賢者の贈り物
「困りましたねぇ…」 とてもそうは感じられない、のんびりした口調で青年が呟く。 その言葉に、栗色の髪の少年はますます俯いてしまった。 「……八戒ぃ…俺、どうしよう…」 うるうると潤んだ黄金の瞳が、助けを求めて青年を見上げる。 そのあまりの可愛らしさに、抱き締めてあ〜んなことやこ〜んなこと(自主規制)をしたい衝動を 「やっぱり、アルバイトしかないでしょう。」 「あるばいと…?」 聞き馴れない言葉に、少年は小首を傾げる。 (ああ…もう、こんな時でなきゃ襲っちゃいたいくらいなんですけどね…) 実に不穏な妄想を右脳で展開しつつ、表面上『好』青年は少年の小さな耳元に囁いた。 「…あのですね………」
「………遅い。」 苛々と煙草をふかせて、青年は時計を睨みつけた。 時刻は既に約束の時を過ぎてしまっている。 日もだいぶ傾き、寺院の各所からは夕餉の匂いが漂い始めていた。 「いつまで遊んでやがるんだ、あの馬鹿ザルは…」 吸いかけの煙草をグシャリと潰し、薄暮の迫る窓外に視線を向ける。 かなり上位に属する秀麗な美貌も、今はそれを相殺してあまりある凶悪な目付きの 『夕刻の寺の鐘がなったら、何処で遊んでいても必ず帰ってくるように』 と、あれほど口を酸っぱくして約束させたのに。 何故戻ってこないのだ、あの猿は。 「…所詮、サルに約束させようとした俺が馬鹿だったか…」 深いため息をついて、青年が再び煙草の箱に手を伸ばしかけたその時。 どかどかと響く無神経な靴音とともに、勢いよく扉が開いた。 「ただいまっ、さんぞ〜っ!」 向日葵のような笑顔をたたえて、小さな少年が飛び込んでくる。 ようやく帰宅した養い子に内心胸を撫で降ろしながらも、青年の左手はハリセンを 「遅いんだよっ、この馬鹿ザルがっ!!」 スパパパパーンッ! 「…っ、いってぇぇ〜っ!なんで殴るんだよぉうっ!三蔵のいじわるっ!」 眦に涙を浮かべ、少年はきっと三蔵を見上げる。 「……………」 しかし三蔵は紫電の瞳に怒りを滲ませ、ぷくんと膨れた少年──悟空の頬をぐいぐいと 「いひゃいいひゃいぃ────っ」 「『なんで』だと?…じゃ、今が何時か云ってみろ。」 くいと顎でしゃくられ、悟空は固まる。 時計の針は規定の時間を大幅に過ぎ、宵の口を告げていた。 「俺は、鐘が鳴ったら帰ってこいって云ったはずだ。」 痛い所をつつかれ、反論も出来ずに悟空はしょんぼりと項垂れる。 やがて小さな声で、ポツリと呟いた。 「……………ごめんなさい。」 大きな瞳を潤ませ素直に謝られると、三蔵としてもそれ以上は怒ることができない。 小さく嘆息して、悟空の頬から手を離した。 「今度遅れたら、夕飯ヌキだからな。」 「んっ。」 こくんと頷く姿に、三蔵の怒りが消えかけたその時。 ふと、少年の指の絆創膏が目に入った。 「…悟空、その手はどうした?」 「ほえ?」 急に問われ、悟空は自分の手を見入る。 やがてあっと叫んで、ばつの悪そうな表情をつくった。 「あの…遊んでて…く、草で切って…そしたら門前市場のおばちゃんがくれたんだ。」 しどろもどろになりながら、懸命に言葉を紡ぐ。 その様子に、三蔵は微妙な不自然さを感じる。 だが遊びに熱中して小さなケガを拵えて帰宅する彼を、いつも自分がきつく叱るせいだろう… 「ちゃんと礼は云ったか?」 「…う、うん。」 「そうか。…ならいい。」 そこで話を打ち切り、三蔵は夕食の用意の為に小間使いの僧を呼ぶ。 だから、気づかなかった。 自分の背を見つめる少年の瞳に、僅かだが後悔の光があったことに。
