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お名前: 薊子
このような詔勅がちゃんと残っているのですね。
納得しました。
現在でも、町村合併などで歴史的経緯からはかけ離れた恣意的な
名称が提案されて論議を呼ぶ、というようなことがありますが、
どうも古代から似たようなことはあったのだと、変な感慨も覚え
ました。
[2000年6月17日 14時18分1秒]
お名前: 塔婆守
ヤマシロに関する話題を続けます。
平安京への遷都がなされた延暦十三年(794)、時の桓武天皇はそれまでの「山
背国」という地名の表記を「山城国」に改めよという詔勅を発します。その内
容は次のようなものです。
此ノ国、山河襟帯、自然ニ城ヲ作ス、斯ノ形勝ニ因リテ、新号ヲ制スベシ。
宜シク山背国ヲ改メテ山城国ト為スベシ。
(日本紀略/延暦十三年十一月八日)
ヤマシロの国は山河に囲まれて自然の要害をなしているので、この地形にちな
んで、国名表記をそれまでの「山背」から「山城」に改めよという内容です。
この「山城」は当時の読み方からすればヤマキとなるはずですが、それだと表
記だけでなく地名そのものまで改めたことになってしまいますから、そうでは
なしに表記だけを「山城」と改めて、呼び名は元のままのヤマシロを用いたと
見る方が適切でしょう。つまり、「山城」の「城」に限ってシロという訓が新
たに誕生したことになりますが、これはいわば梅雨をツユと読むような熟字訓
の一種と見るべきものであって、それ以外の文字列における「城」の訓は、ま
だキであったはずです。しかし、それがひとつのきっかけとなって、それが後
代に「城」字をシロと読む結果を生じたというわけです。
中世の謎から思わぬ方向に話題が広がってしましました。
[2000年6月16日 12時28分26秒]
お名前: 薊子
>このところ雑務が重なり、レスが遅れて相済みません。
とんでもありません。
わたしの方は、何分お気楽に出入りさせていただいているわけ
ですので、どうぞ気になさらないで下さい。
「ヤマ・ウシロ」から「ヤマシロ」、なるほどその方がずっと
自然ですね。地名から人名、も納得です。
[2000年6月14日 22時33分53秒]
お名前: 塔婆守
このところ雑務が重なり、レスが遅れて相済みません。
薊子さまご指摘の「山背」の件ですが、この漢字表記はまず地名
表記としての「山背(国)」が先にあって、それがのちに「山背
大兄」のように人名としても用いられるようになったのではない
でしょうか。つまり「山背」という漢字表記は《山を背(=後)
にした(国)》の意に当たる「ヤマ・ウシロ(ノクニ)」の意を表
したもので、それが縮約によって「ヤマシロ」の形を生じたと考
えたいわけです。
ご指摘の人名表記の「山尻」が仮に本来のものであったとするな
らば、「ヤマ+シリ」の結合は必ずや「ヤマジリ」のごとき連濁
形を生じたことでしょう。しかるに、後部要素のシロが清音であ
る点を重視するならば、それよりもヤマウシロのウの脱落と見る
方が有利のように思われます。
ひとまずここまで、よろしいでしょうか。
[2000年6月14日 18時26分41秒]
お名前: ちがや丸(じいくん改メ)
では、私は搦め手でときをつくって応援しましょう。
もうひとつ「しろ」で思い出すのは、白し、著し
はっきりと目立つ、という感じです。
でも私どもが現在みられる天守閣などから想像するお城
のイメージと、中世の人たちにとっての城(ジャウ)のイメージ
とは、ずいぶん違っているかもしれません。
[2000年6月13日 12時27分54秒]
お名前: 薊子
ちょっと分らないので、教えて下さい。
城を意味する古語は「キ」であり、後代のシロという読みには
もともと《城》の意味はない。
しかし、京都の山城を「ヤマシロ」と読む例から(あるいは、
ヤマシロを山城と書く例からと言った方がいいんでしょうか)、
城の字をシロと読むことが一般化していったのではないか。
そういうことでしょうか?
