異聞・灰かぶり姫 後編 


 



 波乱の舞踏会から七日後。

お城の静かな朝を、一発の銃弾が切り裂きました。

 「この無能っ!!」

 厳しい叱責と銃声が、執事頭の二郎真君の頭を掠めます。それを間一髪で避け、

二郎真君は床に這いつくばりました。

 「おっ王子っ、落ち着いて下さい!」

 「やかましいっ!」

 新たな銃弾が数発、二郎真君の耳元数ミリ横を掠めて壁にめり込みます。

 乱射の嵐が暫く続いた後、カチカチと心もとない声を上げて小銃は沈黙しました。

 「………ちっ、弾丸切れか」

 王子の舌打ちで、やっと銃弾が切れたのを知った二郎真君は、平身低頭で報告を

開しました。

 「お探しの姫君の件ですが、やはり消息は掴めておりません。ただ、招待状を持って

入られたはずですから、招かれた名家の方だと………」

 「だったら──────」

 すうっと三蔵のの目が細くなります。

 「全部当たれ」

 「ええっ!そんなっ…該当するお宅は、ゆうに二百軒あるんですよっ!全部尋ねて

歩いたら…」

 「期限は二日だ」

 「っ!!王子、無理です〜〜〜〜〜っ!!」

 王子の無茶な要求に、二郎真君の顔はキュウリより青く染まりました。

 天竺国はそれはそれは広大なのですから、そこにいる貴族の数は膨大な桁に

なります。全部尋ね歩いていては、とても二日では回れません。

 「国王ぅ〜〜〜っ」

 救いを求めて金蝉国王を見上げますが、国王は無言で首を振るだけです。

その秀麗な顔には『諦めろ』っという文字がありありと書かれています。

 絶体絶命の危機に、このまま他国に亡命しようか…そんな考えが二郎真君の頭を

過ります。

 ………しかし。

 「逃げたら、地の果てまで追いかけて殺す」

 低く呟かれた三蔵王子の鬼畜な科白に、二郎真君は血の涙を流しつつ、城下に

姫君探しに出て行きました。

 それからの二郎真君の働きは、目を見張るものがありました。自分の命がかかって

いるのですから、当然でしょう。

 寝る間どころか食事の時間すら返上して、該当する貴族の家を一件一件回りました。

 そして、二日後。

 「なに 見つかっただとっ!!!」

 二郎真君の報告に、三蔵王子は椅子を蹴倒して立ち上がりました。

 「はっ、はい。西の牛魔王家の養子『孫悟空』様は見事な金睛眼の持ち主だそうです。

年も十八と、王子の仰っていた特徴と一致します…ですが……」

 「孫悟空……」

 ゆっくりと──噛んで含むように──三蔵はその名を繰り返します。

 確かに、あの姫(?)も『悟空』と名乗りました。きっと本人に間違いありません。

 「もう逃がさんぞ、馬鹿ザル……」

 くつくつと。

見る者の背筋を凍りつかせるような、邪悪な微笑を浮かべ、三蔵は謁見の広間から

出て行きます。

 その後ろを、報告を続けていた二郎真君が慌てて追いかけました。

 「王子っ、あのっどちらへ───」

 「決まっているだろう。その『悟空』を捕まえにいくんだよ。」

 何を当たり前の事を聞いてる、と言わんばかりの一瞥を投げ、三蔵は専用の馬車へ

と乗り込みます。

 今にも閉じようとする馬車の扉に辛うじて手をかけ、二郎真君は必死で引き留めました。

 「ですがっ、孫悟空様は『男性』なんですよっ!」

 「それがどうした」

 「…ど、どうしたって………」

 真顔で返され、二郎真君は呆然と目を泳がせました。

女嫌いだとは知っていましたが、まさか今更男に走られるとは…そう思うと、深い隈の

刻まれた二郎真君の眦から涙が溢れます。

 この一週間、身も窶れる思いで(実際窶れてますが)国中を東奔西走した

自分の苦労は、何の為だったのでしょうか。

(少なくとも、御稚児さんを探すためではなかったはずです、たぶん……。)

 「王子、男ではお妃には───っ、はうわっ!」

 疲れた顔で、それでも思い止どまらせようとした二郎真君の腹に、容赦のない三蔵の

蹴りが入ります。

もんどりうって倒れた二郎真君を置いて、王子を乗せた馬車は無情にも走りだして

しまいました。

 「おうじぃ〜〜〜〜〜〜っ!!」

 血反吐を吐く二郎真君を尻目に、三蔵の馬車は城下へと軽やかに降りていきました。

 

