花冠の約束
ハナカンムリノヤクソク
回廊の奥から近づいてくる足音に、青年は振り返る。 だがそれよりも早く、小さな物体が彼の胸に飛び込んできた。 ぼすんっ! 「天ちゃんっ見ぃ─っけっ!」 「…っ、悟空?」 腕の中の人物を確認し、青年──天蓬元帥は張り詰めた気を緩めた。 対人用の冷たいそれから、悟空専用の暖かな微笑みへとすり替える。 小さな身体を壊れ物を扱うかのように優しく受け止め、いつものように抱き上げた。 「今日はどうしたんです?」 目線を合わせて話しかけると、悟空は金眼を煌めかせて元気良く答えた。 「天ちゃん、あそぼっ!」 「…………え?」 にぱぁ〜と全開の笑顔で云われ、天蓬は言葉に詰まる。 だが……… 今、天蓬はかなり危険な立場にある。 この子を悲しませてしまうけど、断ろう…。 彼のそんな気配を、敏感に感じ取ったのか。 にこにこと笑っていた悟空が、急に萎れたような表情になった。 「天ちゃんも…いそがしい?」 大きな瞳が、不安そうに揺れる。 「金蝉に──なにか、云われたんですか?」 「…『しごと』の邪魔だから、どっかいってろって…」 予想通りの答えに、天蓬は思わず明後日の方向に視線を逸らす。 どうして、こう…もっと優しく言い含めてやれないのだろうか。 そのくせ天蓬や捲簾が悟空に構うと、蛇蝎の如く嫌がるのだ。 (自分のものだと公言するなら、もっとわかりやすい愛情を示せってんですよ) 「金蝉はちっとも構ってくんないし、ケン兄ちゃんも何処探してもいないの………」 しょんぼりと項垂れ、寂しそうに呟く悟空はあまりにも儚げで、天蓬の保護欲を 「………天ちゃんも、ダメなの…?」 恐る恐る尋ねるその姿を見て、いったい誰が悟空を拒めるだろう。 目立たないように小さく嘆息すると、天蓬は優しく微笑んだ。 「…今日は、天ちゃんお気に入りの花畑に行きましょうか?」 「…っ!いいのっ!」 「ええ。二人で、いっぱい遊びましょう。」 天蓬の言葉に、悟空はぎゅっと彼にしがみついた。 「天ちゃん大好きっ!」 少し苦しいほどの包容に、それでも天蓬は幸せな気持ちで微笑んだ。 (もしかしたら──これが最期になるかもしれませんしね……) 天蓬お気に入りの森でひとしきり遊んだ後。 これまた彼お気に入りの花畑で、仲良く花冠を作る二人の姿があった。 「はい、出来ましたよ。」 にっこり笑い、出来上がった花冠を悟空の頭に被せてやる。 嬉しそうに笑顔を浮かべ──しかし、悟空はすぐに困ったような顔をした。 「どうしました、悟空?」 気に入りませんか? 天蓬が首を傾げると、悟空はふるふると力いっぱい首を振った。 「ちがうのっ、……あのね、おれも天ちゃんにあげたいけど──」 でも…と、己の手元に視線を落とす。 環状に綺麗に結われた天蓬手製の花冠に比べ、悟空のは四方八方から茎が そんな悟空の恥じらいが可愛くて、天蓬の口元にますます笑みが刻まれる。 「悟空がくれるものでしたら、天ちゃんにはどれも宝物ですよ。」 「……でもぉ…………」 なお恥ずかしがって自作を後ろ手に隠す悟空に、苦笑してじゃあと天蓬は別の提案をする。 「今度は指輪にしましょうか。」 「…ゆびわ?」 頷いて、天蓬は手元の群生から花を一輪摘み取る。 「悟空、手をひらいて出してください。」 「こう…?」 差し出された小さな指に、摘み取った花の茎で作った輪を結びつける。 あっという間に、小さな花の指輪が出来上がった。 「わぁっ…!」 「ね、これなら悟空も作れるでしょう?」 「うんっ!天ちゃん、手ぇだしてっ」 大きく頷いて、悟空も天蓬の指に見よう見まねで花の指輪を作る。 自分よりはるかに大きな指に多少苦労はしていたが、花冠よりはずっと出来の良い 「ありがとう、悟空。大事にしますよ。」 天蓬の言葉に、えへへと悟空が嬉しそうに照れる。 それを目にした天蓬の胸に、愛おしさと幾何かの切なさが鈍くのしかかった。 たぶん──近いうちに、自分は『処分』されるだろう。もしかしたら、周囲の何人かも そのこと自体に、たいした感慨はない。 上層部の思惑通りになるのは業腹だし──まあ、それなりの置き土産はしていくつもりだが 『生きる』ことすら、天蓬にとってあまり意味があるとは思えないのだ。 けれど…────、そんな気持ちも悟空を目にすると激しく揺らいでしまう。 (この子に出逢ってから…自分達──自分は、随分変わった…) 悟空の笑顔を見る度に…無邪気に慕ってくるその姿を見る度に、密やかに心震える 其の姿をもっと見ていたい、側にいて静かに見守りたい──そんな欲さえ生まれる。 