2003/06/22(Sun)
『ソラリス』『チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル』
 今日、久しぶりにF4で写真を撮った。一時は売ろうかな、などと思っていたが、現在メインであるコンタックスの方が望遠レンズが無く、AFが必要な時の為にと思いずっと箪笥の肥やしになっていた。使い込んだカメラの味というものが沸き上がってきて、愛おしくなった。もっと使ってやろう。もっともF4の為の被写体というものを見つけてきたので今後はもっと使う事になるだろう。データバックの電池を入れ替え、クロスで丹念に磨いて防湿庫へ。

 土曜日に『ソラリス』を観にいった。ジム・キャメロン製作、ソダーバーグが監督のSF映画である。いやな予感がしていたのは、またもや、おすぎ某が褒めていたからだ。長台詞に耐えられなくおそらく30分ぐらいはウトウトしていた。たかだか90分ぐらいなのにこんなにも退屈するとは。ソダーバーグの映画は『エレンブロコビッチ』のみ面白かった。今の所(笑)
 惑星ソラリスという舞台があんだけ魅力的なのに、その舞台を活用しようとせずに、単に男の妄想にだけ焦点があってた。
 これをラブストーリーというのだろうか?死んだ女房が出てきたって、それは男の勝手な妄想でしかないわけだから。オナニー中のオナペットに思い入れて何がラブストーリーか。
 それにこの監督SFのセンスゼロだと思う。キャメロンだったら『アビス』のようになっていただろう。世間的な評判(そういえば、おすぎ某は貶してたっけ)は悪いけど、私は『アビス』好きなんだけどね。
 おすぎ某、『ソラリス』を、映画頭の悪い人には分からない、なんて言ってたな(笑)

 『チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル』を同じ日に『ソラリス』の次に観た。ちなみに、おすぎ某はこれを貶してた。
 これはオモシロかった。おバカ映画だから別に目くじらたてる事はないと思う。あの三人組の女性の笑顔が良かったな。幸せな良い笑顔だと思った。アハハと笑ってそれでおしまい。この映画はこれで良いのである。

 久しぶりにアサヒカメラを買った。普段は立ち読みで済ましちゃうんだけど、今回ヌードの特集だったので買ってしまった。デジカメに関する蘊蓄とベルビア100のレポートがあったりで、今回は結構読む所があるなー。

tazzy

こんばんは!「ソラリス」やっぱつまんないんだ。タルコフスキーの「惑星ソラリス」の方がいいんだろうな。あの話は人の内面を浮き彫りにするような話だから、メリケン人には創れないとおもうよ。観るのやめとこっと(笑)

2003/06/23(Mon)/00:08:49
2003/06/15(Sun)
『めぐりあう時間たち』
 土曜日、車をさばいている時、3度も他の車にぶつかりそうになった。実際にぶつかりゃしなかったのだが結構ヒヤヒヤものであった。3度とも自分が、というよりも相手の車の信号無視やら、前方不注意やらであったが、事故ったらまるっきり自分が悪くないということにはならんのだろうな。少なくとも保険上は。

 『めぐりあう時間たち』を観にいった。非常に良い映画だと思うが、それを深く感じ入る為の教養がないのが悔やまれる。
 感想としては陳腐だが、男にとって女性はなぞだ、というよりも、自分以外の他者を理解することはできるのであろうか?と思った。
 他人が羨ましいと思うぐらい幸せに見えても、その人がほんとに幸せかどうかは分からないものだ。自分の所為で夫を不幸にしてると思い、他人にもそう見えたとしても、肝心の夫自身は幸せだったりする。
 上手く言えないが、なんとか時間がかかっても理解したいと思う。
 主演女優及び出てくる役者すべてがすばらしい演技をしている。

 まあ、映画館で口をチッチッとならしたり、声に出してあくびを連発するのを良しとする常識をもったババア二人にはわからんだろうな。終わった後「もっと面白い映画だとおもったんだけどねえ」だと。お前らには金輪際分からんと思うから、とっとくたばって下さい。
 ほんとに、ああいう人間は死なない程度にシメてやりたいよ。
2003/06/07(Sat)
レベルを上げる

