とこしえのきみにちかう




 CR:5のカポが代替わりしてから10年。熾烈をきわめたGDとの抗争もほぼ収束し、

デイバンの治安も安定した。町からGDを追い出したCR:5は、宿敵に振るっていた

大鉈を今度は自らの内へと向けた。いや、曾ては身内だった者たち――30年前の

『薔薇の粛正』を生き延びていながら、愚かにもファミーリアに背いた恥ずべき

裏切り者たちへと。






 ――憎しみは人を生かす。

そう言ったのは誰だったろう。影のように寄り添いながら、ふとベルナルドは思う。

けだし名言だ。哀しみと絶望の淵に沈んでいた青年を再び起ち上がらせたのは、

尽きることのなく湧き続ける泉のような憎悪だったのだから。

「ご苦労だった」

 以前とは違う、命令することに慣れた口調で今やデイバンの王となった青年が

婉然と微笑む。労われた男は微かに頬を紅潮させ、恭しく頭を垂れた。

「遺体は自殺に見えるよう偽装しました。地元警察と検死局にも手を回しています

ので、こちらが追求されることはありません」

 淡々と奏上される報告を、革張りの玉座にもたれたまま王は静かに聞き入る。

そっと様子を窺うかぎり彼の表情には些かの変化もない。そのことが、かえって

ベルナルドの不安を掻き立てる。

 部下の手前カポが感情を露わにするのは好ましくない。けれど組織一の凶手で

ある男が仕留めたのは、青年がこの10年もの間追い続けたジュリオの仇なのだ。

なにも感じていないはずがない。にもかかわらず、あの老人の最期を聞いても

喜ぶでもなく、取り乱すこともないなんて異常だ。

 仮面のように張りつけたあの笑顔の下で、いったいどれほどの激情が渦巻いて

いるのか。一度脱け殻のようになった彼を知っているだけに、ベルナルドは

心配でたまらない。

 そんなベルナルドの苛立ちをよそに男は自らの手柄をひけらかすかの如く、

老人の死に様を微に入り細に入り喋り続けた。

「デイバンに運ばれてくる頃には腐敗も進んでいますから、処刑の痕跡は

見つかりません。遺族が騒ぎ立てることもないでしょう」

 もっとも、それほど力のある者は最早ボンドーネ家には1人もおりませんが。

口元を醜く歪めて喉を鳴らす男の言葉に、青年も鷹揚に頷く。

 組織への裏切りが発覚してから、CR:5はあらゆる手段を用いてボンドーネの

力を削ぎ、その血に連なる者たちには厳しい制裁を科してきた。州でも指折りの

名家と謳われた一族も後継になりそうな男子はすべて死に、残るは老人ばかり。

滅びるのも時間の問題だ。

 曾てデル・サルトの血を憎み絶やそうとしてきたボンドーネが、いまや逆にその

血脈を地上から抹殺されようとしている。他でもない、デル・サルトの血を受け

継ぐ最後の1人の手によって。本人は知らないこととはいえ、なんという皮肉な

結末だろうか。因果は巡るとはよく言ったものだ。

「……よくやった。今日はもう下がっていい。報酬は明日の朝イチで口座に

振り込ませる」

 これ以上、男の話を青年に聞かせるべきではない。まだなにか言いたそうな

雰囲気をさりげなく遮ってベルナルドは退室を促す。横やりを入れられた男は

眉を寄せ不快感を露わにしたが、ベルナルドの鋭い視線に射抜かれると怯えた

ように目を伏せ、そそくさと部屋を出ていった。

 ふたりきりになった途端、しんとした静寂が執務室をつつむ。重い沈黙の中

どう声を掛けるべきか躊躇うベルナルドの前で、青年の唇から小さな吐息が

ひとつ零れ落ちた。

「ジャン……?」

「……ようやく、終わった」

 喉の奥から絞り出すような、ものうい声がせつなく響く。耳を打つその声音に

ベルナルドはたまらず手を伸ばし、肩をつかんで椅子ごと青年を引き寄せた。

「――!」

 無理に振り向かせたその顔に、息を呑む。

カポに就任してから常に浮かべていた笑み――まるで生まれながらの王の如く

隙のない、冷ややかで傲然とした微笑みが完全に剥がれ落ちて。その代わりに、

ベルナルドがよく見知ったジャンが姿を現す。

 大切な者を喪い、けれど彼の後を追うこともできず、重責を受け入れて生きる

ことを選んだ、憐れな子供。愛した青年の仇をとる、唯その為だけに己のすべてを

組織に捧げると告げた日から、ベルナルドの前から消えてしまった大事な存在が、

いま手の届くところまで戻ってきた。

 そのことに秘やかな喜びを感じる反面、鈍い痛みが胸を締めつける。たとえ

10年経とうと、みごと仇を討とうともジャンの魂についた傷は塞がることはない。

いや、もう癒えることはないのだろう。疲れきったような表情が、痩せた体から

漂う危うさが、ギリギリのところでジャンが留まっているのだとベルナルドに伝える。

千の言葉を尽くすよりも、雄弁に。

「これでやっと……ジュリオに顔向けができる」

 そう囁く声は凪いだ海のように穏やかで、けれどどこか物悲しく聞こえる。

