Mescolare 2
アイツよりちょっとだけ背が高くて、ちょっとだけ老け……いや、格好よくなった
男は、ベルナルドの後ろに俺の姿を見つけた途端すっと眼を眇めた。
「なんだぁ、またふたりでシケこんでたのか? このホモ野郎ども」
鼻の頭に皺を寄せてイヴァンが吐き捨てる。
相変わらず口が悪いなコイツ。いくら野郎同士のイチャイチャを毛嫌いしてるっ
てもさ、ルキーノみたいにもっと気の利いた言い回しとかできねーのかね。
チンピラならともかく、組織の幹部様が常に全方向に向けて喧嘩腰ってのは
どうよ。
俺が知ってるイヴァンはいちばん年下だったから、あの後先考えてない
むこうみずな言動もまぁナメられないようトンガってるだけなのよねとスルー
できたけどさ。この顔で凄まれるとムリ。いつものお子様らしい可愛げがない
ぶん、なんかすげームカつく。
そう思ったのは俺だけじゃなくて、イヴァンから俺を庇うように立ち塞がる
ベルナルドの背中がぎゅっと強ばり、次の瞬間には岩のように硬く張りつめた。
「……お忙しい次席様がいったい何のご用でしょう?」
うわ、この声は相当怒ってるよ。口調は丁寧だけど、温度が違う。さっきより
10度くらい低い。後ろにいるから見えないけど、いまベルナルドの顔には壮絶な
笑みが浮かんでるはずだ。俺に向けられたことは一度もないけれども、あれは
すごく迫力がある。フハハ笑いより怖ぇよ絶対。
「何の用? っざけんな、これのことに決まってんだろッ」
バン、とベルナルドの机に数枚の紙切れが叩きつけられる。
「なんでこれが認められないんだよッ!」
いきり立つイヴァンの手の下にあるのは、たぶんシノギで発生した経費とか
領収書や見積もりだろう。
ある一定以上の大金を動かす時は――出入金にかかわららず――会計
担当のベルナルドの許可がいる。裁定を待たず勝手にやっちまってバレた場合、
損益は全部かぶらなきゃいけねーし、たとえ儲けが出たとしても通常よりも
大幅に増額された上納を取られるわけで、得なことなんて一つもない。だから
イヴァンも、わざわざ自分からベルナルドんとこに出向いてまで承認させようと
してるんだろうけど。まぁ、普通に無理だと思う。突っ返されたってことは、まずい
部分があるってことだ。政府の監査が入ればすごく面倒なことになるくらいの
穴が。そんな杜撰なもんをベルナルドが認めるわけがねえ。こいつは誰に対しても
優しいけど、組織の利害に関してはすごく厳しいんだ。
案の定、ベルナルドは冷たい一瞥をイヴァンに向けると呆れたようにため息を
ついた。
「全部ダメだとは言ってない。ただ、そのままじゃ財務局の眼を誤魔化せないから、
もう一度推敲しろと忠告しているんだ」
「そこをなんとかすんのがテメェの役目だろうが」
「無茶言うな。俺は神様でもオズの魔法使いでもないんだよ、ドン・フィオーレ。
石をパンに変えてほしいのなら教会をあたれ」
そう言い放つと、黒縁眼鏡の奥で酷薄な光を湛えた薄緑の瞳がきらりと輝く。
イヴァンがどれだけ怒鳴ろうが脅そうが、けして阿る気はない。全身でそう
主張するベルナルドを、ぎり、と歯ぎしりしながらイヴァンがすごい形相で睨む。
俺の存在をすっかり忘れたまま一歩も引かず対峙する二人の間に、バチバチと
激しい火花が散る。えーと、こいつらってこんなに仲悪かったけ? イヴァンのほうは