それが面映ゆくもあり──哀しい。 どんなに願っても、自分に残された『時間』は引き延ばせない。ならばせめて、もっと早く この子の中に、『天蓬』という存在を残せたのに。 もっと沢山、慈しむことが出来たのに…。 (『死ぬ』ことが、こんなに『こわい』とは知りませんでしたよ…) 悟空と会うまで──、気づかなかった。 何も生まず──何も残さず消えてゆくことが、これほど恐ろしいとは。 自分は、何も知らなかった。知ろうとしなかった。 失う直前の今になって、こんなに──手放すことに恐怖を感じるほど、大切な存在が 此処に悟空を連れて来たのは、少しでも悟空に自分という存在を覚えておいて欲しかった。 そして、少しでも多く『悟空』との思い出が欲しかったから。 いなくなっても、彼が『天蓬』を忘れないでいてくれるように。 もしかしたら、自分は怯えていたのかもしれない。 気がつけば、天蓬はその『不安』を口にしていた。 「…悟空、もし僕や、金蝉や捲簾が…──いなくなったら、どうしますか?」 「天ちゃんが、いなくなったら…?」 鸚鵡返しに呟く悟空に、天蓬はしまったと口を塞ぐ。 しかし、時既に遅く。 大きな金の瞳は、見る間に雫が滲み始めた。 自身の迂闊さに、思わず歯がみしてしまう。 この子が孤独を極度に恐れていることは、重々承知していたつもりだったのに。 こんな大人気ない質問をして泣かせてしまうなんて、最低だ。 「ごめんなさい、冗談で────」 「…探す。」 慌てて謝ろうとする天蓬の言葉を遮るように。 ぽつりと、悟空が呟いた。 「おれ、天ちゃんを見つけるまで、探す。」 はっきりとした、強い口調。 まじまじと覗き込んだ瞳は、まだ濡れていたけれど。 悟空は、きっぱりと言い切った。 天蓬の頬に、微かな赤みがじんわりと浮かぶ。 「でも…………」 悟空の言葉が、嬉しいはずなのに。 心とは裏腹に、天蓬の唇は否定的な言葉を続けた。 「悟空、生き物は年老いていつか必ず大地に還るんです。…いつか、僕たちは 「………でも探す。」 「…悟空………」 「この前、観音のおばちゃんが教えてくれたもん。生き物は死んで、また生まれ きっぱりと言い切る悟空の瞳は、何処までも真っすぐに天蓬を射貫く。 そのあまりの眩しさに、天蓬はぎゅっと目を瞑った。 瞼を閉じても感じる黄金の光に、思わず溜め息が漏れる。 どうしてこの子は、自分が欲しいと思うものを一番欲しい形でくれるのだろう。 まるで、天蓬の心が見えているようだ。いや、感じとっていると云ったほうが正しいか。 (悟空には敵いませんね……) 「…………天ちゃん?」 黙ってしまった天蓬に、悟空が不安そうに声をかける。 「て、天ちゃん……?」 急に抱き締められ、悟空が困ったように名を呼ぶ。 不覚にも潤みかけた眦を抑え、天蓬はその耳元に静かに囁いた。 「──僕を、見つけてください。…待ってますから。悟空が見つけてくれるのを、 「うんっ!」 幼い両腕が、応えるかの如く白衣の背にしっかりと回される。 その、信頼しきった悟空の態度に。 胸に溢れる愛しさと──ほんの少し(注:天蓬談)の水心を込めて、半開きの唇に ちゅっ。 「天ちゃん、いまの…なぁに?」 ぱちくりと、大きな金の目が零れそうなくらい大きく見開く。 当然ながらまるで理解していない悟空に、天蓬は極上の笑顔で断言した。 「いまのはですね、『約束』の証しですよ。」 「やくそく…?」 「ええ、悟空さっき云いましたよね、『天ちゃんを探してくれる』って。今のは、悟空が 「ふーん…そっかぁ。」 いけしゃあしゃあと笑顔で解説され、悟空は素直に信じる。 さらに 「あ、他の人とすると天ちゃんとの約束は無効になっちゃいますから、 と、しっかり釘を刺すことも忘れないあたり、やはり天蓬の天蓬たる所以だろう。 流石『元帥』の名は伊達じゃない。 先ほどまでの悩みも何処へやら──すっかりご機嫌になった天蓬は、悟空を抱き抱えて 「さぁ、おなかも空いてきましたし、天ちゃんのお家でおやつにしましょうね。」 「うんっ!」 天蓬の申し出に、当然ながら悟空は一も二もなく快諾した。 「あ、そうだ。悟空」 暫く行くと、ふいに天蓬が口をひらく。 「なに、天ちゃん」 お揃いの指輪をした手を握り、悟空が首を傾げる。 「さっき観世音菩薩さまを『おばちゃん』って呼んだのも、二人だけの内緒に 「それも、やくそく?」 「ええ、そうですよ。」 にっこりと微笑んで、天蓬はもう一度悟空に口づけた。 |