やはり自らの手で殺せなかったことを悔やんでいるのだろうか。

 しかし、それならば――

「何故、わざわざ自殺に見せかけたんだ」

 呻くようにベルナルドは予てからの疑問を口にする。

最後の標的を見つけたと連絡が入った時、直ぐにでも現地に飛ぶと思われた

ジャンは、しかしデイバンから動こうとはしなかった。そのかわり凶手に選んだ

男に細かく注文をつけ、それを厳守させた。どれほど苦しめてもいいが、かならず

自殺にみえるように殺せ、と。

 他の裏切り者たちは、いわゆる処刑スタイルと呼ばれる方法で拷問の末

惨殺した。見せしめの為に骸をわざと人目につきやすい場所に晒しものにして。

だがジュリオの死に関わった者たちだけには、どうしてそんな偽装の手間を

かけたのか。

 ベルナルドの問いかけにジャンの頬がひきつり、虚ろだった瞳が一瞬で嘲りと

怒りに染まった。

「そんなの決まってる。アイツに、自分の孫を追い詰めたあの糞野郎にジュリオと

同じ場所で眠らせるわけにはいかないからだ」

 忌々しげにジャンは吐き捨てる。

「俺が直接手を下したら、感情のままに殺してしまう。それじゃダメだ。彼奴らには

神の赦しも安息の地も、一欠片だってくれてやる気はない」

 熱を帯びた金色の瞳がはげしく揺らめき、ここではない何処かをきつく睨む。

容赦のないその口調から、彼が意図したことをベルナルドは漸く悟った。

 カトリックにとって自殺は最も重い罪のひとつだ。まともな教会なら葬儀は拒否

されるうえ、教会墓地で弔うことも禁じているところが多い。埋葬もかなりの制限が

つくし、遺族が白い眼で見られることは必死だ。信心深ければ深いほど、死んだ

ほうも残されたほうも苦しみが続く。それこそがジャンの狙いだった。

 ジュリオの死に直接関わった者たちから、命だけでなく魂の安らぎすら根刮ぎ

奪う。彼が10年前、最愛の存在を奪われたように。

「ジュリオを殺した奴らには相応しい結末だろ?」

 ――死してなお苦しみ続ければいい。この世の終わりまで、ずっと。

暗い喜びに突き動かされるようにジャンの口元がゆるく撓る。おもわず見惚れる

ほど華やかで、そして背筋が凍るような凄絶な笑みに、だが畏れよりも痛ましさを

感じたベルナルドはそっと彼から視線を外す。

 わかっていたつもりだった。ジャンの絶望がどうしようもなく深いことは。だが

甘かった。これほど強い憎しみの対象を失って、はたして彼は耐えられるのだ

ろうか。ジュリオを喪った時のように、いやあのとき以上に壊れて、もう戻らない

のではないのか。燃え尽きた灰が音もなく崩れて風に攫われるように。

「ベルナルド」

 自分を呼ぶ声にはっとしてベルナルドは顔をあげる。

再び見下ろしたジャンの顔からは滾るような怒りも憎しみも消えていた。入れ

替わるようにいま浮かんでいるのは、悔いるような悲しげな表情。それが

ベルナルドにむけて注がれる。

「いままで俺の私怨に付き合わせて悪かった。出来の悪いボスの尻拭いに

追われて、アンタからいろんなものを奪っちまった」

 後悔と苦渋に満ちたジャンの言葉を、ベルナルドは首をふって否定する。

違う。彼はなにも悪くない。

 アナと別れたのは、なるべくしてなったことだ。若い頃のような情熱が薄れて

しまったのに、ひとりになるのが怖くて彼女を見えない鎖で繋ぎ止めていた。

けれどジャンをカポに据え彼を生涯支えると決めたとき、やっとアナを解放する

ことができた。もっと早くそうするべきだったのだ。自分にとってジャンが一番だと

自覚したときに。

「俺のボスは、お前だけだ。お前以外に忠誠誓う気はない。これまでも、

これからも」

 こみ上げる想いを押し隠したまま、表面はどこまでも忠実な部下の顔で

ベルナルドは微笑む。そう、迷うことなどなにもない。彼の隣にいることが

自分の幸せなのだから。

「どこまでもお前につき従う。そう決めたんだ、俺は」

 たとえ行き着く先が地獄であってもかまわない。揺るぎない意志を双眸に

宿してそう呟くベルナルドを、いまにも泣き出しそうな表情でジャンが見つめる。

 彼を、その出自に相応しい地位につける。以前はそれが大恩ある先代への、

自分にできる唯一の恩返しだと信じてきた。でも今は違う。そんなものがなくても

ジャンの側に寄り添い続けるだろう。

「だから、そんな顔するな。俺はずっとお前の隣にいる。この先なにがあろうと」

「……ありがとう」

 長い沈黙の果てに消え入りそうな囁きが零れ、ジャンの面が微かに綻ぶ。

 かつての太陽のような笑顔は、もう戻らない。けれど、この月のような笑みが

あるかぎりベルナルドは彼を守り続けるだろう。刑務所から脱獄したあの日、

残りの人生のすべてをジャンにくれてやろうと決めた、その誓いのままに。





 ――たとえ、ジュリオの代わりにはならなくても。



(2009/08/09)