未満の恋






──嫌われたくない。

ううん、ホント言えば俺のことを一番スキになってほしい。

誰にでも優しい八戒に、こんなこと思うのは無理かもしんないけど。

でも、八戒のトクベツになりたい。

 八戒の『一番』になりたいんだ……
 
 
 


「あ〜あぁ……た〜い〜く〜つぅ〜」

 粗末なベッドの上で猫のように大きく伸びをしながら、悟空はぷぅっと頬を膨らませる。その柔らかな頬を、

ふいに整った指がぴんと弾いた。

「っテェ〜!なにすんだよエロ河童!」

「うっせぇ、すこしは静かにしろっての。昼寝もできねーじゃねぇか」

 咥えた煙草を灰皿に押し付け、もう一つのベッドから起き上がった悟浄はやや険のある目で睨む。

その顔にうっと詰まり、けれどもまた唇を尖らせ悟空は呟いた。

「だってっ退屈なんだよ〜……八戒は買い出しに行ったきりだし、三蔵はこの町の寺に呼び出された

ままだし。ズルイよなぁ、俺は留守番させておいて自分だけ出てくなんてさ」

「仕様がないだろ、あの鬼畜生臭坊主にも浮世の柵くらいはあんだろうしな」

「でも……」

「お前が寺なんぞついてったって退屈なだけだろうが。化石みたいな爺ィどもの巣窟だぞ?食いもん

だって、寺だから精進料理くらいしか置いてないわけだしな」

 段々と旗色が悪くなっていくのを自覚しながら、それでも悟空は言い募る。

「うっ……けど、ちょっとぐらい外に出たって……」

「そう云って町に入った早々、チンピラ相手に騒動起こした奴は誰だよ?あのあと大変だったんだぞ。

八戒が謝って回って三蔵が権力振りかざしてもみ消したから、お咎め無しで済んだけどな」

 記憶にも新しい昨日の失敗を、ぐぅの音も出ないほど滑らかに並べ立てられ悟空はしゅんと項垂れる。

肩を落とす彼に、流石に少しばかり苛め過ぎたと思ったのか、悟浄は悟空の肩を抱き引き寄せた。

「まーまー、置いてけぼりの子ザルちゃんのお守りは、この優し〜い悟浄さまがしてやるからそう

落ち込むなって」

「子ザルゆーなっエロ河童!だいたい、相手してやるってなんだよっ悟浄なんか酒と賭け事しか

取り柄ないじゃん!」

 首に廻された腕を引き離そうと必死に格闘とながら、悟空はべーっと子供のように舌を突き出す。

それを搦め捕り深く口接けたい欲望を辛うじて抑え、悟浄は互いの息がかかる距離まで顔を近づけた。

「ん〜、ところがそうでもないんだなコレが。ガキの知らない楽しい遊びは他にもあるんだぜ」

「?なにソレ」

 また子供扱いされたことに、いくらか気分を害して悟空は眉を顰める。だが、意味ありげな含み笑いと

興味を擽るような口調に大いに刺激され、身を捩るのを止めてじっと悟浄を見つめた。

 魂が吸い込まれてしまいそうなほど深く澄んだ、黄金の瞳。いつもは保護者に向けられることの多い

それが、いまは悟浄だけを映して瞬く。

 ゴクリ、と悟浄の喉が上下する。

