闘病日記過去ログ(2003.03)


2002年10月5日、大腸検査の結果「潰瘍性大腸炎」と診断されました。
この日記は日ごろのネタを題材にしたチビ日記とは一線を引き、
発病後の俺の闘病の経過や闘病に関する俺に起きた出来事を
書いていこうと思ってます。


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2003.03.31(月)ジェネジャン最終回を見て



【 ジェネジャン最終回を見て 】  一覧へ戻る
○昨日家で何気なくテレビを見ていると、堂本光一が司会の「ジェネジャン」が最終回という事で総集編を放映していた。
 その中で一番最後に最も反響の多かったという「命について」という議題を取り上げていた。
 おばさんになりたくないから29歳くらいで死にたいという女の子、何度も自殺未遂を繰り返した女の子などが出演していたが、その中で最も感銘を受けた三人がいた。

 吉井怜。グラビアアイドルとして名を馳せていたが(すんまそん、僕はあんまし知らんかった)、ロケ中に突然倒れ、白血病と診断された。
 その後予想外の病状の悪化で骨髄移植の選択を迫られる。骨髄移植を受けなければ2年後に生きている可能性は30%。
 骨髄移植を受ければ2年後に生きている可能性は70%。しかし、骨髄移植を受ければ子供が産めない体になってしまうという。
 苦悩の末、彼女は骨髄移植を受ける道を選んだ。今を生きたいから。何とも切ない話である。

 二人目は「30歳くらいまでしか生きられない」と医者に宣告された女性。
 そんな彼女は今23歳。話している口調からすると悲しみの感情はない。
 今を楽しく生きたい、と彼女は言う。何と強い人なのだろうか。もし自分があと数年しか生きられない、と宣告されたら・・・。とてもじゃないが想像できない。
 人間には必ず死が訪れる。どんなに嫌がっても間違いなく訪れる。これは仕方のない事である。
 しかし、生きる限界が分かっている人生と分からない人生とでは”生きている意味”が全然違うと思う。
 俺の病気は確かに難病だけれど、生きる希望がある。
 彼女は30歳までしか生きられないと宣告されても楽しく生きようとしている。
 そんな彼女にちょっと勇気づけられたような気がする。

 三人目。13歳の若さでこの世を去った宮越由貴奈さん。
 神経芽細胞腫(小児ガン)を煩いながらも書いた「」という詩。
 命を限りある電池に例えたこの詩は本当に素晴らしいと思う。
 インターネットで落ち合って集団自殺する人たちはこの詩を知っているだろうか?
 知らなければ是非一度読んで欲しいと思う。短いけれど、命の尊さを深く理解できるのではないだろうか。

 吉井怜は言う。



 人間死にたいって思っている時は死は凄く遠いものなのに、死にたくないって思っている時は死を凄く近くに感じる。




 確かにその通りかもしれない。
 俺も一度「マジで死んじゃうんじゃねぇか?」と思った事がある。俺の病が潰瘍性大腸炎という難病だと分かる前である。
 毎日毎日増え続ける出血。一日や二日ではない。それも量がはんぱじゃない。立ち上がると便器に血が滴り落ちた事もしばしばあった。
 その時は本気で「死にたくねぇ〜!」と思ったものだ。にも関わらず出血はおかまいなしにどんどん増えていく。
 後に難病と分かったものの、死に至る病ではないという事が分かった為、心から安堵した記憶がある。
 人間は障害を持って初めてその痛みが分かるのだ。


 先日友人の誘いで「盲ろう者支援チャリティーの会」というものに参加した。
 目だけでなく耳も聞こえない。ヘレンケラーと同じように障害を持って生活をしている人も沢山いる。
 幸い俺は目も見えるし耳も聞こえる。当たり前のようだけど、当たり前じゃない人たちもいる。
 そう考えると俺ももっと前向きに生きようとつくづく思う。
 当然落ち込む事もあるけどね。

 頑張ろう。頑張ろう、俺。

 p.s.
 今月最初で最後の闘病日記になると思うので一応病状報告。
 二週間前にやっとステロイド(プレドニン)の服用がなくなりました。まぁ様子見という段階だけど。
 でもちょっと嬉しい。だぁ〜けぇ〜どぉ〜ぅ、、まだ一日二回の浣腸は健在です。 εミ(ο_ _)ο ドテッ…
 もう慣れたけどね。ただ朝が早いのがきついっす。。