まあ、自分よりも年も位階も上のベルナルドが苦手っぽかったけど。ベルナルドは
……うーん、特に態度は変わらなかったと思うけどなぁ。腹の中でどうだか知らないが、
すくなくとも俺の前ではそんな素振りは見せなかった。
「……クソッ」
野良猫の喧嘩さながらのガンの飛ばし合いは、イヴァンが僅かに眼を逸らした
ことで一旦途切れる。何を言っても鏡のように跳ね返すベルナルドの態度に、
どうあっても要求は通らないと悟ったのだろう。急速に激情を収めたイヴァンは、
けれどすぐに口の端を吊り上げて嗤った。自分が優位だと思ってる奴がよく見せる、
胸糞の悪くなる嘲笑を浮かべて。
「……さすがボスのお気に入りは違うなぁ。最下位のガキでも態度は筆頭並だ。
上を敬うってことを知らねぇ」
鼻をならしてイヴァンが皮肉たっぷりに馬鹿にすれば
「27にもなって組織のルールも覚えられないアンタのほうがどうかと思うけどね」
と、打てば響くようにベルナルドが応酬する。そこには格上のイヴァンに対する
遠慮なんてものは一切ない。吃驚するくらいアグレッシブだ。ホントに、全然これっ
ぽっちも容赦ねえ。たしかに幹部内の序列は――アレッサンドロの親父の意向で
形骸化しつつあるけれど、こんなあからさまに対立して大丈夫なんだろうか。
「だいたい幹部になってもう5年も経つのに、よくこんなお粗末な代物を提出
できるな。これでOK出すなんて前の会計担当はよほど無能だったのかい?」
俺の心配をよそに、ベルナルドの唇はステキな笑顔つきの暴言をなめらかに
紡ぐ。
ワオ、すっごく舌好調ですねベルナルドおじさん。イヴァンちゃんの顔が
みるみる赤黒く変色してってるよ。頬のあたりの筋肉がぷるぷる震えて引き攣って
ますよ! 此処が組織の本部じゃなかったら間違いなく銃をぶっ放すってくらい
沸騰寸前だな。いや、俺の知ってるイヴァンならもう切れてる、ゼッタイ。
そういや、こいつって今27なのか。あれ、てことはルキーノとおなじ? たしかに
見た目はそんくらい成長してるかも。それに、さっき自分で次席幹部って言ってた
よな。あの堪え性のないイヴァンちゃんが偉くなったもんだ。片親がイタリア系
――シチリア出身者でもないのにソコまで上り詰めたのは、本人がそんだけ
努力したってことなんだろうけどさ。
……なんて、置いてけぼりにされた俺が軽く現実逃避している間に、ベルナルドと
イヴァンの舌戦の話題が互いへの個人的な罵倒から担当する部署への不満に
シフトしていく。
なんていうか、こうなると俺が嘴を突っ込む余地がないな。ただの口喧嘩なら
止めようもあるけど、シノギの話だとほぼ素人レベルだからわからねーし。ほんの
半年前まで平の構成員だった俺が、ボスになったからってすぐさま何でも理解して
采配を振るえるわけがない。
カポを引き継いでからベルナルドやルキーノについて帳簿や相場の見方とか
勉強しちゃいるけど、まだ半分も理解できちゃいないのが現状だ。全部ひとりで
背負い込む必要はない、それぞれ専任の幹部がいるのだから大まかなことだけ
把握していればいいと言われても、やっぱりこういう場面に出くわすと自分の無知が
情けないやら悔しいやらで凹む。
俺ってホントにカポに向いてんのかね。幸運くらいしか取り柄が……あ、あと
脱獄があったか。いやでもムショん中以外じゃ使い道がねえじゃん!