 虫の知らせ、などというものはなく、それは突然やってきた。
 高校時代の友人が亡くなった。同級生だから35歳である。
 亡くなったのは6月4日だとの事。5日に通夜だったが自分がそれを聞いたのは家に帰った21時30分ぐらいだ。通夜はすでに終わっていたが、すぐに葬儀場へ行き彼と対面できた。6日が告別式だったが日曜出勤の代休で会社を休む事が決まっていたので告別式に参加できたのは、ある意味幸いだと思う。
 焼かれて出てきた彼の骨の白さが今でも眼に焼き付いている。

 死の原因そのものは胃から出血した血が喉に詰まっての窒息死ということらしい。自分の吐いた血で溺れ死んだのだ。
 さぞかし苦しかったろう。
 それなのに、葬儀場に安置された遺体は、ひどく穏やかな表情をしていた。

 ……

 人はやがて死ぬ。生涯宝くじに当たらなくても、死は100パーセントの確率で(100パーセントはもはや確率とは言わんかもしれないが)必ず当たる。遅いか早いかだ。
 とは言いつつ感情的には折り合いがつけられない。
 最後に彼と会ったのは10年前だ。それでも彼が死んだ事に感情を揺さぶられたのは高校時代の思い出があるからだと思う。
 ゴミのような高校時代、数少ない友人の中に彼はいた。
 自分の考え方の足場になった精神分析のフロイドを教えてくれたのは彼だった。その頃から彼は必死で自分の拠り所をさがしていたのかもしれない、と葬儀の場で思った。
 と言うのも、彼の家はある種独自の宗教を持っていたからだ。
 葬儀自体も、お経ではなく謡いのようなものを全員で合唱して故人を送るようだ。詞そのものは非常に良い内容だなと思いつつも信者ではない自分は一切歌わずに、ただひたすら手を合わせていた。
 父上の痛々しいまでの笑顔での「親より先に逝ってしまった莫迦者です云々」という愛情溢れる挨拶に心打たれもした。
 ただどうしても納得できないのは、葬儀を中心になって進行される方が「霊界にいってそこでのレベルをあげてもらいたい云々」と何度も言っていたことだ。
 レベルを上げる、レベルの高い地位につく。そんな俗な事を死んだ者に求めるのは、それこそ故人に鞭打つようなものではないのだろうか。
 霊界という場所があったとして、その場所でも俗世と変わらない慣習を当てはめて苦しめるぐらいなら、まったく何も無い、無に帰ったから平穏を得る事ができたんだと思いたい。
 死んでまでなぜそんな俗な努力をしなくてはいけないのか。彼は現世で、その事について十分悩み苦しんだと思う。死ぬ事でその下らない一端から解放されたのかもしれないではないか。
 彼にそんなになにやらのレベルを上げてもらいたいのか?レベルを上げない魂はダメなのか?そういう魂は愛せないのか。
 自分は彼の莫迦なところ、心の闇を他人にひけらかさず温厚で、常に莫迦な事を言っていたところ、真面目で不器用なところ全てを愛しているぞ。
 他人の自分がそう思うのに彼を送る宗教はなぜそう言ってあげないのか。
 彼の心の闇は、自分が持っている程度のペシミズムなんかとは及びもつかない程の絶望を抱えいたようにも思える。

 タカナシ君、君は高校を卒業してから変わったかもしれないが、オレは一緒に莫迦な事を言っていた高校時代、(あえて)レベルの低いであろう君を愛しているぞ。
 そして絶対忘れないからな。

 ご冥福をお祈りいたします。


tazzy

あいつは高校卒業してから確かに変わったけど、昔よりあいつは強く大きな男に変わったんだと思う。思えばあいつの人生って、ほんとについてない人生だった。それにもめげず、いつも夢を見て、追いかけ続けた。そんな、バカで、楽しくて、強い男だったからこそ、若くして死んだ事が悔やまれる。
いつまでも俺達は仲間だぜ!

2003/06/09(Mon)/19:30:20