次の日。 門限ギリギリに戻って来た悟空の手に、新たな絆創膏が貼られていた。 それを目敏く見つけた三蔵の柳眉が、ぴくりと上がる。 「…んぐっ……うん……」 目の前の夕飯を平らげることに夢中な養い子は、三蔵の質問にも生返事しか返さない。 それに多少苦々しく感じながら、それでも三蔵は保護者として釘を刺した。 「我を忘れて遊ぶのも、ほどほどにしろ。」 「ん〜、わひゃった(わかった)」 はたして、どこまで理解しているのか… ひたすらご飯をかき込む悟空に、三蔵は舌打ちしてビールをあおった。
更に、次の日。 またしても、絆創膏が増えていた。 「…………おい、悟空。」 はぐはぐはぐはぐはぐ………… 「おいっ───」 もぐもぐもぐもぐもぐもぐ……… 「返事くらいしろっ、この馬鹿ザルっ!」 スパパパパパァンッ! 「っ、いったいなぁ──っ!メシの時くらいソレ使うなよっ!」 ぷんっと頬を膨らませ、悟空はひたすら口と箸を忙しなく動かす。 「………………」 (この馬鹿ザルが………っ) その後何度か使用された三蔵必殺のハリセンも、この日はあまり効果を
そして、また次の日。 「…………こら」 三蔵の眉間に、深い溝が一本、二本…と自動的に刻まれていく。 今日は傷こそ作ってこなかったものの、帰宅した時から悟空は眠たげにうつらうつらと 彼にとって至福の時間のはずの今、両の瞼はほとんど閉じられている。 それでもその手は器用に箸を動かし、右に左に体を揺らしながら、口元に飯と野菜を 「─────おい」 地を這うような、ドスのきいた低い声が三蔵の口をつく。 向かいに座る三蔵がこれほど不穏な雰囲気を発しているのに、当の悟空は相変わらず (…こいつ、なにか隠してやがる) いくら悟空が馬鹿でも、食事時に前後不覚になるまで遊ぶというのは、絶対おかしい。 いや、そもそも本当に『遊んで』いるのか? (必ず吐かせてやる……) ふつふつと怒りを溜め込みながら、しかしお約束は忘れない律義な三蔵だった。 「食うか寝るかどっちかにしろっ、この馬鹿ザルっ──っ!」 スパパパパパパ──ンッ!
「それで、僕を呼んだんですか?」 にこやかに微笑みを浮かべ、青年は小間使いの少年僧が差し出した茶を啜った。 三蔵の前にも極上の香茶が置かれているが、それには全く手を付けず、苛々と紫煙を 不機嫌全開の彼に内心鼻でせせら笑いつつ、あくまでも穏やかに──のんびりと、 「…意外と、過保護だったんですねぇ。」 「………るせぇ。」 射貫くような鋭さを込めて、三蔵は八戒を睨む。 しかし人が殺せそうなきつい眼差しも、この『笑顔が武器』の青年にはまったく効かない。 やはり、死線をくぐると人間というのは図太くなるのだろうか。 なんでこんな奴を呼んだんだ…と後悔が脳裏で踊るのから目を逸らして、先を続けた。 ここ五日ほど悟空の様子がおかしいこと。 朝早くから寺院を飛び出していっては、夕は門限すれすれにしか帰宅せず、あの悟空が 「絶対、何か隠してやがる…」 悟空が自分に隠し事をする。 一緒に暮らしてから初めてのその行為が、三蔵をいつも以上に苛つかせていた。 「お前なら、サルを上手く誘導尋問にかけられるだろう」 悔しいが、子供の扱いの上手さは八戒の方がはるかに上だ。 微かに刺を含んだ三蔵の言葉に、青年は微笑みを崩さず優雅に切り返した。 「そうですねぇ…僕、信用されてますから。」 ぬけぬけと宣われ、三蔵の額がぴくりと脈打つ。 しかし目的を達する為に、敢えてそれは無視した。 「だったら─────」 「嫌です」 三蔵が頼む前に。 極上の笑顔を張り付けて、八戒はピシャリと断った。 「──なに…?」 八戒の態度に、三蔵は思わず鼻白む。 「悟空が話そうとしないなら、無理に聞き出すことはないと云ってるんです。」 「……だがな───」 「悟空を信じてないのですか、三蔵。」 「なっ…!」 八戒の何時になくきつい物言いに、激しい怒りが三蔵の顔に滲む。 