自分の立場について真剣に考え込んでいた俺は、BGMのように響いていた
激しい口論がいつの間にか止まったことに気づかなかった。その騒音を作り出して
いた1人が、ベルナルドから俺に関心を移したことにも。
「……お前、どっか悪いのか? さっきから全然喋らねーじゃねえか」
先ほどまでの凶暴なしかめっ面が崩れて、戸惑うような表情でイヴァンが俺を
窺う。こうやって見ると結構整った面してるよな。ルキーノみたいな華やかで完成
された美貌や、ベルナルドのような優美で知的な雰囲気の容姿とは趣が違うけれど、
充分人目を惹きつけるだけの魅力がある。男の俺でもちょっと見とれてしまうんだ
から、こいつのシマの女達が逆上せあがるっつのもわかる気がするな。口さえ
開かなきゃ格好良いよ、うん。口開いてその下品なスラングさえ言わなきゃなぁ。
それですべて台無しなんだけど。
「オイ、マジで具合悪いのかよ」
うんともすんとも言わない俺に不安を煽られたのか、ベルナルドを押し退けた
イヴァンがぐっと顔を寄せる。ちょ、近い。なんでそんなに近づくんだよ!
必要ねえだろバカ。おもわず後退ろうとしたけど、それよりも先に伸びた手が
がっちりと俺の腕を掴んで離さない。
「熱は……ねぇな」
イヴァンの節くれた手が前髪を掻き分けて額に触れる。
驚くほど優しい指先の動きに、真っ直ぐみつめてくる薄青の瞳にわけもなく狼狽えた
俺は、いつもの憎まれ口どころかイヴァンを振り払うことさえできない。なんだこれ。
なんで俺ってばイヴァンと見つめ合っちゃってるわけよ?
蛇に睨まれた蛙のように立ち尽くす俺の呪縛を解いたのは、迸るような怒声
だった。
「っ、ジャンから離れろッ!」
叫びとほほ同時に肩を捕まれてイヴァンから引き離される。茫然とする俺を懐に
抱きしめたベルナルドは、血走った眼でイヴァンを睨めつけた。
「べ、ベルナルド?」
「ジャンに触れるな」
地を這うような、低い声音。背筋が寒くなるようなこれは、本当にベルナルドが
出してるのか。きつく抱き込まれた胸元から恐る恐る見上げた俺は、そこに
あった表情に息を呑む。
イヴァンと口論していたときの、冷たい怒りとは違う。燃え盛る炎のようなそれは、
まぎれもなく憎悪だ。面と向かってガキと侮られたときでさえ鼻でせせら笑う
ような余裕があったのに、今は剥き出しの敵意でイヴァンを威嚇している。まるで
獲物を奪われかけた獣のように。
ベルナルドの突然の豹変におなじく呆気にとられ、けれど俺よりも素早く立ち
直ったイヴァンは、入ってきた時よりも更に険しい顔で睨み返した。
「……ンだと。テメェ何様のつもりだ」
「煩い。あんたには関係ない」
「勝手に決めんなッ! それとガキが俺に指図すんじゃねぇッ」
「ちょ、止めろよ、お前ら……ッ」
再び怒濤の罵り合いを始めた2人を俺は身を捩って諌める。
なんなんだよ、いったい。せっかく収まったと思ったら、またよくわからんうちに
喧嘩おっぱじめて。しかも今度は口だけじゃなく、いまにも手が出そうな勢いだ。
まずい。絶対止めなきゃまずいって。
「お前等、なに騒いでやがる」
焦る俺の耳に突然、低音の美声が部屋中に響いて険悪な空気を一閃する。
別段大声というわけでもないのに不思議とよく通る、聞き覚えのある声。それを
発した張本人を探してベルナルドとイヴァン、そして俺も弾かれたように扉のほうに
振り返る。
開け放たれた入口に立つその男が誰かなんて、今更問う必要はない。こんな
派手な奴が他にいるもんか。
「外まで聞こえてるぞ。臨時とはいえ此処はCR:5の本部なんだ、少しは自重しろ」
そう言って銅色の髪を靡かせた伊達男(ちょっと若い)が、呆れたような顔で
俺たちを窘めた。
街中の淑女達を虜にする華やかな微笑みを口元に浮かべて。
(2009/09/01)