2002/09/29(Sun)
『ロード・トゥ・パーディション』
 こないだ払い下げたマシンについてきたキーボードがイマイチ調子が悪くキーが引っ掛かるような感じがする。
 ので、昨日アップル純正のキーボードを買ってきた。キーひとつでCDトレイの開閉ができるのは良いのだが、ホコリよけのキーボードカバーをつけたら途端にタッチが重くなった。これはそのうち慣れるものとして考えよう。

 そのついでではないが先行オールナイトで『ロード・トゥ・パーディション』を観てきた。
 つまらなくはない。面白い部類には入ると思う。
 話が一直線なので結末は分かっている。得にヒネリを効かせているわけではないので先が読めてしまう。
 良いなと思ったのは画面の構図やら構成にである。
 雨が降っていても傘をささないので、レインハットから大きくこぼれ落ちる水。暗い室内で窓からの光が壁に大きく写り込んで雨が降っている様子を描写したり。画面を壁で半分にわけて、子供のいる部屋と父親がドアをあけて入ってくるところを同一画面でみせたり。
 まああざとい程の構成だと思うが、そこに感心したことも事実である。シブイ事を言えばケレン味溢れる画面構成のみでひっぱた映画だと思う。
 俳優もよかったけどね。トム・ハンクスもポール・ニューマンもジュード・ローも良かった。
 また、おすぎがらみで宣伝広告に『アカデミー賞云々』と出ていたが、これがアカデミー賞候補と言うのはどうかと思うぞ。
2002/09/22(Sun)
古くて新しいマシン
 会社からマッキントシュのG4を払い下げで持ってきた。
 今までのマシンではOSが対応しなくなったためである。クロックでいえば450MHzになる。
 マッキントッシュの上位機種は1Gのデュアルだったり、ウィンドウズにいたっては2Gに近付いている(超えちゃったんだけっヶ?2002.09.22現在)のにスペック的にはかなり遅い筈だが、今まで使っていたマシンとの比較で速く感じる。
 OSは9.2.2になリ、外付けハードディスクにはOS-Xを入れた。OS-Xはなんだかわけが分からんがちょっとづつ慣れることにする。

 今まで使っていたマシンは母親のマシンになる。
 母親もインターネットをやるのでルーターで2台のマシンをつなくことになる。
2002/09/17(Tue)
遠く過ぎ去りし日
 小泉首相が北朝鮮の金正日総書記と会談。その席上、北朝鮮に拉致された日本人数名がすでに死亡していると告げられた

 言葉もでない酷い結果で被害にあった御家族の方々に慰めの言葉もない。
 
 ただ非常に失礼な言い方を承知してであるが、拉致された息子や娘に会えなかった幸せと言うのもあるのではないかと思う。
 20年余り、彼の国の生活は精神的にも肉体的にも疲弊され続けていたと思う。そんな中絶望に苛まれて長い間生きていけるはずがない。それに耐えられず生きる意義を失った人たちはおそらく自殺していっただろう。
 そして生き残った人たちは彼の国の思想心情を深く受け入れて生活している。そうしなければ生きてはいけなかった筈だ。
 だから20数年ぶりに、その子供達に会えたとして、彼等は20数年前の両親が知ってる子供ではなく、醜く変わり果てた自分の知らない、ほんとに知らない人間が立っていたかもしれない。
 『偉大なる金正日総書記のおかげで云々・・・』とか言って。
 親達の理解を越えた得体のしれない。

 そっちの方が絶望的ではないだろうか?

 会えなければ20数年前の息子娘のまま記憶にとどめられる。それは良い部分も悪い部分も全て受け入れられるものの筈だ。
 自分達親が育てたからだ。

 それともどんな事になっていても会うべきなのであろうか?

