー(顧客)を意味する。たとえばあるビジネスの強み、弱みを分析するに当たって、この3方向から考えてみるというやり方だ。自社の状況や強み、弱み、戦略をまず分析する。加えて、競合各社の強み、弱み、戦略を分析し、さらに新たな競合の有無をリサーチする。また、顧客は誰か、彼らのニーズはどのようなものか、今後の動向はどのようなものかを分析する。‥今後は、競合を競争相手としてではなく提携先としてとらえられないかどうかを考え、また顧客は市場としてではなく、資産としてとらえられないかどうかを考えることも重要になる。

 松下幸之助は、制約要因の発見に長けていた。家電製品が普及し始めた当時の最大の制約要因は、消費者の家電に対する知識不足だった。知識が不足しているために、その性能に疑いを持っていたわけだ。憧れはあるものの、どれだけ使えるのか、壊れたらどうするのかということがわからなかった。また知識不足ゆえのクレームも多数生じた。こうした制約要因を乗り越えるための戦略は、消費者への情報提供(教育)にほかならない。松下氏は、消費者教育、さらにメンテナンス拠点として、ナショナルショップを次々と作った。これほど明快で効果的な戦略は、マーケティングの歴史を見回してもそうはない。
(→市民活動の拠点、読者会作り)

 変早期が訪れるのを早めに予測し、その流れを加速させる努力が重要であるし、さらに言えば、変動期を待たずに制約要因の打破を目指し、イノベーションを起こし、独自の変動期を作り出すことができればそれに越したことはない。‥たとえばトヨタのプリウスのように、本格的なものではなく経過的な変動期を創出する、ハイブリッドという考え方がある。本格的な電動自動車に切り替えるには時間がかかる。しかし、ハイブリッドならばすぐにも市場に投入できる。スピードを重視する経営において、こうした割り切りは重要な意思決定だといえるはずだ。(横組みの前に縦組みとするのは、ハイブリッドと言えるか?)

 今を時めく大企業にも、ベンチャー企業にも、エクセレント・カンパニーには、常に大志があるものだ。ただ利潤動機でのみ動く企業に永続はない。永続する企業には、ある道筋において社会貢献を目指そうとする、あるいは自らの美学、哲学、理想を追求し、それを社会に提示しようという大志が存在する。誰にとってもお金は大事なものだ。しかし、金銭だけで長期間の遣り甲斐を持続できる個人も少ない。むしろ、大志があるから創業者は会社を興し、黎明期の社員はその大志に引かれて集まってくる。その大志こそが、企業を成長させる原動力であったはずだ。大志こそが、企業の持つ最大の無形資産といってもよいほどだ。

 顧客に向けて革新的な提案をし続けるためには、企業自体が「こうなりたい」という理念を持つ必要がある。この理念とその実現欲こそがアンビションであり、その実現は、まさにマーケティング戦略の展開そのものなのである。アンビションがマーケティング戦略の展開を駆動し、それがまた商人を育てていくのだ。マーケティングの醍醐味は、市場に関係性を貫きつつ、顧客に革新的な提案をし続けるところにある。そのためには、アンビションが必要だ。アンビションは、組織の求心力となり、マーケティング展開のコアとなるとともに、顧客が企業を選択する基準ともなるからだ。これが本章で強調したかったことである。

 アンビションは、「柔らかい戦略」と定義された。柔らかい戦略とは、アンビションを具体的に実行する組織の構成員が、その方向性の下に自らが何をやるべきかを容易に想像ができるほどに戦略的な、いわばビジョンを意味する。さりとて、やるべきことが事細かに規定されるほどに硬くはない戦略だ。

 重要な顧客志向とは、顧客を選別し、優良顧客に対してあらん限りの価値を提供するとともに、先端的な顧客を企業、あるいは事業のパートナーとしてとらえ、積極的に対話し、顧客の知識を吸収し、さらに正社員、あるいはある意味でアウトソーサーと位置付け、商品企画や商品開発にまで参加させる姿勢を指していう。顧客と対峙する形での顧客志向を即刻改め、顧客をパートナーとして味方につけるためのマーケティング戦略を展開する必要があるのだ。そして企業は、常に顧客にとってのイノベーションに挑戦し続けなければならない。

 ここで注意すべき点は、インターネットは確かにリアルを持たないバーチャルカンパニーのビジネスをも可能にするが、その本領を発揮するのはむしろクリック&モルタルの世界だという点だ。すなわち、リアル(R)のビジネスとバーチャル(V)のビジネスの両方を展開し、R→V→R→Vという連鎖反応で顧客にとっての企業の付加価値を高めていくことが得策なのだ。

 メガブランドと普通のブランドの差はなんであろうか。普通のブランドがモノやサービスを通してスタイルを訴求しているのに対して、メガブランドはスタイルやシーン、夢の実現の中にモノを位置付けている。メガブランドには間違いなくアンビションがあり、歴然としたメタファーが存在する。そうしたブランドは、炭酸飲料の中のコカコーラと同じように、コモディティ化とは無縁の存在となれる。

 ドリーマーは経営者だけでいいのではない。経営トップから現場に至るまで、コア人材はすべからくドリーマーでなければいけない。もちろん会社経営には、あるいは運営にはマネジャーも必要だ。だから、ドリーマーとマネジャーの組合せが最も有意義なのだ。

 いつもの場所で落ち着き、いつもの人との会話ばかりを楽しんではいないだろうか。生活者の代表として仕事をしているであろうか。常に顧客の立場に自分を置いているだろうか。夢を見ているであろうか。それは、誰よりも素敵な夢だろうか。恋人が、あるいは奥さんが、子供たちが、お父さんやお母さんが何に満足するか、何に困っているかを知っているだろうか。常識ほどこの世にたくさんあるものはない、ということを知っているだろうか。果たしてあなたは円の外に点が打てるだろうか。それよりも何よりも、本当に楽しんで、遣り甲斐を持って仕事をしているだろうか。こうした質問を、平社員から経営者に至るまで、自問自答してほしい。


メモ(「金曜日」読者会の規模と人数は?)
  (佐野眞一「業界紙諸君!」読む)