HONEY
にこにこと微笑む天蓬の笑顔が、無性に『憎い』と感じてしまうのは僻みだろうか。 それとも煙草の禁断症状の顕れか…どっちにせよ、天蓬の来訪に捲簾の不快度は益々水位を 「いやぁ〜助かりますねぇ、こう仕事が早いと」 一見すると爽やかな、だが底の見えない悪意いっぱいの冷ややかな視線がちくちくと肌を刺す。 「いつもこうだと、僕も悟空と遊ぶ時間が増えて嬉しいんですけどね〜」 「…けっ」 悟空『と』遊ぶじゃなくて悟空『で』遊ぶだろうが、オマエは。 思わずつきかけた悪態を喉元で辛うじて止め、捲簾はふて腐れて明後日の方角に視線を泳がす。 口で何を云っても、この目の前の男に敵う筈がないのは判りきっているのだから。それなら何も 一言云ってしまったが故に、その十倍になって跳ね返されるのは御免だ。 何があったのかは──悟空から聞き出して知ってはいるが…随分とまぁ、表情豊かになった もともと天蓬と同類の匂いがするだけあって、捲簾はガードが固い。気さく且つ豪放な雰囲気で 意外にも人一倍周囲に細やかな気配りが出来る分、他人が自分の領域に入るのは──実は それが、悟空に関してだけは驚くほど『己』を露にしている。素の感情を隠しもせず、あの愛らしい それにしても馬鹿ですねぇ…と、天蓬は内心呆れずにはおられない。 喫煙者が煙草を止めるには、それなりの順序があるのだ。いきなり禁煙しては『吸えない』という 悟空に──これは捲簾の誤解っぽいが──嫌われたのが、それほど堪えたのか。 そこまで思案して…天蓬はふっと溜め息を吐く。 きっと、どっちもなんだろう。 あまりにも無邪気なあの子供には、天女相手に培ってきた恋の手管など一切通用しない。 天蓬だって悟空に好かれる為に、涙ぐましい努力で日々精進中なのだから。 そう思うと、些か捲簾が哀れにも思えるが──そこは、なんと云っても恋敵。 慰めより先に傷口に塩を塗り込んでしまうのも仕方がない…かもしれない。 「そおそお、昨日悟空が遊びに来たんですよ〜」 『天ちゃんご本よんでぇ〜っ』て、僕におねだりしに来てくれたんです。 誰も聞きもしないのに天蓬はうっすらと頬を紅潮させ、夢見るヲトメのような口調で── 「……………」 ぴくっ。ぴくぴくぴくっ 『とっとと出ていけ』と無言で訴えていた捲簾の柳眉が、『悟空』の単語に盛大に跳ね上がった。 もう一週間も会ってない想い人の様子と、それをよりによって天蓬から聞く不快感と──よほど ついに堪え切れず、天蓬は二の句を告げるのもすっぱり忘れ腹を抱えて哄笑した。 「ぷっ、くくくくくく…ホントに悟空のことなると、アナタは見境がないですね…」 「っ!」 天蓬の笑い声のでかさに一瞬ぎょっと引いた捲簾の顔が、瞬く間に真っ赤に染まる。 悟空に会えなくなった原因(正確には一因)に馬鹿笑いされる屈辱に、とうとう捲簾はキレた。 「あのなぁっ─────っ」 ドン、と砕かんばかりに机を叩き捲簾は立ち上がる。よれよれの白衣の襟を掴もうとして伸ばした 「…え……」 捲簾が不審に思うよりも先に。 全身が激しく揺らされたような──なんとも言えない不快感と吐き気が、容赦なく捲簾を襲う。 「あっ…!」 「捲簾っ?」 視界に映る天蓬の姿がぶれたと思ったその時には、既に意識は闇の中へと引きずり込まれて
胃を押さえつけられるような圧迫感に、低く呻いて。 捲簾はようやく目を覚ました。 …頭がくらくらする。 瞼を開けるのさえ辛くてしょうがない。 それでも無理矢理こじ開けてみれば、其処はよく見知った己の寝室の天井だった。 重い体をよろよろと動かして寝返り、捲簾はベッドサイドの水差しへと手を伸ばす。 どうにか水をコップに注ぎ、ゆっくりと喉を潤すとサイドボードにぽつんと張られた一枚の紙切れが 『心因性の気絶だそうですので、今日は一日寝ててくださいね』 意外と達筆な字跡は天蓬のもの。 と云うことは、自分は彼の前でみっともなく倒れた揚げ句に、寝室まで運ばれたのか。 「……………ダセ」 一言つぶやき、またベッドに寝転ぶ。 なんだか情けなくて仕方なかった。 …なんだって、あんなお子様に惚れてしまったのだろう。 ちっこくて、痩せっぽちで、色気の欠片もない──しかも男のガキ。自分の守備範囲は艶やかな けれど、この心があの幼子にしか反応を示さなくなっているのもまた事実なのだ。 官能を呼ぶ華の香よりも、子供らしい柔らかな身体の放つミルクの匂いが頭から離れない。 そうとう重症だと思う、自分でも。 だが、捲簾はそれがちっとも嫌ではないのだ。 悟空を想うだけで暖かく感じる胸の高鳴りすら、心地よい。……ただ、女を愛でている時には ───ふと。 物思いに耽っていた捲簾の耳に、小さな足音が届く。 倒れたのを聞きつけて、誰かがからかいに来たのかもしれない。そう思うと、途端にどんよりと ここは寝たふりをして相手にしない方が利口だろう。 そう決め込み、捲簾は狸寝入りに入った。 足音は徐々に近づき、扉の前でぴたりと止まる。 やはりこの部屋に用があるらしい。 ごそごそという物音がしたかと思うと、キィと微かに軋んで扉が開いた。 目を瞑ったせいで感覚が過敏になった捲簾の側に、人の気配が近づいてくる。 何やら伺うような視線を感じて、捲簾はますます寝たふりを決め込んだ。 侵入から、たっぷり三分は経っただろうか。 ………ぴと。 と、小さな──それでいて温かな物体が、捲簾の頬に触れる。 それが何なのか思考を巡らし──ついでに、『誰』なのか思い当たった瞬間。 がぱっと脊髄反射よろしく捲簾は跳ね起きた。 「っ…きゃっ!」 「悟空っ」 急に起き上がった捲簾に驚き、悟空は後ずさる。 逃げようとする華奢な体を懐深く抱き締め、捲簾は囁くようにその名を呼んだ。 「悟空…悟空………」 「…ケン…兄ちゃん……?」 少し息苦しいくらい、きつく抱擁され悟空は戸惑ったように捲簾を見上げる。 だが互いの視線が絡まったとたん、大きな黄金の双眸からじわりと涙を滲ませ、えぐえぐと泣き 「おっおい…」 今度は捲簾の方が狼狽し途方にくれる。 自分の見舞いに…来てくれたのだと思う。だが、それなら何故泣き出すのか。 「…っ…ケン兄ちゃん…ごめっ…ね…」 「…ご…くう…?」 「俺、なんにも知らなくて…それでっ…あの…」 嗚咽の透き間から聞こえる言葉は、当然ながらまったく要領をえなくて。 ぽろぽろと零れる涙を拭き、震える身体を優しく抱き締め──悟空が泣き止むまで、捲簾は静かに 「あのね、ケン兄ちゃんのおくちがニガイのは『おくすり』飲んでるせいだって聞いたの。…俺、 「─────はっ?」 ぽつぽつ紡がれる言葉の意味がよく飲み込めず、きょとんとした顔で捲簾は何度も瞬く。 いったい、何処がどうなったらそんな方向に話が転がるのだろうか? イヤそれ以前に、誰がそんな嘘八百を悟空に吹き込んだのだ? 「なのに…キライって…ゆって…ごめんなさい…」 しょんぼりと項垂れる悟空の頭を無意識にぐりぐりと撫でながら、普段脳で使用しない部分まで しかしどうやっても判らず、結局本人にお伺いをたててみた。 「悟空」 「なに?」 「…ソレ、誰から聞いた?」 「あのねぇ、天ちゃん!今日ケン兄ちゃんが倒れたのも、おくすりを飲まなかったからって」 あいつわ…………(怒) あっさり氷解した疑問と──やっぱり黒幕だった(らしい)某元帥の高笑いの幻聴が聞こえたような すると、それを見た悟空の金目がまた潤み始め…捲簾は慌てて笑顔を浮かべた。 「そっそんな心配することないぞ!もうっ全然、平気だからっ」 「…………ホント?」 「もちろんっ」 疑わしげに首を傾げる幼子の手前、必死に取り繕う。 単純な思考回路のお陰か、悟空は捲簾の言葉をすぐに信じて。にぱぁっと満面の笑みを見せた。 「よかったぁ…」 野の花の如き可憐な微笑みが、ひどく眩しくて。 僅かに頬を上気させ、まじまじと魅入ってしまう。 まぁ、誰かさんには色々と云いたいことも含むものもないわけではないけれど。 ささやかな幸せを、しみじみと──しつこいくらいに味わって噛み締める、捲簾の視界に。 小さな悟空の頭がすすっと近づく。 「んっ?」 