 

 

 

 いれたてのお茶を啜りながら、紅孩児は何度目になるか判らないため息を吐き出しました。

 「…まったく、どうしたというんだ。悟空は……」

 はぁ、と。

また一つ、ため息が漏れます。

このところ、末の義弟の悟空の様子がどうもおかしいのです。

時折ぼーっとしているかと思えば、天井を見上げてため息をついたり………。

 何より、食欲がないのが気になります。妹たちと三人で医者につれていこうとしましたが、

『なんでもない』と云って本人が聞かないのです。

 これでは、どうしようもありません。

 「…やはり、あの舞踏会の日からだな…」

 思い当たる原因といえば、それしかありません。

 「まさか──」

 連れて行かなかったことを、まだ怒っているのでしょうか?

しかし、約束通り抱え切れないほどの折り詰めを持って帰って来ましたし、悟空も喜んで

いました。

 原因は他のことのような気がします。

 「とすると、───まさかっ!」

 もしや自分たちの居ない間に、誰かに悪戯でもそれたのではないでしょうか。

 なにせ悟空はあんなに可愛いのです。自分たちの留守を狙って、悪さをする者が居たと

してもおかしくありません。紅孩児が側に居ても、ちょっかいをかけてくる馬鹿者は後を絶た

ないのですから。

 「まさかまさかっ、あ〜んな事やこ〜んな事や、あまつさえピーっ(自主規制)な事をされた

んじゃ…」

 疑念にかられた紅孩児の頭の中を、モザイク修正済みの放送禁止映像がぐるぐると巡り

ます。

 「紅孩児さま…」

 「ああっ、もしそうだったとしたら、俺はっ俺は、何て取り返しのつかない事を──っ!」

 「紅孩児さま………っ」

 「やっぱり、あんな馬鹿王子の招待状なんぞ破り捨ててればっ………っ!」

 「こ・う・が・い・じ様っ!!!」

 「うをっ!」

イタイ妄想炸裂中の紅孩児の鼓膜に、八百鼡の絶叫が直撃します。

 「どっ、どうしたんだ八百鼡…?」

 ばくばくと暴れる心臓を宥め、紅孩児は八百鼡に振り返りました。

 「あのっ、外にお城の………」

 青ざめた八百鼡の言葉を遮るように、部屋の扉が乱暴に開かれました。

 現れたのは、激烈に不機嫌な面持ちの三蔵王子です。

  「…孫悟空は何処だ?」

 いきなり入ってきた王子は、じろりと室内を見回し、主である紅孩児に冷ややかな声で尋ね

ます。

 許可も無く不法侵入したあげく、尊大な態度で睨む三蔵に紅孩児はむっと眉を寄せました。 

 「貴様、うちに何の用だ」

 わざと質問を無視して、紅孩児は三蔵以上に冷たい口調で切り返します。

 不機嫌な三蔵王子の顔が、ますます能面のように強ばりました。何処から見ても完璧に

悪人面です。

無言のまま懐から小銃を抜きかけましたが、すかざす御付きの二郎神が慌てて止めました。

 「王子っ、お願いですから押し込み強盗みたいな真似は止めてくださいっ!」

 「ちっ……」

 数日でげっそりと痩せこけた髭面に涙ながらで訴えられては、いくら傍若無人な三蔵といえど

無体は出来ません。(後々鬱っとおしいので)