「知りたいか……?」

 幾分上擦った声で、そう訊ねてみれば。少し思案するような沈黙のあと、こくんと悟空は頷く。

 疑うことを知らない、無邪気な表情。常なら愛らしく微笑ましいそれは、悟浄の理性をぐらぐらと突き崩す。

 元々憎からず思う相手に、こんな信頼しきった顔をされ、悟浄が耐えられるはずがない。案の定、

さっきはどうにかして堪えた情欲の炎に炙られて、なけなしの理性の糸があっけなく切れた。

 保護者の出払った今なら絶好の好機だ。幸にも、この階には二人しか客がいない。少しばかり騒いでも、

誰にも邪魔されることもないだろう。

「じゃあ、ちょっと目を瞑れよ」

 悟浄の変化にも気づかず、悟空は言われたとおり素直に瞼を閉じる。その、年より幼い顔に悟浄の

端正な面が徐々に重なって。あと数センチで、唇が重なる……その寸前。

 気まぐれな運命の女神が、哀れな子羊に救いの手を差し伸べた。

「すいません、遅くなりました」

「おわっ……!」

 なんの気配も感じさせず、いきなり部屋の扉が開く。

現れた保護者の声に、悟浄は慌てて体を引きはがした。

「……何、してたんですか?悟浄」

 妙に熱の籠もった部屋の様子を、野生の獣並の鋭敏な感覚で目ざとく察知し八戒の隻眼がすっと

眇められる。
 突き刺さる殺人光線にチリチリと髪を焦がされながら、悟浄は自分の助命の為に

ぶんぶんと首を振った。

「なっ、なにもしてねぇよ。ちょっとゲームしてただけだって!」

 悲壮感すら漂う悟浄の釈明を、若草色の瞳が胡乱そうに見下ろす。そんな絶体絶命の悟浄を

救ったのは、意外にも悟空だった。

「あっ八戒!お帰り〜、ねっお土産なに?」

 険悪な空気を持ち前の無神経さで一刀両断し、悟空はエサを求めて優しい保護者の胸に飛び込む。

目の中に入れても痛くない少年に満面の笑顔で抱き着かれ、針鼠のように総気立っていた八戒の

嫉妬と疑念は瞬く間に溶けて消えた。

「はい、悟空の好きなりんごアメ。夕飯が出来るまで、これで我慢してくださいね」

「わぁっ、ありがと八戒!大好きっ」

 キラキラと顔を輝かせて受け取る悟空に、八戒の目尻と口元も優しく弛む。悟空のお陰でうまく

追及の手を躱したことを知り、更に逸らそうと悟浄は話題をふった。

「やっ……やっぱり、今日も自炊なわけね。何買ってきたわけ八戒サン?」

「今日は魚介類が特売してましたから、海鮮鍋にしましょう」

「へぇ、美味そうだな」

 薄ら笑いで取り繕う悟浄とは対照的に、『海鮮鍋』と聞いて飴にかぶりついていた悟空の顔が微妙に

強ばる。

「どうかしました、悟空?」

 すぐに気づいて八戒が首を傾げる。

「えっ……なんでもないよ」

 自分を伺う八戒にそう言って、悟空は微笑む。

だがその双眸の奥には、僅かばかりの困惑の光がちらちらと点滅していた。

すぐに料理に取り掛かった八戒が、それを目にすることはなかったけれども。
 
 
 