視野いっぱいに、目の中に入れても痛くないどころか、最後まで美味しく戴きたい『らう゛りぃ』な ………ちゅっ 何かが、掠めるように唇に触れる。 とても甘くてふわふわして…魅惑の果実のような、ソレ。 それが悟空の唇だと判ったとたん、捲簾の顔が瞬間湯沸かし器の如く沸騰した。 「ごごごごごごっ悟空っ!」 「えへへ…俺の、おみまい」 はにかむように笑って、悟空はとんっとベッドから降りる。 よほど恥ずかしいのか──悟空はもじもじと上目使いに捲簾を見つめ、「じゃあね」と短く告げて 小さな豆台風が、軽やかに立ち去った後。 パタン、と。 捲簾の長身がシーツの波間に沈んだ。 「…も、死にそう………」
不気味な笑顔を張り付けたまま、鼻血の海に漂う瀕死の軍大将が発見されるのは―──これより
「…っ!うえっ」 短く呻いた後、悟空は猛烈な勢いで覆いかぶさる悟浄を殴り飛ばした。 「っ!何しやがるっこのばか猿っ!」 いきなり突き飛ばされてた悟浄の左頬は、しっかりくっきり赤く腫れている。 「うぇ〜っぺっぺっ…まっずぅ〜〜っ!」 備え付けてある水差しの口からそのまま水を呷り、悟空は幾度も口を漱ぐ。 「お前なぁっ──っ!」 だが悟浄の非難が口火を切るより先に、キッときつく切れ上がった金睛眼が鋭く悟浄を射貫いた。 「なっ…んだよ?」 ごくり、と無意識に喉がなる。 まったく身に覚えはない筈なのに。浮気でもして見つかってしまったような…そんな居心地の悪さが 目に見えて怯んだ悟浄を畳み掛けるように、眦に涙を残したまま悟空は叫んだ。 「オマエッまた煙草の量増えただろうっ!」 びしっと擬音つきで指摘され、言葉に詰まる。 実際、このところの悟浄の喫煙量は三蔵すら上回って一日四箱に迫る勢いなのだ。 いじましいとは思いつつも、降り積もるストレスを煙草で紛らわす日々を続けている。 「もうっ、少しは控えろって云ってるのにっ!身体にだってよくないじゃないかっ」 「うっせぇなっ大人の嗜みなんだよっ煙草(コレ)はっ!ガキは黙ってろっ!!」 相手はお子様のござる。素直に謝って適当に誤魔化せばいいものを、八戒の受け売りそのまま 悟浄を心配してこその気遣いを『ガキ』の一言で否定され、悟空の顔が引きつる。 「───あ、そう」 すぅっと半眼を伏せ、滅多に見せない冷ややかな眼差しで悟浄を睨む。 いつもなら打てば響くように返ってくる『エロ河童!』等の雑言を発することもせず己を睥睨する 「ご、悟空…?」 「………決めた」 「はいっ?」 ぽつりと呟かれた一言に嫌な予感を覚え、悟浄の額を一筋の冷や汗が伝う。 再び悟浄が声を掛けるよりも一拍早く、悟空はにっこりと笑って断言した。 「一日一箱。それ以上吸ったら、悟浄と一緒には寝ないからなっ!キスも駄目」 「はあっ──っ!」 「もし無理強いしたら、俺、八戒のトコいくから」 「っ!!!」 専属保父の名前まで出して反論の出端を挫かれ悟浄は絶句する。 硬直した悟浄に先ほどの暴言の意趣返しとばかり悟空は更なる追い打ちをお見舞いした。 「それから今日は三蔵んトコで寝るからな」 「ちょっ…悟空ッ」 追いすがる手をべしっとはたき、言い切りった悟空は無情にも部屋を出て行く。 一人きり残された、閑散とした部屋の真ん中で。 悟浄は叩かれた瞬間のまま手を宙で止め、呆然と…ただ呆然と呟くしかなかった。 「勘弁してくれよ〜…」 |
■あとがき■ 文間の微妙な違和感にお気づきの方もおられるとは思いますが…これはある方に捧げるつもりで去年の年末に書き始め、その後うち捨てて置いたモノを加筆修正しました。うち捨てた一番の理由は、その方と疎遠になりまして。まぁそんなヤツから貰ったへたれ文なんぞ嬉しくもないし扱いに困るだろうと思い、ラストを仕上げないままほったらかすこと数ヶ月。私にしては珍しい「まったりほのぼの」系だったので捨てるのも何となく躊躇われ、今回上げてみました次第です。しかし半年前はこんなネタに萌えてたんですね〜…今はとてもおてんとう様に申し訳が立たないようなモノしか思いつかないのに。 |