夢幻泡影
〜焔編〜



 

 ちょこん、と。

目の前に座る物体に、焔は軽くない頭痛を覚えた。

 零れ落ちそうなくらい大きな、金色の瞳。幼児らしい丸みをおびた顔と、柔らか

な土色の髪。そして──特徴的な、獣の耳。人の形をした、ヒトでないモノ。

 部下の紫鴛が先程『プレゼントです』と云って持ち込んだ、鎖に繋がれた小さな

子供。

 

 最新科学が生み出した、奇跡の生命──『カーレイ』

 

 それは、数年前にある華僑系グループが作り出し一躍脚光を浴びた。

人に酷似した姿と遺伝子を持つ彼等は発表当初、嵐のような論争を引き起こし

た──が、幾つかの相違と繁殖能力を持たないという点が彼等を『商品』とする

ことを許したのだった。

 …そう。人と変わらぬ高い知能を持ち、人を凌駕する身体能力を持ちながら、

彼等は一代限りの命でしかない。

そして遺伝子レベルで操作されている為、言語能力は十歳児程度…つまり子供

並の会話しか出来ないのだ。更に加えるなら人間と一目で識別する為、彼等の

耳は犬によく似た形に生まれた時から変形されていた。

まるで新種のペットのように。

 人間に似せて作られた、新たな愛玩動物(ペット)の誕生。

 伝説のホムンクルスを彷彿とさせるその生命体は『カーレイ(傀儡)』と命名

され、認可と同時に一般販売されるようになった。もっとも、すべての個体が

一点物の注文生産となっているので、一般といっても購入出来るのは上流

階級のごく少数の者に限られてはいた──。

 それでも、少しずつ…だが確実にその数は増えつつあった。

 

 目の前の子供…いや、『カーレイ』を眺めつつ焔は盛大な溜め息を吐いた。

 面相に似合わず小動物好きな紫鴛は、これまでにも焔の屋敷に様々な物を

持ち込んだ。文鳥の刺繍入りクッションやらゴマアザラシのぬいぐるみやら電気

ね○みの抱き枕やら──その殆どが、焔の趣味とは激しく方向性の違いを主張

したが、実害が(さほど)あるわけでもなかったので好きにさせていた。

 だが、だが……

 なんぼなんでも『これ』はまずいだろう。

いくら愛玩用に作られているとはいっても、こんな子供にしか見えない生物をどう

しろというのだ?

 犬の世話すらしたことのない輩に、どうやって育てろというのか。

だいたい、独身男性一人きりの家でいたいけな幼児(外見は)を飼うなど、世間

様が見たらなんと思うか…。間違いなく『変質者』の烙印を押されてしまう。

 鉄面皮の下の焔の苦悩を知ってか知らずか──いや絶対判っている筈なの

だが、こころなしか楽しげな表情で諸悪の根源・紫鴛が取り扱い説明書を音読

している。実に嬉しそうだ。

 『プレゼント』などと云っていたが、絶対違うと焔は思う。いや断言できる。

この子供は、紫鴛が気に入って欲しかったから買ってきたのだ。そして敷地だけ

は腐るほどある焔の屋敷で、『自分が』育てるつもりなのだ。

断じて、焔の為ではない(はず)。

 「──ということですから、きちんと世話をして下さいね」

 はい、と分厚い説明書を焔の胸に押し付け紫鴛は立ち上がる。

 「………おい」

 「これから毎日様子を見に来ますから、くれぐれも放置して餓死させるなんて

事はしないで下さいよ」

 「紫鴛、おい…」

 「闇夜に紛れてこっそり捨てるなんてのはもっての外ですよ、人として」

 細い双眸をかっと開き、常に無い凄みをたたえて睥睨する。鬼気迫る紫鴛の

雰囲気に、流石の焔もぐぅのねも出ない。

 反論のはの字も言えない彼を尻目に

 「では、悟空。また明日会いましょうね」

 お菓子もたくさん持ってきますから、と薄ら寒くなるほど猫なで声を子供にかけ、

紫鴛は屋敷を後にした。

 残ったのは、何も判っていない子供と焔の困惑だけ。

 「……………」

 「…………」

 どうしていいのか判らぬまま、焔は途方にくれる。

紫鴛の言うとおり、犬猫とは違うのだから捨てるわけにもいかないし、安易に

他人に譲るわけにもいかない。

 かといって、製造された研究所に返品しようものなら、その後どんな末路を

辿るのか──

 先程紫鴛が漏らしていた話では、この子は製造された直後に飼主になる筈

だった人物を亡くしているのだという。

 『カーレイ』は原則として注文生産だ。主を失えば──研究所に戻され、新しい

主を待つか。もしくは、実験体或いは『商品見本』として研究所に一生拘束される

か、どちらかしかない。

 少しでも哀れだと思うなら、此処で飼ってやる方がまだましだろう。しかし……

 懊悩しさ迷う焔の視線が、ふと子供の大きな瞳とぶつかる。自分と同じ色の

眼を焔の双眸に見つけ、子供は 本当に嬉しそうにふわりと笑った。

 「……っ!」

 どくん、と心臓が跳ねる。

汚れを知らぬ、この世の奇麗なものだけで出来たような…そんな笑顔に。

 呆然と。ただ、呆然と見惚れる。

眼が離せない。心が、知らず引き寄せられてしまう。

 

 「…お前、名前は?」

 掠れた問いが、焔の口をつく。

渡された説明書を読めば、名前などすぐに知れる。けれど、何故だかこの子の

唇から直に聞きたかった。

 新たな主の問いかけに、子供は無条件に喜びを露にする。桜の花をおもわせる

柔らかな唇が、小さく震えた。

 「…ゴ…クウ…悟空…」