 短く嘆息すると、もう一度紅孩児に尋ねました。

 「ここに十五、六くらいの外見で、枯れ葉色の髪に金睛眼のガキがいるだろう?」

 「っ!何故それを───」

 紅孩児の紅い瞳が大きく見開きます。

なぜ、この王子が悟空の事を知っているのでしょう。

一度も城に連れていったことなどないのに……

 困惑した様子の彼に、三蔵は短く用件を告げました。

 「そいつを、俺の妃にする」

 「はあぁっ?!」

 紅孩児と八百鼡の絶叫が見事にハモります。

あまりの衝撃に一瞬意識を飛ばし、――しかし、すぐに我に返ると、紅孩児は猛烈に反発

しました。

 「ふっ、ふざけるなっ!なんで可愛い悟空を、貴様みたいな性格破綻者にくれてやらにゃ

ならんのだっ!」

 われんばかりの怒号が、屋敷いっぱいに響きわたります。

おそらく、向こう三軒両隣まで響いたのではないでしょうか。

 紅孩児の怒号が聞こえたのでしょう。その声に驚いたのか、二階からぱたぱたと軽い足音が

聞こえてきました。

 「どしたの?紅孩児…?」

 「っ!悟空っ、来るな───」

 咄嗟に紅孩児は叫びましたが、一瞬遅く───

ギィと音を立てて、扉が開きました。

 「あっ………」

 部屋に入ってきた悟空の視線が、継兄達以外の──金色の人物を見つけ、瞬時に凍りつき

ます。

 いっぽう三蔵の方も、漸く意中の存在を見つけ──気づいた時には、その小さな身体を

己の腕に抱き締めていました。

 「……………っ!」

 「見つけた…」

 突然抱き締められ硬直する悟空の耳を、低い囁きが掠めます。その、どこか安堵の色の

滲んだ、うっとりする声音に。

 抵抗することすら忘れ、されるがままの悟空を三蔵は軽々と抱き抱えました。

 「来い、悟空」

 「えっ?えっえっ…?」

 展開についていけないござるをよそに、三蔵は戦利品(?)を抱き抱えたまま引き上げようと

します。

それを、間一髪で紅孩児が遮りました。

 「悟空を放せっ!この鬼畜王子っ!」

 鋭い叱責を放ち、弟を奪い返そうと紅孩児が腕を伸ばします。

しかし三蔵のほうも、渡すまいとして抱き締める腕に力を込めます。

 容赦ない二人の奪い合いに、堪り兼ねた悟空が悲鳴を上げそうになった、まさにその時。

 「は〜い、そこまで」

 どこか面白がっているような、呑気そうな声が聞こえ──悟空の視界を、金ではなく紅い

色彩が覆いました。

 「悟浄っ……!」

 突然現れた悟浄に、それでも悟空はほっとした笑顔を浮かべて抱き着きます。

 実際、あの切迫した雰囲気の中から助けてくれたのですから悟空にとっては救い主に違い

ないでしょう。

 怯えて震える悟空の背を優しく撫でながら、悟浄はかるく嘆息しました。

 「おまえらさぁ、ち〜っとばかし大人げないんじゃねーの?」

 般若の形相で自分を睨む二人に、見せつけるように悟空を抱いて、悟浄はくつくつと喉を鳴

らします。

 「だまれ、赤ゴキブリ」

 悟空を奪われた苛立ちのままに、三蔵は悟浄に向けて発砲しました。

………しかし。

 鈍色の弾丸が悟浄の身体にのめり込む寸前、それは煙のようにかき消えました。

 「なっ……!」

 「残念デシタっ♪今回は俺進行役だから、お前の銃も経文も効かねぇのっ」

 驚愕も露な三蔵に、悟浄はにやりと維持の悪い微笑みを浮かべます。

ですが急に厳しい表情になり、切りつけるような鋭い眼光を投げかけました。

 「さっきから見てたけどさ、お前ら悟空の意志は丸無視じゃねーか。…悟空の人生だろ?