すると、そもそも「ヤマシロ」って何だ、ということになりそう
ですが...
で、まず山背大兄王とかの「山背」を何でヤマシロと読むのか
なあと思ったところ、「山尻王」と書いた例もあるというのを
webで見かけました。
もしそれが本当なら「尻」と「背」いずれも後ろという意味で
通じますね。
シリがシロに変化するのならありそうな気がします。
ただ、そのヤマシロの表記が「山背」から「山城」に変わって
ゆくのにはまた別の説明が必要ですよね。
なにか、こんがらかってきました。
[2000年6月13日 2時7分45秒]
お名前: 塔婆守
前回のコメント
> ちなみに中世の「城」はジャウが一般で、これをシロと読むよ
> うになるのはもっと時代が下ってからのことのようです。
は、少々舌足らずでした m(__)m
これに続けて芭蕉の例を出したために、「もっと時代が下って」云
々が江戸期を指すかのような印象を与えてしまいましたが、「城」
をシロと読んだ早い例は、すでに室町後期の文献から現れはじめま
す。『奥の細道』のあのくだりは杜甫の「春望」の詩句を踏まえた
ものですから、この例は漢文訓読における古い訓法としての「城(
ジャウ)」の形を伝えたものと解すべきでしょうか。
薊子さまご指摘の
> 気になるのは、京都の「山城」です。
> これは古くは「山背」と書いたようですが、この辺にヒントは
> ありますか。
さっすが相変わらずの慧眼、恐れ入りました。「城」字にシロの訓
が定着した謎を解く鍵はまさにここに隠されていると見るべきでし
ょう。
《代》を《城》の原義と見る岩波古語辞典の解は、おふたりが疑義
を呈しておられるように、いささか無理があるように思われます。
[2000年6月12日 6時39分41秒]
お名前: じいくん
おはようございます。
江戸時代のはじめころは、まだ城は「ジャウ」だったのですね。
すると、封建領主が幕府から安堵してもらう知行、すなわち
代(しろ)、が城(しろ)のおこりだったのでしょうか。
薊子さまのおっしゃる、治めるという意味の「知る・領る」も、
古代の経済の基盤であった耕作地、田の、代(しろ)から
きているのかなあ、とふと思いました。
ではその代(しろ)はどこから、というと、???
[2000年6月12日 3時32分17秒]
お名前: 薊子
《城》の読み「シロ」が、それほど古いものではないというのは
意外でした。
岩波古語辞典には、
しろ【域・城・代】《シリ(領)の古い名詞形か。... 》
とありますが、「知る・領る」の名詞形が「しろ」というのは、
もう一つしっくりこない気もします。同じような例があるので
しょうか。
気になるのは、京都の「山城」です。
これは古くは「山背」と書いたようですが、この辺にヒントは
ありますか。
[2000年6月11日 15時15分49秒]
お名前: 塔婆守
「城」に関する蛇足を続けます。
《城》を意味する古語は、「磐城」「城所」などの読みに残存する
「キ」であり、古くはシロという形はありませんでした。ちなみに
朝鮮の史書『三国史記』百済の条には「城」を表音式に"己(ki)"と
書いた例があって、古代日本語のキもこの百済語と同源ではないか
とされています。
それならば、シロという読みはどのようにして生まれたのでしょう
か。お考えをお聞かせ下さい。
[2000年6月11日 6時55分39秒]
お名前: 塔婆守
薊子さまのご加勢により、ついに落城とはあいなりました。
> ジャウリ→城理
> なら読みは合っていると思います。
> こんな単語はちょっと聞きませんが。
漢文式に「城(に)理(あり)」の意を表したもので、単語には
このような形はないでしょうね。
じいくんご指摘の、
> 寄手←→城、という対でひとびとの頭に思い浮かべられた
> のかもしれませんね。
は、まさに仰せのごとく、当時の対義関係を示すものと見るべ
きでしょうね。
ちなみに中世の「城」はジャウが一般で、これをシロと読むよ