研ぎ澄まされた刃の様なその眼差しに些かも臆することなく、八戒は淡々と続けた。 「本当に悪い事をしているなら、悟空は貴方に必ず話します。そういう風に育てたのは、 違いますか? わざと確認するような呟きに、三蔵は唇を噛み締める。 八戒に云われなくても、彼も心の奥底ではちゃんと判っていた。 悟空を疑っているのではない。 ただ───心配なのだ。 長い間外界から遮断され、牢の暗い闇の中に独り──心を凍らせていた、小さな子供。 つい連れ出してしまったが……果たして、それで良かったのか。 現に此処も、悟空にとって居心地が良いとはお世辞にも言える環境ではない。 その瞳に映る『世界』が、いまだ幼い悟空を傷つけはしないか。 不安で───しかたがない。 傷つけたくないのだ。 たとえ何時かは真実を知る日が来るとしても、悟空がそれを受け止められるくらい強く そう考えるのは、傲慢なのか。 「子供を信頼して待つのも、親の務めですよ。」 表に出そうとしない三蔵の不安を、読み取った様に。 静かに、八戒が諭す。 重苦しい沈黙が、二人の周りにひっそりと降り積もる。息苦しさに三蔵が口を開きかけた時。 遠くからけたたましい足音が聞こえてきた。 「だだいま〜。…あっ、八戒っ!」 扉を開けた途端、見知った人物を見つけ、悟空はぱたぱたと近づいて八戒に抱き着く。 自分以外に懐くその姿が面白くなくて、三蔵はぷいと顔を逸らした。 (ほんっとに、嫉妬深い『お父さん』ですね…) 悟空以上に子供じみた態度に、八戒は苦笑を隠せない。 (でもまあ、今回は譲ってあげます) 感謝して下さいね…と心中で呟き、八戒はそっと耳打ちした。 「…悟空、お金は足りましたか?」 「うーんと、ちょっと足りなかったけど、店のおじちゃんがおまけしてくれたよ。」 「良かったですね。─じゃ、ちゃんと渡してらっしゃい。」 ぽんと悟空の小さな背を叩き、三蔵の前に押し出す。 悟空はこくんと頷いて、三蔵に向き直った。 「…あの…さ、三蔵…」 おずおずと、不機嫌な面持ちの彼を大きな瞳が見上げる。 「……あの…………」 覚悟は決めたものの、いざ渡すとなると何を云えばいいのか悟空はわからない。 「……………なんだ。」 なかなか言い出さない悟空に苛ついて、三蔵が振りむく。 その鼻先に、にゅっと白い包みが突き出された。 「…これ…やる…」 「…………?何だ、これは?」 てっきり何かの謝罪がくるだろうと踏んでいた三蔵は、当てが外れておもいっきり困惑した。 目の前に差し出された物の意味が、本気で理解出来ない。 これが悟浄辺りなら『おっ、誕生日プレゼントか?』などと考えるのだろうが、世間一般の (ああっもう…焦れったいですね…!) 三蔵の鈍感加減に耐えられず、とうとう八戒は口を挟んだ。 「今日は『父の日』でしょう。悟空から、貴方にプレゼントですよ、ソレ。」 「───『父の日』?」 そういえば、そんな日もあったな…と思い返す。 だがやはり、なんで自分にこんなものを渡すのだろう。 「ほんとはお父さんにあげるんだって云われたけど、俺『お父さん』なんて 幼い瞳が、少しだけ寂しそうに瞬く。 覚えのある感覚に、三蔵の胸がチクリと痛んだ。 「でもっ、血なんか繋がってなくても、自分のこと育ててくれる人なら──見守って 悟空の言葉に、八戒に視線を走らす。 自分を見つめる翡翠の目は『早く受け取ってやれ』と無言の圧力を三蔵に与えた。 「…あけるぞ。」 「へっ……う、うんっ」 悟空の手から過剰なほど素っ気なく受け取り、三蔵は綺麗にラッピングされた包みを開く。 出できたのは、小さな銀のライター。 側面には太陽と月の細工が施され、琥珀と紫の貴石がそれぞれ埋め込まれている。 それほど高価な物でないことは、すぐにわかった。 細工には細かさが足りないし、彫りも浅い。 