 ぐつぐつと鍋の煮えるいい匂いが、部屋中に広がる。

簡素なテーブルいっぱいに並べられた皿の数に、悟浄ですら口笛を吹いて歓声をあげた。

「すげーじゃん、今日はえらく豪勢だな」

「せっかく良い材料が手に入りましたからね。それに食事くらい楽しみがあってもいいでしょう」

 八戒が出来上がった鍋を食卓の真ん中に置き、席につく。「いただきます」という合唱のあと、三人は

所狭しと置かれた皿を猛烈な勢いでつつき始めた。

 八戒が気合を入れて作った夕食は、実に美味かった。

新鮮な素材を、極上の腕を持つ八戒が調理するのだから美味くない筈がない。……のだが、ここのところ

野宿が多くて固形食料続きだったこともあり、いつも以上にうまく感じる。ことに、この町の特産だという

昆布でダシをとり、牡蛎や海老、小魚を野菜と一緒に煮る鍋は顎が落ちるほど絶品だった。

「っカ〜ッ!やっぱり美味いもんにビールは最高だよな」

 口のまわりの泡を拭いながら、二杯目の麦酒を飲み干して悟浄はしみじみと呟く。もちろん、その間も

箸を動かす

手は止まらない。

 次々と空になっていく皿を満足そうに眺め、ふと八戒は異変に気づいた。

「悟空、口に合いませんか?」

「えっ……そんなことない。おいしいよっ」

 伺うような八戒の視線にビクッと肩を揺らして悟空は首を振る。だが緩慢な箸の動きといい、汚れの

少ない綺麗な取り皿といい、食が進んでないのは一目瞭然だ。

「でも、あんまり進まないみたいですが」

「こ、これから食べるもん」

 困惑顔の八戒から逃れるように、悟空は忙しなく匙を動かして鍋から具を掬い、片っ端から口に運ぶ。

 不自然なその様子に、八戒だけでなく悟浄もまじまじと悟空を見つめる。二人に凝視され、悟空は益々

居心地の悪さを隠すそうと、無理に料理をかき込み──そして。

「……う゛っ」

 短く呻いた後、吸い込まれるように床に倒れた。

「悟空っ!」

「おっオイ!しっかりしろっ」

 二人は慌てて立ち上がり、伏した悟空の身体を抱き起こす。けれど幼い顔は可哀想なくらい青ざめて、

ぴくりとも動かない。

「おい、悟空!どうしたんだよ!」

「悟浄っ揺らさないで!喉になにか詰まっているかもしれないでしょっ」

 がくがくと揺する手を止めさせ、八戒は応急処置を取ろうと悟空を床に横たえる。

 と、その時、耳障りな音を立てて部屋の扉が乱暴に開いた。

「──何を騒いでる」

「三蔵っ!」

「お前、寺に泊まり込みじゃなかったのかよ」

「面倒なんで帰ってきた……悟空?」

 浮足立つ八戒と悟浄に淡々と答えて三蔵は部屋に入る。ふと、床に寝かされた悟空の姿を見つけ、

その紫暗の瞳が瞬時に険しさを増した。

「何を食べさせた?」

 倒れた悟空とテーブルの間を交互に視線を移して三蔵は凄む。

「何って……八戒が作ったんだぜ?そんなヘンなもの食わせてねぇよ。同じモン食ったけど、俺も八戒も

なんともないし──」

 疑うような三蔵の口調に僅かに怯み、しかし謂れ無き非難に憤慨して、悟浄は早口でまくし立てる。

 彼の言い分を黙って聞き終わると、三蔵は立ち上がりテーブルの皿を見回した。その双眸が、一点で

止まる。

「……これ、牡蛎か」

 三蔵の手が鍋に沈む物体を匙で掬う。

「ええ、市場で安売りしていたので……」

 茫然としてい八戒も我に返り、三蔵の質問に答える。

三蔵は深々と溜め息をつき、急須を悟浄に押し付けた。

「これに湯を一杯満たして、芥子を溶いててこい」

「は……?」

「八戒は洗面器を用意しろ。あと、一応医者も呼んでこい」

 状況を飲み込めない悟浄をおいたまま、三蔵はてきぱきと指示を出す。

「おいっ何なんだよ?悟空はいったいどうしたんだよっ」

 一人全てを分かったような三蔵の態度がいたく気に障り、悟浄は詰め寄る。法衣の衿を掴む悟浄の手を

軽く眉宇を顰めて叩き落とすと、面倒臭げに三蔵は呟いた。

「悟空のこれはな、アレルギー性の食あたりだ」
 
 
 