コイツに選ばせろよ」

 意外なほど正論を吐かれて、一瞬、紅孩児も三蔵も言葉に詰まります。

 沈黙した二人に背を向け、悟浄は内緒話でもするように悟空に問いました。

 「…で、オマエはどうしたいわけ?」

 「……オレ…………」

 真顔で悟浄に見つめられ、悟空は俯きました。

あの舞踏会の日から、ずっと悟空の心を占めているもの。

 それは三蔵でも紅孩児でもなく───

 「……………」

 ふいに、あの日自分を抱き締めてくれた翡翠の瞳の青年の姿が、胸を過ります。

 帰宅すると同時に、元のネズミに戻ってしまった八戒。彼は、あれから一度も悟空の前に

姿を見せてくれません。

どんなに呼びかけても、自分の所に降りて来てくれないのです。

 そのことが、言葉に出来ない不安を悟空に与えます。

八戒が側にいてくれない。ただそれだけなのに、今はこんなにも苦しくて、胸がシクシク痛む

のです。

 「……オレ……」

 どうしたら、この苦しみが消えるのでしょうか。

答えは、きっと八戒が知っているような気がします。

 いいえ、たぶん悟空も、もう気づいています。

だから、悟空ははっきりと答えました。

 「オレ、八戒とずっと一緒にいたい…」

 「…………そっか」

 何処か安心したような──ほんの少し寂しげな表情で、悟浄が頷きます。

 しかしすぐに悪戯っ子のような輝きを湛えて、にやりと笑いました。

 「こざるちゃんは、こぉ云ってるけど、お前はどうよ?」

 「えっ…?あっ」

 差し出された大きな手に乗っている、それは…

 「八戒っ!」

 思い詰めた顔の八戒が、悟空を見上げていました。

悟浄の手から彼を受け取り、悟空はじっと彼を見つめます。

 「お前は、どうしたいわけ?」

 「……僕は……」

 何かに耐えるように、八戒は唇をきつく噛み締めます。それでも、意を決したように、重い

口を開きました。

 「僕は、人間じゃありません」

 「…うん…」

 「三蔵や紅孩児さんのように、貴方を抱き締めることも出来ないし、守る力も術もないです」

 「…………」

 「それでも………」

 僕は、と言いかけて、八戒は口を噤みます。

暫しの沈黙の後。

 「八戒……?」

 促すように名を呼ぶ悟空の声に、八戒は小さく呟きました。

 「…ホントに、僕でいいんですか、悟空?」

 貴方には、もっと相応しい人がいるのに。

続く言葉に、悟空は強くかぶりを振りました。

 「八戒が、いいんだ。…八戒と一緒でなきゃ、オレ…イヤだよ……」

 誰も見たことがないほど、艶やかな笑顔でそう呟いて。自分を見上げる八戒に、悟空は

そうっと口づけました。

 すると、どうでしょう。

八戒の身体が光り輝いたかと思うと、次の刹那、一人の青年が立っていました。

 「「なっ…!」」

 その場にいた──悟空たち以外の──誰もが、驚愕の叫びを上げます。

 そんな中で、悟空は──今は人間となった八戒の胸に、おもいっきり飛び込みました。

 「大好き、八戒」

 「僕も、貴方が好きです。誰よりも」

 すっかり出来上がった二人の世界を指さして、悟浄は肩を竦めました。

 「…ま、こういう理由よ」

 やーれやれとため息をつく悟浄の言葉に、ふるふると身体を震わせて三蔵は絶叫しました。

 「認めんぞっ、俺はっ!!」

 つられて紅孩児も叫びます。

 「そうだっ!何処の馬の骨ともわからん奴に、可愛い弟を渡せるかっ!!」

 悟空を取り戻すべく、二人は先程までいがみ合っていたのも忘れて八戒に飛びかかります。

しかし。

 触れる寸前で、見えない壁にしたたかにはじかれてしまいました。

 「悟浄っ…」

 振り返った悟空に、悟浄は窓を指さします。

 「外にジープを用意してある。ちっとばかし順番すっとばしてるけどさ、これからハネムーン

ってのもイイだろ?」

 「…………悟浄っ、ありがとっ!」

 ぎゅっと抱き着く悟空にでれでれと鼻の下を伸ばしかけ──凍えるような翡翠の視線に、

悟浄は慌てて咳払いをしました。

 「ほら、早くいけっ」

 「うんっ!」

 悟空を抱き上げ窓に身を乗り出すと、ふと八戒は後ろを振り返りました。

 「紅孩児さん、悟空は必ず幸せにします」

 「んなこといいから、悟空を返せっ!!」

 血管がぶち切れんばかりに怒り狂う紅孩児にむけて、にっこりと──じつに晴れやかな

微笑みを見せつけて、八戒は悟空ごと窓の外へ身を躍らせました。

 「悟空ぅ─────────っ!」

 窓枠にしがみつき、紅孩児は必死で叫びます。

しかし、都合よくジープの上に着地した二人は、そのまま手に手をとって砂煙をあげて走り

去ってしまいました。

 「元気でな〜〜」

 ひらひらとハンカチをふる悟浄の横で。

 「悟空ぅ──っ、帰ってこい───っ!!」

 「こんな終わりなんぞ認めんっ!」

紅孩児と三蔵の空しい遠吠えが、いつまでも二人の後を追いかけていきました。

 

 

 こうして、お姫様は王子さまとではなく、いつも側にいてくれた元ネズミの青年と幸せに

なりました。

 

 

                                   《異聞・灰かぶり姫・完》