 私には分からない。

 こういう事も世界的に見れば単なる外交カ−ドの一つに過ぎないのかもしれない。

 やり切れない話である。
2002/09/14(Sat)
ネタバレあるよ。『サイン』
 取り合えずである。今後この監督の映画は絶対観に行かんゾ。

 物語のリアリティーの落とし所に思いっきり失敗しているとしか言い様がない。
 今どきあんなリアリティーのない宇宙人はいないよ。ギャグだと思ったもん。なんかさ、ホームビデオの映像に宇宙人が映ってるというシーンなんて『さんまのカラクリTV』かと思ったよ。矢追純一はいつ出てくるんだ、って(笑)
 脚本料が最高値だったって言ってたけど払う方も払う方だが貰う方も貰う方だ。
 窮地に陥った時に家族愛や家族の絆が非常に鮮明になるのは分かるが、結局アメリカと言う国は外敵の存在無し『でしか』その手のものが意識できないという困った人種なのかもしれない。
 普通、人は圧倒的につまらない日常を送っているはずで、その中に幸せの欠片を見つけだして生活し続けてる筈なのだ。
 それを際立たせる為のアイテムが宇宙人。
 この監督は今後映画を作らずに『シックスセンス』の印税で暮らしていきなさい。

 それから映画評論家のおすぎ某が『あの映画は信仰の問題云々』などと言って言葉を濁してたけど、ほんとに信用できねえ。どうしてつまらんと言い切らん。あれをつまらなくないと言うのならオイラと違う人間だと思って今後聞かぬ事にしよう。
 まったく日本映画には結構言いたい放題言ってるくせに洋画となると途端に歯切れが悪くなる。
もらってやがんな、ゼニを。
 なおかつ年下の役者なんかをつかまえて『あのコたち』なんて高見から見下ろした態度も気にいらない。
 何様だ?
 おすぎ某も今後一切信用しねえ。

 そんな事より、観ている間鼻から血が出ちゃって大変だったよ
2002/09/08(Sun)
『コラテラル・ダメージ』
 ネタバレあり。 
 

 DVDレンタルで観た。
 う〜ん、可もなく不可もない無難な仕上がり。
 映画的にはフランチェスカ・ネリーが裏切る(予定の行動だったのだろうが)ところが割と意外な展開だったりして楽しめた。
 
 つまらなくはなかった。
2002/09/07(Sat)
『北の国から-2002-遺言』
 『北の国から』が放送された。今回の放送で20年余り断続的に続けられてきた製作が終了するらしい。
 最初のテレビの連ドラの時(再放送で)は割とすんなり観ていたのだが、その後何本か特別番組の形式で放送されてきたが、ちょっと観ていられなかった。ほとんど観ていなかったと言っていい。
 最大の理由は、田舎者特有というべきか相手の事を思い計ってという表向きの聞こえのいい裏にある非常に下劣な野次馬根性、陰でウスラわらいしている態度が鼻持ちならなかったからだ。
 その代表格が岩城滉一氏演ずる"草太"という役だ。あの神経の足りない下劣な人間というものを観るのが耐え難かった。
 前回その"草太"が目出たく死んで頂けたので、今回は比較的安心して観る事ができた。
 面白かった。
 レギュラーメンバーは言うに及ばず、内田有紀も非常によかった。配役のそれぞれに品があり、唐十郎の役でさえすばらしく上品に見えた。
 もしかしたら岩城滉一氏演ずる"草太"という役も別の役者が演じていれば違った見え方になっていたのかもしれない、が詮無き事である。
 物語事体は、今より貧乏になった世界を一種のユートピアとしてみせていた。実際今後人間は今よりちょっと不自由で貧乏な生活をしていく覚悟をしなければありとあらゆる破綻を来す事は眼に見えている。エネルギー問題、食料問題、死の問題。
 こういうドラマを観て、進歩のない貧乏な生活のなかに豊かさが隠されているのかもしれないと思えればいいのかもしれないが、そう思って実行できるかどうか。
 「進歩しなければならない」という意志もそれは一種の脅迫神経症のようなものだ。現代人の病であると思う。

 ところで、なぜ岩城滉一氏だけ"氏"をつけているかと言えば慇懃無礼というやつで、私は岩城氏事体も好きではないからだ。
2002/09/02(Mon)
更地に
 以前、一度入った事のある寿司屋が更地になっていた。

 いまから10年以上前だ。付き合ってたネエちゃんを連れてその寿司屋に入り、江戸っ子は『ヒカリもの』からだとおもい、イイとこ見せようと、
『オヤジ、こはだ握ってくれ』
 というと、
『お客さん・・・勇気があるねえ。ハラこわしても知らないよ』
 とオヤジに言われた。

 そんな店だった。