けれど、悟空に持たせた小銭で買える代物でもない。 三蔵の疑問の眼差しに、またもや八戒が助け舟を出した。 「それを買う為に、悟空はこの一週間町でアルバイトをしたんですよ。朝の市場の掃除から では、あの手の傷はその時のものだったのか。 八戒の言葉で導き出された事実に、三蔵は知らず嘆息する。 疑問の氷解したその顔には、僅かな後悔と──隠しきれない、喜びの色がまざまざと 「──バカヤロ。」 「…………ほえ?」 投げかけられた言葉に、悟空が不安そうな瞳をむける。 「……それ、保護者の科白ですか……?」 冷ややかな八戒のつっこみも、今の三蔵にはそよ風くらいにしか感じない。 緩みそうになる頬を引き締め、三蔵は断言した。 「とりあえず、これは没収だ。」 「…………っ、うんっ!」 (──もっと他に言いようはないんですか、貴方…) 予想以上の三蔵の天の邪鬼さに、傍観していた八戒はズルズルと脱力してしまう。 しかし悟空には一応通じている様なので──嬉しそうに笑うその表情に──まあ (…─ホントに、素直じゃないですね) 「なぁさんぞ〜、腹減ったぁっ!」 「テメエはそれしか云えんのか、サル」 さっはまでのラブラブな雰囲気も何処へやら──いつもの二人に戻った三蔵と悟空に、 その日は、遅くまで八戒の苦笑が消えることはなかった。
時は流れて──三年後。
「な〜、三蔵ぉ。早く行こうよ〜っ」 ぶぅっと膨れっ面で、少年は三蔵を呼ぶ。 既に旅の準備を整えた彼は、いまだ用意の終わらない保護者を焦れったげに見上げた。 「八戒達待ってるよぉ──…」 小さな腕をぶんぶんと振り回し、三蔵を促す。 どうやら悟浄達と旅を出来るのが嬉しいらしく、昨日からずっとこんな調子だ。 それを微笑ましく感じる反面、少しだけ苦々しいと思うのは自分の気のせいだろうか。 そんなことを考えていた三蔵の瞳に、机上のライターが映る。使い古されたそれは、 これから一緒に旅する相手に恐ろしく物騒な考えを巡らしつつ、手早く荷物を纏める。 「なぁってば〜っ、さんぞ〜〜っ!」 「…いま、いく。」 銀に輝くそれを袂に蔵い、三蔵は部屋を後にした。
『賢者の贈り物』・完
おまけ 八戒さん最強伝説
悟浄「…結局、俺の出番はなかったな。まぁ、いいけどよ。」 八戒「あはは。貴方が拗ねても不気味なだけですよ、悟浄」(さりげなくこき下ろす) 「…(ムカ)。しっかし、いくら父の日企画だからって、お前よく悟空に協力してやったな。 「だってあんなに悩んでいたんですよ。手助けしてあげないと可哀想じゃないですか、悟空が。」 「……けど三蔵(敵)に塩を贈っちまったんだぜ、今回。」 「(にっこり微笑んで)大丈夫ですよ。僕は母の日にしっかり貰いましたから。」 「え゛っ!」(悟浄、目を剥く) 「…悟空にあんな表情(かお)が出来るなんて、知らなかったですよ。フフフフフ……」 「ちょっ…八戒さん…?」 「上気した肌がほんのり桜色に染まって、それはもう…いえ、これ以上は表では 「も……もしもしぃ?」(動揺している) 「大変美味しくいただかせて貰いました(うっとり)。」(思い出しているらしい) 「(内心パニック)……あ、そぉ。」 「悟空ったら、○○○(都合により自主規制)な箇所にホクロがあるんですよ」(ごっつ嬉そう) 「──っ!!ちっくしょぉおおっ!なんで『父の日』や『母の日』があって『お兄ちゃんの日』が 「……………」 「俺だってっ悟空にピ──ッやピ──ッや……」(放送コードに抵触しているため只今削除中) 「…悟浄、一足先に地獄を見てきますか?」 「へっ…て、ぎゃぁあああああ────っ!」 ごりゅっ!(何かが潰れる音) 「ふぅ。夏場のゴキブリって、しぶとくてイヤですねぇ。」
『八戒さん最強伝説・完』 |