 
「……つまり、サルってば牡蛎アレルギーなワケ?」

 呆れたような悟浄の問いに、三蔵はこくりと頷いた。

「ああ、何年か前に立ち寄った港町でドカ食いしてな……どうもその時、汚染されたヤツを食って腹下して以来、

牡蛎は食えねぇんだ。無理に食うと、酷い胸焼け起こして寝込んじまう」

「そんなことがあったんですか」

 腹のものを全て吐き出し、いまはベッドに横たわる悟空を痛ましげに八戒が見下ろす。

処置が早かったためか、悟空の寝息は随分と安定していた。

「でも、だったら何故無理して食べたんでしょう……?」

 悟空の額を冷やす布を絞りながら、八戒は首を傾げる。

「なんでって……お前なぁ」

 仏頂面の三蔵が言葉を濁らせ、八戒へと視線を泳がせる。なにカマトトぶってんだ、という非難を込めた

眼差しは、しかし、本気で分かってないふうの八戒の様子を見て複雑な光を浮かべた。

「……ナニ、そーゆーことかよ」

 言葉より雄弁な三蔵の態度で悟ったのか、悟浄はがっくりと肩を落とす。暫くの間、深々と溜め息を繰り返し、

やがて悟浄は未練をふっ切るように立ち上がった。

「悟浄、どこ行くんですか?」

「酒場。飲み直してくら……」

「えっ?ちょ、ちょっと──」

 八戒が引き留める間もなく、哀愁を背中に背負って悟浄は部屋を後にする。困惑する八戒を置いて三蔵も

立ち上がった。

「三蔵?」

「……寺に忘れものしたんで、取ってくる」

 かなり苦しい言い訳を残して、三蔵も部屋を出て行く。ぽつねんと取り残され途方にくれた八戒は、耳に

聞こえた微かな声に急いで振り返った。

「んっ……」

「悟空!」

「あ……はっかい?」

 ぼんやりと、夢見心地な口ぶりで八戒を呼ぶ。

もぞもぞと布団からはい出した小さな手をぎゅっと握り締め、八戒は綻ぶように笑った。

「よかった……目が覚めたのですね」

「ん……」

 こくん、と悟空の顎が上下する。もう一つの手で悟空の額の髪の毛を払いながら、八戒はそっと訊ねた。

「悟空、どうして無理して食べたのですか?」

「 ……ゴメンナサイ」

「怒っているわけじゃないですよ。ただ、苦手なものだって分かっているのに、どうして口にしたんです?

命にかかわるかもしれないのに……」

 静かな八戒の声に、咎める響きはない。だが心の底から案じてる空気が伝わって、悟空は唇を噛み締め

俯いた。

「だって……ヤだったんだ」

「えっ?」

「せっかく八戒が作ってくれたのに、俺だけ食べられないなんて、ヤダ」

 むぅっと頬を膨らませ、悟空は口を尖らす。

「俺、八戒の料理好きだもん。なのに、アレルギーがあるからって悟浄に取られんの……俺だけ食べられない

なんて、ヤだよ。だって、俺……」

 食べ終わったあと、嬉しそうに笑ってくれる八戒が好きなのに。

 喉元まで出かかった言葉を、何故かどうしても言い出せなくて。悟空はそのまま飲み込む。

「でも、だからって悟空の具合いが悪くなるのは、僕だって嫌ですよ」

「そ、それは……ごめん……なさい」

 叱られた子犬のように、しゅんと項垂れて。泣きそうな顔で、悟空は小さく囁いた。

 ひどく頼りなげな悟空の姿に、八戒はぎゅっと心臓を鷲掴みされたような痛みを覚える。

あふれ出す愛しさのまま、細い悟空の肢体を八戒は優しく抱き締めた。

「貴方が、無事でよかった」

「はっか……い」

 柔らかな抱擁に悟空は耳元まで真っ赤に染まる。温もりと八戒の体臭を間近に感じて、うっとりと悟空は

瞼を閉じた。

「もう、こんなことはしないでくださいね。苦手なものがあったら、ちゃんと云ってください」

「……うん」

 広い胸元に顔を埋め、悟空は何度も頷く。

あたたかな気持ちで心が満たされるのを感じて、八戒は薄く微笑んだ。

「じゃあ、素直な悟空への御褒美に、後でなにか美味しいもの作りますね」

「ホント?」

 ぱぁっ、と。花が開くような、鮮やかな喜色が悟空の顔に浮かぶ。

「ええ。何がいいですか?」

 八戒が悪戯っぽく口元を緩ませてそう訊ねると、悟空は真剣に考え込んだ。

「うーんと、えーと」

 眉間に皺を寄せ、悟空は至極真面目に思案する。あまりにも真剣に没頭するので八戒は多少心配になり、

とりあえず休息をすすめた。

「悟空、もう少し眠りましょう」

「え〜っ平気だよ」

「胃洗浄したばっかりですから、無理はよくないですよ。おなかのほうも、ちょっとずつ慣らしていかないと」

「そなの?」

 不満げに眉宇を顰めた悟空は、宥める様な八戒の言葉を信じて、再び床につく。その左手は、しっかりと

八戒の手を握り締めたままだ。

 幸せな時間を、すこしでも長く噛み締めたいからだろうか。襲いくる眠気に抵抗するかのごとく、悟空の

口が忙しなく動いた。

「俺……俺ね、八戒の作るものならみんな好き。みんな美味しいよ。だってね」

 零そうなくらい大きな黄金が、八戒を映して熱く潤む。

「だって、八戒が俺の為に作ってくれるんだから」

 恥ずかしそうに、そう云って。照れたように悟空は笑う。

それに応えるように、八戒は悟空の額に口接けた。

「僕も、貴方が大好きですよ──悟空」
 
 


何年待たせてんだ、という突っ込みはシナイでいただけると嬉しいでス・・・