うになるのはもっと時代が下ってからのことのようです。例の
『奥の細道』の「国破れて山河あり。城春にして青々たり」
(芭蕉自筆本)のくだりにおける「城」も、このような理由か
ら「シロ」ではなしに「ジャウ」と読むことになっています。
[2000年6月11日 6時37分52秒]
お名前: じいくん
薊子どの、かたじけない。
でも、なんだか城内からひっぱり上げてもらったような
感じもしますが・・・。
広辞苑には、「寄手は乱れ入る、城(ジャウ)の中は
小勢なり」(承久記)という例がのっていて、当時は
寄手←→城、という対でひとびとの頭に思い浮かべられた
のかもしれませんね。
[2000年6月10日 17時43分17秒]
お名前: 薊子
じいくんに加勢いたす(^^;
ジャウリ→城理
なら読みは合っていると思います。
こんな単語はちょっと聞きませんが。
[2000年6月10日 14時58分3秒]
お名前: 塔婆守
じいくん軍勢は、いよいよ本丸近くに迫って来ました。
> 「しゃうり」とは、「勝利」でしょうか。
「勝」の字音は昔も「ショウ」でしたから、「しゃうり」と
は発音が異なります(ただし、当時この種の発音の混乱はす
でに起きていましたから、問題の作成者がシャウとショウを
混同するというのはあり得ないことではありませんが・・・)。
「草履」は後世ゾウリと語頭が濁音に発音されることを考え
合わせれば、当時の発音はジャウリであったと考えられます。
ちなみに、キリシタンが編んだ『日葡辞書』には、このもの
の名前が [jauri]の長音形を表す綴りのローマ字で表記され、
"alparcas(=紐を足に結びつけて履く履物)に似たある種の
履物"という語釈が施されてあります。
これならばどうでしょうか。
[2000年6月9日 13時8分26秒]
お名前: じいくん
こんばんは。ヒントに力を得て、もう一度
挑戦させていただきます。
前回、精、障など、ふるくシャウと発音されたものが
中世には「さう」と表記された、ということを教えて
いただいたのでした。
すると、「さうり」と表記される寄せ手の僻事の
「しゃうり」とは、「勝利」でしょうか。
[2000年6月8日 21時14分47秒]
お名前: 塔婆守
じいくん、お答えありがとうございます。
> 戦さで、一方の理は他方の非道理。
> 守り手の理は、寄せ手の僻事。
核心をずばりと射抜いて、もはや落城寸前の形勢にござあ
りまする(^^;)
ただし「さう→障ふ」の攻め口をもう少し替える必要があ
りますね。
その鍵は前回の問題に隠されています。あ、それからこの
拙文のどこぞにも(^^;)
いざうれ、めんめん、まぅ一押しにござある。
[2000年6月7日 6時52分50秒]
お名前: じいくん
では雑兵から、打ちかかります。
(ヒント) 「草履」の中世語形は?
これは「さうり」と考えて、こじつけられる理屈を探します。
戦さで、一方の理は他方の非道理。
守り手の理は、寄せ手の僻事。
ということで、「障ふ理」。ではいかが?
[2000年6月6日 21時8分20秒]
お名前: 塔婆守
学会会場校の雑務から解放されたかと安堵した矢先、今度はホームページ
障害という伏兵の襲撃を受けてまたもやきりきり舞を演じさせられました。
復旧は月曜日になるということですが、「るーみっくわーるど」SIGの
ご好意によるリンクにすがってなんとかアクセスの道は確保しましたので、
出題を続けさせて頂きます。
今度は少々難問かもしれませんので、ヒントを添えました。
(問) 寄せ手のひがごと
(解) 草履
(ヒント) 「草履」の中世語形は?
手だれの面々のご回答をお待ちします。
[2000年6月3日 18時5分28秒]
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※半角カナは使用しないでください。文字化けします。
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